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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
孤高のリアリズム
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アルバイシンの男 ~ミゲールの像~

1月22日(日)に放送されたNHKの「日曜美術館」で、「グラナダ 魂の画譜 戸嶋靖昌(としまやすまさ)孤高のリアリズム」という番組を放送していた。「日曜美術館」は美術好きな息子たちのため、毎週欠かさず録画しているのだが、今回は何となく気になったので亀さんも同番組を覗いてみた。そして、番組を見ているうちに戸嶋靖昌の人物に惹かれていく自分がいた…。

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左から二人目の白髪の男性が戸嶋靖昌、その隣で帽子を被っているのは俳優の奥田瑛二

拙稿「イチローズ」にも書いたことだが、若い頃の亀さんは漫画家を志していたほどであり、十代の頃にロンドンで生活していた時、仕事がない日や学校が休校の日は、決まって市内見学や美術館通いをしていたものである。それだけ美術には深い関心があったのだ。なぜなら、「イチローズ」にも書いたことだが、亀さんの母方の祖父は紋章上絵師、その息子(叔父)も紋章上絵師だったし、亀さんも小学生二年生の時、市が主催する展示会で入選して以来、さまざまな催しで入賞を果たしているのだ。

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さて、戸嶋靖昌の番組が放送から一週間以上も経過した今日、ふと思いついてネットで確認したところ、『孤高のリアリズム』(執行草舟著 講談社エディトリアル)という題名で、戸嶋靖昌についての本が出版されていることを知った。アマゾンで同書を読んだという読者のコメントに目を通してみて、少々高いものの同書の購入を決めたんだが、アマゾンでは品切れ…。それならと紀伊國屋にアクセスしてみたんだが、紀伊國屋でも取り寄せとのこと。一刻も早く目を通したかったので、急ぎヨドバシカメラにアクセスしたところ、幸い在庫があったので即注文した。明日届くというので今から楽しみである。

ところで、アマゾンのコメントで特に目を引いたのが以下のコメントだ。同コメントを読みながら、咄嗟に思い出したのが飯山一郎さんの「手洗い」である。飯山さんのHPに書いてあったと記憶しているが、トレイの後は手を洗うものという世の中の常識に反して、飯山さんは「豚(トン)でもない! トイレの後は手を洗うべからず}と書いていたのだ。爾来、亀さんも家の者には、トイレの後は手を洗うべからずと言っているんだが、相手にしてもらえず、いつも嗤われている…。

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花札とトランプ
飯山(一郎)さんの最新記事「トランプの一言一句に一喜一憂し…」を読んだ。

花札トランプの親分は,猪鹿蝶(イノシカチョウ)を繰り出して,何か途轍もないことをヤラかす大統領になりそ~だ.


禿同! 亀さんもテレビで記者会見を見たが、まさに、「大統領というより,ヤクザ組織の親分の噴霧器」そのものだった(爆)。




その後、掲示板「放知技」に目を転じたところ、〝あの和尚〟が話題に…。

青森出身の もぅとっくの昔に

亡くなられた お坊さんの話を

よくされているが・・・

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15947645/696/


また、以下のような発言も…。

人生は人性
http://ameblo.jp/souainikki/theme-10033238223.html

オマンチンさんによく似た人がいるものだ。

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15958132/310/


えっ、青森のお坊さんて誰かって? 

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何故か、記者会見のトランプと今東光和尚が、ダブって見えてしかたがなかったんだが…。

リハビリー・バンバン
前稿「親子の情愛」で2日前に同窓会を開いたことを書いたが、その時に親子の情愛以外のテーマとして、兄弟についても話題になっている。すぐ近所に住むY君の場合、遺産相続を巡って兄弟間で言い争いとなり、ついには法廷で争うに至ったという話をしてくれた。以降、一度割れた茶碗を元の状態に戻すことが出来るわけもなく、他の兄弟との絆は断ち切れたままだとY君は語るのであった。そうしたY君の赤裸々な体験を耳にし、Y君も人知れず苦労をしてきたんだなと分かったものである。

Y君らと酒を酌み交わしていた丁度その頃、BS朝日の「ザ・インタビュー」でビリー・バンバンがゲストとして登場、それを録画しておいたので翌日見たのだが、ビリー・バンバンも兄弟同士の諍いが過去にあったようで、一時は互いに一切口も利かなかったようだ。幸い、その後はお互いの蟠りも消え、ビリー・バンバンを再結成、今日に至っているようだ。そうしたビリー・バンバンの過去はともかく、亀さんは若い頃に耳にした「白いブランコ」、実に心に染みる歌だと思っているし、その他のビリー・バンバンの歌も同様の意味で好きだ。



再結成後は順調に見えた兄弟の人生だったが、2年前に弟の菅原進が大腸ガンで手術を受けたかと思うと、今度は兄の菅原孝が脳出血で倒れ、左半身不随になったということを今回初めて知った。その後の孝は懸命にリハビリに取り組んだこともあり、車イスの状態ながらもビリー・バンバンの復活を果たしている。「ビリー・バンバンじゃなくて、リハビリー・バンバンって言うんだよ」と弟の進が言った時、インタビュアの宮嶋泰子が思わず吹き出してしまったのが印象的であった。

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BS朝日の「ザ・インタビュー」は、毎週土曜日と日曜日の夕方に放送しているが、さまざまなジャンルの人たちがゲストとして招かれている。1時間近くのインタビューだけに、時にはゲストの人間性がモロに出ることもあり、人間を学ぶという意味で実に良い番組だと亀さんは思っている。

りりィ逝く
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1975年2月当時のりりィ、23歳

元シンガーで女優のりりィこと鎌田小恵子さんが、逝去したという新聞記事が目に飛び込んできた。1952年2月17日 (64歳)というから、ちょうど亀さんより一歳年上の姐さんだった。死因は肺ガンだったという。出演番組で最も印象に残っているのが、深夜食堂の第九話「アジの開き」で、ローズ美千代という粋な婆さん役で出演していた。

合掌。



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太田出版
映画脚本家・笠原和夫の考える昭和天皇および瀬島龍三について、今回取り上げるつもりでいたのだが、その前に『晩歌』を出版した太田出版、および翻訳者Yさんが提供してくれた人肉食の情報について、それぞれ筆を進めたい。最初に太田出版について取り上げる。

亀さんは昨日の拙稿「日本映画の悲惨な現実」で、以下のように書いた。なお、絶版本とあるのは、太田出版の『昭和の劇』(笠原和夫著)のことである。

1ヶ月前まではアマゾンなどで新刊を入手できたのに、どうして急に絶版になったのか、そのあたりの経緯は不明だ。


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実はこの太田出版、神戸事件の少年Aの手記『絶歌』の出版元でもあるのだ。そして、以下の記事を一読すればお分かりのように、最初は幻冬舎が出版するはずだったのに、急に太田出版が出版することになった、曰く付きの本でもある。1ヶ月ほど前に読んだ何処かのネット記事で、幻冬舎の見城徹社長が太田出版に圧力をかけ、『絶歌』を出させたとする記事を読んだ記憶があるのだが、『昭和の劇』のような硬派の本を出す太田出版らしくなく、何か裏がありそうだとその時は単に思ってやり過ごしていた。そこへ来ての『昭和の劇』の絶版、気になったので調べてみたところ、以下の記事を掘り当てたのである。
ナメクジだらけのHPよりもスゴい中身…少年Aが『絶歌』出版から逃げ出した幻冬舎・見城徹社長の裏切りを告発!

同記事は見城徹社長の人間を暴いた優れた記事であり、同時に見城社長は太田出版の岡聡社長と親交があることを知った。そして、何よりも亀さんが注目したのは以下の記述である。

 つまり、遺族の感情を考慮すれば絶対にあり得ない事件現場の写真掲載を、見城氏本人はノリノリで指示していた、ということになる。ちなみに、Aの手紙によれば、〈「これ(写真掲載)はやめたほうがいいな」と僕にアドバイスしてくださったのは、本当は太田出版の岡社長です〉という。


遺族の感情を慮る岡社長に対して、遺族の感情など念頭になく、少年Aの手記本を売ることしか考えていなかった見城社長とでは、人間として雲泥の差があることを見事に浮き彫りにした行である。

ともあれ、同記事を読んで見城社長の人間については、やはりなと思ったていどだったが、一方で岡社長はなかなかの人物と見た。だから、上からの圧力ていどで、『昭和の劇』を絶版にするはずがないことを、改めて確信したのである。だから、今回の絶版は単なる資金繰りの問題で、出版不況の今日にあって再版が困難なだけなのだろう。ちなみに、今朝アマゾンで確認したところ、昨日の拙稿「日本映画の悲惨な現実」で、『昭和の劇』取り上げたのが効いたのかどうか分からないが、ナント、ベストセラーになっていた…。

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、ここまでは、少年Aが神戸事件の犯人という前提で筆を進めてきたが、実は、少年Aは冤罪の可能性が極めて高いことを指摘しておこう。亀さん同様に冤罪だと確信しているのが、『神戸事件を読む』を著した熊谷英彦氏である。亀さんは同氏と幾度かメールのやり取りをしており、そのメールの一部を本人の了解を得た上で、以下に公開している。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/06/post_9f14.html

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なお、拙ブログでは数ヶ月前、『絶歌』について拙稿「堀の中の少年たちで紹介している。併せて一読いただければ幸いである。

世界中どこでも
飯山一郎さんのHPの最新記事を読んだ。ついに、中国が福島原発事故の実態を発表、安倍内閣がどのような反応を示すのか、世界が注目するところとなり、まさに安倍首相にとってはまな板の鯉といった心境だろう。ともあれ、事故から5年以上が経過、ようやく事態が大きく動き出す。

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http://grnba.com/iiyama/index.html#zz06101

もう、いくら安倍内閣や日本のマスコミが必死に隠そうとしても、大勢の日本人が原発事故の実態を知るのは時間の問題だ。そして次は、人間が住めなくなった日本列島を、大勢の人たちが去っていくだろう。だが、人間到る処青山ありという諺があるではないか、なぁに、人間生きていこうと思えば、世界中どこでも生きていけるから大丈夫だ。昨日の東京新聞夕刊に、以下のような面白いエッセイが載っていた。香港人の逞しさを我々も見習いたいものだ。

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過日の拙稿「45年という歳月の重み」を執筆していた時、久しぶりに44年前のアルバムを眺めていた。以下は3ヶ月ほど働いていた、イタリアンレストランの裏口で撮った写真である。場所はオックスフォード・ストリートに面していた所で、このストリートはロンドンどころか、ヨーロッパで最も人通りが多いストリートなのでR。そのストリートに面したショッピングモールの一角に、亀さんがバイトをしていたイタリアンレストランがあった。レストランには、亀さんをはじめとする、世界各国の若者がバイトをしていたのであり、まさにインターナショナルな職場であった。

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(写真左)ショッピングモールで働く陽気な仲間たち。前列の二人は左から亀さんの働いていたレストランのイタリア人マネージャー、右は同じショッピングモールにあるファッション店のマネージャー。後列の二人は左からコロンビア人のダリオ、その右がアルゼンチン人のホルヘ。ホルヘは後に亀さん家で草鞋を脱ぎ、半年間居候している。
(写真右)プレイボーイなファッション店のマネージャーを囲む、亀さんと同じレストランで働くウェイトレスの女の子たち。ちなみに、左の女の子が亀さんのアルゼンチン人ガールフレンドだ。拙稿「Sさんへの返信」に登場するSさんも、亀さん家で彼女に会っている。

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(写真左)やはり同じショッピングモールの何処かの店のマネージャー。確かイタリア人だったと記憶している。仕草から想像できるように、大変面白いオヤジだった。
(写真右)太めの女の子は正真正銘のパリジェンヌ。その娘(こ)を囲んでいる二人はジャマイカ出身で、亀さんと同じレストランで働いていた。亀さんにとって、ロンドンの〝兄貴〟的な存在だった。

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(写真左)職場の仲間たち。亀さんの横にいるのが左からコロンビア人のダリオ、右は亀さんの後釜で入ってきたエジプト人の若者(名前失念)。それにしも、改めて鏡に映る自分を見るに、髪の毛に白いものが大分混じるようになり、後頭部が寂しくなってきている上、おでこには深い皺が刻まれるようになった。やはり、44年間という時間が経ったのだなと、つくづく思った次第でR。まぁ、「スミカスミレ」のように、若返ることができないのが人生だ。
(写真右)太めのパリジェンヌと。彼女からは本場のフランス語を教わった。お礼に、亀さんも本場の日本語を教えたんだが、一度、仕事中に日本語で「Aishiteru!」と言われたことがある(爆)。

45年という歳月の重み
昨日の拙稿「日本のラテンアメリカ化?」で、1972年9月にチリの首都サンチャゴを散策していて、アジェンデ大統領のパレードに遭遇したことを書いた。遠方から接近してくるオープンカーから、大勢の大衆に向かって手を振るアジェンデ大統領が、接近してきた刹那お互いに目と目が逢った。その時、同大統領の身体からオーラのようなものが出ているのを感じ取れたのだし、何よりも同大統領の身体全体に人としての温もりを感じ取れのである。今にして思えば、実に貴重な体験であった。

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サンチャゴの街から望むアンデス山脈

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アジェンデ大統領 殺害される数時間前の演説

1972年というと今から44年前で、当時の亀さんは19歳、1972年3月23日に大勢の親戚や友人に見送られて、羽田からモスクワを経由してコペンハーゲンに飛んでいる。コペンハーゲンでは観光を兼ねて数日間ほど滞在した。最初、隣の国スウェーデンに文通相手だった同い年の女の子が、ストックホルムに住んでいたので会いに行くつもりでいたが、取り敢えずロンドンでバイトをして旅行資金を貯めながら、英会話学校に通って英会話を身につけ、3ヶ月ほどしたらヨーロッパを1~2ヶ月ほどかけて一周、スウェーデンにも寄ってガールフレンドに会い、その後日本に帰国するつもりでいた。

では、どうして半年後の1972年9月にチリのサンチャゴなのかと言うと、バイトをしていたロンドンで知り合った、可愛いアルゼンチン人の女の子を追いかけ、南米に飛んだというわけだ。彼女のことは拙稿「寅さんのことば 第2部 11」にも少し書いた。

ここで、テレビドラマ「スミカスミレ」で印象に残るワンシーンがある。それは、人生をやり直したいと切望していた、70歳の如月澄が最後の最後に夢を叶え、45年前の25歳の姿になり、新しい人生を歩み出すというシーンだ。そんな如月澄の心からの笑顔を見た化け猫の黎(れい)は、以下のメッセージを残して如月澄の家を後にするのだった。

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それにしても、45年と云えばほぼ半世紀だ。1972年当時の亀さんには実感がまったく湧かなかったが、漸く今になって45年という時の重みが分かった。それにしても、亀さんの45年なんて、アッという間だったワイ…。

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ウルグアイ人のガールフレンド、アナベールと
※ アルゼンチンのバリローチェからチリのプエルトモントまで、船とバスを乗り継いでアンデス山脈を横断した時に知り合い、サンチャゴまで一緒に旅をした同い年の女の子。44年が経った今でも、時々メール交換をしている。

我が良き友へ
拙稿「人生、なめんなよ」に「拍手」してくれた読者の中に、拙ブログがきっかけで、「深夜食堂」に〝嵌まってしまった〟ちゅう、てくのぱぱさんというブロガーが名乗り出てくれた。E-機会なので紹介させていただこう。ブログ名は「我が良き友へ」。

ちなみに、同ブログで深夜食堂について取り上げているのは、「深夜食堂に嵌ってしまった」という記事だ。亀さんのことも書いてあった(爆)。

てくのぱぱさんのコメントで、飯島奈美というフードスタイリストが、深夜食堂に一役買っていたということを初めて知った。亀さんはニューヨークのレストランや、東京の居酒屋で板前の仕事をしていたので、料理の難しさも十分に分かっているつもりだが、一度機会があれば目を通してみたい本だ。

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『深夜食堂の料理帖』(飯島奈美著 安倍夜郎イラスト)

てくのぱぱさん、今後とも4649

【追伸】
てくのぱぱさんのブログでも紹介されていたが、映画「ペコロスの母に会いに行く」が、最近テレビで放送されたので見た。実に、心温まる映画であった。また、放送されるカモョ…。

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【追伸2】
てくのぱぱさんの描く漫画、素晴らしい! で、以下に無断転載(笑)。

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猫まんま
この10年間、亀さんが気に入ったTVドラマは3本ある。「深夜食堂」、「あんどーなつ」、そして「スミカスミレ」の3本だ。「深夜食堂」と「あんどーなつ」については、今までに何本か拙ブログで記事にしてきた。「スミカスミレ」の場合、最近のドラマということもあって記事数こそ少ないものの、これから色々と書いていくつもりだ。また、以上の3本のドラマの場合、共通しているものがあるんだが、それについてはいずれ書く。

で、今日は久しぶりに昔のTVドラマ「深夜食堂」の第二話「猫まんま」について取り上げたい。どんなドラマかということに関心のある向きは、以下を見て欲しい。



ところで、拙ブログはFC2というサーバー元にお世話になっているんだが、亀さん同様にFC2ブログを開設している読者の場合、だれが、いつ、亀さんのブログにアクセスしたか分かる仕組みになっている。そして、音楽の通なら名前を出せば誰でも知っている、実力派の歌手某が拙ブログにアクセスしてくれていることを今回お伝えしておこう(エヘン!)。

マイクを握らせれば、音痴どころか落語の域に入ってしまう亀さんだから、その人のプロとしての実力のほどは、正直言って良ぉ~く分からないんだが(涙)、同じ曲を歌う30名を超えるプロの歌手を聞き比べたところ、「一番気に入ったのでCDを購入した」という歌手こそ、亀さんのブログにアクセスしてくれている歌手なのだ。断っておくが、そのプロ歌手ちゅうのは、あの歯科&音楽ウォッチャーさんのことでは断じてない象、念のため…(爆)。

で、歯科&音楽ウォッチャーさん、そろそろ次の原稿…。

日航機事故と明石家さんま
日に一回は必ず訪問している掲示板「放知技」で、明石家さんまについての興味深い投稿が昨日あった。

1985年8月12日、大阪でMBSラジオ『ヤングタウン』レギュラー出演のため伊丹行きの日航機に搭乗予定だったが、直前の仕事である「ひょうきん族」の収録が早めに終わり、一便早い全日空の便に振り替えたため、日本航空123便墜落事故を逃れた。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15711778/731/


また、同投稿で紹介されていた以下の記事、さんまが大竹しのぶとの間でもうけた娘に、「いまる」という名前を付けた背景を知るに及んで、咄嗟に思い出した人物がいる。
日航機墜落事故と明石家さんま…「IMALU」の名前に込めた想い - NAVER まとめ

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10年近く前になるが、光寺(神奈川県大和市)住職の玉井禮一郎さんと一緒に、日蓮上人縁の保田妙本寺(千葉県安房郡鋸南町)を訪ねたことがある。訪問した目的は創価学会の土台を揺るがせかねない、歴史的事実の確認の旅であった。このあたりに関心のある読者は、たまいらぼ出版の一連の出版物を参照されたい。

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保田妙本寺(左)と陰陽二相一対の曼陀羅本尊(右)

それはともかく、その日の夜は玉井さんの友人宅で一晩お世話になろうということで、玉井さんの長年の親友Xさん宅のある木更津市に向かった。木更津駅に着くと、駅のロータリーでXさんが我々を待ってくれていた。その晩はXさん宅で酒を酌み交わしつつ、話は深夜に及んだ。そのなかで、特に印象に残った話が、Xさんの「運命」に纏わる話であった。

明石家さんま同様、実はXさんも日航機123便に搭乗する予定だったというのだ。事故のあった当日、大阪に向かうため最初は日航機123便に搭乗するつもりでいたが、都合で別の便にしたことにより、明石家さんま同様に命拾いをしていたのだ。Xさんの話にじっくり耳を傾けていた玉井さん、突然次のように言い出したのであった。

その体験を本にしてみないか?


実は玉井さん、光寺の住職であると同時に、たまいらぼ出版の社長なのである。一緒に話を聞いていた小生にも、編集を手伝って欲しいと言ってきた。結局、話は流れてしまったものの、あの時のXさんの話に耳を傾けながら、人の持つ運命というものの不思議さについて、つくづく考えさせられた亀さんであった。

運命で思い出したが、拙ブログでも「人生は〝運〟だ」という記事を書いている。その時に取り上げた『運命の研究』(武市雄図馬著 東明社)、未だに全ページに目を通していないのを思い出した…。

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