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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
天性の歌声
映画「あやしい彼女」で披露された多部未華子の歌、まさに天性の歌声と呼ぶに相応しく、特に感動したのが「悲しくてやりきれない」だった。


悲しくてやりきれない

それ以外にも同映画で多部は、「見上げてごらん夜の星を」、「真っ赤な太陽」、「帰り道」を歌っており、それらはすべてUta-Netで楽しむことができるので、一度アクセスしてみるとE-。特に、まほろば会の仲間は「見上げてごらん夜の星を」のシーンで、〝山浦嘉久〟さんが登場しているので、さぞかし驚くことだろう・・・。

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ところで、クラシック。「厳選クラシックちゃんねる」というYouTubeのチャンネルがあり、クラシックをメインにしていることから、小生お気に入りのチャンネルの一つだ。たとえば・・・


J.S.バッハ【生涯と名曲】意外と知らない?クラシック音楽界の大巨匠の人生と名作を解説(G線上のアリア/平均律クラヴィーア/マタイ受難曲など)

旧ブログでクラシックについての記事を書いたこもがある。
クラシックのすすめ

クラシックと言えば、最近は歯科&音楽ウォッチャーさんからの便りがない。元気でいるとは思うが、そろそろ新しい便りを送って欲しいところだ。そのウォッチャーさんとメールでやり取りしていた時、JINMOさんの「精神核」が話題になったことがある。小生はブログで以下のように書いた。

気になるのはウォッチャーさんの以下の言葉…

もう一人。大事な共演者が、見えないところにいる

咄嗟にJINMOさんの最新記事(『みち』9月15日号)を思い出した。いつの日か、JINMOさんとウォッチャーさんを引き合わせてみたい…。どのような音楽論が飛び出すんだろうかと、今からワクワクする。

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精神核


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心のしがらみ
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2月1日に発売された『ザ・フナイ』(3月号)に、安西正鷹さんの「時間とお金の関係を読み解く」シリーズが掲載された。自動車の大量生産方式(フォード・システム)と、チャップリンの映画「モダン・タイムズ」を取り上げたもので、小生は半年ほどだったがホンダの狭山工場で、自動車組立ラインを経験していたこともあり、安西さんの新記事を貪るように読んだ次第である。以下は、米国メーカー「フォード」についての安西評だ。

「作業の標準化」と「ベルトコンベア・システム」を核として、「フォード・システム」は生産効率の著しい向上を実現し、大量の自動車を低コストで生産することを可能にしました。


一方、この大量生産システムには負の面もあり、安西さんは「人間疎外」という言葉を用いていた。日本の自動車工場の実態については、鎌田慧氏の著した『自動車絶望工場』(講談社文庫)に詳しい。

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ところで、大量生産システムの負の面を、如実に示した映画を安西さんは紹介している。それは、チャップリンの映画「モダン・タイムズ」だ。


チャールズ・チャップリン ~ モダン・タイムス | Modern Times 1936年 ‧ ドラマ/コメディ

安西さんは同映画について、以下のように評している。

1936年に制作されたこの喜劇映画は、チャップリンの代表作のひとつであり、彼自身が監督・製作・脚本・作曲を担当しました。資本主義社会や機械文明を題材にした作品で、労働者の個人の尊厳が失われ、機械の歯車のようになっている世の中を笑いで表現しています。


このチャップリンだが、以下の動画に注目していただきたい。


【今、世界はどうなっている?】林千勝×水島総 第3回「ロスチャイルド家の手練、コロナとチャップリンのプロパガンダ戦略」[桜R3/6/19]

チャップリンの裏の素顔が分かり、実に興味深い動画だと思う。

最後に、掲示板「放知技」の常連の一人である、mespesadoさんの最近の投稿を取り上げておきたい。
https://grnba.bbs.fc2.com/reply/17332230/248-249/

特に、248の以下の結語は注目に値しよう。

 「新しい時代が来る」とは、既に物理的には可能になった現代において、

あとはその「心のしがらみを捨てる」ことができたとき、現実にもそれが可

能になるわけで、その「心のしがらみを捨てたとき」が、イコール「新しい

時代の到来」ということに他ならない。


mespesadoさんの謂う「心のしがらみ」とは、どういうことか? 放知技でmespesadoさんの投稿を追ってきた読者なら、詳しい説明は不要かと思うので割愛するとして、mespesadoさんの過去の投稿を読んだことのない読者は、以下のmespesadoさんの講演ビデオを一度観ておくことをお勧めしたい。そうすれば、朧気ながらもmespesadoさんの謂う「心のしがらみ」とは何かが分かるはずだ。


mespesadoさん講演録「本当のオカネと経済の話 」

【チャップリン追加情報】

【林千勝先生㊶】麻〇太〇は現代の松方正義?チャップリンの正体

花の銀座
先週末の土曜日(6月20日)、まほろば会に久方振りに顔を出した(最後に出席したのは、東京一郎会のあった昨年の7月20日)。今年二度目の上京だったのだが、前回は1月21日、千葉県市原市に行った時で、東京は通過しただけだった。しかし、当時は東京都の外出自粛前だったこともあり、マスク姿の人は殆ど見かけなかったのを思い出す。しかし、今回は道行く人たちの殆どがマスク姿であり、久方ぶりに上京した自分には大変異様な光景に映って見えた。だから、コロナ禍以降における日本人の日常行動が、大きく変化をしている様が手に取るように分かったものである。ともあれ、まほろば会の会場が池袋から銀座に変更されたのは昨年末、だから、初めて銀座で開催されるまほろば会に出席したことになる。

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歌舞伎座

会場のある建物の前に到着し、ふと来た道を振り返ると、歌舞伎座の正面玄関が目に飛び込んできた。一度は歌舞伎を鑑賞したいなぁと思いつつ、会場のある建物の方に振り向き、中に入ってエレベーターを待っていると、池袋時代からの古友、高橋さんが建物に入ってきたので一緒に11階へ向かった。到着するとJINMOさんの奥さんが、「(嬉しそうに~)あっ、亀さん、お久しぶり!!!!!!!!!!」と、温かく迎えてくれたのだった。そして、誰一人マスクをしている者はいない…。漸く、コロナ禍以前の世界に戻れたので、ホッとした次第でR。

池袋時代の会場の場合、世界戦略情報誌『みち』の編集室で行われていたこともあり、いつも四方を取り囲む本や雑誌に圧倒されていたが、銀座の新しい会場は、ミュージシャンのJINMOさんの根城というだけあって、意外と室内はすっきりとしており、また外からの日差しも明るくて、池袋時代と違って開放感に満ち溢れ、寛げる空間が広がっていたのは嬉しかった。むさくるしかった池袋とは大違い(爆)。

高橋さんに誘われて早急に早速テーブルの席に腰を下ろし、ワインを飲み始めて開始を待った。大分酔いも回って心地良くなった頃、全員が起立、神棚に向かって二礼二拍手一礼。次に、まほろば会謹製「大祓祝詞」を全員で奉読、その後は初参加者による教育勅語の奉読、マリアさんによる和歌講話の後、安西正鷹さんの講話が数時間にわたって行われた。その後は神棚に供えた御神酒を金杯(本物の 24KGP!!!!)に注ぎ、全員で「弥栄」。後は和やかな直会《なおらい》と続いた。猿都瑠さん特製のカレー、流石は料理のセミプロフェッショナルだけあって、実に美味であった。


池袋時代のように、安西さんの講話はお金の話になるのかと思っていたら、安西さんが主テーマに選んだのはコロナウイルス。今後は暫く武漢ウイルスの話になるとのことで、今回は第一回目としてコロナウイルスの総括的な話となった。実に多岐にわたるコロナウイルスの話の中で、特に印象に残ったのが安西さんの結語であった。

 「意識が現実を創る」ことは、妄想でも迷信でも、単なる希望的観測でもない。それは量子力学というれっきとした科学の法則であり、森羅万象に等しくはたらく宇宙の法則でもある。恐怖や不安という重苦しくて波動の低い意識は、病気を創り出すもとになる。「病は気から」という諺は、先人がこの宇宙の法則を十分理解していたことの証であり、彼らが体得した英知を後世に語り継ぐために編み出した言葉である。

 感染予防やワクチンの開発といった物理的な解決手段を見つけることは、確かに大切である。しかし、それ以上に我々の意識変革の方がもっと重要だ。そこでカギとなるのが、恐怖を克服することなのである。

我々の良心がこの恐怖に打ち負かされてしまう時、身体や精神の抵抗力(免疫性)は極端に低下し、変性したウイルスのなすがままになってしまう 。せっかく「神の見えざる手」に守られていながら、自分でわざわざウイルスを凶暴化させることほど愚かなことはない。逆にいえば、ウイルスに感染しても己の恐怖心に打ち勝つことが出来れば、重症化や死に至ることはない。

 「恐怖に負けない」とは、無理に強がることではない。平常心を保ち、「自分だけは助かる」などというエゴと傲慢さも持たず、常に備えをし、出来得る万全を尽くして、自の良心に従って生きることである。

いま、世界中が金融バブルならぬ「恐怖バブル」で満ち溢れている。私は何も、恐れを 抱くこと自体がいけないと言っているのではない。恐怖は、自分の肉体的生命が危険に さらされていることを未然に察知し、その危険から逃れるために必要な感情であり、人間の本能として備わっているものだ。今回のコロナ騒動で人々が不安と焦燥に駆られるのも、生物としてはごく当たり前の反応である。だが、多くの人々は、本当に怖がるべきことを怖がらず、的外れな恐怖感を抱いてている。そして、杞憂が度を超すあまり必要以上に怖がり過ぎている。そこが問題なのだ。

 「恐怖と不安の克服とそこからの脱却」。今回のコロナ騒動はわれわれに、人々が先送りしてきた積年の課題の総決算を求めている。それなくして、我々は新文明建設の担い手となることはできない。


【追記01】
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船井総合研究所が出している『ザ・フナイ』に、安西さんの「お金」シリーズが長年にわたって掲載されている。安西さんの処女出版となった『お金の秘密』(成甲書房)をベースにしたもので、『お金の秘密』については拙ブログでも時折取り上げているが、書店に寄ることがあれば一度手に取っていただきたいと思う。そして、『ザ・フナイ』の連載も、いずれ一冊の本になることを期待したい。

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【追記02】
掲示板「放知技」でも、武漢ウイルスについて多くの意見が交わされている。特にお勧めは、ハリー・今村先生主催の「気が向いた時に有益そうな健康法を語るスレ」で、ほぼ連日のように今村先生の貴重な投稿が続いているので、一度アクセスしていただければと思う。

【追記03】
アメリカの外交専門誌『The National Interest』は、『Foreign Affairs』と並んでアメリカの二大外交専門誌の一冊だ。その『The National Interest』に最近、プーチン本人の筆による論文が発表された。内容的には、第二次世界大戦についての欧米史観を否定するもので、プーチンらしい格調高い論文である。今回の上京にあわせ、小生は論文をコピー、電車の中で貪るように読んだ。
Vladimir Putin: The Real Lessons of the 75th Anniversary of World War II

まほろば会で新しい参加者が教育勅語を奉読していた時、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」を耳にし、プーチン論文の以下の行が咄嗟に脳裏に浮かんだ。

This is why I am confident that one of the characteristic features of the peoples of Russia is to fulfill their duty without feeling sorry for themselves when the circumstances so demand. Such values as selflessness, patriotism, love for their home, their family and Motherland remain fundamental and integral to the Russian society to this day. These values are, to a large extent, the backbone of our country's sovereignty.


【追記04】
アフターウイルスについて語り合っていた時、食糧危機に見舞われる恐れがあり、最悪の事態に備えようとJINMOさんが語っていた時、参加者の一人が「水の確保」について質問してきたので、小生は拙ブログで紹介した『冒険手帳』の一読を勧めている。
え、ベストセラー第1位…?

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読者におかれても、万一に備えて食糧の備蓄を検討するとよいかもしれない。上掲の『冒険手帳』が参考になるはずだ。

また、拙ブログで「サバイバル」シリーズをアップしているので、気になる読者に一読していただけたら幸いだ。

サバイバル - 準備篇その1
サバイバル - 準備篇その2
サバイバル - 準備篇その3
サバイバル - 準備篇その4


忘れるところだったが、もう一冊紹介すべきサバイバル本がある。それは、『飯山一郎の世界の読み方、身の守り方』で、同書を推薦する理由は、拙稿「若者への遺言」に書いた。

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【追記05】
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六甲山
本日発行の世界戦略情報誌『みち』の校正を手掛けていたところ、村上学さんの深層潮流シリーズ第18話、「神戸の街と六甲山」に目が留まった。村上さんは六甲山について以下のように書いている。

六甲山の南側には、神功皇后が三韓征伐の帰途に直接指示して作らせたとされる長田神社、生田神社、住吉神社が並んでいる。光輝く禿山の南側に、まったく違う祭神の神社を三つ並べた理由は、神功皇后の大切な身内の中に、祀る神を異にする違う民族が三つあったということを意味する。どの民族も大切にする証として、それぞれの神を同等に扱ったのだ。そうすれば三つの民族はここにルーツを感じて争い事は絶対起こらない。ヒッタイトが支配地の民族をコントロールしたのと同じである。
世界戦略情報誌『みち』(令和二年六月十五日号)p.3


「ヒッタイトが支配地の民族をコントロールしたのと同じである」という記述から、咄嗟に連想したのが、ヒッタイトと日本が遠祖を一にしているツランである。拙稿「天武天皇 14」でも、ヒッタイトについて言及した記事を引用している。

大量に鉄を生産して強大な覇権を建てたのがヒッタイト、スキタイ、そして突厥だった。彼らはいずれも、古代ミヌシンスク文明の影響下にあり、いわばツランの末裔たちだった。
世界戦略情報誌『みち』(令和二年一月十五日号)p.1


同時に、「三つの民族」、あるいは「どの民族も大切にする」という村上さんの記述は、最近書いた拙稿「貴族の時代 03」を彷彿させるものがあった。

これは、日本列島に住む人たちが、彼らの中から一人だけ長(おさ)を選び、長以外の全員が「平等」であるという社会を、世界で唯一実現した国だったことを意味する。要するに、階級(身分)制度や奴隷といったものが、日本列島には生じなかったということ。これが、武田氏が言う所の世界唯一の「平等」の国として、日本列島を挙げる所以である。


「ヒッタイト」以外に、小生が注目したのは「石屋」という言葉である。

神功皇后の頃に、巨大な石の切断や加工が必要な用途としては、古墳や石棺くらいしか思い浮かばない。日本の伝統的な建築様式は、伊勢神宮がそうであるように、掘立柱を四方に立てた木造の米蔵建築である。ピラミッドや石造りの宮殿は無かったのではないか。石の文化は日本には無かったことになっている。

石の文化は無くても、なぜか石屋の文化は古代から存在していて、今に引き継がれている。

世界戦略情報誌『みち』(令和二年六月十五日号)p.3


この「石屋」という言葉から、舎人学校での栗原発言を小生は思い出した。舎人学校とは、まほろば会とほぼ同じメンバーが集い、皇室情報に詳しい栗原茂さんを囲んで、月に二回のペースで開かれていた会合である。幸い、「ヒッタイト」と「石屋」に関する、栗原さんの発言メモ(2010年12月22日)が残っていたので、以下に一部引用しておこう。

・ヒッタイトと云えば、鉄である。しかし、現代科学が懸命に取り組んでいるのにも拘わらず、未だに解明されていないのが鉄という金属だ。鉄民族たるヒッタイトは、今までの青銅文明を壊して直ぐに消え去ったのは何故なのか…。

・ベネチア、ツラン、日本は三つ巴。(日本国内に目に見えぬベルリンの壁あり)

・草原の道をつくったのは、紀元前800年代のスキタイであり、日本ではサンカと呼ばれている民族である。彼らは天皇の墓つくりのプロ集団であった(石屋)。→ 現在の北鮮をつくったのが、日本のサンカである。


村上説では日本に鉄を持ち込んできたのがヒッタイト、栗原説ではスキタイという違いがあるにせよ、どちらも遠祖がツランという点で共通している。拙稿「天武天皇 14」でも紹介した、以下の記事を思い出していただきたい。

大量に鉄を生産して強大な覇権を建てたのがヒッタイト、スキタイ、そして突厥だった。彼らはいずれも、古代ミヌシンスク文明の影響下にあり、いわばツランの末裔たちだった。
世界戦略情報誌『みち』(令和二年一月十五日号)p.1


因みに、拙稿「蘇我一族 04」で栗本慎一郎の本から、スキタイについての行を一部引用している。

蘇我氏や聖徳太子はおそらくは、一般にスキタイと呼ばれる遊牧民の特定の一角にあった人たちでミトラ教的価値観を持つ人たちであった。
『シリウスの都 飛鳥』p.3


蛇足ながら、上掲の村上稿に「出雲」、「伊勢」といった言葉が登場しているが、上記の2010年12月22日の舎人学校でも、やはり出雲や伊勢についての栗原発言があった。今回の主テーマとは外れるので、以下に当時のメモに挟んでおいた二枚のイラストのみを以下に掲示しておこう。

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それから、村上さんの「六甲山」で思い出したのが、六甲山系の金鳥山、そしてカタカムナだ。旧ブログでも「謎のカタカムナ文明」と題する記事を書いている。

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久しぶりに『謎のカタカムナ文明』(阿基米得著 徳間書店)を紐解くと、第Ⅰ章「カタカムナ文献とは何か?」の冒頭が、以下の記述で始まっていた。

樋口清之氏も調査した金鳥山
 本書で論ぜられるであろうテーマの直接の起源は、槍崎皐月が兵庫県六甲山系の金鳥山近くの山中で体験したひとつの事件にあるとされている。この金鳥山は、高級住宅街として知られる阪急沿線の芦屋と岡本のちょうど中間あたりに位置する標高五百メートルの低い山で、一見したところ、この幻想小説じみたストーリーの舞台としては、はなはだふさわしくないようにも思われる。

 しかし、山の中腹には保久艮神社があり、平安時代に編纂された『延書式』の「神名帳」にも掲載されていることからすれば、いずれ由緒ある古社にはちがいない。この神社の社殿をとりまいて、巨石を環状に配置した遺跡が鎮座している。いわゆる〝磐境〟である。

 それは社殿などの形式が現われる以前の、神道の原初的段階における祭祀形式とされており、戦前には現国学院大学の教授、樋口清之氏も実際に調査にあたったことがある。また磐境の周辺からは銅鉾が、境内や山中からは土器や住居跡が発掘されており、いずれも弥生時代のものとみられている。

磐境については、単なる原始神道的な遺跡というよりは、何らかのオカルト的パワーと密接な関係があるとする確信が、一部のエキセントリックな郷土史家たちの間には根強くあるようで、なかなか意味深長であるとこじつけられなくもない。

 昭和二四年の一二月から翌二五年の三月にかけての六四日間、樽崎皐月は助手の青年数名とともに、この金鳥山中の狐塚とよばれる塚の近くに穴を掘ってこもっていたという。それは「大地電気」の測定という研究目的のためであった。

 ある夜のこと、彼らは一人の猟師の訪問をうけた。猟師は鉄砲をガチャつかせながら、恐い顔をしてこう言った。

「お前たち、なんのためにやって釆たんだ? 泉に妙なものを仕掛けるから森の動物たちが水を飲めなくて困っているじゃないか。すぐに取り除け。それから狐は決して撃つんじゃない。兎ならあるから、ホレくれてやる」と腰に下げたものを投げだして行ってしまった。「妙なもの」とは微動量検出のために取りつけた装置である。槍崎は言われたとおりに装置を撤去した。

 つぎの夜、またも猟師は現われた。今度はすこぶる上機嫌。

「お前さんたちは感心だ。穴居しなければ本当のことはわからんもんだよ」

とほめた上、お礼にと古い巻物をとり出して見せてくれたのである。それは江戸時代の和紙に筆写したとみられ、八〇個の渦巻状に、丸と十字を基本とした図象が記されていた。

『謎のカタカムナ文明』p.21~22


上掲の引用文にある猟師こそが、あの平十字(ひらとうじ)である。もしかしたら、平十字は村上さんのいう「祀る神を異にする三民族」のうちの一民族の末裔だったのかもしれない。

最後に、今回の村上稿で最も注目したのが、「神功皇后は三韓貴族の出身」という記述だった。当時(古墳時代)は朝鮮半島から続々と豪族が日本列島に渡来していた時代であり、神功皇后が三韓貴族の出身だったとしても不思議ではない。否、三韓貴族の出身だったからこそ、新羅征伐に半島へ乗り込んだということになろう。

なを、神功皇后時代を遡った話になるが、百済、高句麗、新羅が建国される以前の前三韓について、拙稿「天武天皇 09」で触れているので、再読していただければ幸いである。

無文字社会
掲示板「放知技」の「奇人と愚人の『座敷牢』」というスレッドで、パパリンさんという人の投稿をきっかけに、いつも楽しみにしていたスケベーな投稿が脇に追いやられ、ナント、〝高尚〟な芸術論が熱く展開中… (@_@)

これわ、パパリンさんが陶芸家の田崎太郎氏について取り上げたところ、オマンゴロウさんをはじめ、虻 soluteさん、出世外人さんといった、放知技の常連さんが自前の芸術論を展開するつう図になったワケだが、そんな中、>>291で岡本太郎が登場、ふと思い出したのが飯山さんの以下の記事だった。
文字・国家をもたない縄文人が形成した
地球規模の壮大なネットワーク空間のこと


岡本太郎と言えば、読者の脳裏に浮かぶのが火焔土器だろう。飯山さんは岡本太郎について、以下のように述べている。

「芸術は爆発だ!」の名セリフを残した日本を代表する前衛芸術家岡本太郎が、日本における唯一の優れた芸術と賞賛したのは「火焔土器」と呼ばれる縄文時代中期の土器であった。

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確かに、レヴィ・ストロースではないが、フランボワイヤン(燃え立つ炎)のように見えないこともない。しかし、京都造形芸術大学の石井匠氏は、以下のように書いているのだ。

 考古学者たちは、この不可思議なモノを「火焔土器」と呼んでいる。この異様な形と文様に、燃え立つ炎のイメージを重ねたのだろう。岡本太郎もまた、この土器に根源的な美をみたのだが、彼が想起したものは「火炎」ではなかった。太郎の秘書であり、養女でもある岡本敏子は生前、こんなことを私に言っていた。

 「岡本太郎さんはね、『火焔土器は深海のイメージだ』と言ってたのよ。」

 「深海ですか?」

 「そう。『縄文人は深海を知っていたんだ』ってね。」

火焔土器のイメージ


岡本太郎が縄文土器から想像したのは「火炎」ではなくて「深海」…。石井氏が岡本太郎の身内から聞いたのだから間違いないのだろうが、もしかしたら、それは深海ではなくて「心界」あるいは「神界」」だったのかもしれないと、愚生は愚考するのでR。まぁ、それはどちらでもよい。むしろ小生が注目したのは飯山さんの以下の言…

ここで注目すべきは、1万年以上もの間、豊かで高度な文明を花咲かせた縄文人は文字を持っていなかった、 ということである。しかも縄文文化は、日本列島のあらゆる地方に伝播して展開されたのである。エジプトのナイル文明にしても、中国の黄河文明にしても、チグリス・ユーフラテス文明にしても、いずれもがせいぜい5千年足らず。これに対して縄文文化は、実に1万年以上も継続して繁栄したのだ。しかも、くどいようだが文字はなかった。文字がないのに何故に高度な文化が広範囲にいきわたったのかという疑問は、ピラミッドがどのようにして作られたのかといった謎の比ではない、世界の文明史上、最大の謎であろう。謎のスケールがちがうのだ。


そこから、飯山さんは縄文文化が日本列島を基点に、広く環太平洋一帯に伝播していった話を展開しているのだが、このあたりは小生も以下の拙記事に書いたので、関心のある読者に一読していただけたら幸いだ。
海上の道
海上の道 02

それにしても、「文字がないのに何故に高度な文化が広範囲にいきわたったのかという疑問は、ピラミッドがどのようにして作られたのかといった謎の比ではない、世界の文明史上、最大の謎であろう」という飯山さんの疑問、小生も時折だが無文字社会とは何だったのかと考察したことがあり、上記の「海上の道」でも川田順造の著した『無文字社会の歴史』を紹介したほどで、改めて同書を再読してみたいという思いに駆られた。

思えば、先日(5月1日)に体験したJINMOさん斎行の寄絃乃儀も、言葉や文字は一切なく、すべて神岩が奏でる神音であった。このあたりに、無文字社会すなわち縄文時代を解く鍵が潜んでいるような気がする。そのJINMOさんと昨年の暮れに初めてお会いした時、世界戦略情報誌『みち』に言霊について執筆すると約束してくれたが、言霊について連載を開始した時に、明快なJINMOさんの答えを知ることができるかもしれない。

空間知性体と古事記
先日、「天上界の音」という拙稿をアップしたが、先ほど読み返してみたところ、二点ほど追記したいテーマが出た。それは「空間知性体」と「ふることふみ」(古事記)である。

■空間知性体
空間知性体とは何かということだが、最初に地球外知的生命体から考えてみよう。我々の銀河系だけで二千億もの恒星があることは承知の通りだが、そうした銀河系のような銀河が我々の宇宙には、これまた千億もあるとされている。ともあれ、銀河系だけでも二千億の恒星ということは、地球外知的生命体が我々の銀河系だけに絞っても、ほぼ確実に存在しているはずだし、NHKの「コズミックフロントNext」シリーズの一つ、「どこで会う!?地球外生命体」でも同様なことを述べている。

次に、それなら空間知性体とは何かということだが、世界戦略情報誌『みち』(平成31年4月15日号)に載った、JINMOさんの記事(p.15)からその定義を引用しておこう。

すでに物質的ハードウェアを捨て去った地球外知的生命体


要は、肉体から離れた知的生命体のことを指しているのだったが、小生は死後の世界や輪廻転生などについては、この世で一度も体験していないので、「そんなものがあるかどうか、分からねぇ」と、専ら答えるしかない。だが、一方で人智の及ばぬ世界があるだろうと、心の何処かで感じているのも確かだ。

さらに、JINMOさんは空間知性体について、以下のようなことも述べている。

神、仏、霊……、様々な呼ばれ方はするが、古今東西、あらゆる時代のあらゆる文明で、ヒトがその存在を、例え知覚できないとしても否定せずに、肯定的に期待し続けている超越的存在。


これは、小生が時々用いる「霊性」と重なるところが多い。この霊性と空間知性体について、今後取り上げていく予定である。

■古事記
次に「ふることふみ」(古事記)。令和初日、JINMOさんが斎行する寄絃乃儀の前に、八幡書店の武田崇元社長らの挨拶があった。そうした挨拶の中で古事記という言葉を耳にした時、思わず背筋を伸ばしたものである。細かい話の内容は忘れたが、幾つか印象に残る話があった。

古事記序
古事記の中で「序」が最も大切であるという主張があったが、その通りだと思う。2010年5月20日に行われた第45回目の舎人学校で、栗原茂さんも以下のようなことを述べている。

『ふることふみ かみよのまき』の「古事記序」に、「時に舎人有り、姓は稗田名は阿禮、年是廿八」の行がある。ここでいう28とは年齢のことではなく、稗田阿禮のような音による伝承者人28名のことを示す。なを、「古事記序」はシャーマン風の読み方でないといけない。


毎晩風呂の中で古事記を暗誦しているが、時折シャーマニズムについて思うこともあり、ある意味、これは空間知性体に向かう道程なのかもしれない。空間知性体とシャーマニズム、今後も思うところがあれば取り上げていきたい。

成ると鳴る
古事記の上巻(ふることふみ かみよのまき)の冒頭は、「天地の初發の時、高天原に成りませる神の名は…」で始まる。幸田校訂では「成る」となっているが、それは「鳴る」であるとの主張であった。なるほどと思った。ただ、「なる=鳴る」というのであれば、同行にある「並獨神成りまして、身を隱したまひき」を、「並獨神〝鳴りまして〟、身を隱したまひき」にすると、どうも文脈が合わないのが気になるが、これは今後の研究課題としよう。

【追記1】
最近見た銀河系関連の番組で優れていたと思ったモノ。
あなたと宇宙を結ぶストーリー 銀河大衝突
映像詩 宮沢賢治 銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~

【追記2】
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古事記序(幸田成友校訂)

【追記3】
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世界戦略情報誌『みち』(平成31年4月15日号)に掲載された、「精神核について 4」


天上界の音
令和初日、生石神社(兵庫県高砂市)にて斎行された寄絃乃儀に参列してきた。天上界の音、すなわち神人一如を体験をしたいと思ったからだ。ここで、本稿の最後に転載した寄絃乃儀を斎行したJINMOさんの筆による、「寄絃乃儀と天乃浮」(世界戦略情報誌『みち』に連載)に、以下のような記述がある(同誌平成30年12月1号)。

●実行委員会の嶋谷一也氏が私に言った。

「演奏が始まってすぐ、天乃浮石の遥か上空に、四つの明るい発光体が長時間に渡って浮遊しているのが、明確に視認できた」


これは、昨年の11月3日に生石神社にて斎行された、薪奏に参列した嶋谷一也氏の言である。しかし、本当に「四つの明るい発光体」を自分も視認できるのか、神人一如とでも呼ぶべき体験を、自分もできるのだろうかと思いつつ生石神社へと赴いたわけである。

残念ながら、会場が屋根で覆われていたため、天空を仰ぎ見ることはできず、嶋谷氏の言うところの四つの明るい発光体は視認できなかった。代わりに、INMOさんの奏でる音に、全神経を集中するように心がけた。やがて、恍惚とした状態に陥った。しかし、時々前に座る参列者らが焚くストロボで、現実の世に引き戻されることしばしば…。そうこうするうち、周囲から拍手が起こり、終演したのだということを知った。

せっかくここまで足を運んだのだからということで、同行者の猿都瑠さんと神前に進んだところ、『みち』の天童竺丸編集長の姿があった。声をかけたところ、促されたので二礼二拍一礼を行った。すると、天童さんが神岩の周囲を案内してくれ、神岩が奏でる音の神秘について詳説してくれたのである。このあたりは、やはり本稿の最後に転載した、JINMOさんの三回にわたる「寄絃乃儀と天乃浮」に目を通すといいだろう。

神岩を回った後、天童さんからJINMOさんを囲んでの直会があるので来いと誘われたのだが、残念なことに既に神戸市に宿を予約していた上、終電に間に合わないこともあって辞退し、JINMOさんにもお礼の言葉を述べ、会場を後にした。神戸の宿に向かう途中、時折だが脳裏に浮かんだのが霊性であった。神戸に到着して宿の温泉で疲れを癒した翌日、産経新聞の以下の記事が目に飛び込んできた。確実に、前稿「令和最初の日」の通りに世界は動いている…。

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■即位後朝見の儀における天皇陛下初のお言葉(全文)

日本国憲法および皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。

 この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。

 顧みれば、上皇陛下にはご即位より、30年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御(み)心をご自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯(しんし)に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。

 ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽(さん)に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。



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 現界巫女3名については、以下のJINMO稿参照。

 塀の中の懲りない面々…、ではなくて「まほろば会」の面々。

 直会、出たかった…。

 小生は左側の奥で天上界の音に聞き入っていたが、幻想的な一夜であった。

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神の正体
過日の放知技で旧ブログ記事「生命の設計図」を紹介したが、久しぶりに世界戦略情報誌『みち』の天童編集長の玉稿を再読し、改めて神とは何かという長年の疑問に思索を巡らせた次第である。その天童編集長の玉稿だが、神の正体について考える上で重要な足掛かりになると判断したので、本稿の最後に再掲しておいた。

亀さんが神とは何かについて思索を巡らすことを始めたのは、自殺をしようかとまで思い詰めた二十代前半だったと思う。

筆者は二十代のはじめ、人生に行き詰まって自殺を考えていた一時がありました。そんなおり、ニューヨークの日本レストランで一緒に働いていた友人の地元、群馬県沼田市の実家に数日泊めてもらい、その間に友人に尾瀬ヶ原を案内してもらったことがあります。季節は5月連休直前だったと記憶しています。車で大清水に到着した時は未だ辺りが真っ暗闇でした。車から降りて徒歩で尾瀬ヶ原に近づくにつれて、周囲も明るくなり始めたものの、依然としてあたりは濃霧に包まれて何も見えませんでした。やがて、嘘のように霧が晴れると、目の前には雄大な尾瀬ヶ原の大自然が忽然と姿を現したのです。その時、まさに人智を超越した「ある存在」を感じ取りました。
『真贋大江山系霊媒衆』

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雪雫 早春の尾瀬ヶ原


爾来、神とは何かについての自問自答が始まったのである。神についての思索の変遷については別の機会に譲るとして、ここでは天童編集長の記事「生命の設計図」について、思うところを簡単に書いておこう。

渡辺の所見でもなければ、藤井や筆者(亀さん注 栗原茂)の見解でもなく、悠久の時間を刻む空間の中に身を浸した者のみに運ばれてくる情報であり、言葉を換えて言えば、その情報こそが神なのである。


上掲の記述を久しぶりに目にして、改めて二十代前半の尾瀬ヶ原での体験が、「悠久の時間を刻む空間の中に身を浸した」第一歩になったのだと分かる。尤も、当時は「神=情報」だとは思いもよらなかったし、上掲の天童稿を読んだ時もピンと来なかったというのが正直なところだ。その後も幾度か思索を重ねてきたが、未だに情報=神ということに納得ができないでいる自分がいる。このあたり、天童編集長も以下のように書いていた。

「本義の時間と空間に刻まれる情報が神の正体である」と言われても、難解すぎてすぐには理解できない。ここに使われている「情報」という言葉からして、われわれが普段使っている内容とは違う意味を孕んでいるようである。


天童編集長の言葉にあるように、栗原さんの謂う「情報」が、「われわれが普段使っている内容とは違う意味を孕んでいる」ことだけは確かのようだ。そしてつくづく思ったことは、栗原さんの謂う「情報」、これは頭で理解しようとしても土台無理な話のようで、やはり身体全体で識るか感じ取るしかないのだろう。

また、天童稿には以下のような記述もある。

渡辺格七三歳と出会うのは同年秋、場所は藤井尚治六八歳が瞑想を行なう所で、およそ二時間の坐禅の後に約二時間の鼎談が続いた。


天童稿に登場する藤井尚治博士については、拙ブログでも幾たびか取り上げているので、藤井先生の人となりについては割愛するが、瞑想・座禅という言葉から脳裏に浮かんだのは、NHK番組「こころの時代」の「唯識に生きる」シリーズ(全六回)であった。一応録画してあるので、近くじっくりと観るつもりである。

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しかし、天童稿を読み進めていくうち、栗原さんの謂う「神=情報」の「情報」に一歩近づく手段の一つが、言霊を識ることではないかと思った。そう思うに至ったのは、天童稿の以下の記述にある。

 栗原さんの日ごろの教えは、言霊の考えこそが現代科学を乗り越える鍵であるというものだが、日本語の一音一音に意味があることにやっと気づいた私としては、言霊について一知半解の言辞を連ねることは差し控えて、後日に期すというほかない。


この行を読み、日本語に関する以下の天童稿や、書架に眠る数冊の言霊に関する書籍を再読するべきだなと痛切した次第である。
北満州と日本列島 04 日本語の源流
ハンガリーと日本 「膠着語」「孤立語」「屈折語」、それぞれの違いについて
乳酸菌と漫画 日本語特有の擬声語(西洋で云うオノマトペとは異なる)

ところで、天童稿にある「悠久の時間を刻む空間の中に身を浸した者のみに運ばれてくる情報」という行を読むに及んで、思い出したのが過日の放知技で紹介したJinmoさんの言葉だ。

藤原氏のこの断言を耳にした時、電撃的直感で、「岩戸」という言葉の持つ言霊が、播州の生石神社の御神体天乃浮石と連結し、氏の言葉に布置(Konstellation)されたものを見出していた私だった。神々を再臨させ、神々による現実的な霊的関与によってこの地上の秩序回復を求める儀式を斎行すべき場所が曙光に照らし出されたかの様な思いに駆られたのだ。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16074479/430/

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さらに、昨日届いた『みち』の「寄絃乃儀」で、今年の五月一日にJinmoさんが挙行する、「地上の秩序回復を求める儀式の斎行」について、生石(おうしこ)神社の東久祠宮司が以下のように断言したとある。

宮司として断言いたします。その時、必ずや神がここに降り立ちます。


宮司の断言に対して、Jinmoさんは以下のように書いているのだ。

東久祠宮司の予言は必ずや成就する。


生石神社に神が降り立つのを体験できるのであれば、これは己れの人生にとって最初にして最後のチャンスになるのでは、という予感がしてきた。そこで、同神社の儀式の斎行に臨席できるかどうかを確認するため、天童編集長に幾度か電話したが、話し中のため通じない。多分、15日に発行された『みち』に同封されていた、Jinmoさんの「声明文」についての問い合わせが殺到しているのだろう。そこでメールを先ほど送信したのだが、何等かの回答があったら、次稿あたりでJinmoさんの「声明文」について紹介しよう。

巻頭言 栗原茂「生命の設計図、それが神である」 天童竺丸
●分子生物学者の渡辺格さんが「生命の設計図は遺伝子の構造の中にない」と言われたことについて本欄で少しく考えを記したところ、同志の栗原茂さんから「渡辺格さんと直接会って話をした」と教えられた。聞き捨てならぬことである。

 それについて、ぜひとも栗原さんにじっくり話を聞きたいものだと願っていた矢先、何と栗原さん自ら渡辺さんとの話を踏まえ「生命の設計図はどこからくるか」という問題について一大論文を書き上げ贈って下さった。

 それはA4判用紙に一行四一文字、一枚四〇行の体裁で書かれ、全体では前文を含めると一六頁になる。ざっと計算しただけでも、原稿用紙にすれば六〇枚以上にも及ぶ、大へんな労作である。それも、先の巻頭言を読まれてからほとんど時間の経たない内に届けて下さった。一気に書き上げられたもの思われる。

 おそらくは拙文の隔靴掻痒的な稚拙さとズバリ的に迫れない逡巡とを見るに見かね、自ら筆を執って結論を下されたものと推察する。

 栗原茂さんが「生命の設計図はどこからくるか」という問題に対し下した結論は、「それは神からくる」というものだった。

●栗原茂さんが渡辺さんに直接会ったのは今を去ること一八年前の平成元年のことだった。ちょうど昭和天皇が崩御されて年号が平成に改まった年の秋であった。実はそのとき、もう一人の碩学がいて、話は三人の鼎談の形式で行なわれたという。その辺りの消息について、栗原さんから戴いた文章から引用させてもらう。(原文は句読点を限りなく省略した難解な文章であるため、読者の便宜を考えて句読点を付加し、一部の語句を改変したことをお断りしておく)

 渡辺格七三歳と出会うのは同年秋、場所は藤井尚治六八歳が瞑想を行なう所で、およそ二時間の坐禅の後に約二時間の鼎談が続いた。議題は宇宙生命の本質について。相互の意見交換を行なうことで空間を埋めたが、刻まれる時間は、世俗が支配される交流回路とは異なって、天空を透過する直流回路のごとく無駄なく働いた。

 ここに登場する「藤井尚治六八歳」とは、銀座内科診療所院長として永く著名であった。同時に、早くにハンス・セリエ博士のストレス学説に注目し日本におけるその研究と紹介に貴重な業績を残した人物でもある。

 懇切にも栗原さんがわざわざ持ってきて貸して下さった藤井さんの著書二冊のうちの一冊、『脱魂のすすめ』(一九八三年、東明社刊)の奥付にある「著者略歴」には次のように記されている。

藤井尚治(なおはる) 医師、法博
大正一〇年東京生まれ。
昭和一七年東京大学医学部卒、同精神科入局。
昭和一八年軍医として応召。
昭和二二年復員後セリエ博士に共鳴、杉靖三郎氏らとともにストレス研究に従事。
昭和三〇年銀座内科医院長。
昭和四六年財団法人ストレス研究会理事長

 そして藤井尚治さんは平成九年四月一九日、折しも数え年七六歳の誕生日に亡くなられた。

『還元主義を超えて』(一九六九年)でニュー・エイジ運動の旗頭となったハンガリーに生まれた亡命ユダヤ人、アーサー・ケストラーが来日したとき銀座内科に藤井さんを訪ねてきて歓談を尽したというエピソードは、藤原肇・藤井尚治『間脳幻想』(東興書院、一九九八年刊)で読んだことがある。直接お会いしたことはないので、同書に纏められた対談および「あとがき」から得た印象だけに頼っていえば、まさしく機略縦横、天衣無縫を地で行くような天才肌の人である。

 藤井尚治さんについて、栗原さんはこう書いている。

 藤井はノーベル賞ノミネートの評議を求められる立場にあるため、デルブリュックを含め訪日学派の目的を本人に聞くまでもなく知り得ており、決して自らの立場を明かさない。当然渡辺も、藤井が何者かは表面上のことしか知り得ない。

 その藤井尚治と渡辺格と栗原茂とが交わした鼎談がいかなるものであったか。栗原さんはただ「刻まれる時間は、世俗が支配される交流回路とは異なって、天空を透過する直流回路のごとく無駄なく働いた」と素っ気なく伝えるのみである。

●栗原さんから渡辺格と話したという話を最初に教えられたとき、渡辺さんが「生命の設計図は天空から来る」という意味のことを語った、と聞いたと思って、先に「遺伝子の構造の中に生命の設計図はないと断言された渡辺さんは、ではどこから生命の設計図は来るのか、ちゃんと話をされていた。それだけは言える」と書いたのは、どうやら私の早とちりによる勘違いだったようである。

 というのも、栗原さんが次のように書いて教えているからである。

 参考に値しない現代ジャーナリズム主義から報道される情報は、渡辺に限らず発信が誰であれ、すべて意の制御が利かない情と知の先行だと知るべきである。

 筆者の知る渡辺は、現代学術に多くの矛盾を指摘しうる能力を備えていたが、学派という無理からぬ生き方もあり、相当の悩みを抱えストレスに苦しんでいた。それが生命の儚さに通じる死霊の研究とも共感するのだろうが、神の正体が本義の時間と空間に刻まれる情報とは気づかずに、鬼籍に入ることとはなった。(合掌)

 つまり、栗原茂さんの考えによれば、傍線を施した所にあるように、神とは「本義の時間と空間に刻まれる情報」であり、後に詳しく紹介するように、「その神から生命の設計図は来る」と言えるのだが、渡辺格さんはそれに気づいていなかった、と手厳しい判断を下していることになる。

 実証を旨とする分子生物学者として、渡辺さんが神を持ちださなかったのは一種の学者的良心だったともいえようが、現代科学の矛盾と限界に気づいたからには百尺竿頭をさらに一歩進めて、現代科学を乗り越える地平に立つべきであった、というのが渡辺さんと鼎談を交わした栗原さんの思いであるようだ。

 だから、栗原さんは次のように批判する。

 渡辺が「遺伝子の構造の中に生命の設計図はない」と断言しうる根拠は、分光のスペクトルを観測する法に卓越したからで、フィンランドに行って電子立国を手助けした窪田規(くぼたただし)も同じであって、色の観測法に優れた者なら等しく知るところであり、あえていうなら、物理化学の基本なのである。

 ただし、理を学ぶ術の分野に生きる学派は、言霊を批判あるいは懐疑的に捉えて成り立つ職能集団であるゆえに、核心を突くことができない。もっぱら科(とが)を学ぶ術の制度により、細分化された学派が競い争うことから、総論賛成・各論反対という無責任な態度に終始するのみである。

 したがって、渡辺が「遺伝子の構造の中に生命の設計図はない」と断言はできても、「では生命の設計図はどこから来るか」という問題に答えを出せないのは仕方ない。

 生命の設計図について鼎談の中で出現した回答は、渡辺の所見でもなければ、藤井や筆者の見解でもなく、悠久の時間を刻む空間の中に身を浸した者のみに運ばれてくる情報であり、言葉を換えて言えば、その情報こそが神なのである。

 文章の表面的な字面だけに拘るなら、これは見神の体験を語っているように受けとれるかも知れない。もしそうであるなら、神を見るという神秘体験を経験したことのない者には、想像するだにできない無縁な話ということになるだろう。

 だが、奇しき縁あって日ごろ親しく薫陶をいただいている私には、これが単なる神秘体験を語ったものではないことが分かる。神秘体験だけならば、言葉になりえないもので、あえて言葉にするにしても、こういう文章でなくもっと象徴的にしか語れないはずだ。栗原さんはそうではない。神秘体験は確かにあったのだろう。だが、それを開かれた言葉に表現すべく、栗原さんが壮大な努力を重ねてきたことを、私は知っている。

 ここで注目すべき個所は二つ、傍線を引いた部分である。ただ最初の言霊云々の部分は、栗原さんが言霊理論に刮目してメンデレーエフの元素周期表を読み替え、その足らざるを補うという難業を完遂したことを知らなければ、ほとんど意味をなすまい。

 栗原さんの日ごろの教えは、言霊の考えこそが現代科学を乗り越える鍵であるというものだが、日本語の一音一音に意味があることにやっと気づいた私としては、言霊について一知半解の言辞を連ねることは差し控えて、後日に期すというほかない。

 ただし、後段の傍線部については、私にも言えることがある。不思議にも、栗原さんに会うと、何も言葉を交わさなくてもビンビンと響いてくるものがある。私の中の何かが共振して止まない感じなのだ。共振し合うのかどうか、それは分からない。栗原さんの方の反応が審らかでないからである。

 そのかすかな手がかりを頼りに言うのだが、ここで栗原さんは、「生命の設計図がどこから来るか」という問いそのもの、問いの立て方自体が間違いだと言っているように思われる。

 生命の設計図がどこから来るのかと尋ねることはどこまでも原因を求めていく一種の還元論に陥ることである、との洞察が栗原さんにあるのだと考えられる。

 だから「その情報こそが神である」という言葉が出てくるのだ。そして、前の引用個所(傍線部分)で、神の正体を「本義の時間と空間に刻まれる情報」だと言っているのとも符合する。

 生命の設計図がどこから来るのかという問いに即していえば、生命の設計図はどこからも来ない、生命の設計図そのものが神なのだから……というのが、栗原さんの感得ではなかろうか。 

 そしてそれは、「渡辺の所見でもなければ、藤井や筆者の見解でもない」と言っていることにも連動している。個人が立てた学説とか見解ではないとすれば、その場にいた者に感得された何かであろうと推測するしかない。

 ただ、生命の設計図がどこから来るかと問うことを止め、設計図そのものが宇宙を形づくる「情報」の一環だと捉えることは、大逆転の発想だと言わなければならない。

 だが、「本義の時間と空間に刻まれる情報が神の正体である」と言われても、難解すぎてすぐには理解できない。ここに使われている「情報」という言葉からして、われわれが普段使っている内容とは違う意味を孕んでいるようである。

 それは栗原さん自身もよく分かっている。だからこそ、わざわざ原稿用紙六〇枚以上にも垂んとするメモを届けて下さったのである。

●本論に入る前の注意書きとの意味で表裏二頁の「前文」を書いて下さったと思われるが、その前文の部分に普通の論文なら結論部に来るような洞察が満ちている。

 すなわち、設計図は元より実証なくして描けるものではない。生命とは混沌から発するものであるが、その混沌もまた自らを制御しうるエネルギーをすべて備えているのである。

 例えば、銀河系から誕生している太陽系に限定してみても、悠久の時間と空間がなければ生まれ出るわけもなく、時空に刻まれる情報(実証)なくして、設計図など描きようがないのである。

 さらに、地球生命についてみても、陽光が水を生み出す空間の距離関係から、水に相応しい生命の禊祓を通じて悠久の時間を刻む細胞一個ずつに遺伝情報が刻まれる。

 ただし、遺伝子は太陽と地球と月、つまり混沌が整備に向かう過程の情報を所有しなくても生きられるという特徴をもつ。なぜなら、遺伝子とは染色体一部の生命であり、地球本体に対応する大気圏がなければ、生きていける根拠がなく、また水の星を補佐し補完する月の働きなくして生きていける根拠がなく、禊祓なくして染色体は生まれないからである。

 難解な文章であると白状しなければならない。よくよく注意して、前後を睨みながら読まなければ、意味が通らない。

 たとえば、ここに言われている混沌は「自らを制御するエネルギーをすべて備えている」とあるが、もしそうであるなら、混沌とは秩序と同義であることになる。われわれの通常の言語では、混沌と秩序は正反対の意味をもつ対立語なのだが……。

 能う限り栗原さんの意図に則しつつ真意を推し量ることで、何とか前後の脈絡をつなげていくしかない。

 群盲象を評すの愚に陥ることを覚悟でいうのだが、太陽系の誕生からして悠久の時空に刻まれる情報がなければ実現しなかった、というのが栗原さんの言いたいことであろうか。

 さらにいえば、太陽系のみならず、銀河系の誕生そのものも、この悠久の時空に刻まれた情報がなければ誕生しなかったと言えるのではないか。

 だが、「水に相応しい生命の禊祓を通じて悠久の時間を刻む細胞一個ずつに遺伝情報が刻まれる」とは、にわかには理解の及ばない表現である。

「水に相応しい生命の禊祓」とは何か。「悠久の時間を刻む細胞」とは何か。通常の常識ではとても歯が立たないと諦めたくなる気持ちにも駆られる。

 だが、ここには大事な何かがある。どうしても分からなければ、栗原さんを捕まえて、一語一句について意味を尋ねることも、幸いなことにできないわけではない。

 それに、ただ私のためにこれほどの労を惜しまれなかった志に応えるためにも、この難解な文章に立ち向かい、誤解を恐れずに私なりの理解を通さなければならない。栗原さんが下さったこの一文は、これまでのささやかな営みの次なる第一歩に必ず繋がるという確信があるからである。


歌とシャーマン 2
拙稿「歌とシャーマン」で取り上げた「歌とシャーマン」(福寛美 南方新社)は、志布志からの帰りの船の中で読了、続いて『怨歌の誕生』(五木寛之 双葉文庫)は、数日前にお江戸両国亭に行った時の車中で半分ほど読み終え、帰宅後に残りを仕事の合間に一気に読了した。ちなみに、お江戸両国亭で高座を務めた落語家とのご苦労さん会でも、亀さんはポケットから通読中の『怨歌の誕生』を取り出し、藤圭子について少し話をしている。

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亀さんが『歌とシャーマン』という本に深い関心を寄せたのは、上掲の拙稿「歌とシャーマン」で紹介した飯山(一郎)さんの言葉、「天皇家と日本民族の根底にあるシャーマニズムの本質にせまる「音楽論」でもある」にもあるように、日本の本質=シャーマニズムを歌という観点から抉り出してみせた本だったからだ。

拙稿「歌とシャーマン」を書いた時点では、同書を未だ入手していなかったのだが、読了した今、簡単な同書の読後感を以下に書いておこう。

■瞽女
ウィキペディアによれば、「瞽女(ごぜ)」とは「日本の女性の盲人芸能者」とある。表層的には確かにそれで間違いはないのだが、そこには「霊性」の視点が欠けている。ウィキペディアはさらに続けて、瞽女とは「三味線、ときには胡弓を弾き唄い、門付巡業を主として生業とした旅芸人」と追記しているのだが、『歌とシャーマン』の著者である福女史の場合、瞽女について以下のように書き表している。

瞽女の歌にはこのように霊力が認められていました。それと同時に瞽女は人気の高い芸能者でもありました。通俗的な歌でありながら非日常的な霊力を発揮する歌、という瞽女の歌のあり方に思いを致す時、藤圭子の歌の哀調、凄み、そして人の魂をゆさぶる激しさを著者は想起します。
『歌とシャーマン』p.53


ここで、五木寛之も魂をゆさぶられた一人だったことを書いておこう。ちなみに、下掲で「私」(五木)が言及しているLPレコードは藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」で、どうやら、「私」である五木の弟が置き忘れたものだったようだ。その弟のLPレコードを偶然手にした五木は、軽い気持ちでプレーヤーにかけた…

そんなわけで、私は深夜、どうしようもない行きづまった気分のままそのLPレコードを聞くまで、藤圭子という歌手に興味もなかったし、特別な印象もなかったと言っていい。ところが、その晩、不思議なことが起こったのだ。私がかけたレコードは、これまでに聞いたどんな流行歌にも似ておらず、その歌い手の声は私の耳ではなく体の奥のほうにまで、深くつき刺さってくるような感じをあたえたのだった。
『怨歌の誕生』p.237~238


五木の云う、「その歌い手の声は私の耳ではなく体の奥のほうにまで、深くつき刺さってくるような感じ」の正体は何か…。すでに『歌とシャーマン』に目を通し、瞽女の歌の本質を知った読者であれば、その正体が分かっていることだろう。

なお、上掲の五木の文章は、「怨歌の誕生」という短編小説の一節であり、同題名の書『怨歌の誕生』には「怨歌の誕生」のほか、三本の短編が一緒におさめられている。

五木が短編小説「怨歌の誕生」を発表したのは1970年8月とある。五木は1932年9月30日生まれだから、五木38歳の時の作品だ。それから49年近い歳月が流れているが、もし、五木が福寛美の『歌とシャーマン』を今読んだとしたら、どのように感じるだろうかと、ふと思った。それは、拙稿「一日一生」にも書いたことだが、半世紀が経った今日の五木は、「見えない世界」へ大きく軸足を移したであろうと、容易に想像できるからだ。五木よりも20歳下の亀さんですら、四十代後半に突入したあたりから、徐々に「見えない世界」へ軸足が移るという体験をしているだけに、なおさら五木の読後感に関心がある。

生まれたばかりの赤ん坊は、見えない世界の感覚で、この世を生きています。それが歳を経るごとに、見える世界の部分が多くなり、もう見えない世界の記憶などまったく忘れてしまう。

それが人生の後半になると、いままで影を潜めていた見えない世界とのかかわりがふたたびはじまり、自分の中の、見える世界と、見えない世界との割合が逆転してくる。そして、軸足が徐々に見えない世界に移っていくのではないでしょうか。

『百歳人生を生きるヒント』p.207~208


■霊力
福女史は「おわりに」で、重要なことを書いている。

霊力はシャーマンでなければ見ることも感じることもできず、捉えがたいものではありますが、この世界に確かに存在しています。また、歌声も霊性や聖性を持つことがあります。歌声は本来、歌い手と聞き手が対面状態にある一時のもので、その状況から離れたら印象だけしか残らず、定義もしににく捉えがたいものです。その捉えがたいもの同士が相似しているのは、シャーマンの力と歌い手の歌の力がよく似ているからだと思います。
『歌とシャーマン』p.120


明らかに、福女史は「見えない世界」を知っている。

■巫女
再びウィキペディアをひも解くと、「巫女」とは「日本の神に仕える女性」という定義が目に飛び込んでくるのだが、果たして、それだけだろうか…。誤解を恐れずに敢えて書けば、瞽女と巫女はコインの裏表のような関係にあり、本質は一だと云えないだろうか…。つまり、瞽女が「歌姫」とすれば、巫女は「舞姫」なのであり、両者とも霊性を有している、といった点で共通しているのだ。

この霊性というか霊能は、血を通じて身内に伝わっていくものであり、そのあたりについて福女史は以下のように書き表した。

母娘二代に天才の遺伝子があると天才が生まれるという遺伝子説があるが、現代の歌姫宇多田ヒカルはまさに天才の母・藤圭子の血と天才の祖母・竹山澄子のDNAを受け継いだのだ。
『歌とシャーマン』p.57~58


亀さんの母も霊性の鋭い持ち主だったが、三人兄弟で母の霊性を受け継いだのは真ん中の弟であり、残念ながら亀さんには霊性はない。しかしながら、母と弟という霊性を受け継いだ者の存在を知るだけに、霊性というものの存在を信じている。

それから、五木がレコード会社で働いたことがあるという行を読んだ時、渡辺正次郎氏の顔が浮かんだものである。その渡辺氏も発売前の数あるレコードの中から、ヒットするであろうレコードを確実に言い当てていたあたり、霊性というよりは霊感の鋭い持ち主であることが分かるのだ。その渡辺氏は自著『芸能人、ヤクザ、政治家は弱い者イジメが大好き』で、藤圭子の自殺を巡って自論を展開しているが、ほぼ真実と思って差し支えないだろう。

以下、拙稿「高麗郷を歩く」でも紹介した藤圭子に関するページを再掲しておく。

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歌とシャーマン
一年半ぶりに顔を出した土曜日のまほろば会、そして平成最後の天皇誕生日の飯能忘年会と、二日続いた集いに共通していたテーマは音楽であった。ここで、飯山一郎さんは二年前の年末に、以下のようなHP記事を書いている。
志布志の『くにみ書店』で買った本

たとえば、同記事には次のようなことが書いてある。

『細胞分裂の驚異の仕組み』という特集記事は,生命現象の謎に迫っていて,1個の受精卵が数十兆個にまで分裂を繰り返す仕組みこそが「生命」なんだ!ということが良く分かる.


この飯山さんの言葉を理解するには、やはり三木成夫博士や西原克成博士の本を読んでいなければ理解不能だろう。その点、東北は青森から関東のチベット(飯能市)まで足を運んでくれた、両博士の本を数冊読破したという高橋さん、両博士の本を理解している様子がわかり、まだ若いのに大したものだと舌を巻いた次第である。以下は拙稿「松岡正剛×コムアイ」にも載せた図だが、「生命」の本質を炙り出した図なので、本稿にも再掲しておこう。

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さて、今日の本題は生命観ではなく、シャーマニズムである。ちなみに、今回の本題に選んだ「歌とシャーマン」は、上掲のHP記事にある、飯山さんが熟読したという本の題名だ。その飯山さん、以下のような書評を書いている。

『歌とシャーマン』は,天皇家と日本民族の根底にあるシャーマニズムの本質にせまる「音楽論」でもある.この本はワシの年末年始の熟読本だ.


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書評にあるように、天皇家と日本民族の根底にあるものこそ、シャーマニズムであると飯山さんは喝破している。このシャーマニズム、実は恐山とも関係してくるのであり、その恐山について書いたJinmoさんに、恐山の続きを書いてくれと先週の土曜日、直接本人に亀さんは頼んだ。

そのJinmoさん、「天乃浮石」なる三部作を、最近の『みち』で発表した。ご参考までに、本稿の最後に第一部を転載しておくが、冒頭は以下のような書き出しで始まっている(下線は亀さん)。

●神々を招来する「寄絃乃儀」を天乃浮石に向けて斎行させて頂きたい旨、生石神社の宮司様、禰宜様に御願い申し上げたのは二〇一七年五月一八日。この時代に於いて第二の岩戸開きとでも言うべき、神々の招還儀式の必要を感じ、その舞台としては天乃浮石こそが最も相応しいと確信していた私は、天鈿女達が執り行なわれたという本来的な、つまりは形骸化する前の霊的実効力を有した神事・寄絃乃儀の復活を熱望していた。

その意義については心中確たるものが在ったが、斎行に当たっての諸事企画に於いては漠として具体性を欠いているにも拘らず、ものの二分で御快諾を頂戴し、のみならず、「宮司として断言いたします。その時、必ずや神は此処に降り立ちます。そして私はその時、この生命尽きようとも本懐これに過ぐるもの在りません」との非常なる断言さえ頂戴した。幸甚至極である。


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多分、未だに物質中心の現代科学に染まっている人たちは、上掲の文章、殊に亀さんが引いた下線の箇所を嘲笑するかもしれない。ところが、今朝、掲示板「放知技」で堺のおっさんが以下のような重要なことを書いた(下線は亀さん)。

國体と政体の明確な分離を意図しているからだ。

大嘗祭の費用の問題が本質ではなく、日本国家の本質に関わるからだ。

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16557737/570/


この堺のおっさんの重要なメッセージを理解するには、國体とは何か、政体とは何かについて理解している必要がある。政体に関しては、少なくとも放知技の読者であれば、飯山さんのマキャベリズムに基づく安倍晋三像を、個人として多少の差はあれ、世間一般よりもかなり正確に把握していると思う。

一方、國体の場合はどうか? これは、日本の本質、すなわち皇室が分かっていないことには、何も分かるまい。その本質とは正に飯山さんが仰せのシャーマニズムなのだが、皇室とシャーマニズムの深い関係については、過去の拙稿で幾度か書いてきたので割愛するとして、Jinmoさんの「天乃浮石」の第三部に以下のような記述があるのに注目されたい(下線は亀さん)

そして、これは宮司様、禰宜様と実行委員会の一部の者にしか知らされていなかったのだが……天乃浮石を取り囲む方形トーラス空間には斎行の間中、実は四人の巫女が祈り舞っていた。この様子は方形トーラス空間に行き来できる私以外には誰の目にも触れず、また如何なる映像記録にも残されていない。この四人の巫女は神仕組みとしか言いようの無い巡り合わせで、この夜、此処に集められた者で、その名はそれぞれ、ハルカ、ハルナ、ハルエ、ハルヨという。本名である。文明地政学協会の山浦嘉久氏は徹底して「たまたま」とか「偶然に」という言葉を嫌う。私も同様だ。ケをハレへと転じる神事に於いて、これほど相応しい音「ハル」を持つ巫女が四人、この夜、天乃浮石を取り囲んだ。超越的な何者かの意思による取り計らいであるとしか思えない。また四人の名から共通する「ハル」を取り除いたものは、「カ、ナ、エ、ヨ」となる。……「叶えよ」、布置(Konstellation)されたメッセージがそこにある。


上記の下線を引いた行について少し敷衍しておこう。拙稿「ミヌシンスク文明 02」で紹介した、安西正鷹さんの以下の記述を思い出していただきたい。

・これは空疎な精神論ではない。物質世界と精神世界に跨る半霊半物質的な、新しいジャンルの科学理論に基づく考えである。すなわち、来るべき新しい文明の精神哲学ともいうべき量子力学に基づく真理なのだ。
仮想通貨からお金と経済のあり方を再考する(後編)


続けて、亀さんは以下のように書いた。

量子力学の台頭で従来の科学が崩壊しつつあり、次の文明原理に人類は進みつつあるのだが、それは、精神世界の古代人から、物質世界の現代人を経て、精神世界と物質世界が融合した世界へ向かう過渡期にあるとも言い換えることができ、量子力学をきっかけに世界の精神構造が変わりつつあることを、安西さんは述べている。


これが、山浦さんの言う「第二の天の岩戸開き」に繋がるのである。そのあたりは、上掲のJinmoさんの文章からも窺い知ることができよう。そして、我々の周囲に起きたこと、起きていること、起きることは、すべて、「たまたま」ではなく、「神計らい」なのである。

そのJinmoさん、音楽を通じて「第二の天の岩戸開き」を世の中に伝えようとしている。飯能忘年会でも音楽通が二人(ウォッチャーさん、ちゃきさん)も集結、実に興味深いというか、奥深い音楽論に展開した。そして、上掲の『歌とシャーマン』、二年前に既に同書に目を通していたウォッチャーさんは、貪るように2016年12月30日付の飯山さんのHP記事を読んだのだという。そして、数年前に飛び降り自殺をした藤圭子についての話となったわけである。亀さんは未だに『歌とシャーマン』を読んでいないので、早速注文、届き次第読み、思うところがあったら読後感を書きたいと思っている。それまでに、やはり藤圭子を取り上げた、五木寛之の『怨歌の誕生』(双葉文庫)に取り敢えず目を通しておくとしよう。

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2013年8月、歌手・藤圭子が命を絶った。「これは『演歌』でも『艶歌』でもなく、間違いなく『怨歌』だ」と評した五木寛之が、藤圭子の真実をもとに書いた「怨歌の誕生」ほか、関係の深い「艶歌」「涙の河をふり返れ」「われはうたえど」の3篇を収録した中編集。


Jinmoさんの恐山や天乃浮石といった短シリーズ以外にも、連載中の「寄絃乃儀」で書きたいことが多々あるのだが、そろそろ飯山史観に戻ることにしよう。したがって、次稿ではsuyapさんのコメント『海を渡った「縄文人」』を中心に、筆を進めていく予定である。

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