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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
共同体意識
武田邦彦氏の新動画タイトル、「この動画は何度も見てください※ 大変重要なお話です」に惹きつけられ、何事?と思って見てみた。


この動画は何度も見てください※ 大変重要なお話です。【武田邦彦】

上掲の動画で武田氏が何を語っているのかというと、日本の石器時代(4万年~1万5000万年前)の2万5000年間、平均寿命が30~35歳ていどだった当時の人たちは、今の水洗トイレといった便利なものがあったわけではないが、それでも彼らは幸な日々を送っていたということである(10:33~)。つまり、自分は皆と生活しているのであって、決して独りで生きているわけではない。そして、皆の喜びが自分の喜び、皆の幸福が自分の幸福、他人の子どもは自分の子どもといった具合に、現代よりも共同体意識が深く根付いていた時代だったと武田氏は指摘しているわけである。

だから、ほぼ同時期に見た マドモアゼル・愛氏の動画に、武田氏の動画と共通するものを見たのである。


血縁を超えていく生き方、意識の違いの時代

武田氏は石器時代、マドモアゼル・愛氏は現代を語っているという違いがあり、石器時代は日々顔を接する血縁集団、現代はSNSに代表されるバーチャル、つまり無血縁集団という違いもあるにせよ、〝共同体意識〟という点では一致している。加えて、「今後、無血縁集団の共同体という、新しい時代が到来する」と、マドモアゼル・愛氏が語っていたのが印象的だった。だから、同氏の話を念頭に置きつつ、トランプ革命の今後を見守っていきたいと心から思った次第である。

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これがデニソワ人だ DNAから骨格を再現、初

ところで、武田氏の動画を見た後、何故かデニソワ人についてブログ記事にしたことを思い出した(「北満州と日本列島 02」)。

そこで、何気なくウィキペディアの「日本列島の旧石器時代」項にアクセスしてみたところ、以下の記述に出会ったのである。

現生人類(ホモ・サピエンス)は7~6万年前に出アフリカを果たし、それ以前にはアフリカ外には分布していなかった。従って、日本列島最古の石器(砂原遺跡の12万年前)を遺したのはデニソワ人などの旧人である。日本列島に現生人類が現れるのは4~3.5万年前と考えられており、これは日本固有のハプログループD1a2a (Y染色体)の起源年代とおおむね一致する。

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崎谷満『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史 日本人集団・日本語の成立史』(勉誠出版 2009年)


関連して見たのが以下の動画である。


現生人類と共存していた?ネアンデルタール人とデニソワ人の新たな発見

「新たな発見」という言葉に惹かれ、上掲の動画を一通り見てみた。そして今までの定説を覆すような〝新発見〟について知ったのは収穫だっだ。

たとえば、現代人類が脱アフリカを成し遂げたのは、5~6万年前というのが今までの定説だったが、それより遙るか以前に現代人類は脱アフリカを成し遂げてしていたという、新証拠が幾つか発見されたというから驚きだ。

また、現代人類の場合、ネアンデルタール人のDNAが、1~4%混入しているというのは周知の事実であるが(アフリカに留まった現代人類を除く)、アジア人の場合はさらにデニソワ人のDNAも混入しているのだという。中でも日本人の場合、ネアンデルタール人やデニソワ人のTLR様受容体(遺伝子)を持っている、人たちの割合が世界で最も高く、51%にもなるというのだから腰を抜かしたものである。

ここで、ふとTLR様受容体と武漢ウイルスの間で、何等かの関連性があるのではと気になったので、関連しそうな動画をチェックしてみた。


新型コロナで新発見!ネアンデルタール人の遺伝子で重症化!だから日本人は重症化しにくい?

う~ん、どうかな・・・。ここはやはり、ウイルス専門家である上述の崎谷氏の新著に当たるべきだろう。

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酒と音楽
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11月14日、NHKの「Switchインタビュー」が昨年の4月に放送したという、「パーヴォ・ヤルヴィ×かの香織」の再放送を録画しておいたので、一段落した昨日の午後、初めて同番組を見たのだが、実に素晴らしいお二人の対談であった。NHK交響楽団の首席指揮者を務めるパーヴォ・ヤルヴィ氏、現在は宮城県栗原市で日本酒造りに従事、かつ、元ミュージシャンでもあったかの香織女史の組み合わせというだけあって、話題が酒と音楽へと流れていったのは自然の成り行きだったし、お二人の言葉の端端に人生の重みと哲学的な深みを感じたものである。あたかも、銘酒を呑みつつ、クラシックに耳を傾けているような心地になった。

以下、個人的に印象に残った、お二人の珠玉の言葉が発せられた、幾つかのカットシーンと共に、小生の【コメント】を付記しておこう。

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【コメント】ヤルヴィ氏が子ども時代を過ごしたという、同氏の母国エストニアはソ連の一部だったこともあり、自由というものが一切無かったのは容易に想像がつく。小生も1972年、当時はソ連邦だったモスクワに立ち寄ったことがあるが、モスクワ空港で感じた重苦しい空気を今でも思い出す。

その後、ヤルヴィ氏は父親とアメリカに移住したが、やがてソ連邦が崩壊、エストニアは独立した。しばらくして、ヤルヴィ氏は母国に里帰りしているが、自分の子ども時代とは異なり、エストニアに自由が戻っていたのを肌で感じたという。しかし、同時にエストニア人としての自己(アイデンティ)を、同胞が失いつつあるという危惧も感じたのだという。このあたり、GHQが敗戦後の日本で強制した政策により、日本人としてのアイデンティティが失われていったのと軌を一にしていると思った。

しかし、その一方で現在のアメリカで起きている、グローバリズムvs.ナショナリズムが勃発しているのも確かで、大きな変革のうねりを、我々はネットを介して目撃している。だからこそ、己れが生まれ育った国の伝統や文化を大切したいという、ヤルヴィ氏の言葉が小生の心を捉えて離さないのかもしれない。


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【コメント】かの女史からヤルヴィ氏に対して、「会ってみたい作曲家は誰ですか?」という質問が飛びだした時、小生は一瞬、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンかなと思ったのだが、意外にもヤルヴィ氏は、「彼らは私にとって神のような存在です。天上の曲を人類に残してくれた、偉大な人たちです。だから、会うなどというのは恐れ多いこと」と語るのであった。

ただ、もし過去の作曲家に会えるとすれば、自分はマーラーには会ってみたいと言う。その心は、マーラーは偉大な作曲家であると同時に、当時は最も人気のあった一流の指揮者だったからだとヤルヴィ氏は語るのであった。多分、同氏はマーラーが自身のリハーサルを、どのように行っていたのかを自分の目で確かめたいと思ったのだろう。さらに、「マーラーがスコアに書かれた記号を、どのように解釈していたのか、どういう演奏を理想としていたのか、聞いてみたい」と、静かに語るヤルヴィ氏であった。


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【コメント】作曲家という仕事は、「終わりのない旅路」とヤルヴィ氏は喩えた。これは、「日暮れて道遠し」という言葉を思い出すのだし、同氏の発言から道の思想を耳にして、東洋人、殊に日本人の心の内にある道をヤルヴィ氏が共有していたこと、小生にとって新鮮な驚きであった。

しかし、よくよく考えてみるに、ヤルヴィ氏の母語はエストニア語であり、フィンランド語と同じウラル語族のバルト・フィン諸語に属していることから、我々日本人の同胞、ツランであることに思い至ったのである。だからこそ、同氏は日本の道という思想が分かり、そんな同氏に小生は番組を通じて親近感を抱いたのかもしれない。


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【コメント】米麹で、TBSが放送していた「あんどーなつ」という、テレビドラマの「第五話」を思い出した。そうしたこともあって、米麹が懸命に生きる音に、耳を傾けるヤルヴィ氏の姿に心を奪われたのだろう。なを、「あんどーなつ」の第五話については、拙稿「他山の石(3)」で触れた。


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【コメント】英語のスピリット(spirit)は、アルコールと精神の二つの意味があるが、全く同じことをヤルヴィ氏も画面で語っていた。同氏の言うとおり、酒と人間の精神は切っても切れぬ結び付きがある。


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【コメント】飯山一郎さんの山梨県での講演会を復刻してくれた道友は、廃校保存プロジェクトを一時立ち上げていたことがある。そして、自身が卒業し、今や廃校となった新潟の母校を含め。幾つかの貴重な校歌をYoutubeで公開している。そこで、小生が卒業した加治小学校の校歌をネットで検索してみたが、残念ながらヒットしなかった。以下、加治小学校のHPに掲載されていた我が母校の校歌だ。

加治小学校校歌

秩父の山の 雪きえて ふく風きよく 麦青く
ゆたかにみのる 加治の丘 空にひばりが うたってる
明るくつよく すこやかに 仲よしみんな のびてゆこう

入間の川の さざなみに わた雲うつり 鮎はねて 
みどり葉ゆれる 阿須の山 谷に山ゆり におってる 
やさしくきよく ほがらかに 揃ってみんな のびてゆこう

われらが母校 加治小の そびゆるところ 天すみて 
はるかに開く 武蔵野や 夢も希望も かがやくよ 
くふうとじしん またくふう 力のかぎり のびてゆこう
蔵原伸二郎作詞 岡本敏明作曲


かの女史の言葉ではないが、確かに校歌というものは、その人にとって人生の一部、お年寄りや若者の心を一つにする音楽だと云えよう。

母校の子どもたちが歌った校歌を、ビデオに撮っていたのを思い出し、探してみたところ、1999年に息子が加治小学校に入学式した時のビデオが出てきた。そして、子どもたちが歌う清らかな声の校歌に耳を傾けたのだが、小学生だった当時の自分が蘇ってきたのと同時に、未来への希望に満ち溢れた、我が母校の校歌を誇らしく思った次第である。


他にも印象に残ったシーンが多い。コメントは付けないが、以下はそうしたカットシーンである。

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情報と智慧
表題の「情報と智慧」、「インフォメーションとインテリジェンス」とも言い換えることもでき、不動産のおっさんこと、榊淳司氏も以下のような動画をアップしている。


インフォメーションとインテリジェンスの違いが分からない奴が多すぎる by 榊淳司

そういえば掲示板「放知技」も、情報派と智慧派の投稿に分かれているのに思い至った。同掲示板には数多くのスレッドが立ち上がっているが、特に智慧派の投稿者が集うスレッドは、やはり堺のおっさんが管理する「混沌に希望を見出す賢者の発信スレー41-」だろう。

小生は堺のおっさんを代表とする智慧派の投稿は、眼光紙背に徹して読んでいる。一方、「蛆虫」は当然ながら最初から無視、情報派の投稿も殆どはスルーしている。

なを、表題を「情報と知恵」としなかったのは、知恵と智慧との間には大きな隔たりがあるからだ。大辞林(電子版)の場合、「ちえ」を「知恵・智慧・智恵」と一括りにしているが、知恵と智慧とは明らかに違う。第一、ウィキペディアも定義しているように智慧とは、「一切の現象や、現象の背後にある道理を見きわめる心作用を意味する仏教用語」だ。そして、さらに智慧には広範な意味が籠められている。たとえば、インテリジェンスだ。その点、小生が私淑する斎藤秀三郎の『大和英辞典』の場合、「智慧」の項で数多くの例文を取り上げており、的確な和文に訳しておられる。たとえば「智慧が有る」の場合、以下のような英訳になっていた。

to be wise―witty―sensible―intelligent―prudent―sagacious


intelligentを含めているあたり、流石と思った次第である。

さて、最近の本スレ「混沌に希望を見出す賢者の発信スレー41-」で、小生が注目したのはmespesadoさんの「おしん」論である。

DSはグローバリズムと緊縮財政のコンボだと言ったけど、後者の今の総

本山はやはり日本、それも日本の「一般大衆」じゃないのか、という思いは

強まる一方だ。

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/17267547/117/


本スレでは徹底的に叩かれている緊縮財政だが、その元凶は日本の大衆と喝破したmespesadoさんに、思わず唸った次第である。そして、mespesadoさんの発言に対する猿都瑠さんの発言、おしんの本質をズバリ捉えており、これも見事だった。

日本人の性質上、外圧しかないかなと。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/17267547/120/


外圧・・・、現在編集を進めている「飯山史観」のキーワードの一つだ。過去の歴史を振り返っても、日本が大きく変わた切っ掛けは外圧だったし、そこに注目した飯山一郎さんの慧眼を知った時、心から敬服したものだ。なを、飯山さんの云う外圧については、拙稿「天武天皇 19」で詳述しているので、この機会に再読していただければと思う。

さて、現在の世界情勢に目を転じるに、世界の人々の関心事は大混乱を来している米大統領選だろう。それは、単にアメリカだけではなく、世界の今後を左右する大きなターニングポイントだからだ。斯く言う小生も、ネットの記事や動画を中心に情報収集・分析に余念がない。

そんな折、大紀元ニュースが以下の動画をアップした。


【薇羽 看世間】 トランプ大統領が直面する大きな敵

要は、トランプの〝大きな敵〟、最大の難敵はロスチャイルドであると大紀元は主張、そしてトランプは「神」であり、最後には最大の敵に勝利すると言い切っているあたり、八百万の神々が心に宿る自分には、大次元が言及する唯一絶対神に、今ひとつしっくりいかなかったというのが正直なところだ。ともあれ、トランプの最大の敵はロスチャイルドだと主張する大次元だが、過日の拙稿「夜明け前」で安西正鷹さんの論文、「収奪と搾取の根本原理は「寄生性」を紹介、また、天童竺丸さんの「世界権力」を紹介した身として、トランプを背後で支えているのがロスチャイルドとする小生の考え方とは真逆であり、それだけに、「何だかなぁ・・・」というのが偽ざる感想であった。このあたりは、稿を改めて筆を執りたいと思う。

【安倍晋三評】

特番『安倍晋三が取り戻した日本、、そしてメディアの役割とは?』ゲスト:産経新聞論説委員 阿比留瑠比氏

【米大統領選】
阿比留瑠比氏が政治部編集委員を務める産経新聞が、「投票結果出揃う バイデン氏306 トランプ氏232」と題する記事を掲載した。

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産経新聞は、CNNといったアメリカの主要メディアが「当確判定を出した」と書いているが、大紀元ニュースの11月11日の動画に登場したマッコーネル氏が、「メディアに米大統領選結果を決定する権利はない」と、メディアを一刀両断に斬り捨てているのだ。米国大手メディアの報道を鵜呑みする産経って・・・と思ったのは何も小生だけではあるまい。

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「親亀こけたら皆こける」ではないが、産経系のフジテレビの凋落ぶりは目を覆うものがある。以下は、世界のかわら版3がアップした動画、「テレビ局 #9月中間決算」からのカットシーンだが、経常利益が前期比で99.7%減とは、何ともはや凄まじい限り・・・。

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表現の自由
チャンネル桜で水島総社長が司会を務める、三時間超の討論会が時々アップされる。普段は仕事に追われていることもあり、テーマに沿ってパネリスト全員が個人的な意見を一通り述べる、最初の一時間のみを聞くだけというのが専らだったが、昨日「世界権力と大統領選」をアップしたこともあり、神計らいを感じたので初めて同討論会を最後まで観てみた。

パネリストの全員がトランプの勝利を期待し、かつトランプの当選を確信していたのは印象深かったものの、情報面では特に目新しいものはなかった。だが、個人的に印象に残ったのが二人のアメリカ人、そして在独日本人による、言論の自由に関する現地報告で、実に興味深いものがあった。


【討論】米大統領選後の世界は?[桜R2/10/24]

最初に、大統領選を控えたアメリカの言論の自由に関する現地報告だが。最近はネットのニュース等で、「トランプを支持している」と、人前で語ることすら憚れるという空気が支配的であることは知っていたが、パネリストの二人のアメリカ人の実体験を耳にして、事態は思っていた以上に深刻で、まさに今のアメリカは南北戦争前夜の状況下にあることを知った。特に、「共和党を支持している親戚は、反トランプの連中による襲撃に備え、弾丸を買い足した」という報告には衝撃を受けた。

一方、在独の作家、川口・マーン・惠美女史の語るところによれば、今のドイツは武漢ウイルスで大混乱に陥っているとのこと。昨今の新聞の一面は海外のニュースをそっちのけで、専ら国内のコロナ問題で埋め尽くされていると語るのであった。昨日の産経新聞の記事、「スペイン再び非常事態宣言、ほぼ全州で夜間外出禁止」を思い出した。

ところで、今回初めてチャンネル桜の討論会を最後まで見たのは、先日の拙稿「武士の時代 04」で取り上げた、グローバリズムvs.ナショナリストが、同討論会で話題に出た言論の自由の話と相通じるものを見たからだ。

それは、あいちトリエンナーレについて、司会を務めた水島氏が言及した時である。例の昭和天皇の御眞影を焼いて足で踏みつけるという映像、これについて水島氏は、相手への侮辱、人格を貶めてまですることが、果たして真の芸術と呼べるのか、表現の自由と云えるのかと、憤りを水島氏は見せていたが、それに呼応するかのように、評論家であり、人権活動家でもある三浦小太郎氏も、「表現の自由、言論の自由は、常識・品位を持っていることが大前提であり、それが無いのであれば真の言論の自由とは言えない」と語っていたが、同感である。

さらに三浦氏は、生徒を相手にムハンマドの風刺画を教材として用いた、フランスの教師が首を切断されて殺害された事件について、「誤解を恐れずに言えば、100%殺人者が悪いとは言い切れない」と、勇気ある発言を行っていたが、信仰の自由という大前提に立脚すれば、小生も三浦氏の意見に同意するものである。

つまり、信仰の自由の延長線に、異文化を背負う人たちの自分とは異なる宗教、言語、文化、伝統を尊重する姿勢が欠落した言論の自由なんぞ、言論の自由の名に値しないのだ。だから、あいちトリエンナーレの件もそうだが、討論会で話題になったアメリカの大手メディアの常軌を逸する報道、例えば「トランプ、死ね」といった暴言は、人道に悖るものだし、決して許される報道ではない。こうしたアメリカの大手メディアの暴言を耳にして、東日本大震災で大勢の同胞が人柱となった時、「万歳、神罰だ」と、大喜びしていた隣国の一部の連中を思い出した。

それから、最近の記事「武士の時代 05」で取り上げた、三橋貴明氏の以下の表・・・。

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これは、経済の観点からグローバリズムvs.ナショナリズムを説いた表だが、赤線を引いた「文化的vs.野蛮的」、言論の自由あるいは信仰の自由に通じるものがあるのにお気づきだろう。そして、三橋氏は明らかに、経済面におけるナショナリストであることが分かるのだし、それが根底にあるが故に同氏の経済論に小生は同感できるのだ。

チャンネル桜の討論会でも最後に、パネリストの一人一人が感想を語っていたが、一番印象に残ったのがモーガン氏のコメントであった。モーガン氏は日本は良い国と誉め称え、その理由として、日本には伝統・文化があるからと言うのであった。それ故に、日本は人を大切にする国だと。

小生は、拙稿「貴族の時代 03」で以下のように書いた。

コロナ騒動が勃発してからというもの、小生は奇妙な感覚に陥っている。それを一言でいうなら、シンクロニシティ…。

つまり、「日本列島」、「天皇」、「日本人」についての見方・考え方で、互いに共鳴(シンクロニシティ)できる人たちが、意外と周囲に多いことに気づいたのだ。今回は、そうしたシンクロニシティを感じた人たち数名に登場していただこう。


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三橋氏、三浦氏、モーガン氏も間違いなく、シンクロニシティを感じさせてくれる人たちである。

ヤマザキ、呉座を撃て!
昨日(10月18日)、用事があって千葉県へ一日かけて行ってきた。いつものように車中でカバンに入れた本に目を通したのだが、その本とは『信長は謀略で殺されたのか』(鈴木眞哉・藤本正行 洋泉社)。同書については、掲示板「放知技」で小生は取り上げている。

立花京子女史の著した『信長と十字架: 「天下布武」の真実を追う』、小生は目を通したことはありませんが、アマゾンの「内容(「BOOK」データベースより)」冒頭に書いてある以下の記述・・・

「天下布武」の理念を掲げて、ポルトガル商人やイエズス会をはじめとする南欧勢力のために立ちあがった信長は、彼らによって抹殺された―。


これが立花女史の結論(視座)であるのなら、同女史の説とは真っ向から反対の説を唱える、鈴木眞哉・藤本正行両氏による『信長は謀略で殺されたのか』の第六章、「雄大にして空疎な『イエズス会黒幕説』」にも目を通さなければと思っています。その上で、本スレで紹介した田中進二郎氏の『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』、これをじっくり検証する必要がありそうだ。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16711142/136/


最初に同書の「まえがき」と「あとがき」に目を通し、続いて第六章「雄大にして空疎な『イエズス会黒幕説』」にサーッと目を通してみた。すると、猿都瑠さんが天童竺丸さんに紹介してもらったという、『信長と十字架: 「天下布武」の真実を追う』を著した立花京子女史が登場、全体を通じて同女史への批判的な内容になっていた。

ここで思い出したのは、哲学者の山崎行太郎氏、および歴史学者の呉座勇一氏の間で繰り広げられた論争である。山崎氏は尊敬する人生の先輩、稲村公望さんの親友ということもあるが、上掲の二本の動画を観て、史観に関して山崎氏のそれに深く共鳴する自分がいた。ご参考までに、山崎氏の動画を二本、続いて呉座勇一氏の動画を一本、以下に紹介しておくので、両者の歴史についての見方・考え方の違いに、関心のある読者は動画を見比べてみるとよいだろう。


『歴史学者亡国論-歴史学者=呉座勇一への公開状』


『再び「呉座勇一問題」について』


呉座勇一×細谷雄一「専門家は俗流にどう対峙すべきか?」



ゴルゴ13のように
拙稿「困ったお隣さん」で、マンション専門ジャーナリスト榊淳司氏の動画を紹介したが、もう一本、同氏の最近の動画紹介しよう。


テレワークでも「出社したい」派は、基本的に仕事できないカマチャではないか

要は、「自分はテレワークが性に合っている」と榊氏は語っているわけだが、二十年以上にわたってテレワークの仕事(翻訳)をしてきた小生も、同じくテレワークが性に合っていると思っているし、還暦を過ぎた今でも、日々忙しくテレワークの仕事に没頭できること、健康な身体に産んでくれた今は亡き両親に感謝するのだし、未だにテレワークの仕事を与えてくれる天にも、感謝の気持ちで一杯である。

それにしても、昼間から350mlの缶ビールを三本空けてから仕事に着手する榊氏、小生も同様に酒を呑みつつ仕事をしていることもあり、仲間というよりは同胞を見つけたような気分になる。また、同氏の孤高な生き様に深く共鳴している自分がいる。だから、しばしばピント外れな国際政治・経済を解説してくれる同氏だが、それも大目に見ることが出来るというものだ。

さて、最近のNHKの「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」シリーズで、もう一人の孤高な生き様を貫く漢を取り上げていた。それは、「“用件を聞こうか”~ゴルゴ13 最大の危機~」と題した番組で、ゴルゴ13が登場したのである。ゴルゴ13の隠れファンである小生が、同番組を録画しておいたのは言うまでもなく、仕事部屋の掃除や整理が一段落した今朝、ゆるりと鑑賞した次第である。

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小生、さいとう・たかを氏によるゴルゴ13作品は、あらかた目を通した。十年ほど前、書庫が一杯になったこともあり、ゴルゴ13シリーズ数十巻を処分してしまったのだが、今となってチョッピリ後悔している。

それはともかく、同番組では大部前に読んだ作品が、数多く登場しているのを懐かしく思ったものだし、また、さいとう・たかを氏が編み出した作画体制にも目を見張った。つまり、さいとう氏には50名を超えるゴルゴ13担当の脚本家いること、さらに、銃、風景画、人物画それぞれを専門とするスタッフを抱えていること(さいとう氏本人はゴルゴ13の顔を担当)、そして、それぞれの専門スタッフが分業体制の形で、ゴルゴ13作品を仕上げていくシーンは圧巻であった。このあたり、集団になれば困難な仕事でも完成させてしまうのを、目の当たりにしたと思ったものだし、前稿「武士の時代 03」に書いた小生の以下の言葉と、或る意味結びついているとも思った。

人は生涯にわたり決して独りで生きていける生き物ではない。


一方、集団の一員という生き様とは対極にある、孤高という生き様、これこそゴルゴ13の生き様そのものであり、そうした生き様を生涯貫くことは、納豆型社会である日本では相当な困難を伴うのだが、こうした孤高の生き様を貫くことこそ、小生が常日頃念頭に置いている生き様なのだ。そのあたりを分かってくれるのが、番組の最後に登場した隠れゴルゴ13ファン、片岡重樹氏(68歳 滋賀県大津在)だと思った。

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「自分と団子になれない人を排除するという発想しかないわけよ」という言葉、同氏とは同年配であることもあり、片岡氏の云わんとすることがヒシヒシと伝わってきた。

結局、人は独りで生まれ、独りで死んでゆく存在である。故に、一つの集団の色に染まるというか、付和雷同的な生き方をするべきではなく、片岡氏の言葉を借りれば、「団子」になるような生き方は止めるべきだ。

ともあれ、孤高な生き様を貫いていこうと小生は改めて思ったものだし、今後もそうした生き様を貫いていく覚悟である。

河野太郎の天皇観
7月31日を最後に、一ヶ月近くブログ記事の更新が滞ったが、その間にも国際情勢は刻一刻と目紛るしく変わり、書きたいと思った米中衝突シリーズのテーマが次々と出てきた。だが、今や個人的に最も関心を抱いているのは、二ヶ月後に迫った大統領選だ。だから、数日前に行われた民主党大会と共和党大会の諸スピーチ、自分的には一通り聴いてみたいとは思っていたが、時間的な余裕がなく、忸怩たる思いをしていた。そんな折、ケント・ギルバード氏が民主党大会で行われたスピーチを、一通り聴いた上での感想を述べた動画をアップしていたので、以下に紹介しておこう。米国大統領選挙の行方を占い、今後の米国における潮流を掴む上で優れた動画であり、かつ民主党の正体を白日の下にさらした動画だと云えよう。


ケント・ギルバートが感じた『恐ろしい米民主党大会の裏側』

さて、今回のテーマとして、過日の河野太郎による皇室発言を取り上げたい。詳しくは、以下の産経新聞の記事を参照のこと。
河野防衛相が女系天皇容認論 次の天皇「内親王のお子さまも」

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掲示板「放知技」では、同テーマについての投稿は今のところないが、小生が登録している「世界のかわら版」の場合、以下のような感想を述べていた。


河野防衛大臣、女系天皇容認発言以上の発言

概ね、エドワード氏の意見には賛同するが、河野防衛相が斯様な発言をするのも、同氏の過去の歩みを鑑みれば、これは致し方ないことだと思う。そのあたりについて理解しておくことは、実は大変大切なことなので、以下に簡単な解説を試みておきたい。

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小生が二十代の頃、河野氏の父親である河野洋平の政治活動に、大変期待していた一時があった。河野洋平を熱烈に支持していた福島の親友に勧められて、『拍手はいらない―新しい政治を求めて』(河野洋平 PHP研究所)を入手して目を通したこともある。その親父の息子ということで、小生は河野太郎氏の政治活動のニュース等に時々目を向けてはいたが、所詮はその程度であった。だが、果然同氏の言動に注目し出したのは、2015年10月7日、第3次安倍第1次改造内閣において、国家公安委員会委員長、そして内閣府特命担当大臣として初入閣を果たした時からである。その後の同氏の言動については、概ね小生は好意的に捉えていたものの、一方で何処か「引っ掛かる」ものがあった。それは、同氏がジョージタウン大学卒(国際学部比較政治学)だったということである。

同大学のOBにビル・クリントン前米国大統領(民主党)の他、ロバート・ゲーツやジョージ・J・テネットといった、歴代のCIA長官が目に留まる。日本人では河野氏の他に、国連高等難民弁務官だった緒方貞子女史、前衆議院議員で現在は群馬県知事の山本一太氏らも、同大の卒業生であることはつとに知られている。加えて、拙稿「米中衝突と媚中派」で小生は、CSIS(戦略国際問題研究所)というシンクタンクを取り上げているが、CSISは1962年にジョージタウン大学が設けたシンクタンクであり、後に学外組織としてスピンアウトして今日に至っている。

その意味で、ジョージタウン大学卒である河野氏の言動については、なんとなく「引っ掛かる」ものがあったのであり、そのため一歩距離を置いて同氏の言動に注目していた次第だが、今回の発言(上掲の産経新聞記事)を読み、漸く今までの「引っ掛かり」の正体が明確に浮き彫りになった形だ。

その正体とは、ズバリ、河野氏の天皇観、すなわち日本観の底の浅さである。小生は拙稿「貴族の時代 03」で以下のように書いた。

この「平等」という思考行動様式が、日本人の民族気質になったのも、日本列島が北半球では唯一の温帯に属する列島だったからだと武田氏は語っていたが、このあたり、上掲のブログ記事で小生が主張した、「日本列島に答えを求めるしかない」と根底で繋がっているのだ。そうした他の地域にはない、「平等」という民族的気質を醸成した、日本列島に住む人たちの間から世界唯一の「天皇」が誕生した。つまり、世界の他地域で誕生した「王様」とは、根本的に異なるのが天皇なのである。


今でこそ、上掲のような天皇観を持つに至った小生だが、嘗てはそうではなかった。寧ろ、五十代前半あたりまでは今の河野氏と同様な天皇観の持ち主だったのである。ちなみに、河野氏は1963年1月10日生まれと、1953年生まれの小生とはちょうど十歳の年齢差がある、しかし、五十代後半以降の小生は、次第に河野氏のような天皇観から脱却できたわけだが、それは個人的な人脈が国際派の人たちから民族派の人たちへと、変わりつつあった時期と一致している。

ここで、河野氏と小生の若い頃について述べてみたいと思う。

河野氏も小生も十代の頃、アメリカでの留学生活を体験している。河野氏の場合は1981年(昭和56年)4月に慶應義塾大学経済学部経済学科に入学するも二ヶ月で退学、その後は渡米し、最終的には1985年12月にジョージタウン大学を卒業している(河野氏は途中でポーランド留学もしているのにも拘わらず、僅か三年ちょっとで同大を卒業しているのは意味深長だ)。小生の場合は卒業こそしなかったものの(貧乏だった上、卒業するだけの学力もなかった)、サンフランシスコ大学での留学を体験した後、帰国して民間の会社数社に務めた後、45歳を境にサラリーマン世界から足を洗い、独立開業の世界(翻訳)に飛び込んでおり、爾来二十年以上の時が流れた。

神計らいで、その後は民族派ジャーナリストの山浦嘉久さん、世界戦略情報誌『みち』の天童竺丸編集長といった、民族派とでも云うべき人たちとの知遇を得たことで日本文化に覚醒、今日に至るわけだが、一方の河野氏の場合はウィキペディアの「河野太郎」項に目を通せば分かるように、民族派の人たちとの交流は殆どなかったことが分かるのだし、今でも国際派の人たちとの交流が中心であること、容易に気づくはずだ。

個人的な体験から云えば、一度は多くの民族派の人たちとの交流の体験を持たないことには、その人の持つ日本観、ひいては天皇観が底の浅いままで終わってしまう恐れが高く、今の河野氏もその例外ではない。よって、河野氏の場合、外務大臣といった要職までは任せられるものの、とてもではないが総理大臣を任せたくない人物であると、今回の発言でつくづく思った次第である。

では、来年の九月に任期を終える安倍総理の後継者に、誰がいるかと改めて問われれば、一人だけいると今のところ答えるしかない。それは、安倍晋三その人である。そのあたりは、日本の大手マスコミが決して取り上げることのない、最近のインドとの交渉に向けた成果からもそのように確信できるのだし、日本観・天皇観についても、安倍総理のそれは本物なので、安心して日本を任せられると云えよう。
2020年9月にモディ首相と日印首脳会談

ちなみに、安倍一族は現在の皇室よりも格が上であること、脳裏に刻んでおこう。
安倍晋三のルーツ

【追補1】
以下は、某国際コンサルティング会社のホームページに掲載された拙稿である。14年前(53歳)当時の己れの日本観が赤裸々なのは恥ずかしい限りだ。

最終章 思い出のサンフランシスコ
西漸運動が盛んだった19世紀のアメリカ。当時の若者たちの血をたぎらせたスローガンに“Go West, young man.”(若者よ、すべからく西部へおもむけ)がある。その言葉を地でいくが如く、グレイハウンドのバスに乗ってニューヨークを発った私はひたすら西を目指した。4日目の朝、バスがベイブリッジを渡った時、一ヶ月ほど前に数日間滞在しただけの街なのに、妙な懐かしさを覚えたのは何故だったのだろうか。

そのサンフランシスコには一年半近く暮らした。最初はアダルト・スクールという、アメリカに移民して来た人たちを対象にした無料の英会話学校に通った。そのアダルト・スクールには世界中の国々から若者達が集まっていた。殊に中南米の若者が多く、半年間にわたって中南米を旅した私は瞬く間に彼らと友達になったのであり、今では良い思い出だ。当時の筆者はサンフランシスコの中心街に近いアパートに住んでいた。そして、折りあるごとに中南米の友人をアパートに招待しては、ニューヨークで覚えた日本料理の腕ふるいご馳走を振る舞ったのである。彼らとは喧嘩をしたこともあるし、情熱的な中米の女の子と恋に落ちたこともあった。

その後、ふとしたきっかけでサンフランシスコ大学の今村茂男教授と知り合い、同大学に通うことになった。同時に、新聞の求人欄を見てハウスボーイ(簡単な家の手伝いをする代わりに、部屋を提供してもらって学校に通う青年の意)の仕事を探した。何軒目かの家に電話を入れ、ようやくハウスボーイとしてアメリカ人の老夫婦の家に住み込むことが決まった。場所はサンフランシスコの街全体を眺望できるツインピークスにあった。サンフランシスコ大学へも近いので都合が良かった。講義のない日は家の回りの簡単な芝刈り、家の中の掃除を行った。老夫婦との日常会話は当然英語であり、ここでかなり英語力、特にヒアリングが伸びたように思う。その家の娘さん夫妻が時々里帰りしてパーティを開いていたが、その時に知り合ったアメリカ人の友人たちとは今でも毎年クリスマスカードの交換を行っている。

サンフランシスコ大学時代の今村先生は、残念なことに8年ほど前の1998年に姫路市で76歳の生涯を閉じている。その今村先生が遺した本に『神風特攻隊員になった日系二世』(今村茂男著 大島謙訳、草思社)というのがある。同著の書評を書いた他の読者も異口同音に述べていることだが、同書で一番印象的な下りが「命を賭ける価値のある争いなんて、どこにもない」という今村先生の「遺言」だろう。最近の日本は重苦しい閉塞感に覆われており、いつか来た道に戻りつつあるのではと危ぶむ声が多く、ブログ『きっこの日記』でも「このまま行けば、今の小学生が高校生くらいになったころには、韓国みたいに徴兵制度が導入されて、16才以上の国民には召集令状が届くようになるだろう」と書いている。
トンデモ法案炸裂!

また、国際政治コメンテーターの藤原肇氏も自著『小泉純一郎と日本の病理』の中で、「もし、中国と本当に衝突するようなことになれば、アメリカは近代装備した日本の軍事力を利用して、アジア人同士を戦わせるに決まっている」(P.260)と述べているのだ。

1970年代初期は日の出の勢いであった日本であったが、長引く平成不況のため今の日本は本当に元気がない。あの当時の輝きは何処に行ってしまったのだろうか。人々は不満の捌け口戦争に求めるのだろうか。これでは何時か来た道に逆戻りすることに他ならないではないか。街頭インタビューで、「戦争になった日本のために戦う」と簡単に口にする若者たちを見るたびに、やりきれない気持ちになるのは筆者だけだろうか。今後は己れの腕一本で生活の糧を得ていかねばならない時代に生まれた今の若者には、日本の通貨である円の信用が未だ残っているうちに世界を旅するなり、海外の大学で研鑽を積むなりして、広い世界で武者修行をして欲しいと切に願うのである。そして、そうした若者たちこそが戦争への歯止めとなってくれるような気がしてならない。筆者もブログ【教育の原点を考える】で清沢洌の『暗黒日記』の書評を書くなどして、ブログを訪れる一人でも多くの若者たちに日本脱藩のすすめを説き続けていきたいと思う。
「暗黒日記」

ともあれ、筆者は無事に1974年の暮れに日本に帰国した。一年間続いた拙稿をきっかけに、一人でも多くの若者が今の日本を「精神的」に脱藩し、清沢の云う「広汎なる総合的知識」を身につけてくれることを祈念しつつ筆を擱く。

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2006年6月吉日


【追補2】
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上掲の拙稿「最終章 思い出のサンフランシスコ」にも登場する、故今村茂雄先生はアメリカでこの世に生を享けているが、日米関係の悪化で両親と一緒に日本に帰国、若い頃は周囲よりも皇国少年だったという。今から思うに、小生が国際派から民族派に転向できたのも、ある意味、先生のお陰だったのではと今にして思う。以下はDuncan氏という人物のカスタマレビューだが、サンフランシスコ大学で大変お世話になった今村先生を思い出し、胸が熱くなったことを告白しておく。

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しずかちゃん
読者の皆さんは子供時代、『ドラえもん』に夢中になった一時があったのではないだろうか。また、主人公の野比のび太が好きだったクラスメイトの女の子、しずかちゃんという女の子を今でも覚えているはずだ。

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しずかちゃん

小生、しずかちゃんを今でもテレビで目にすると、時々だが思い出すもう一人の「しずかちゃん」がいる。元代議士の亀井静香(かめい・しずか)氏だ。

「お前はどうして、可愛いしずかちゃんと、おっさんで寅さんのような四角い顔をした、亀井静香なんかを一緒にするのだ」と、しずかちゃんファンの読者には怒られるかもしれないが、実は二人に共通するものがあるのだ。それは、「人情」。「任侠」と言い換えてもよい。

元警察庁長官官房調査官であり、自民党の元政務調査会長を務めた亀井静香氏、小生は同氏の講演に二回ほど足を運んだことがあり、生の同氏の醸し出す人間性に直に触れている。

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亀井静香氏の左側に座る二人、何処かで見たような…

上掲の写真は、『月刊日本』主催のパーティで撮られたものだが、写真に写る亀井氏、何処にもいそうなおっちゃんに見える。その亀井静香氏を掲示板「放知技」の常連さんの一人、はぐらめいさんが記事に取り上げていた。
大量の国債発行と自由に使える地方交付税を!(亀井静香)

はぐらめいさんが同記事で紹介していた、FNNプライムオンラインによる亀井静香氏のインタビュー記事、やはり放知技の常連さんの一人、mespesadoさんも同記事を読んで、「何と、今回は凄まじく善いことを言っていました」と感想を述べているが、小生も同感でR。

小生は毎朝、首相動静に必ず目を通しているが、二~三ヶ月に一度のペースで、亀井氏は安倍総理と毎回30~40分ほど、差し(本音)で語り合っている。もし、近く総理と再び差しで語り合うようなことがあれば、是非、「大量の国債発行と自由に使える地方交付税」を、総理にも強く訴えて欲しいと思う。


亀井静香代議士の「お母さん」

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男と女
前稿「800年周期」にも書いた仕事部屋の大掃除、昨夕、漸く終わった。今回はコロナ禍もあって、時間的な余裕があったことから、単に本や書類の整理だけではなく、不要な本、あるいは良書でも残りの人生の時間を考えると、多分今後において読むことはないだろうと判断した本など、次々に(思い切って)ボール箱に入れていった。お陰様で、大分書架に空白スペースができたことから、当面は書架スペースを気にせずに、安心して次の書籍を購入することができそうだ。

段ボールに仕舞う本、書架に戻す本とに仕分けしていた時、ふと目に留まった二冊の本があった。それは、『枕草子』と『徒然草』…、両書が仲良く並んでいたのだ。小生は、あまりの偶然の一致に唖然…

と言うのも、実は本の仕分け作業の少し前、以下の記事を読んでいたからでR。
もし「清少納言」が「兼好法師」と語り合ったら

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記事の筆者は、イザベラ・ディオニシオさんというイタリア人で、母国の大学で日本古典を専攻した女性だ。現在は日伊の翻訳を生業にしているようで、同じ翻訳者として彼女の翻訳観に関心を持ったことから、同記事に目を通し始めたのだった。そして面白いと思ったのは、彼女は日本の古語(古典)を今風な現代語、しかも超意訳の日本語に訳していたことだ。たとえば、以下は兼好法師が赤裸々な女性観を述べている行…。

かく人に恥ぢらるる女、いかばかりいみじきものぞと思ふに、女の性はみんなひがめり。
人我の相深く、貪欲甚だしく、ものの理を知らず、ただ迷ひの方に心も早く移り、詞も巧みに、苦しからぬことをも問ふ時は言はず、用意あるかと見れば、また浅ましきことまで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れることは、男の智慧にも勝りたるかと思へば、そのこと後より顕るるを知らず。素直ならずして、つたなきものは女なり。


イザベラさんは、以下のように超意訳していた。

イザ流圧倒的意訳
オトコがオンナに対して気を遣わないといけないというけど、じゃあその肝心なオンナってのはすごいかと言えば、全然逆で、もう最低で最悪、みんな性格が腐っている。我が強くて、欲も深くて、非合理的で、くだらんものにだけ飛びつく。口が達者だが、せっかく聞いてやっているのにくだらないことでも言わない、そのくせに黙っているかと思ったら、聞かれもしないことをペラペラとしゃべる。企んだり、ごまかしたりすることに関してはオトコよりも一枚も二枚も上手だけど、いざバレると気づきやしない。素直なところが一つもなく、つまらん存在、それがオンナというものだ。


う~ん、まさにその通りだわい、と小生は思った(てなことを書くと、放知技の女性読者に張り倒されそうなんだがwww)。

それにしても、イザベラさんが取り上げた二冊の古典、『枕草子』と『徒然草』、長年にわたって仕事部屋の書架に仲良く並んでいたのは、果たしてコレ、偶然だったのだろうか、と暫し考え込んでしまった次第…。

ただ、これだけは言える。小生は吉田兼好のような生き様に共鳴している。というよりは、法師のような生き様を自分も歩んできたようなところがあるのだ。だから、上掲の法師の言葉を読みながら、「いいねぇ、法師、そして、その生き様」とつくづく思ったのだ。

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ふと、ドラマ「深夜食堂」を思い出した。マスター(小林薫)が開いている「めしや」に、みゆき(田畑智子)という売れない若い演歌歌手が、猫まんまを食べに来るようになった(第二話・猫まんま)。みゆきのポスターを店内にマスターが貼っていたところ、なじみ客の男連中が騒ぎだした…。それを見ていたお茶漬けシスターズ、そうした男連中を呆れたように見つめながら、「(女が)若けりゃ誰でもいいのよ。男は簡単ねぇ~♪)という台詞を吐くシーンを咄嗟に思い出した次第…(爆)。

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なんとも男に対する強烈なカウンターパンチwww イザベラさんが同記事の冒頭に、「男は火星から、女は金星からやってきた」と書いていたのも頷けるというものだ。

表題の「男と女」に目が留まり、「亀さんなら、スケベー満載の記事を書いたに違いない!!」と、本記事に速攻でアクセスしてきた読者の皆さん、実際は真面目な古典の話だったのでガッカリつうか、拍子抜けしたことだろう。ご期待に添えずに申し訳ない…(爆) 

最後に、今日のテーマを書きながら、親しくしていただいた故宍戸幸輔翁が謹呈してくれた、『摩訶不思議な男と女の関係』を思い出したことを告白しておく。ちなみに、宍戸翁は渡辺格博士とは無二の親友であった。
渡辺格博士と宍戸幸輔翁

女優魂
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久しぶりに「男はつらいよ」を楽しんだ。鑑賞したのは「浪花の恋の寅次郎」…。同作品を久方振りに見ようと思ったのは、録画してあったNHKのSWITCHインタビュー達人達シリーズ、「松坂慶子×秋吉敏子」を見たことによる。登場する松坂は昔と比べて大分ふくよかになっていたが、その松坂の口を衝いて出る言葉の端端に、七十年近くを生きてきた一人の女の生き様が滲み出ていたように思う。だから、親子ほどの年齢差のあるジャズピアニスト、秋吉敏子との対話も含蓄あるものになったのだろう。

その松坂に小生が初めて接したのは二十代後半の頃で、そのあたりは拙稿「胸を張って厚かましく生きろぉ!」にも書いた。

最後に、主演の松坂慶子。亀さんはメルシャンの勝沼工場長と親しかった中野さんというバーテンダーと一緒に、ブドウ狩りの季節に同工場に幾度かお邪魔しているのだが、ある日松坂慶子が何かの催しに来ていた。遠くから見ても透き通るような肌の美しい松坂慶子を見て、亀さんはすっかりファンになってしまった。時期的には松坂が「男はつらいよ」の第27作、「浪花の恋の寅次郎」が上映された1981年あたりだったと思う。当時の松坂は29歳、最も美しかった時期だったのではないだろうか。


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その松坂の生い立ちだが、小生は少しだけ松坂の生い立ちを拙稿「松坂慶子を女優にした「事件」 その2」に書いたことがある。

大竹しのぶは1957年7月17日生まれなので、1952年7月20日生まれの松坂慶子とはほぼ5歳違いだ。その大竹しのぶも含め、松坂慶子、そしてシルビア・クリステルは、全員が全員、子ども時代は赤貧洗うが如しの生活を体験している。だから、同じように子ども時代は貧乏だった亀さんなので、三人の女優の生い立ちに深く共鳴するのだ。


さて、今までは松坂の生い立ちの事実について、書くのを躊躇っていた自分がいたが、NHKのSWITCHインタビュー達人達シリーズを見て、もう書いてもよいだろうと思い、少しだけ松坂の生い立ちの事実に触れておきたい。

前述の男はつらいよシリーズの「浪花の恋の寅次郎」では、マドンナ役を演じたふみ(松坂)が芸者を辞めて結婚を告白するシーンが登場するが、その嫁ぎ先が対馬…。同映画が公開された1981年当時は遠いところに嫁ぐんだなあ程度にしか思っていなかったのだが、12年後の1993年、『娘・松坂慶子への「遺言」』という衝撃的な本が出版された。執筆者は松坂の両親である松坂英明と松坂つね子…。小生は同書に目を通したことはないので、実際に同書に目を通したという一読者の読後感を以下に引用しておくが、父の祖国に近い対馬でのロケ地で、松坂はどのような気持ちで撮影に臨んだのかと思うと、胸に迫るものがある。

松坂慶子さんのご両親が1993年に書いた本です。
戦中朝鮮半島から渡ってきたお父さんと戸籍のなかったお母さんの生い立ちや、戦後慶子さんが生まれてから女優として活躍する現在までの家族の日々や葛藤が事細かに描かれています。

https://www.mercari.com/jp/items/m28380426418/

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こうした松坂の生い立ちが、松坂の女優魂を昇華させたといっても過言ではあるまい。