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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
孤高たれ
一昨日の拙稿「日本カラー革命」で、小池百合子の希望の党設立の記者会見について触れたが、その時に馳せ参じた14名の国会議員の顔ぶれのなかに、野間健衆議院議員の姿を目にして唖然となった。

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今年の5月26日にアップした「月刊日本に期待する」で、亀さんは以下のように書いている。

それからしばらく、南丘さんは安倍首相に期待をよせる檄文を書き続けていたのだが、いつしか批判する側に回るようになった。


月刊日本には山浦嘉久氏や野間健氏のように、ネオコンの正体を知り抜いている人たちがいるのにも拘わらず、何故に月刊日本は、国家崩壊を食い止めたいとする安倍総理を批判する側に回ったのか、腑に落ちなかったのだが、上の写真を見て漸く疑問が氷解した次第である。そう、野間氏の変節、それが月刊日本を変えた可能性が高い。

ここで、月刊日本の元編集委員だった野間氏についてだが、拙稿『「今のロシア」がわかる本』でも紹介したように、畔蒜泰助さんの本についての野間氏の書評、今読み返しても実に優れた書評であり、これは「インテリジェンス」や「ネオコン」といったキーワードを、深く理解している者にしか書けない内容である。なかでも思わず唸った野間氏の記述、上の拙稿でも紹介しているが、改めて本稿にも再掲しておこう。

本書(亀さん注;『「今のロシア」がわかる本>』)はロシアの現状を概説する案内所の体裁を撮りながら、その実「今のロシア」を通して「今の世界」を論じた高度なインテリジェンスが詰まった本である。


亀さんは同誌の関係者の幾人かとは交流があり、野間氏にも幾度か会っている。そして、今でも月刊日本の人たちは人間的に良い人たちばかりだと思っているほどだ。しかし、拙稿「秋刀魚の味」や「納豆型社会の情景」にも書いたことだが、日本社会は国家よりも己れの属する共同体を優先する傾向にあり、月刊日本もその例外ではない。つまり、月刊日本は月刊日本という共同体を国家よりも優先させているのである。このあたりの気持ち、亀さんも日本社会の一員として分からないでもない。

しかし、人は己れを生み育んでくれた、祖国の内部崩壊を如何に食い止めるかという、大義を第一において行動するというのが本来のあるべき姿であることに思い致すに、日本社会のネバネバした納豆の糸という人間関係を断ち切り、孤高に徹する勇気が、国難に直面している今こそ必要な時はない。

このまま同誌の姿勢が変わらないようであれば、冒頭で紹介した「月刊日本に期待する」にも転載した南丘喜八郎主幹の玉稿、『国家の「内部崩壊」を如何に食い止める』は、『国家の「内部崩壊」を如何に加速させる』に改めた方がよい。

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ホンダのもう一つの顔
過日、「正念場のホンダ」を書いたところ、読者からのコメントがあった。今までの拙ブログではホンダの表の顔に焦点を当てて記事を書いてきたが、今回はコメントに書いたホンダの裏の顔を本稿に浮上させておこう。

ホンダの従業員
亀さん
初めまして。
kenichi2409です。

元、自動車業界(部品メーカー)に居た時に
ホンダの従業員と話した事があります。

やりたい事があるが、上司・トップの権力が
あって出来ない・諦めている 感じでしたね。

昔はホンダイズム?(恐れずにチャレンジする)
が生きているみたいな会社だな と小生は思って
いましたが、ちょっとづつ変わってきているみたい
ですね。

日本の企業を切って中国のコピー会社を採用
したり、部品メーカーの独自技術をコンペと称して
ライバルメーカへ横流ししたり(一応許可は取って
いると聞きましたが)、イロイロありましたよ。

ちょっと企業として大きく成り過ぎ、倫理観の変化
があるのかな?
(鈴鹿に誘致出来たのはお茶のエピソードから
 との話はどこへやら。。。)

個人的にはホンダジェット・赤いスポーツカー
・エンジンはレッドドーンに入ってなんぼ みたいな
感じで、独自路線を貫いて欲しいですが。。。

PS.今でもエンジンは左廻りなのかなぁ?



ホンダの光と影
kenichi2409さん、初めての投稿有り難うございました。

> 昔はホンダイズム?(恐れずにチャレンジする)
> が生きているみたいな会社だな と小生は思って
> いましたが、ちょっとづつ変わってきているみたい
> ですね。

実は拙ブログの場合、ホンダに光があたる部分しか書いていませでした。今回、裏、すなわちホンダの影の部分について少し書きます。

ホンダイズムが生きていたのは、本田宗一郎が社長だった時代あたりまででしょう。ちなみに、小生かホンダに入社した時は、すでに河島喜好社長になっていました(1973年10月に本田宗一郎の後を受け、45歳で本田技研工業代表取締役社長に就任)。そして、小生がホンダに勤めていた、1970年代後半から1980年代前半当時は、かつての創立精神(ホンダイズム)はすでに死に体でした。

確かに、研究部門や本社の社員には、ホンダイズムが少しは残っていたものの、製造現場では人を人とも思わぬ扱いでした。だから、現場の正社員が次々と辞めていったものです。多くの教え子をホンダに送り込んだ高校時代の恩師も、小生がホンダに入社した直後に挨拶に行ったところ、「ホンダは社員使い捨ての会社だよ」と教えてくれたものだし、その後小生も一時期とは云え、製造現場に従事した体験があるので、恩師の言っていたことは本当だったと痛切したものです。

こんなこともありました。当時のホンダでは改善提案運動が盛んで、金賞を受賞すると御褒美に研修とは名ばかりのバス旅行を挙行していました。小生も入社してから間もなく金賞を受賞したので、四十名近くの他の金賞を受賞した社員と一緒に、伊豆だかどこだったかは忘れましたが、一泊のバス旅行に参加したのです。その時、本社からの大卒で人事部の三十代前半と思われる社員が同行したのですが、上から目線というよりは、威圧的な態度でバスの中の社員に向かって、「お前ら、俺の言うことを平身低頭で聴けよ。態度が悪い奴には俺は怖いぞ」というようなことを言い放ったのです。その刹那、あたかもヤクザ世界、否、ヤクザ世界そのものの雰囲気に、バスの中がガラッと変わったのを今でも覚えています。このように、大卒の本社部門の社員と高卒の多かった現場の社員との間には、明らかな身分差別がありました。

また、職位が一つ違うだけで、下は虫けら同然でした。だから、面と向かって上司に真っ当な意見を述べようものなら、忽ち日の当たらぬところに左遷されたものです。たとえば、小生は最初、二輪車の化成課(化成とは車体を塗装する工程)の検査係に配属されたのですが、上司のN係長は実に面倒見の良い上司で、親分肌の人でした。しかし、上司のO課長と意見が衝突、二輪車の化成課から四輪車の組立課に追い出されて(左遷)しまったのです。皮肉にも、O課長が同じ四輪の組立課に課長として異動、再びN係長はO課長の部下となったのですが、二輪時代のN係長とは人が打って変わっていました。たとえば会議でO課長がお茶を飲み干すと、自ら立ち上がってO課長の空になった湯飲みにお茶を淹れるなど、傍から見て痛々しいほどでした。小生もO課長が組立課に異動する前に、二輪化成課から組立課に転属になっていますが、当時はオハイオ州に四輪工場の立ち上げを準備していた時期でもあり、小生が転属になったのも、英語のできる社員が必要になったからだと今にして分かります。そして、現場の作業以外に、外国からのお客の通訳をはじめ、組立課で外国人も参加する会議では、同時通訳や翻訳の仕事も結構していたので、O課長の前では人が変わってしまったN係長を目の当たりにしていた次第です。


> ちょっと企業として大きく成り過ぎ、倫理観の変化
> があるのかな?

御意。ホンダも並の会社になったということです。本田宗一郎がいたら、拳骨が飛んできたことでしょう。

今後ともよろしくお願いいたします。


加えて、掲示板「放知技」の常連の一人、虻農〇さんの指摘も貴重だ。以下に転載しておく。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16074479/151/

正念場のホンダ
自動車業界で最後の独立系メーカーとなったホンダ、今や正念場を迎えている。二年半ほど前、「ホンダイズム復活?」と題する拙稿で、「ホンダは、ソニーになってしまうのか。本田宗一郎の精神を失った経営は負のスパイラルに」という、2015年1月15日付けの現代ビジネスの記事を紹介したが、同記事に以下のような記述がある。

ホンダの業績が急降下している本質的な理由は、伊東社長が無理やり短期的に販売増を目論んだことで、現場に負担がかかりすぎ、管理が甘くなり、品質問題が起こり、その対応に追われて、新車投入が遅れていることにある。


その現代ビジネスの記事が出てから2週間ほどが経って、東京新聞がホンダのF1復帰を記事にしている。スワ、ホンダイズムの復活かと、当時の亀さんは淡い期待を抱いたものだが、結果は知っての通りで、未だにホンダは一勝すらしていない。そんなホンダの過去と現在について取り上げたロイターの記事を、9月11日に東洋経済が掲載した。

ホンダ<7267.T>が復活への苦闘を続けている。かつてF1を初めとする数々の自動車レースを制覇し、燃費向上や環境技術でも業界の先頭を走った同社の輝きは、すっかり色あせた感がぬぐえない。
http://toyokeizai.net/articles/-/188251


同記事はホンダの過去と現在を正確に捉えてはいたが、そこは英国のロイター、フォルクスワーゲンの排ガスデータ改竄事件といった、欧米という身内の不祥事については一切触れていない。加えて、「外国人従業員の可能性を見過ごしてきた」という小節で、暗にホンダの純血主義を批判しているあたり、ホンダを欧米系メーカーの陣容に組み入れ、ホンダの技術を我が物にしたいという魂胆が見え隠れするのだ。

ここで、注目していただきたい記事がある。
内燃機関の全廃は欧州の責任逃れだ!

上の記事について、鋭い洞察を加えているのが飯山一郎さんだ。

ところが! 中国は,欧州勢の悪質さをビシッと見抜いて…
中国が得意な電気自動車と日本が得意なハイブリッド車だけ!という方針で,ドイツ車の締め出しにかかったのである.

中国も欧州も大気汚染に悩んでいる


この自動車業界、過去に合従連衡を繰り返し、その都度紙面を賑わしてきたものだが、今日に至って上位4社による寡占化が急速に進みつつある。

自動車業界は大手4社による寡占化傾向が鮮明になっている。2016年の世界新車販売台数は、1位が独フォルクスワーゲン(VW)で1031万台、2位がトヨタで1017万台、3位はゼネラルモーターズで1000万台、4位は仏ルノー・日産連合で996万台だった。
進む自動車メーカー再編、これがホンダの生きる道


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自動車メーカーのシェア世界ランキング(2015年度実績)

上位4社のうちの2社は、欧米系のフォルクスワーゲンとゼネラルモーターズで、スプートニクの「中国 ガソリン車とディーゼル車を全面禁止へ」という記事にもあるように、中国政府の発表に接し、中国市場から閉め出されるという、相当な危機感を欧米系の自動車メーカーは抱いたはずだ。

ともあれ、ホンダが復活に失敗するようなことがあれば、欧米系のフォルクスワーゲンやゼネラルモーターズに、乗っ取られてしまうという恐れが無きにしも非ずで、そうならないうちに、中国あるいは韓国(現代)との提携の道を探るなり、エンジンの供給といった何等かの形で中国市場へ食い込むなどして、独立系メーカーとして生き残って欲しいと切に願う。

このようにホンダに思い入れがあるのも、F1をはじめとする数々の自動車レースを制覇し、燃費向上や環境技術を開花させ、自動車業界の先頭を走っていたホンダが最も輝いていた時期、1970年代後半から1980年代前半にかけ、亀さんはホンダに勤めていた身だからだ。また、拙稿「20代の自殺」にも書いたように、本田宗一郎の秘書だった原田一男さんとの交流も大きい。それが、個人的にホンダに生き残って欲しいと願う理由だ。

トランスクリエーション
亀さんは翻訳の仕事をしているくせに、翻訳関連の記事が少ないと、同業者仲間から文句を言われそうなので(特に、掲示板「放知技」の常連さんの一人で、亀さんと同業の翻訳者でもある、ままりんさんという絵文字の女王…( `o´)☞。)、ソロソロ翻訳関連の記事を書かねばと思い、重い腰を上げた次第である。ちなみに、最後に書いた翻訳関連の記事は、「お菓子な話」で、2ヶ月ほど前のことになる。

今回のテーマは、ここ数年亀さんが注目しているトランスクリエーション。ところがナント! すでに同業者が記事にしていた…。
トランスクリエーションとは?トランスレーションとのジレンマ

上の記事を一読したが、亀さんが書こうと思っていたことのほとんどを取り上げているではないか…。だから、いまさら付け加えることはあまり無いんだが、一点だけ、亀さんなりの視点で書いておきたいことがある。それは、AI(人工知能)が急速に普及しつつある今の世の中で、今後も翻訳者として生計を立てていくには、トランスクリエーションのプロフェッショナルになるのが、おそらく一つの道であるということだ。上の記事にもあるように、技術・医療・契約といった分野なら、今までのような翻訳でなければならないが、ことマーケティングとなると、トランスクリエーションが不可欠であり、そのあたりは欧米の企業や翻訳会社も早くから気づいていたようだ。

ちなみに、文学作品などはともかく、技術・医療・契約といった従来の翻訳が幅を利かせている分野は、次第に翻訳者からAIに取って代わられると思うが、トランスクリエーションの場合、当面AIには無理だろう。その意味でも、トランスクリエーションのプロを目指すことをお勧めしたい。

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海外SEO SEM ウェブマーケティングで世界を制す!』という本がある。同書はウェブマーケティングの本なのだが、トランスクリエーションの重要性について数ページだけだが言及しており、内容的に正鵠を射ているので、そのまま以下に転載しておこう。

ローカリゼーション
翻訳とローカリゼーションは同じものだととらえられがちですが、実はまったくの別物です。
一般的に翻訳された文章は、あくまで翻訳業者に翻訳してもらっただけのものです。意味合いや文章は正しいのですが、必ずしもプロモーションに適しているとは限りません。ウェブサイトはマーケティングを目的に設置するもの。そのコンテンツは、顧客にアピールできる文章が掲載されている必要があります。
一方でローカリゼーションでは、その国の文化的背景を考慮した意訳をする場合が多々あります。内容を的確に伝えるだけでなく、効果的に伝えることが考慮されるわけです。そのため、日本語のコンテンツをそのまま外国語にするだけでなく、そのコンテンツを参考に、それぞれの国の文化や特性を活かして文章を新たに書き直すこともあります。
まれに海外で作られた日本語のウェブサイトを見ると、文章の書き出しが「ようこそ」や「こんにちは」となっているなど、プロモーションとしては不適切な言葉を含んでいる場合があります。海外向けのウェブサイトも同様で、理解はできるけれど、問い合わせをするほど魅力的なことが書かれていないサイトが多々あるのです。
では、具体的にどのようにローカリゼーションをしたらいいのでしょうか。日本語を英語に翻訳する場合は、英語がネイティブである人に依頼したほうが、その国の文化的背景や俗語を知っている可能性が高いです。ただしこれはあくまで、翻訳の質ではなくその国に受け入れられやすい文章作成という視点での話です。

コピーライティングの重要性
日本では、ウェブサイト構築の際にコピーライターに依頼するという習慣があまりありません。そもそも、ウェブ専門のコピーライターが少ないという事情もありますが、多くの場合、ウェブマスターが兼任で手がけているようです。
一方、欧米では、ウェブサイト専門のコピーライティング業者が多数存在するうえ、SEO専門のコピーライターまでいます。キーワードを埋め込みながらコピーライティングをするというのは、よく考えれば非常に高い専門性が求められるので、当然といえば当然です。
基本的に一から文章を書き起こすのがコピーライティングですが、必要に応じてコピーを調整するコピーエディティングという選択肢もあります。コストとの兼ね合いもありますが、その重要性を認識し、アクセス解析を行うなどして、重要なトップページや商品紹介ページだけでもコピーライティングやコピーエディティングを導入することをおすすめします。

Transcreationという概念
最近、海外ではTranscreationという言葉も耳にするようになってきました。TranscreationはTranslationとCreationを合わせた造語で、グローバルなマーケティングプロジェクトを行う際によく使われます。
翻訳との大きな違いは、翻訳は文章の正確性を追求するのに対して、Transcreationは“マーケットに訴求する文章”を最大限に考慮して作成する点で、コピーライティングに近い考えかたです。
海外SEO SEMを考える場合、広告文やSEO対策のためのタイトルタグ、メタタグなどのテキスト作成は単純な翻訳ではなく、Transcreationとして考えるべきだと言えます。

『海外SEO SEM ウェブマーケティングで世界を制す!』p.242~


亀さんがインターネットを始めたのは1998年5月で、ほぼ20年の歳月が流れている。インターネットを始めたきっかけは、長年のサラリーマン生活から足を洗い、独立開業の世界に飛び込む決意をしたからだ。独立開業のスタートにあたり、ネット販売か翻訳の仕事を考えていたので、国内海外との取引や情報収集に、ネットは不可欠な武器だったのである。紆余曲折あって結局は翻訳の道を選んだわけだが、客の立場で初めてネットで買ったモノは本であった。最初は紀伊國屋日本の古本屋を専ら利用していたが、やがてAmazonからも本を購入するようになった。

そのAmazonで初めて本を注文したのは2005年4月17日だ。当時のAmazonは本以外のモノは売っていなかったと記憶しているが、やがて徐々に本以外のモノも取り扱うようになり、今日では「ラーメンからミサイル」(正確にはミサイルは販売していない)までを取り扱うサイトに変貌を遂げている。そして、以下のグラフからも分かるように、Amazon一社をとっても、急激な勢いでネット販売が伸びているのが分かるはずだ。

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アマゾンドットコムの売上と営業利益率

このように、マーケティング分野におけるトランスクリエーション、その質如何で売上を大きく左右するものだけに、翻訳でメシを食っていきたいという翻訳者にとって、一つの有望な分野になるだろう。

【グリコのおまけ】
飯山一郎さんのHP、思わず手を伸ばしたくなるような広告で満ちあふれている。日本人を対象にした日本語の広告だが、トランスクリエーションを目指す翻訳者なら、顧客の心を鷲掴みする上での多くのヒントが、至るところに詰まっているのに気づくのではないだろうか…。

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思い出のアルゼンチン 3
前稿「思い出のアルゼンチン 2」では、ブエノスアイレスの思い出を書いたが、今回はマル・デル・プラタの友人宅に一週間ほど滞在した時の思い出や、一路西に向かって南米のアルプス、バリローチェまでヒッチハイクした時の思い出を少しだけ書いておこう。

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マル・デル・プラタは、ブエノスアイレスの南西390kmにある、人口が50万人を超える都市だ。そして、ここでも友人の両親が経営する牧場で一泊させてもらっている。最も強く印象に残ったのは、花を栽培している日本人一家と会った時で、「寅さんのことば 4」に亀さんは以下のように書いた。

首都ブエノスアイレスを南下した処にある港町、マル・デル・プラタの友人宅を訪問した時、日本人一家が花を栽培しているということで、その友人と一緒に訪問したことがある。その日本人一家はビニールハウスの一角に住んでいた。床板は無く、土がむき出しだった。40歳は過ぎたと思われる初老の農夫に、「長年日本に帰っていないとのことですが、帰りたいとは思わないのですか?」と、何気なく尋ねたところ、帰ってきた言葉が、「帰りたいけど、金が無い」だった。会話が途切れ、しばらく気まずい沈黙が流れたのを今でも覚えている。


その後も南米各国に根を張った大勢の日系人に会っており、『蒼茫』を著した石川達三と会っている人生の先輩、玉井禮一朗さんもブラジルに長年住んでいた体験を持つ。そのあたりは「見捨てられる自主避難者」でも少し触れた。

戦前、国の棄民政策により大勢の日本人家族が地球の裏側の南米に移住したが、彼らが現地で大変な苦労を重ねたことは周知の事実である。そうした日本人の一人に石川達三がいた。帰国後、石川は体験記を『蒼茫』として発表、後に同作品で第一回芥川賞を受賞している。

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石川達三(左)と玉井禮一郎(右)


ちなみに、南米日系人に関する他の記事として、「移民の国に咲いた花」や「海を渡った移民たち」といった記事も書いているので、関心のある読者に一読してもらえたら幸いだ。

さて、マル・デル・プラタを発って、一路アンデス山脈の麓バリローチェを目指したが、その道中でも実に多くの出会いがあった。なかでも印象に残るのは、ある田舎町でティントレリア(tintoreria 洗濯屋)を営む、日本人の移住者の店に一泊させてもらった時で、美味しい夕食をご馳走になりながら、多くを語り合った。店主は印象として亀さんよりも15~20歳上、三十代後半から四十代前半の年齢だったと思う。突然現れた無銭旅行者の亀さんに嫌な顔一つせず、温かくもてなしてくれたのである。人柄だろうか、店主の語る言葉の端々に、謙虚さ、道徳心の高さを感じた。

ここまで書いて、「青州へ赴く(9)」で紹介した『StarPeople』秋号の記事を思い出した。

日本人の道徳哲学は世界一!

さて、〝新日本国〟の国民になるには、心構えが必要です。その心構えとは「大胆細心」。大胆で柔軟な発想と、細やかな心づかいが絶対に必要であるということです。〝新日本国〟の国民には、キビキビと働き、話し、人には明るく礼儀正しく接することが求められます。優しい心と思いやり溢れる心が大切だということです。また、少食粗食など禁欲的で勤勉な生活を楽しく過ごす前向き思考も求められます。リーダーの指示には素直に従い、不平不満を口や顔に出さないことも肝に命じなければなりません。以上は、日本人の特長でもあり、そのまま「新日本人の条件」にもなります。郷に行ったら郷に従い、中国人の生活文化を深く理解しようとする氣持ちを忘れず、好き嫌いを言わず、まずはどんな食べ物でも食べてみる度胸も必要です。その度胸がない日本人が多いのですが、ヤルっきゃない! なぜなら、大切な日本の子どもたちに〝日本〟を引き継いでもらうためなのですから。

『StarPeople』秋号 p.79


記事に、「キビキビと働き、話し、人には明るく礼儀正しく接することが求められます。優しい心と思いやり溢れる心が大切」とあるが、まさにあの洗濯屋(クリーニング店)の店主を彷彿させるものがある。残念なことに、店主の写真は一枚も残っていないのだが、亀さんの記憶ではフランク永井の若い頃によく似ていた。ともあれ、いろいろな人たちとの出会いを楽しみつつ、どうにかこうにかバリローチェに辿り着いたのである。

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フランク永井

バリローチェで数泊した後、アルゼンチンとチリの間を南北に走るアンデス山脈を、バスと船で数日かけて越えているが、そのあたりは「今東光とアルゼンチン」に書いたので割愛したい。

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マル・デル・プラタでお世話になった一家(左)・一家の経営する牧場で(右)

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ヒッチハイクの途中で遭遇した牛の群れとガウチョ(左)・車に乗せてもらった運転手の家族

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バリローチェでスキーを楽しむ亀さん(?)・新婚旅行中の夫婦と(右)

旅をする“本”
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NHKドキュメンタリーで、「星野道夫 没後20年“旅をする本”の物語」という番組が、今月28日に再放送された(初回放送は2016年3月27日)。星野道夫氏と言えば、シベリアでヒグマに襲われて亡くなったカメラマンであり、同氏の写真集を幾度か書店で目にしたことがある。その星野氏の数ある作品の中で、とりわけ愛されている作品に『旅をする木』があり、同番組はこの本の数奇な運命について取り上げたものだが、最近希に見る感動的な番組であった。同番組のあらましについては、以下のNHKの番組紹介ホームページの解説が分かりやすい。

自然やそこに生きる人たちを愛した、写真家の星野道夫さんが亡くなって今年で20年。
生前最後に出版された「旅をする木」という一冊の本が、さまざまな人によってリレーされ、ヨーロッパからアジア、南極、北極と12万キロを旅しています。バックパッカー、南極の湖に潜る女性研究者、単独無補給で北極点を目指す冒険家など。人生に大きな影響を与えた本と、その感動を伝え続ける人たちの不思議な物語です。

星野道夫氏のオフィシャル・サイトから引用


かつて三年間近く世界各地を放浪した、元バックパッカー(亀さんの時代は〝無銭旅行者〟と言っていた)の身として、共鳴するシーンが多かったのだが、中でも思わず頷いたシーンを幾つかピックアップしてみた。

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小説家のドリアン助川氏と言えば、2年ほど前に映画化された「あん」を思い出す。1年ほど前にテレビで同映画が放送されているが、人が生きる意味を問いかけてくる、実に素晴らしい作品であった。その助川氏が、星野氏の『旅をする木』を以下のように評している。

(星野さんの『旅をする木』は)詩人が書く文章です。この大自然を作り出している もっと根源のなにかに触れられて書かれている。


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あたかもリレー走のように、この本は実にさまざまな人たちの手にわたり、総距離12万キロ、地球を三周する距離を旅したわけだが、この本と人とのつながりについて、助川氏は以下のように語った。

結局 人というのは どこかで人と人が接点を持たないと 生きていけないことになっていて それぞれが やはり網の目のように つながって それぞれの 命をやりぬこうとしている。それを感じさせるのが今回の この本だと思います。


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南極を二往復、北極を三往復した、あの本…

この本を手にした人たちの一人に、荻田泰永氏がいる。荻田氏は、北極点無補給単独徒歩に挑み続けている冒険家だ。
北極冒険家 荻田泰永 北極点無補給単独徒歩2015-2016

実は、この本を荻田氏にバトンタッチしたのは、写真家・阿部幹雄氏であった。ある講演会で互いにパネリストとして、一緒になったのがきっかけのようで、この本を阿部氏は萩田氏にバトンタッチした理由について、以下のように述べている。

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まさに、一人の若い冒険家への、阿部氏の温かい眼差し、思いやりを感じるではないか。

また、『旅する木』に書かれていることだが、親友T君を火山の噴火で失った星野氏、T君の母に慰めの言葉をかけようとしたところ、逆に励まされるという行を目にして、熱いものがこみ上げてきたのであり、親の心を見事に表現している行だと思った。T君の母親は以下のように言ったのである。

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もう一人、田邊優貴子さんという女性にも登場してもらおう。可愛がってくれた祖母が病に伏せた時、祖母の病の原因は遺伝病で、自身もそれを受け継いでいることを知ってからというもの、常に死が頭から離れなくなったという。ついには、生きることには意味がない、という思いが頭から離れなくなった時、星野氏の本に出会った。やがて、田邊さんは亡き星野氏に背中を押される形で、アラスカへの旅に出た。二週間の旅の最後という日、大自然に抱かれた湖の畔で独り、沈みゆく夕日を眺めていた時のことである。突然、涙が溢れて止まらなくなった…、心がワナワナと震えた…。それが、生きていることだ、と悟った田邊さん、何かが吹っ切れたと語るシーンが実に感動的であった。

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このように、人は独りで生きていける生き物にあらず、どこかで人と人とは繋がっているのだということを、同番組は思い出させてくれたのである。

最後に、大自然とちっぽけな己れ自身について、一度立ち止まって考えることの大切さについて、以下のシーンが教えてくれよう。

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独立開業の世界
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政治や経済の話題になると、ピント外れの記事を連発する日刊ゲンダイだが、それ以外は一応まともな記事を書いていることが多い。その日刊ゲンダイが3日ほど前、「年収1000万円捨て養蜂家に転身 元エリート営業マンの現実」という記事をアップした。外資系医療機器メーカーから養蜂家という、異質の独立開業の世界に飛び込んだ、千葉県袖ケ浦市の鈴木一氏である。ちなみに、鈴木氏は転身の理由について以下のように語っている。

大手企業で60歳まで勤め上げた父が定年後に力を持て余しているのを見て、僕は生涯現役で働きたいと思っていました。子どものころから自然が好きで、やるなら農業だと決めていた。そんな時に近所の養蜂家に巣箱を見せてもらい、興味を持ったんです。


記事では独立開業の世界に飛び込んだ鈴木氏の、その後の苦労話が書かれているわけだが、同じ独立開業者として亀さんが共鳴したのは、以下の鈴木氏の発言である。

退職金と貯金はすぐに底をついた。日中は養蜂の仕事をし、早朝と夜はアルバイトをする生活で家計を支える。しかし、サラリーマン時代よりストレスがない。


そう、精神的にサラリーマン時代よりは、ストレスが遙かに少なくてすむ、ほぼ、ストレスフリーと言ってもE-だろう。むろん、会社に残ってサラリーマンを定年まで勤め上げるのも、生き方の一つと言えるかもしれないし、食いっぱぐれもない。しかし、それで一生を終えてしまうのは、なんとも勿体ないつうか、ツマラナイ人生だと亀さんは思ってしまうのだ。

ここで掲示板「放知技」だが、投稿No.769のmespesadoさんの分析が素晴らしい。そこで、以下のような座標を作ってみた。国家を「資本主義」、「自由主義」、「社会主義」、「共産主義」の四つに分け、横軸に「金」、縦軸に「人」を置いてみたのだ。単純に日本とアメリカだけを取り上げただけのものだが、アメリカの場合は自由主義の所に長楕円形を描いている。なぜならアメリカは、「1%対99%」と言われるくらいに格差の激しい国だからだ。一方、日本の場合は日の丸を連想させる真円にした。ユニクロの柳井正社長のように総資産1兆5,035億円という超金持ちもいる一方、毎日の食費にも事欠く貧困層も存在しているのは確かなんだが、そうした貧困層ですら海外の貧困国から見れば、実は超のつく金持ちなのである。昔ほどではないかもしれないが、日本は海外に較べると、所得格差は比較的小さいと云えよう。ところで、日本とアメリカ以外に、ロシア、中国、北朝鮮等々、思いついた国を以下のグラフに印すとすれば、読者ならどこに印すのだろうか…。

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【みつばち情報1】
志布志の秘みつ 大キャンペーン!


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【みつばち情報2】
みつばちの大地


【別報1】
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昨日の東京新聞に載った吉永小百合の「私の十本」(24)


【別報2】
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昨日の東京新聞に載った倍賞千恵子の「ずっとさくらは私の中に」


思い出のアルゼンチン 2
十日ほど前に「思い出のアルゼンチン」をアップした後、シルビアの生まれ故郷であるノゴヤの写真が無いのに気づいた。最初、「アレ?」と思ったんだが、暫くしてようやく当時のことを思い出した。アルゼンチンの国境の町からノゴヤに向かってヒッチハイクしていた時、他のヒッチハイカー(アルゼンチン人とパナマ人)の野郎と、途中まで一緒だったんだが、別れた後になってカメラがないのに気づいたのである。連中に盗まれたのだった。だから、当然ながら今でもノゴヤでの思い出の写真は、一枚も残っていないワケだが、亀さんの頭の中には今でも当時の思い出が、あたかも昨日の出来事のように残っている…。

それにしても、若い頃の記憶力はスゴイと改めて思う。昨日なんか、タバコを切らしたのでコンビニに行ったのだが、今年の五月頃から吸っている、「ピースライト」が思い出せない…。カウンターで数十秒ほどの時間が経過しただろうか、店員さんが心配そうに亀さんを見つめているのに気づいた。苦し紛れに「青い色のタバコなんですが…」と言った途端、目の前に沢山のタバコが陳列されているのに気付き、目敏くピースライトを見つけ、「あっ、アレです!」と指さし、ようやく買うことができた次第…^^;

アルゼンチンの話の続きだが、ノゴヤを後にしてアルゼンチンの首都・ブエノスアイレスに到着。そこでも一週間ほど、アルゼンチン人の友人の一人、ホルヘの実家でお世話になった。その間、コダック製の安いカメラを入手、以下のような写真を残すことができたのである。無論、ブエノスアイレスでも大勢のセニョリータに取り囲まれたのは言うまでもない。ちなみに、右下の青年が一人のセニョリータの手を引いているが、二人は婚約者同士、その隣の男の子は彼女の弟である。それにしても、アルゼンチンでは持てて持てて、本当に困ったワイ…(爆)。

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ホルヘの両親と兄(左)・ホルヘの友人(右) ちなみに、日の丸はシルビアのお袋さんが作ってくれた

帰国してから数年後、マルビナス諸島(フォークランド諸島)で、アルゼンチンとイギリスの間で紛争が勃発(1982年3月)、野良住人君の主宰する異文化研究道場で、他の参加者がイギリス側に正義ありと主張する中、亀さんは徹底してアルゼンチンに正義ありの立場を貫いた。戦争や紛争(戦争は政治の延長)に、変な道徳心を押し付けたり、正義感、好き嫌いといった感情を剥き出しにするのはいけないことだが、第二の祖国とすら思っているアルゼンチンが、悪者扱いにされたのでは黙っておられず、他の参加者を徹底的に叩いたのだが、今にして思えば大人気無かったと思う。今では仏の亀さんと周囲に言われているんだが(オィ、そこの外野五月蠅いヨ!)、当時は若かった…。

ご参考までに、政治を論ずるにあたって、道徳を持ち出したり、好き嫌いの感情を露わにするようでは、床屋談義と何等変わるところがないということ、肝に銘じておくべし。そのあたり、拙稿「放射脳」にも書いた。

若者が切り拓く新しい日中関係
数日前に「極東大開発計画」を書いたが、その後ブログ『文殊菩薩』に「国連主導の極東大開発計画:図們江地域開発」が掲載、その中に極東大開発計画が一目で分かるイラストがあったので、以下に転載しておこう。

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さらに『文殊菩薩』の同記事を読み進めていく中で、目に飛び込んできたのが「羅津港」であった。

2020年を目標にロシアのザルビノ港・北朝鮮の羅津港などへの物流ルートが急ピッチで開発中だ。


これで思い出したのが、飯山一郎さんの以下の記述である。

念願の巨大な不凍港を得たロシアとその経済効果を共に享受する北朝鮮は,羅津(ラジン)と羅先(ラソン)一帯を,大連や深圳を凌ぐ経済特区にして両国の経済を大発展させるだろう。


さて、この巨大プロジェクトを推進していく上で、将来において欠かせないのが中露日朝の若い人材であり、その視座から注目しておきたいのが、瀬口清之氏による以下のJPpress記事だ。
日本が大好きな若者が切り拓く日中真の交流
歴史認識、領土問題の障害を乗り越える相互理解と相互信頼


同記事で瀬口氏は次のように書いている。

日中学生交流プログラムを通じた知的な交流も、アニメやアニソンを通じた心と文化の交流も、その主体は10代から20代前半の若い世代である。この世代に日中の国境はない。あったとしてもその壁は極めて低く、すぐに心と心の融和ができる。


十代の頃、三年間近くにわたり世界を放浪した、亀さん自身の体験に照らし合わせても、瀬口氏の言葉に全く以てその通りだと思う。同記事の最終節、「4.大学生・中高生の若い世代が新たな日中関係を切り拓く」が示すように、中高年のように変な偏見を持っていない若者らに、瀬口氏同様、期待しているのだ。

また、以下のように瀬口氏の述べる日本の中高年についての意見にも賛成だ。

若い世代が内向きだと批判的な評価をする見方の背景には、若い世代のそうした自主性やチャレンジ精神を見ようとしていない姿勢があるのではないかと疑いたくなる。おそらく事実はその中間にあるのだろうが、若い世代を十把一絡げにして一面的な見方をすべきではないことだけは確かである。


確かに若者、殊に日本の若者には、平成大不況が長引いたこともあり、ややチャレンジ精神に欠けているような一面が見え受けられるものの、少数派ながら海外で武者修行中の若者もいるのだ。亀さんは三年間近くの世界放浪の旅で、現地に溶け込んでいる中国や韓国の人たち、殊に同世代の若者らに大勢接してきたこともあり、今でも彼らと対等に付き合うことができる。こうした感覚というか姿勢というものは、日本に閉じ籠もってばかりいては、決して身につかない性質のものである。だからこそ、若いときは一年ていどの空白期間を持てと、繰り返し主張しているのだ。ほら、「鉄は熱いうちに打て」と云うではないか。

思い出のアルゼンチン
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お盆の時期は連日うだるような暑い日が続くはずなのに、どういうわけか今年のお盆は曇りや雨の日が多く、凌ぎやすくて助かっている。ただ、気象庁の長期予報によれば9月は残暑が厳しいとのこと、今から覚悟しておかねば…。

さて、前稿で東京新聞に載った吉永小百合の「私の十本」(22)を紹介したが、吉永小百合が山田洋次監督に言われたという以下の言葉で、南米の〝二人〟のお袋を思い出した。

監督がお母さまの思い出を話してくださったことがあります。息子にとって母親は、特別な存在なんですね。


亀さんの場合、実の母以外に、アルゼンチンとウルグアイにもお袋と呼べる人がいる。ウルグアイのお袋は、拙稿「45年という歳月の重み」で紹介した、ウルグアイ人のガールフレンド・アナベールの母上である。今日は、もう一人のお袋の国、アルゼンチンでの思い出について少し書いておきたい。

今から45年前のちょうど今頃、亀さんはロンドンで知り合ったアルゼンチン人のガールフレンド、シルビアの実家に11日間お世話になったことがある。当時の南米編の記録にはブラジルに1972年7月13日から8月3日まで滞在としか書いていないので、彼女の田舎に到着した具体的な日は分からないものの、ブラジル側のイグアスの滝からパラグアイに入国、2日間ほど首都アスンシオンに滞在して、夜行バスでアルゼンチンに早朝入国、そこからヒッチハイクで彼女の実家のある、エントレ・リオス州ノゴヤに向かって南下、数日かけてサンタフェ市に到着している。サンタフェへは一週間ほどかかったと思うので、計算すれば45年前のちょうど今日あたり、ノゴヤに到着したのではと思う。地図を見るに国境からサンタフェまでは直線距離で600kmほどだ、ちなみに、サンタフェからさらに続けてヒッチハイクでノゴヤに行くつもりだったが、日本人の母娘に声をかけられ、「ヒッチハイク? 大変だからバスで行きなさい」と、ノゴヤまでのバス切符を買ってもらっている…。

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ノゴヤでバスを降り、早速お巡りさんに彼女の家の場所を尋ねたところ、親切にも家の前まで連れて行ってくれたのである。彼女は未だヨーロッパだったので不在だったが、彼女のご両親や二人の妹が温かく亀さんを迎えてくれた。そして、夢のような11日間を過ごした。ハイライトは牧場に泊まった時だ。牧場では乗馬を楽しんだり、ライフル銃で狩りに出かけたり、生きた牛の後ろ足を縛って吊し上げ、頭部を切り落とした後、新鮮なビーフ、チーズ、ミルクをご馳走になったりした。夜はシルビアの二人の妹をはじめ、親戚や友人の可愛いセニョリータが総勢10名も大集結、一緒に夜遅くまでお喋りをしたり、食べたり、飲んだりして、楽しい一時を過ごしている。外に出ると上空は満点の星、彼女の妹が指さして、「あれが南十字星よ」と教えてくれたものだ。それにしても、男は亀さんだけ、10人もの可愛いセニョリーターに囲まれたちゅうワケで、これは両手に花どころの話ではない。多分、亀さんの人生の中で最も持てて持てて困った一時だったと、今にして思う(爆)。

彼女の実家では、お袋さんが実の息子のように、かいがいしく世話をしてくれた。また、スペイン語も小学校の教科書を使って、熱心に教えてくれたものである。一方、寡黙な親父さんとは交わす言葉は少なかったものの、まさにアルゼンチンの親父だった。別れの日の朝、一家総出で見送ってくれたのだが、親父が目に涙を浮かべながら亀さんの手をギューッと握り、旅の足しにと小遣いをくれたのである。そして、後ろ髪を引かれる思いでノゴヤを後にした。

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アルゼンチンの親父とお袋(左)・シルビアの幼い頃(右)

その後、ロンドンに居たシルビアが日本に立ち寄ってくれ、結局半年ほど亀さん宅で生活を共にしている。そのあたりは拙稿「寅さんのことば 20」に書いた。

再び吉永小百合の話に戻るが、吉永の言葉から、シルビアのお袋さんがどのような気持ちで、当時は19歳だった亀さんに接してくれたのか、今にして分かったような気がする。まさに、亀さんにとってはアルゼンチンのお袋である。再び行ってみたい、アルゼンチンへ…。