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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
終了のお知らせ
シリーズとして「飯山史観」を綿々と書き連ねてきたわけだが、先ほど確認してみたところ、合計で96本にも達していることに気づいた。本来は幕末から現在にいたるまでを書き進めることで、長きにわたった飯山史観シリーズを完了したいと思っていたが、ここ数ヶ月というもの、仕事や雑用に忙殺されてブログ更新が遅々として進まなかった。

飯山史観シリーズを開始した数年前は、飯山史観シリーズを終えたら一枚のPDFファイルに纏めるつもりでいたが、当面は仕事に追われそうなことからPDF化は諦めることにした。それでも、故飯山一郎さんが遺してくれた飯山史観、テーマがアチコチに飛んでしまってはいるものの、飯山史観の重要なポイントは押さえたつもりであり、96本の何処かに書いてある。

それから、多忙な仕事や雑用に加えて、飯山史観シリーズを終了することにした、もう一つの理由として、現在が大転換期の真っ只中にあることと深く関係している。

つまり、これからの激動期を一人でも多くの読者に、生き抜いていただくためにも、飯山史観で約束していた若者への指針と絡めて、激動する世界について小生なりの見方・考え方を示すことに、重きを置きたいと思ったのだ。ただ、相も変わらず仕事や雑用に追われている身なので、今後もブログ更新がままならないとは思うが、その点ご勘弁願いたい。

最後に、本当に長い間にわたっての飯山史観のご愛読、筆者として心より御礼申し上げる次第である。有り難う!

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属国の時代 04
最後にブログ記事を書いたのは5月7日、二ヶ月以上もの月日が流れた。その間、日本も含めた世界は大きく変化しており、そのあたりを解りやすく説いていたのが、経済クラブの以下の動画だ。


【政治思想マトリックス】世界政府、ロシア、参政党の思想の違いを解説します

上掲の動画をヒントに、思いついた小生のマトリックスは以下の通りである。

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今回は上図の詳解は省き、世界戦略情報誌『みち』の最新号(7月15日号)にあった、神子田龍山さんの言葉を引用しておこう(p.5)。

「約六〇〇〇年前の縄文時代、現代のオロチョン族に近い『アルタイ的民族』が日本列島に移住し、新しい文化を齎した」という最新の学説を、私は強く支持している。


つまり、神子田さんはツランの一民族であった「アルタイ的民族」が、六千年ほど前の日本列島に大挙して大勢が移住してきたと言っているわけである。これを頭に置いて、以下の動画をご覧いただきたい。


【教科書にのらない古代史】6000年前から語り継がれてきた天皇以前の歴史│小名木善行

同じ六千年前でも、ツラン民族が日本列島に移住してきたとする神子田さんに対して、海洋民族であった倭人が世界へ向かって出航したと小名木善行氏は主張している。ここで、すでに両者の説は科学的に実証されており、両説とも正しい。つまり、六千年前は海外へ舟で日本列島を去った倭人もいたのだし、逆に日本列島に渡ってきたツラン民族もいたのである。ただし、皇室の原型は六千年前より遙か昔に遡る。

このように、海洋民族である倭人という遠祖を持つのが我々日本人であり、実に気宇壮大な気持ちにさせられるのだし、来る新時代を日本人が率いるだろうと直感的に感じた読者も多いはずだ。

現在の小生は出口王仁三郎の大祓祝詞に取り組んでいるが、その出口師についてマドモアゼル愛氏が動画にしたことがある。残念ながらバンされたため、最早観ることはできないが、それでも大凡の概略を以下のブログ記事で窺い知ることができよう。
ロシアの三日天下の後、日本の時代が来る──マドモアゼル愛

現在の世界情勢を俯瞰するに、ロシアの圧倒的な優勢は疑いようがなく、ロシアが天下を取るのも時間の問題だ。しかし、ロシアの天下は長くは続かず、次第に日本の時代になると王仁三郎は予言している。このあたりは、武田邦彦氏や小名木善行氏の動画を追ってきた読者であれば、自ずと納得いただけるはずだ。

属国の時代 03
ペリー提督率いる黒船が浦賀沖に来航したのは嘉永6年、西暦で言えば1853年だ。小生は百年後の1953年生まれなので、黒船の来航年が頭に入っている。

さて、幕府がペリーの砲艦外交に腰を抜かし、開国したというのが我が国の通説になっているが、それは全くの嘘デタラメであると主張しているのが、政策コンサルタントの室伏謙一氏であり、YouTubeでも動画として公開された。残念ながら、5月3日までの限定公開ということで、室伏氏のYouTubeを観ることは最早できない。

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しかし、何を室伏氏がYouTubeで語ったのかについては、「室伏謙一の霞が関リークス」に掲載されている講座案内で大凡の見当がつく。

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PART 1から3に分けられているので、本稿でもそれに倣うとする。

■PART 1
小生は5月3日までの限定公開だった動画(34分強)を観ているが、室伏氏が語っていた主な話の内容は、黒船来航時において幕府が優れた外交能力を発揮したことの実証であり、その論拠として室伏氏は、『墨夷応接録』を下敷きにしていた。その『墨夷応接録』には、幕府の外交能力が極めて高かったことが明記されているのだ。

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ところが、明治維新以降の日本は『墨夷応接録』を完全に無視、そのため、今日に至っても幕府の外交力はお粗末だったと広く信じられているのが実態で、ペリーの砲艦外交に幕府が震え上がったといった大嘘が、未だに罷り通っているのである。

蛇足ながら、PART 1のもう一つの小テーマである、「世界に冠たる清潔都市・江戸」については、竹村公太郎氏が著した、「日本史の謎は地形で解ける」(全三冊)の一読をお勧めしたい。

■PART 2
このパートは「幕末の英雄3人の有能さと功績」についての話で、以下の三者を取り上げている。

徳川慶喜
小栗上野介
榎本武揚


落合莞爾さんの落合史観を直接ご本人から学んできた身として、小生は三者の業績について詳細に知ることができた。

最初に徳川慶喜公。拙稿「高麗神社と皇室」で小生は以下のように書いており、また、『徳川慶喜公伝』(全四巻)も十年前に入手した。

「落合莞爾さんが著した『奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新』、「第七章  慶喜と大政奉還」にある、「渋沢栄一の衷情が滲む『慶喜公伝』」に目を通せば、自ずと納得いただけよう。


次に、小栗上野介。通説では、小栗は慶応4年(1868年)閏4月4日、烏川の水沼河原(群馬県高崎市)において斬首された(享年42歳)というのが通説だ。しかし、落合史観によれば、実はそうではなく、小栗は密かに渡米し、アメリカから祖国日本のために貢献したということになっている。これについての真偽はともかく、関心のある読者は落合秘史シリーズ本、殊に『国際ウラ天皇と数理系シャーマン』を参照されたい。
張成沢の〝処刑〟

最後に榎本武揚だが、拙稿「榎本武揚と〝八百長戦争〟」を参照のこと。

■PART 3
PART 3は、「西洋思想を植え付けられた現日本の没落」というタイトルになっているのに注目していただきたい。「属国の時代 02」で明治維新前の日本人にはあった、時間の概念について書いたが、これはほんの一例で、明治維新以降の日本人は、どのような西洋思想を植え付けられたのかについて、今後も折りを見て取り上げていきたい。

同書を読み進めながら、「明治維新(文明開化)は失敗だったな」という言葉を吐いた、まほろば会の林廣同志を思い出した。
蘇るのか、逝きし世の面影


室伏氏は未だ49歳と若く、今後の一層の活躍を期待したいと思う。

属国の時代 02
時間というものは、過去から現在、現在から未来へ流れると、我々は頭から信じ切っているが、本当だろうか? 前稿「属国の時代 01」で、小生が以下のように書いたのを思い出していただきたい。

確かなことは、未来とは「未だ来たらず」ということであり、その未来を形作っていくのが現在を生きる我々である。


「未来を形作っていくのが現在を生きる我々」という言葉を頭の片隅に置いて、以下の動画を観ていただきたい。


謎に包まれた日本語の秘密「むすび」|山口隆之×小田真嘉

どうだろうか? 属国の時代が始まった明治維新を境に、古の日本人には当たり前のようにあった時間の概念が、今を生きる日本人のそれと、あまりにも異なるので啞然としたはずだ。

時間という概念一つとっても、如何に我々は西洋思想から、強い影響を受けてきたかが分かろうというものだ。

故飯山一郎さんは日本の歴史を、「外圧」という視座で捉えていたが、そのあたりの詳細については、拙稿「天武天皇 19」を参照してもらうとして、明治維新以降について飯山さんが抱いていた史観、その一部を以下に再掲しておこう。

第6回目は,19世紀.英国が「カラー革命」を策謀し,坂本竜馬,高杉晋作らの「尊王派」や「倒幕派」を扇動して,幕藩体制の徳川国を倒し,西欧文化万歳!の明治新国家を建国させ,英国による間接支配が始まる.

ただし,高杉晋作は上海から帰国後,西欧列強の「カラー革命」を見抜いていたが…,明治維新の前年,29才で死去.
この高杉晋作の「無念と残念」を,安倍晋三は熟知している.

第7回目は,20世紀.大東亜戦争に敗北した日本は,米国の占領下に入り,以後70年間,米国の植民地・属国となる.

第8回目は,現在進行中だが,日本は,米国の支配下から脱するため,ロシアとの同盟関係に入る.← いまココ.


「属国」、文字通り「他国の支配下にある国」という意味だ。しかし、2月24日に勃発したウクライナ紛争を境に、世界の多くの人たちが覚醒しつつあり、来る新しい時代に向かって第一歩を踏み出した。

今や五月に突入、衣替えの季節だ。五月は未だ夏のような酷暑ではないものの、そろそろ夏服の準備をする時期を迎えつつある。さあ、属国根性という衣類を脱ぎ捨て、来る夏、新しい時代の到来に備えようではないか。

古の日本人が持っていた本来の心、日本精神を取り戻す時が到来したのである。

【阿呆なユーチューバーの面々】
日米欧の大手マスコミだけを追っていると、真の世界情勢を見誤るという好例を幾つか紹介しておこう。それにしても、夏(新しい時代)が来るというのに、彼らはいつまで冬服(属国根性)のままでいるのだろうか・・・


プーチンが戦争犯罪者になるのか!プーチンは今後他国に行けなくなる?


【ひろゆき】ロシアの戦争敗北が確定しました。作戦大失敗でプーチン政権崩壊まで秒読みです【 切り抜き ロシア ウクライナ ゆっくり ひろゆき切り抜き


2022/4/4 米長官 ロシア軍の責任追及へ。プーチン氏に逮捕状を 国際戦犯法廷の元検察官


第454回 ロシア経済の安定を訴えるプーチンがとったアホな政策

【追加情報】
道友のmespesadoさんが掲示板「放知技」に、上掲の「第454回 ロシア経済の安定を訴えるプーチンがとったアホな政策」について、コメントをしてくれた。それをはぐらめいさんが副島隆彦氏の掲示板「重たい掲示板」に公開してくれたので、以下に転載する。

[3392]「経済学」御破算宣言

投稿者:はぐらめい
投稿日:2022-05-04 05:58:38

「放知技」板(https://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=17289842)でのmespesadoさんの議論を転載させてください。私は、「『経済学』御破算宣言」と受け止めました。
ひとりひとりが自分の感覚を大事にしつつ、しっかり自分の頭で理解しなければならない世の中になっています。昨日、「甦れ!吉本隆明」と書いたところでした。→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-05-03

   * * * * *

928 名前:mespesado 2022/05/03 (Tue) 15:49:00
 亀さんがブログで(ネガティブに)紹介しておられた高橋洋一さんの動画↓
第454回 ロシア経済の安定を訴えるプーチンがとったアホな政策
https://www.youtube.com/watch?v=VaTiUytXOqw

 通貨ルーブルを守るために為替のために金利を挙げたプーチンの政策は、いきなり借入金利が高騰することによって企業を苦しめ、その結果、国民生活を犠牲にする愚策である、という趣旨なのですが… まあ、高橋洋一氏はこれをもってプーチンがアホである証拠のように鬼の首を取ったようにプーチンを腐していますが、実際のところはどうなのでしょうか?
 まず、政策金利、つまり中央銀行から市中銀行への貸付利率を引き上げると、それに連動して市中銀行から企業への貸付利率も引き上げられますから、企業は銀行貸付による資金調達に伴う金利負担が増加するため、一般論としては、政策金利を引き上げると企業は負担が増えることになります。社債の金利や株式配当率も、これらの金利との間に裁定が働きますから、社債や株式による資金調達も同様に厳しくなります。ただし、これは、あくまで「自国で」資金を調達しようとした場合の話です。では、実際はロシアの企業はどのように資金を調達しているでしょうか?
 この問題について、

ロシア産業高度化に向けた課題と経済への影響
https://www.nri.com/-/media/Corporate/jp/Files/PDF/knowledge/publication/chitekishisan/2018/05/cs20180506.pdf?la=ja-JP&hash=ECCCD9B7F7D40C27E7F70329C1B087D1B1324806

という論文があるので、そこから引用してみましょう:

>  多くのロシア企業は、既に日欧の最新の製造設備への更新による技術
> 変化への対応などを試みているが、外貨で製造設備を調達したため、そ
> の外貨建て債券の返済に苦しんでいる。実際に、ウクライナ危機とルー
> ブル安の影響で設備投資のコスト負担(金利や為替)は2倍程度になっ
> ている。

 つまり、外貨建ての債務が大きいというのですが、その実額は、情報BOX:デフォルト目前のロシア対外債務、返済を巡る主な問題
https://jp.reuters.com/article/default-russia-idJPKCN2LD05F

によると、

> ロシア企業は頻繁に国際金融市場で資金調達し、合計1000億ドル近
> い外貨建て債を抱えるだけに、

とのことです。ということは、ロシアの企業にとっては、銀行による貸付金利もさることながら、外貨による資金調達が大きなウェイトを持っているとすれば、当然為替も同じくらい重大な役割を果たすことになります。そして、この為替に影響を与える重要な要素の一つが金利政策です。そして、外貨による資金調達の場合、借りた後の為替でルーブル安になるのは困る。なぜならロシアでは国内販売が中心でしょうから収益は当然ルーブルが主体となり、この収益を為替で外貨に交換して返さなくてはいけないからです。そして、為替がルーブル安になるのを防ぐには、金利を引き上げなければならない。でないと投資家にとってのルーブル債の魅力が無くなるからです(これは低金利維持により円安になっている理屈と同じですね)。つまり、日本企業のように、国内での資金調達が主体なら金利は低い方がよいに決まっていますが、ロシアのように外貨による資金調達が大きなウェイトを占めていると、国内での資金調達は金利が低い方がよいけれども、外貨による資金調達では逆に金利が高い方がよいので、日本とは事情が全く異なるわけです。
 では、プーチンの経済政策は正しいのかどうか?
 答を求める前に、もう一つ考えておかなければならないポイントがあります。為替のルーブル安を防ぐには、もちろん金利を引き上げることで「一時的には」目的を達成することができるでしょう。それは投資家に対して「ルーブルに投資すれば金利が高いゾ」という「エサ」になるからです。でも、もし将来ルーブルの価値が紙くずになるかもしれないとしたら、いくら金利が高くても買う人はいなくなる。そこで、ルーブル安を「安定的に」防ぐには、単に金利を引き上げるだけではなく、実際にルーブルの価値が無くならないことを保証する必要がある。それが「ルーブルの現物(資源)へのペッグ」です。実際、ロシアは欧州諸国に必須の天然ガスの供給に対する支払をルーブルに限定することによってルーブルの価値を維持しようとした。そしてそれは為替の急回復を見る限り成功したわけです。このようにして為替を安定することに成功すれば、最早金利を無理して高止まりさせておく必要は無い。言ってみれば、金利にの引き上げは「対症療法」、対するルーブルの現物ペッグは「根本療法」ということになるわけです。このようにして現物ペッグでルーブルを根本治療してしまえば、資金の国内調達にとって害でしかない金利引き上げという対症療法はやめることができ、実際にロシアは一時の20%というとんでもなく高い金利を引き下げる方向に舵を切り、今日に至っているわけです。
 以上のようなロシアの経済政策の流れを見る限り、プーチンは、決して高橋洋一氏が主張するような「愚か者」なんかではなく、しっかり自国企業の実態把握の上に乗っかって経済のセオリーどおりの対策をすることに成功した優れもの、と私は考えざるを得ません。


929:亀さん:2022/05/03 (Tue) 17:15:19
https://bbs6.fc2.com//bbs/img/_409100/409098/full/409098_1651565719.jpg >>928

mespesadoさん、拙稿をお読みいただき有り難うございました。高橋洋一氏に関しては、たとえば及川幸久氏の↑動画↑などで、自分なりにプーチンの経済戦術が分かっていたので、、「高橋氏、変なこと言っているな」くらいに思っていましたが、今回のmespesadoさんの解説で、明瞭かつ一層クリアになりました。感謝します。
2022.5.1【ドイツ】ショルツ首相のジレンマ:バイデンのロシア制裁に従えば、安価なロシア産ガスなしでドイツ経済は大打撃!【及川幸久?BREAKING?】
https://www.youtube.com/watch?v=47hedYPGxas&t=625s
 ・・・・・・・ 
ところで、ぺっぴりごしさん紹介の記事を読み、それに関連して明日あたり、ブログ記事にしてアップする予定です。
https://ameblo.jp/yamatokokoro500/entry-12740709756.html

亀さん@人生は冥土までの暇潰し


930:mespesado :2022/05/03 (Tue) 23:18:23
>>929
 高橋さんは、プーチンの経済政策の中で最も重要だと思われる、天然ガスのルーブル決済の強要による「ルーブルの現物ペッグ」というアイデアで自国通貨の価値暴落を防いだという業績を全く無視して、金利を引き上げたことだけをもって愚者扱いし、反対に円安にもかかわらず国債購入を続けて低金利を維持した日本銀行をべた褒めしています。
 しかし、この前半だけでなく、実は後半の「金利の上げ下げで景気をコントロールできる」という理論自体が既に古臭く、日本などでは既に正しく無くなっていることに気付いていない。政策金利を上下して景気がコントロールできるためには、市中銀行の企業貸付金利の上下によって企業の借入額が増減する、すなわち「貸付金利が下がれば企業がそれに比例してカネを借りてくれる」ことが大前提になります。ところが、日本のように「生活必需家電が国民に行き渡り、しかも企業の内部留保が増えた」国では、この前提がそもそも成り立たない。つまり、日本のような「企業にオカネを借りるインセンティブが無い」国では金利をいくら下げても企業はオカネを借りないので信用創造が増えず、従って景気は善くならないわけです(ロシアでは今でもこの理論は成り立っているとは思いますが)。なので、日銀はこの理論どおりのことをやっているからエライ!ということにも当然ならず、日銀がいくら政策金利の低金利維持や国債買い入れのような金融緩和をやってもやらなくても、そもそも資金需要が無いのですから、市中金利は米国のように上昇するはずがありません。つまり、従来の経済学は、その根本から作り変える必要があり、高橋さんのように従来の経済学に固執して、それを前提にしていくら数式を使って厳密な計量経済学の理論を作っても、砂上の楼閣。実学としては全く意味は無いのです。


属国の時代 01
飯山史観シリーズの前稿、「武士の時代 19」を書いたのが2月21日、その三日後にロシアとウクライナ間で紛争の火ぶたが切られた。

爾来、二ヶ月以上が経った。紛争前は連日のようにウイルス禍について、大騒ぎしていた日本も含めた西側の大手マスコミが、掌を返すが如くロシアを叩く報道に変わったのを尻目に、小生は日米欧のプロパガンダ情報を無視して、真実を伝えていると思ったネット記事や動画を中心に情報を追ってきた。そして、日毎に確信するようになったのは、今や目の前で展開している時代の大転換が、世界中で起きているということだった。そのあたりは、武田邦彦、マドモアゼル愛、小名木善行、林千勝、及川幸久、島倉大輔、深田萌絵といった諸氏の記事、あるいは動画を追ってきた読者であれば、ヒシヒシと肌で感じていることだろう。

なを、拙ブログを初めて訪れた読者のために、今の世界で何が起きているのか、プーチンの真の目的(肚)は何かといったことについて、ヒントになりそうな動画を以下に紹介しておこう。


【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第13回「最強の国を乗っ取ったシオニスト、ナショナリズム駆逐の100年計画」[桜R4/4/16]

以下は上掲動画のワンシーンをカットしたものだが、林千勝氏の云うNWOを深く理解すれば、今の世界情勢が自ずと分かる。そして、左上に紫色で囲んだ「ロシア」に注目していただきたい。動画で林氏が説明しているとおり、ロシアがNWOと対峙しているのが分かるだろう。そう、今のロシアとウクライナ間の紛争の本質は、NWO vs.プーチンなのだ。

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ここでNWOだが、三千年ほど前にカルタゴを興したフェニキア人が始原であり、NWOについて考えるにあたり、〝最近〟の例として下掲の動画が参考になるはずだ。


東南アジアに白人国が無い驚愕の理由|小名木善行

この動画は、縄文人という我々とルーツを一にする、インカ帝国時代のインディオがスペインに騙され、滅亡していった経過を描いており、当時の日本の立ち位置も述べているので参考になるはずだ。

そのスペインの無敵艦隊が1588年、英国に打ちのめされてからというもの(アルマダの海戦)、次第に英国の天下(パクス・ブリタニカ)となっていったのである。そして、後にパクス・ブリタニカの時代(1815~1914年)に突入していった。その時代は幕末から明治維新の時代に相当するが、その当時の日本については、以下の武田邦彦氏の動画が参考になろう。


【武田邦彦】※知ってた禁止※ 今まで我々は”本当の明治維新”を知らなかった

小名木氏と武田氏の動画では日本人の強さが際立つが、それでも明治以降の日本は基本的にパクス・ブリタニカの属国だったのだし、今日に至っても依然として英国の属国から脱していない。そのあたりを勘案して、「属国の時代」とした訳である。

なを、通説ではパクス・ブリタニカからパクス・アメリカーナの時代に、突入したとされているが、実は依然としてパクス・ブリタニカの時代は続いているのだ。つまり、米国は今でも英国に牛耳られているということで、そのあたりは馬渕睦夫氏の一連の動画で理解できると思う。


【馬渕睦夫】アメリカがイギリスに逆らえない裏話【切り抜き/未来ネット】


【馬渕睦夫】アメリカがイギリスの覇権を奪ったのが100%違うことを証明します。【切り抜き/未来ネット】

しかし、マドモアゼル愛氏といった識者が語っているように、今やNWOすなわちパクス・ブリタニカの黄昏を迎えており、時代は大きく変遷しようとしている。では、これからどのような時代が到来するのか?

確かなことは、未来とは「未だ来たらず」ということであり、その未来を形作っていくのが現在を生きる我々である。よって、次稿以降は若い人たちを念頭に置くことにより、これからの世界を生きていく上での羅針盤なるものを、多角的に呈示していきたいと思う。そのため、幕末から現在、そして未来を行き来する形での話になると思うが、この点、予めご承知おき願いたい。

武士の時代 19
■徳川家康
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今東光和尚の『毒舌日本史』で、家康を中心に江戸時代について書いてあるのは、p.353~370と僅か17ページに過ぎず、p371からいきなり幕末の話に移っているが、何ともあっさりしたりものだ。ただ、冒頭で和尚は以下のように家康を評している。

そりゃ何ったって偉いの一言に尽きますよ。
『毒舌日本史』p.353


最近取り上げることの多い小名木善行氏の場合、家康について言及している動画が数本あり、個人的に気に入ったのが以下の動画だ。


関ヶ原の戦いと徳川家康の真実・知られざる歴史の裏側|小名木善行

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この金山についてだが、飯山一郎さんも以下のような記事を遺している。

また、(以下は鷲が発見・発掘した極秘の歴史情報であるが…)徳川家康の金山奉行・長谷川長安(元・山師)は、「小山評定」のときに、「真岡の根本山」の地下に途轍もない金鉱脈を発見した。

この世界一の金鉱脈を守り、温存するために、家康は、春日局の夫を初代真岡藩主に封じ、真岡を直轄領としたのである。

(鷲の調査研究では)真岡・根本山の金鉱脈は、世界一と言われる住友金属鉱山の菱刈金鉱脈よりも遥かに高品位である!

◆2015/06/29(月)  親友・池田 敏君を悼む(いたむ)


飯山さんの家康についての記事で目に留まった、もう一本の記事が以下である。

江戸時代という平和な時代をつくったのは、家康の影武者なんだ! (家康本人は、関ヶ原か大阪の陣で、死んじまっただ~)
◆2015/01/12(月)  影武者・家康のように…


これは、プーチン影武者説についての記事である。小生も最近の記事で以下のように書いている。

マドモアゼル・愛氏と言えば、同氏の別の動画で「本物のプーチンは既に亡くなっている」と、サラリと語っていたのが今でも小生の耳にこびりついている。それは、プーチンと30年間連れ添い、2013年に離婚した元妻のリュドミラさん、「(目の前にいるプーチンは)夫ではない」という言葉を残してプーチンの元を去っていたからだ。恐らく、事の真相を永久に我々は知ることはないだろう。ただ、仮に本物のプーチンや金正恩が、既に亡くなっていたとしても、プーチンあるいは金正恩が遺していった国家としての土台は、これからも継承されていくはずだ。それが国家というもの、マドモアゼル・愛氏が謂うところの「サーッと変化してきている流れ」に乗ることになるからである。
ウクライナ情勢


ウィキペディアも「徳川家康の影武者説」と題する項を設けていた。

ともあれ、家康から慶喜までの江戸という時代は、実に平穏な時代だったわけで、そのあたりを如実に示した本を、以下に紹介することで徳川家康稿を終わらせることにしよう。

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『逝きし世の面影』(渡辺京二)

【毒舌日本史】

飯山史観シリーズで取り上げることの多い今東光の『毒舌日本史』、和尚から孫のように可愛がられた島地勝彦氏による同書の書評を紹介しておこう。
島地勝彦さん<2>博覧強記の今東光が日本史をぶった斬る!

武士の時代 18
■豊臣秀吉
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拙稿「武士の時代 16」で、信長・秀吉・家康・光秀という四傑の人物を一霊四魂に照らし合わせ、「和合・友好の力を持った秀吉は和魂」と小生は書いた。

つまり、秀吉は人誑しだったというわけだ。そのあたりは、小名木善行氏の動画を観れば納得してもらえると思う。


豊臣秀吉が出世した本当の理由|小名木善行

小名木氏が、「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」を引き合いに、「努力で、人格で、徹底的にサービスして、ホトトギスを鳴かせてみせた」のが秀吉だったと、8:35あたりから語っているが、いかにも小名木氏らしい物の言い(解説)だと思った。

今東光和尚の秀吉評も面白い。自著『毒舌日本史』で和尚は、信長と秀吉の関係について以下のように述べているが、信長に人誑しの秀吉が気に入られていたあたり、まさに面目躍如たるものがある。

秀吉がいかに信長に信任されていたかわかりますね。どうも信長は、わざと或る程度の気ままをさせていたんではないでしょうかね。そして満座の中で「このドブ鼠」だの「禿げ鼠」だのとやっつけている。秀吉の女房に与えた信長の手紙にも平気で、貴様のところの禿げ鼠は浮気者で仕様がないが、少し位は我慢しろなんて書いている。
『毒舌日本史』p.293


この秀吉の人誑しという性格についてだが、上掲の動画で小名木氏は秀吉の腰の低さを語っており(29:00~)、現代人に喩えるなら明石家さんまだと謂うものだから、思わず小生もつられて笑ってしまった。加えて、そうした秀吉の性格を如実に示す二つのエピソードとして、蓑笠およびにまつわる出来事について小名木氏は語っていた。

それから、上掲動画の題は「豊臣秀吉が出世した本当の理由」となっているが、単に秀吉が出世した理由について述べているだけではなく、今を生きる若者への貴重なアドバイスにもなっている。その意味で、若い人は見ておいて損はない動画だと思った。

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ところで、小名木氏が秀吉を取り上げた動画は他にも何本かあるが、小生が最も注目したのは以下の動画だ。


学校では教えない豊臣秀吉が朝鮮に出兵した本当の理由|小名木善行

秀吉の朝鮮出兵は、日本を護るためだったとする小名木氏に対して、『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』(奈良静馬 大日本雄弁会講談社)は、異なった見解を述べている。そのあたりを示す意味で、少々長くなるものの、『スペイン古文書を通じて見たる日本とフィリピン』の一部を以下に引用させていただく。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉が国内統一の大事業を完成し、彼が外に向かって日本を代表して立つ事になってから、それまで地方の諸大名との間に個々に行われていたフィリピンとの関係は、主として秀吉という大きな手一つに掌握される事となった。フィリピンでは新太守ゴメス・ダスマリナスが強大な権力を振るって外交関係の矢面に立つようになり、日比の関係は一気に繁雑となってきたのである。

英国では有名なエリザベス女皇が、鉄石の意思と、驚くべき判断力と、巧妙なる政策とをもって、従来の第二流国をして欧州最強国に名乗りをあげ、スペインではフェリペ二世がいまだにその世界征服を夢見、世界最強君主という矜恃を棄てなかった時代であるから、これらの強大なる君主や英雄の出現によって、当時の世界は緊張状態にあった

以前から外国攻略の大望を抱いていた秀吉にとっては、今やその時が来たのである。彼は自分が支那、朝鮮を攻略する前に海上自由発展者のために、支那、朝鮮を荒らされる事を好まず、1589年7月8日、諸大名に厳命を下してこれを禁じ、支那・朝鮮方面における日本人海上発展者の跡を絶ったが、残党はあえて南洋、インド方面にその足を伸ばす事となった。

野心家の秀吉は、早くも1592年には朝鮮征伐を始めた。朝鮮を攻め、支那を攻略し、続いてインドに侵入し、ついでに南洋をも征服しようというのが彼の志であった。支那の寧波に都を移し、東洋を一丸として、この総帥になろうという壮大なる計画を立てた。

『スペイン古文書を通じて見たる日本とフィリピン』p.56~57

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朝鮮出兵とは、「日本を護るため」だったとする小名木氏に対して、「東洋の総帥になる」のが秀吉の狙いだったとする、上掲書の奈良静馬氏の主張との間には大分隔たりがあるが、同書が刊行されたのが昭和17年だったことを思えば、今から80年も前の話だし、その間に朝鮮出兵についての研究も大分進んだことを思うに、朝鮮出兵の見方が異なってきても致し方ないと思った。ちなみに、小生は小名木氏の主張に軍配を上げるものである。

そう思う理由の一つが秀吉の皇室観にある。何となれば、「日本を護る」ということは國體、すなわち皇室を護るということに他ならないからである。以下は『皇室と日本精神』に記されていた、信長と秀吉の皇室観を示す格好の行である。

安土桃山時代は、一般に国民精神の旺盛なる時代であった。百有余年に亘る戦雲が、信長・秀吉の力によって漸く攘われ、国内統一の業が成ると共に、国家的概念を著しく発展した。信長が父信秀の遺志を継いで、皇室の復興に努め、禁裏を造営し御料を復した事などは申すまでも無い。その足利義昭と結んだ約定の中には「天下静謐の為には、朝廷の事を万事粗略に致さざゞること」という一箇条を、特に載せて居る。秀吉に至っては、尊皇主義の殊に顕著なるものがあった。秀吉は微賤より起って遂に位人臣を極め、天正十三年に関白になり、十四年に太政大臣となった。その時にその栄誉を深く心に感じて、皇室の為に何とか致して、幸あれかしと考えた。
『皇室と日本精神』p.337


ところで、上の引用で奈良静馬氏は、「当時の世界は緊張状態にあった」と記していたが、それに関連して以下の行も引用しておこう。

秀吉は1587年、彼に反抗した最後の大名、薩摩の島津氏を征服し、国内平定の事業が一段落つくと共に、長崎の治外法権地に目をつけ、伝道師から長崎及びその付近の抵当地を回収した。元来秀吉は宗教について好悪は持たず、今目の前にキリスト教伝道師を手先とする侵略が日本で始まったのを見て、キリスト教絶対厳禁の挙に出た。しかしながら朝鮮征伐などのために忙しかった秀吉は、ひそかにキリスト教を信じる者があっても、それは黙認しておいた。
『スペイン古文書を通じて見たる日本とフィリピン』p.171


「彼(秀吉)に反抗した最後の大名」という記述に注目していただきたい。その島津家は後にイギリスの影響下に入り、そのイギリスは鹿児島の地に「薩摩ワンワールド」を形成している。

ここで思い出すべきは、秀吉が1587年に「薩摩の島津氏を征服」した翌年、スペインの無敵艦隊がイギリス艦隊に敗れたという史実である(アルマダ海戦)。

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1587年頃のイギリスは、未だ〝黒い貴族化〟されていなかったことを思うに、その後島津家に浸透していったイギリスの動きが、母国の〝黒い貴族化〟に至る経緯と、どのように関わっていたのか・・・。どうやら、『悪の遺産ヴェネツィア』を再々読すべき時がきたようだ。

武士の時代 17
前稿でお約束したとおり、今回から四英傑を取り上げていく。そのトップバッターは、やはり信長だ。その信長をわずか数行で、端的に評していたのが今東光である。

■織田信長
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信長を戦さ上手の謙信や信玄と同列に見ては駄目です。ありゃ天才ですからね。何といっても日本近世史を開いた天才です。彼の存在なくしては日本の近世はありません。その代わり尋常な男ではないんだ。スターリンもヒットラーも同じです。尋常な男には出来っこないことをやる男なんです。
『毒舌日本史』p.270


今和尚は信長が尋常な男ではなかった証に、以下のようなエピソードを語っている。

北陸の一向宗は富樫政親を攻め滅ぼすと宗教王国を作りました。これは日本で最初にして且つ最後の宗教王国ですが、ともかく北陸地方は数年間、一向宗によって支配された。そんな目障りなものを信長が放っておく筈がありません。これまた徹底的にやっつけた。長島でも徹底的こりゃ全滅ですものな。老若男女を問わない。一向宗徒は赤ん坊も殺した。信長の痛快な遺り口は徹底の一言に尽きます。
『毒舌日本史』p.342


この和尚の言葉で思い出したのが、拙稿「マキアヴェリの周辺」で紹介した以下の行だ。

会田 身ぶるいしたでしょう、恐怖と楽しさが入り混じっている。あのころは命があったら拾いものだという気がありますからね。チェリーニが言っているように、ちょっと散歩に行って、けんかして七人殺してきましたというような世界なんですから(笑)、われわれには想像できない世界ですよ。
開高 マイホーム時代にはなかなかわからないが、乱世になるとよくわかる。
会田 だからマキアヴェリのわかる人はマイホームでなしに…。
開高 治にいて乱を求むる人ですね。
会田 矛盾だらけの人間ですよ。


所詮、平和ボケしている今の日本とは、時代背景というものが、全く異なっていることがお分かりいただけたと思う。

さて、信長を取り上げた動画の中から、これはと思ったものを以下に紹介しよう。


教科書には書かれていない織田信長と楽市楽座の真実|小名木善行

この動画のタイトルには「楽市楽座」が使われているが、この楽市楽座という経済政策を思いついた信長、流石としか言い様がない。続く天下人の秀吉や家康も、経済政策の重要性を十分に知り抜いていたし、天下統一後は国内はもとより、海外との交易にも手を伸ばしていたことは、『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』からも、秀吉や家康の交易観が伝わってくる。なを、同書の大凡の内容については、以下の記事を参照にされるとよい。

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GHQが戦後の日本人に封印したフィリピンの歴史~~奈良静馬『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』

上掲書についての記事を書いたのは、歴史逍遥『しばやんの日々』というブログのオーナーであるが、そのオーナーが以下のように記しているのに注目されたい。

 今から六年ほど前に奈良静馬著『西班牙(スペイン)古文書を通じて見たる日本と比律賓(フィリピン)』という本を「国立国会図書館デジタルコレクション」で見つけて読んだときに、倭寇や豊臣秀吉に対する見方が変わってしまった。この本には、戦後の歴史叙述ではまず語られることのない史実が満載で、しかもスペインの公文書で裏付けが取られているのである。


同書を読了した小生も全く以て同感だし、小生の秀吉観が変わった。小生の秀吉観については、次稿の豊臣秀吉で取り上げたい。

ところで、上掲の動画で小生が、楽市楽座以上に注目したのが弾正台である。小名木氏も動画(4:05~)で弾正台の解説を行っており、弾正台はどのような役目だったのか、天皇にとっての弾正台は、どのような意味を持っていたのかについては、実際に動画で確認していただきたい。そして、信長は正式に弾正忠に叙任された、数少ない戦国武将の一人だったことに、ここは注目するべきである。以下の記事を参照。
戦国時代、武将たちが名乗った「弾正」は京都洛中の風紀委員だった?

ところで、小生は拙稿「日本精神とGHQ焚書」に、以下のように書いた。

織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康という、近世日本の礎を築いた四傑に共通する〝日本精神〟について、新稿で語っていくつもりだ。
日本精神とGHQ焚書


つまり、『皇室と日本精神』(辻善之助 大日本出版)を例に挙げるまでもなく、四傑に共通する日本精神とは「皇室」、すなわち國體を指していることは言うまでもない。信長については上掲動画の一部を切り抜いた、以下の写真からもお分かりのように、天皇の大御宝(おほみたから)である民を護るべく、天皇直属の機関として國體(天皇)に忠誠を誓い、國體のために身を粉にして時代を駆け抜けた人物の一人が、織田信長だったというわけだ。

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また、小生は「武士の時代 16」で一霊四魂を取り上げたが、信長の場合は「直感力すなわち先見の明があった信長は奇魂」、つまり、奇魂が最も強く顕れていた人物であると書いた。こうした視点で近世日本の祖である信長の人物を、一度は見直してみるだけの価値はあると思う。

それから、信長の特長である「先見の明」で思い出したのが今和尚の以下の言葉だ。

同盟というのは信義をもって結ぶのが本義で、功利で結ぶものではありません。

・・・中略・・・

その意味では信長が律義な三河者の家康を同盟者として択んだことは、これまた先見の明あるものというべきですね。その点では上杉も武田も北条も当てになりません。
『毒舌日本史』p.297


続いて、信長についての小名木氏の動画で、注目したもう一本の動画は、本能寺の変についてのものだ。


本能寺の変の真実 織田信長を暗殺した真の黒幕|小名木善行

光秀=天海説をとっている小名木氏なので、当然ながら信長は本能寺で死んでいないと語るのだが、関心のある読者は直に動画で確認していただきたい。

それにしても、本能寺の変の後も信長が生き長らえていたとしたら、文字通り信長は「お隠れ」になったということになる。

落合莞爾や飯山一郎といった先達は、孝明天皇は暗殺されたのではなく、「お隠れ」になったと主張しており、小生もその通りだと思っている。
鬼塚英昭の天皇観


武士の時代 16
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読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。

ちょうど六年前の2016年1月3日、「門松は冥土の旅の一里塚」と題する記事をアップ、同記事の冒頭で小生は以下のように書いている。

「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」という、一休の狂歌に使われている「冥土」は拙ブログ名の一部にもなっている。亀さんは拙ブログを開始して間もなく還暦を迎えたこともあって、正月を迎える度に人生の終わりに近づいているという、何とも言えぬ寂寥感を感じる身となった。


爾来、六年もの歳月が流れたことになり、改めて「光陰矢の如し」という諺を思うのだし、来年は古希を迎えることもあって、この世で〝暇潰し〟をする時間も、残り少なくなってきたと感じる今日この頃だが、ここは気を取り直して、今年こそは飯山史観を完成させるべく、ラストスパートをかけたいと思っている。

■日本の中世・近世・近代
前稿「武士の時代 15」で近世の時代に入ったこともあり、ウォーミングアップのつもりで光秀=天海説について書いた。よって、いよいよ今回から本格的に日本の近世について筆を進めていこう。ただ、その前に日本の中世・近世・近代を、明確に区別しておく必要があると思ったので、最初に手許の大辞林(電子版)に載っている、各時代区分の定義を見ていくことにしたい。

中世 歴史の時代区分の一。古代に続き、近代に先行する時期で、封建制を基礎とする。西洋史では、五世紀のゲルマン民族大移動から、一四~一六世紀のルネサンス・宗教改革までの時期をさす。日本史では封建制の時期を前期と後期に分け、後期は近世と呼び、前期のみを中世と呼んで、鎌倉・室町時代をこれに当てる。

近世 歴史の時代区分の一。中世と近代の間の時期。(ア)日本史では、後期封建制の時期の安土桃山・江戸時代をいう。(イ)西洋史では近代と同義に用いられることが多いが、特にそのうち市民革命・産業革命までの時期を近代と区別していう場合がある。(ウ)中国史では明末・清初以後、辛亥(シンガイ)革命までをいうのが普通。

近代 歴史の時代区分の一。西洋史では、ルネサンス、新航路の発見、宗教改革以降の時代、特に市民革命・産業革命以後の資本主義社会の時代をいう。日本史では一般に、明治維新から太平洋戦争終了までの時期をさし、それ以降を現代というが、一九一七年のロシア革命以後を現代、それ以前を近代とする考え方もある。


以上が、世間で謂うところの中世・近世・近代の時代区分だ。では、どうして鎌倉時代から大東亜戦争終了までが、中世・近世・近代という時代区分になったのか? このあたりについてだが、大辞林で定義されているような、統一した見解が未だに我が国では定まっていないのが現実だ。たとえば、近世という新しい時代が始まった切っ掛けとして、「YAHOO!知恵袋」のベストアンサーの場合、近世の始まりには諸説あるとしている一方で、そうした諸説に共通して見出せるものこそ(最大公約数)、「土地制度と兵農分離」だとしている。

そこで、幾つかの歴史関連のサイトにアクセスし、近世をどのように捉えているかを確認するに、たとえば「日本史論述ポイント集」というサイトの場合、「近世社会の礎を築いた大閤検地」と言い切っている。このあたりについては、YAHOO!もベストアンサーで近代の礎は「土地制度」、すなわち大閤検地であるとしているし、小生も同感だ。何故なら、大閤検地は天下人でなければ為し得ないことであり、その大閤検地については「日本史論述ポイント集」の「近世①」でも詳述している。

ただ、YAHOO!のベストアンサーで主張している、もう一つの近代日本の礎となった「兵農分離」については、「日本史論述ポイント集」では特に述べてはいないものの、豊臣秀吉の刀狩り令(天正16年(1588))を以て嚆矢とできよう。それは、日本全土で刀狩り令を確実に進めるには、天下が統一されていることが大前提となるからだ。この天下統一こそが日本の中世と近世を分けたものであると思うし、上掲の「日本史論述ポイント集」も以下のように解説している。

ズバリ言うと〈権力のあり方〉の違いです。

中世には統一的な権力は現れませんでした。鎌倉時代は公武二元支配でしたし、室町時代も分権的な状況で、そうした中からこそ〈自立〉的な存在が生まれたと言えます。

これに対して、近世には、豊臣秀吉が天下を統一して一元的な権力者となります。徳川家康は征夷大将軍への任命によって全ての大名に対する指揮権の正統性を認められました。「天下人」の登場です。


これで、中世日本と近世日本の違いが明確になったと思う。続いて、近世日本の礎を築いた信長・秀吉・家康・光秀の四傑について言及していこう。

■四傑と一霊四魂

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀の隠された恐るべき関係性|小名木善行×羽賀ヒカル

この動画は、一霊四魂という視座から四傑の人物を評価した内容となっている。一霊四魂思想は神道家の本田親徳が編み出した独特の霊魂観であり、明治に入ってから体系化されたものだ。ちなみに、この一霊四魂をテクノロジー化し、「個性認識学」(四魂の窓)を開発した人物がおり、それが出口王仁三郎を曾祖父に持つ出口光氏だ。

ところで、人は身体と霊魂から成ると言われている。この霊魂だが、「一つの霊「直霊(なおひ)」と、四つの魂「荒魂(あらみたま)」「和魂(にぎみたま)」「幸魂(さきみたま)」「奇魂(くしみたま)」から出来ている」と、神道ライターの紺野うみさんは語っている。

ここで、小名木善行氏との対談動画において、北極流占い継承者の羽賀ヒカル氏が、本来は一人の個人に備わっているはずの四魂を、信長・秀吉・家康・光秀の四傑に振り分けるという試みに、正直なところ最初は戸惑ったものの、同氏の説明を聞くに及んで、四傑の一人一人には最も強く顕れる四魂が一つだけあり、それが四傑各々の思考行動様式を決定付けているというのが、羽賀氏の主張だと分かった。つまり、羽賀氏によれば、直感力すなわち先見の明があった信長は奇魂、和合・友好の力を持った秀吉は和魂、忍耐力・諦めぬ心を持った家康は荒魂、幸せを祈る力を持った光秀は幸魂とのこと。四傑の人物の違いを考える上で、一つの面白い見方だと思った。

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和魂カウンセラー協会

次稿では、四傑の一人一人を取り上げていこう。

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武士の時代 15
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今回より安土桃山時代に筆を進める。本来であれば、今東光和尚の織田信長観あたりから入るのが本筋だろうが、その前に昨年NHKが放映した大河ドラマ、「麒麟(きりん)がくる」の主人公だった明智光秀について取り上げたい。残念ながら、小生は同大河ドラマを観ていないので、どのような明智光秀像をNHKが描いたのかは知らない。ともあれ、明智光秀を最初に取り上げようと思ったのは、故飯山一郎さんが「真実」であると主張していた、明智光秀=天海説について最初に述べたかったからである。

飯山さんはブログ「てげてげ」で明智光秀=天海説を説いているだけではなく、ナント! 飯山さんの故郷である真岡市の地下に、世界最大の金鉱脈が眠っていると言うのだ。そのあたりに関心のある読者は、「てげてげ」の以下の記事に目を通していただきたい。
2015/06/29(月)  親友・池田 敏君を悼む(いたむ)

つまり、「明智光秀=天海説、『日光市史』の日光・明智平の由来に書いてある!」と飯山さんは語っており、しかも「法螺や大風呂敷ではない。すべて真実」とすら主張しているのだ。

実は小生、飯山さんの立ち上げた掲示板「放知技」で、この明智光秀=天海説について語り合っている。
https://grnba.bbs.fc2.com/reply/16034724/472/

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次に上掲の二冊の本だが、左側の本は明智光秀の子孫である明智滝朗著『光秀行状記』、右側の本は明智滝朗氏の孫である明智憲三郎氏が著したものである。ちなみに、ウィキペデアの「明智憲三郎」項には以下のように書かれている。

光秀生存説(天海=光秀説/天海=秀満説)を唱えた明智滝朗は祖父。


そんな祖父について明智滝朗氏は、自身のブログに以下のような記事を公開していた。
明智滝朗著『光秀行状記』は斬れない!

これで、光秀=天海説を信じているのは、飯山さんをはじめ、明智光秀の子孫である明智滝朗氏と孫の明智滝朗氏、そして多くの日光市民ということになる。それから、『天海・光秀の謎―会計と文化』(税務経理協会)という本を著した、岩辺晃三氏も明智光秀=天海説を信じている一人であり、ウィキペデアの「岩辺晃三」項にも、「天海・明智光秀同一説」を唱えている」と書いてあった。

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作家である小名木善行氏の場合、明智光秀=天海説には否定的ではあるものの、天海は明智光秀の子ども、あるいは優れた高弟の一人だったと考えているようだ。


明智光秀は天海上人として生きていた!?|小名木善行

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それはともかく、明智光秀の人物について小名木氏は高く評価しており、これは今東光和尚も同様だ。以下は上掲の動画からカットしたもので、「どうやって一国の政治を担っていったらいいのかについて、真っ当な知見というものを明確に持ち、かつ、それなりに智慧のあった人物というのは、実はこの時代、光秀しかいない」と小名木氏は語っている。

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最後に、上掲の放知技で飯山さんが以下のように語っているので再掲しておこう。

義経が中国に渡って「蒼き狼」チンギス・ハンになった話は,信じられないが…
「南光坊天海大僧正=明智光秀」 ← この説は,信じましょう夜!>亀さん www


このように、飯山さんに〝説得〟されてから四年半が経過したが、飯山史観を纏めている身であるのにも拘わらず、未だに明智光秀=天海説に納得できない自分がいる。より正確には、「飯山さんや明智憲三郎氏の明智光秀=天海説に傾きつつある」と言い換えた方がいいのかもしれない。

そのように考えるようになったのも、この四年半の間に様々な史料を漁りつつ、江戸時代の実態が朧気に見えるようになったからであり、このような時代の基礎を築ける者は、今のところ光秀しか思い浮かばないからだ。ともあれ、明智光秀=天海説について最終的な決断を下すにあたり、もう少し時間をかけたいと思う。

【追記】
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上掲書は明智光秀の子孫が著した本だが、同書に対しては厳しいレビューが目立つ。例えば・・・
贔屓の引き倒しでしかない
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「歴史を学ぶ」というハンドル名で、上掲のレビューを書いた人物の他のレビュー(42冊)をサーッと眺めたところ、かなりの歴史通、殊に安土桃山時代について多くの書籍に目を通していることが分かる。「歴史に学ぶ」氏のレビューを参考に、世の中に多く出回っている明智光秀関連本を選択し、紐解くといいだろう。