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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
マイ・インターン
人間とは、仕事などに追われているような時に限って、道草を食いたくなる生き物のようだ。亀さんも御多分に漏れず、仕事が一段落した昨夕、たまたま録画しておいた「マイ・インターン」という映画を、息抜きに見始めたのが運の尽き、琴線に触れる映画だったこともあり、あとはグイグイと映画の世界に引き込まれ、結局最後まで見てしまった。ようやく映画が終わった時、ふと気がつくと辺りは真っ暗…。



「マイ・インターン」という映画の粗筋だか、ウィキペディアの「ストーリー」をそのまま引用したほうが早い。

ニューヨークでファッション通販サイトを運営している女社長のジュールズは、短期間で会社を拡大させることに成功し公私ともに順調な毎日を送っていた。そんな彼女の会社にシニア・インターン制度で採用された70歳の老人ベンがやってくる。若者ばかりの社内で当然浮いた存在になってしまうベンだったが、いつしか彼はその誠実で穏やかな人柄によって社内の人気者になっていくのだった。

一方その頃、ジュールズには公私ともに大きな問題が立ちはだかっていた。双方において大きな決断を迫られた彼女は、誰にも自身の気持ちを打ち明けることができず苦しい日々を送っていたが、そんな彼女を救ったのは他でもないベンだった。ベンの温かな励ましを受けていくうちに、いつしかジュールズも彼に心を開くようになっていく。ベンの言葉から勇気をもらったジュールズは、目の前に立ちはだかる数々の難問に立ち向かっていく決意をする。


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70歳という設定のベン・ウィテカー(ロバート・デ・ニーロ)の語る、言葉の一つ一つに耳を傾けつつ、自分もこのような爺さんになりたいと、つくづく思ったことだった。そして、特に強く印象に残ったのが以下のシーン…

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そこのお若いの、「ハンカチを忘れた」という台詞の重み、お分かりかな…。

最後のシーンにもグッときた。

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しかし、ベンのような爺さんになりたいと思っても、漫画『マウンドファーザー』に〝亀さん〟が登場しているので、モー遅いか…(爆)

それから、以下のシーンを見て、亀さんが本ブログを立ち上げた6年前、ある外資系の翻訳会社に採用された時のことを思い出した。週に数回は東京の本社に通勤するつう、ン十年ぶりのデスクワークだった…

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【追記】
映画「マイ・インターン」の批評記事を数本読んでみたが、ひどかったのは以下の批評…
マイ・インターンはダメ男が見る映画!感想と評価とネタバレ

この批評を書いた兄ちゃん、人生体験が浅い若造、つうことが良ぉ~く分かる記事だったワイ…(笑) 

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月とスッポン(2)
三年ほど前だが、ある二人の人物を対比させる形で、「月とスッポン」という記事を書いたことがある。今回はその続編だ。登場してもらったのは、掲示板「放知技」の常連の一人であるきのこちゃんと、「きっこのブログ」で〝有名な〟きっこ女史だ。「月とスッポン」の続編を書くきっかけとなったのは、道友の猿都瑠さんの投稿だった。

バロメーターとして「きっこ」をチェックしたけれど、見事なまでの醜態ぶりだった事を記しておきたいw


「きっこのブログ」を読んでいた当時を懐かしく思い出したので、先に行われた総裁選直後の「きっこ」のツイートを覗いてみたところ…

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マサニ、「見事なまでの醜態ぶり」…(嗤)。そのあたりは、同女史のツイートを読めば一目瞭然だ。たとえば、総裁選直後に女史が投稿したツイートを読むに、すでに安倍総理の潔白が証明された事件(小川榮太郎著『森友・加計事件』)だというのに、未だにモリカケ問題の本質も分からずに、「モリカケ問題や公文書改竄問題などを追及し続けるあたしたち」と書いているあたり、可哀想の一言に尽きる。ふと、飯山さんのHP記事を思い出した。
「きのこ」と「きっこ」は 月とスッポン

きっこ女史がスッポンとすれば、月はきのこちゃんだ。最近のきのこちゃんのブログ、「建築とかあれこれ 呪いもあれこれ」は、新聞やテレビでは決して知り得ない告発記事が満載で、必読のブログといえよう。

また、放知技の長年の読者であれば、きのこちゃんが告訴された事件を覚えていると思う。それに対して、きのこちゃんが逆告訴したかと思えば、最初に起訴された件が不起訴になるという具合に、きのこちゃんは大変な一時を過ごしていたのだが、そうした体験があったからこそ、今のきのこちゃんは一層逞しくなったのだし、殊に「じいちゃん」が亡くなってからというもの、八面六臂の活躍だ。

これからも、きのこちゃんのブログ、「建築とかあれこれ 呪いもあれこれ」を応援していこうではないか、皆の衆!

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アルゼンチンで思ふ(8)
■旅を終えて
一ヶ月に及ぶアルゼンチン滞在で、見聞したことは沢山あるのだが、ブログには書けない内容ということもあり、今回を以て「アルゼンチンで思ふ」シリーズを最終回としたい。今振り返るに、アルゼンチンでの一ヶ月間は、冥途までの暇潰しを決定付ける旅となったようだ。そのあたりは、拙稿「ブエノスアイレス滞在記 14」にも書いた。

数名のアルゼンチンの友人に飯山史観を説明していくなか、飯山さんが果たせなかった飯山史観のまとめを、小生が中心になってでも完成させなければと、つくづく思ったのである。


そう、てげてげHP(ホームページ)や掲示板「放知技」に大量に眠る、飯山語録とでも謂うべき飯山さんの記事や投稿を編集して、一枚の電子ファイルに纏めてみたいのだ。具体的な編集方針については、11月25日に大坂で開催される「故飯山一郎氏を送る会」で、配布予定の追悼集に寄稿するので目を通していただければと思う。

しかし、HPや掲示板の飯山語録を一枚のファイルに纏めるということは、一朝一夕でできることではなく、少なくとも一年ていどの時間はかかりそうだ。その上、現役の翻訳者として仕事を抱えているため、倍の二年といった時間が最低でも必要になるだろう。そうして編集した電子ファイルは、飯山さんと志を同じうし、飯山さんを慕っていた同志にメールで配布したいと思う。追悼文には、そのあたりの決意についても書くつもりだ。

今回、地球の裏側のアルゼンチンを久しぶりに再訪、行く前は還暦を過ぎた身にはキツイかなと思っていたが、特に問題もなく日本とアルゼンチンを往復できた。それも、長年続けてきたヨガと乳酸菌ヨーグルトのお陰だと思っている。日本ではヨモギをベースにした乳酸菌を愛飲しているが、アルゼンチンへは玄米+塩+黒砂糖を持参し、現地で培養した。冬であったのにもかかわらず、翌日にはシュワシュワしていたのには驚いたが、お陰様で安心して一ヶ月間を過ごすことができたと思う。次回の渡航だが、一ヶ月は長いので十日ほどの期間でノンビリしてきたい。それまでは、ヨガや乳酸菌ヨーグルト以外に、飯山さん伝授の健康法も忘れずに実践していくつもりだ。

現在の体質を変えるための最も簡便な方法
1.発汗運動で汗をかき,血行・血流を大きく促進させる.
2.発汗運動の直後に熱い緑茶を飲み,熱い風呂に入る.
3.熱い風呂で充分に汗をかいたら,すぐに布団に入り,寝る.
4.布団のなかでも猛烈に発汗する.発汗の暑さを耐え,眠る.
5.上のことを10日間続けると,必ず「体質」が変わります!


当たり前の話であるが、健康でなければ、海外への渡航はできないのでR。

最後に、以下は放知技に投稿した「ブエノスアイレス滞在記」の全編で、拙ブログには書かなかったテーマも多く、関心のある読者に目を通してもらえたら幸いだ。(完)
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16074479/342-377/

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ニューヨークから羽田までの飛行ルート

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ほぼ毎日、いろんな喫茶店に通っていた

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ラ・ボカにて

アルゼンチンで思ふ(7)
■ウルグアイで46年ぶりの親孝行
ブエノスアイレスに滞在中、わずか二日間だけだったとはいえ、ウルグアイに行って本当に良かったと思っている。だから、ウルグアイで体験した様々なことを、掲示板「放知技」の「ブエノスアイレス滞在記」に書き残した。

今回は二日間だけの滞在ということもあり、友人のアナベール夫妻とは十分に語り尽くせなかったように思う。そこで、機会を見て同国を再訪してみたいと思っているが、次回は大学教授であるアナベールの大学や彼女の授業風景を見てみたいし、1995年にユネスコの世界文化遺産に登録された、古い町並みが残るコロニア・デル・サクラメントにも行ってみたいと思っている。

さらに楽しみなのが、アナベールの子どもや孫に会うこと、そしてアナベール夫妻とウルグアイと日本について、より多くを語り合うことだ。今回は深夜にかけて4~5時間ほどかけ、日本史や日本文化について語り合ってはいるものの、まだまだ日本について語り尽くせたとは言えないからだ。加えて、アナベールが大学で神経科学の教授として教鞭を執っていることから、心は脳から生じるのか、あるいは心臓を含む内臓から生じるのかといった点についても、じっくりと語り合ってみたいと思っている。心については拙稿で少し触れたので、以下を参照していただきたい。
山中伸弥と巨大利権

ちなみに亀さんは、心は内臓から発生すると思っている。そのあたりは、旧ブログのの記事「内臓が生みだす心」に書いたが、今度アナベールとの話の進展具合によっては、西原克成博士の『究極の免疫力』や『免疫力を高める生活』についても語り合いたいし、できれば乳酸菌、そして飯山さんの推奨していた健康法についても多くを語ってくるつもりだ。

ところで、ウルグアイでアナベールと再会できたことも嬉しかったが、さらに嬉しかったのは彼女の御母堂と、実に46年ぶりの再会を果たしたことであり、何よりの親孝行を果たせたような気分だった。

御年93歳の彼女の母親と46年ぶりの再会を果たした。彼女の母親は手を差し出し、力強く小生の手を握り、幾度かキスをしてくれた。後でアナベールから聞いた話だが、その日の彼女の母親、御機嫌斜めだったようだが、小生と再会してからというもの、最近は他の者に見せたことのない、とても嬉しそうな表情を始終浮かべていたという。なんとなく、46年ぶりの親孝行を果たせたような気分になった次第である。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16074479/366/


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モンテビデオのカラスコ国際空港

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マンションのベランダから望むマル・デル・プラタ川

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プレゼントした扇子を早速飾ってくれたアナベール夫妻

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46年ぶりに再会したアナベール

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首都モンテビデオの街を仲良く手を繋いで歩くアナベール夫妻

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川岸を散歩するアナベール夫妻


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アナベール夫妻は黒澤明監督の作品を繰り返し、ほぼ毎晩観賞しているという。最も好きな黒澤作品は「七人の侍」とのことで、その他に宮崎アニメの大ファンのようだ。よって、黒澤と宮崎の対談本『何が映画か』を彼女にプレゼントし、大凡の対談内容を説明してくるつもりだ。

アルゼンチンで思ふ(6)
■死んだことがねぇから、分かるかい!
いきなりだが、読者は輪廻転生について、どう思われるだろうか? 亀さんは放知技でハリィー今村先生と、輪廻転生について色々とやり取りを行ったことがある。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15507578/927-935/

ブエノスアイレスの親友シルビアとも、輪廻転生について語り合っているが、彼女は輪廻転生の否定論者であった。

「輪廻転生を信じるか?」とズバリ問うてみたところ、「信じない」と即答。小生がさらに、「しかし、イエス・キリストは十字架に架けられた後、再び復活しているではないか」と問い詰めると、「それは、イエスは神の子からだ。私たち一般人は生き返るわけではない。だから、人生も一度きり」と回答してきたものである。
ブエノスアイレス滞在記 15


もう一人、輪廻転生を否定した人を紹介しよう。飯山一郎さんである。

人生は一度きり
私は輪廻転生は信じていません。仏教が最初に出した概念で、「前世が○○○だった」「来世は生まれ変わって○○○になる」という類は一切、全く信じていないです。輪廻転生を信じているという人ほど、この現世をよく見ていませんね。そういう思想的な弱点があるんです。輪廻転生を信じ込ませた仏教の現実逃避性がここにあります。それを信じている人との会話では普通に話も聞きますよ。別に議論を戦わせる必要もないですからね。ただ、輪廻転生を本氣で語っている人の現実認識は、甘過ぎて聞いていられません。輪廻転生というテーマで会話することは、その人がどの程度の現実認識をしているのかという観察をするには、うってつけですね。

この世に生を受けて生まれた人は誰もが意味があるはずです。でも、その人が生きた存在価値と意味を、発揮できないまま死んでいく人がほとんどです。たまたま私は運が良くて、私の存在の意味と影響力とを行使できる立場に恵まれてはいます。まさにインターネットを支えるITのお陰です。ブログがなければ私の存在もないも同然です。ある条件の中に入ると、その人の生まれた意味や存在価値が生かされるにもかかわらず、大多数の人々はその環境に恵まれません。

『飯山一郎の世界の読み方、身の守り方』p.252


亀さん自身は飯山さんのように、「人生は一度きり」と頭から否定したりはしない。代わりに、「死んだことがねぇから、分かるかい!」と答えるのを常としている。次のようなことがあった。

アルゼンチンから帰国後、録画してあったNHKの「縄文1万年の美と祈り」という番組を見ていた時のことだ。縄文人の死生観「再生」のシーンを目にした時、思わず息を呑んだ自分がいたのである。この時、朧気ながらも自分に縄文の血が流れていると確信した。それは、日本語を母語とする者として生まれ、日本列島の四季折々の美しさを、過去において60回以上にわたって目にしてきた身として、春→夏→秋→冬、そして再び春というサイクルに、縄文人の「再生」を連想したからである。

春は新しい命が芽吹く季節、荒涼とした何も無かった大地から、若芽が小さな顔を覗かせ、それがグングンと成長していく様は、赤ん坊がこの世に誕生し、可愛い盛りの幼児期を過ぎ、小学校、中学校、高校、大学へと進むにつれ、集団生活の中で社会性を身につけ、知識を習得していくのにも似ている。やがて、親元から巣立つ二十歳の頃、本格的な夏を迎えるのである。
人の一生


ところで、シルビアと飯山さんの主張する「人生は一度きり」には、文化的に大きな隔たりがある。飯山さんの場合、科学的に熟考した上で輪廻転生はないという結論に達しているが、カトリック教徒のシルビアの場合、「イエスは神の子」という言葉からも分かるように、彼女自身の宗教が「人生は一度きり」と言わせているのである。

そのシルビアとは、カトリック、さらには宗教について多くを語り合ったが、帰国した今、つくづく思うのは、一神教徒(シルビア)と多神教徒(亀さん)との間に横たわる深い溝である。しかも、その溝は埋めようのない、底なしの溝であると、彼女と語り合いながら思ったことだった。なを、この一神教と多神教とを比較する形で、旧ブログに書いているので参考にされたい。
一神教の正体

一神教と多神教の違いを知ることは、これからの世界と渡り合って生きていかねばならない若者にとって、欠かせない素養の一つとなるはずで、孫子ではないが、「 彼(一神教)を知り己(多神教)を知れば百戦殆ふからず」なのである。

水の中の魚(一神教)にとって、陸の世界(多神教)は理解不能の世界であり、また逆も真なりなのだ。よって、異なる環境に生まれ育った者同士の真の相互理解、コミュニケーションは不可能であることを理解した上で、一神教の人たちと接していくべきだろう。

コミュニケーションの基本は「同一言語(文化)を共有する者の間に生じる情報伝達行為[努力]・意思疎通行為[努力]」だということだ。日本語圏で生まれ育ち、日本語しか話せない日本人と、英語圏で生まれ育ち、英語しか話せない英語母語話者の間では情報伝達行為[努力]・意思疎通行為[努力]は成立・成就しない。
コミュニケーション」(communication)の意味(続)


次回は、アルゼンチン滞在時に二日間だけ訪問した、ウルグアイでの想い出について書く予定である。

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シルビアの両親が眠る墓

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墓の周囲

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アルゼンチン独特の墓


アルゼンチンで思ふ(5)
前稿「アルゼンチンで思ふ(4)」を公開してから、大分間が空いてしまった。帰国以降、様々な雑用が増えてしまったためだが、気候も涼しくなったこともあり、このあたりで気を取り直して再開といこう。今回はアルゼンチンの経済について、思うところを書き連ねてみた。

■どっこい、おいらは生きている
高名なエコノミストが、アルゼンチンについて以下のように揶揄したことがある。

世界には4つの国しかない。 先進国と途上国、そして、日本とアルゼンチンである。
経済大国から転落したアルゼンチンのGDPと経済史


これは、ポール・サミュエルソンといった経済学の大御所の言葉だが、かつて亀さんも耳にしたことのある言葉で、懐かしく昔を思い出した次第である。それはともかく、アルゼンチンの経済について、同記事が以下のように形容しているのに注目されたい。

50年ほど前までは、世界で指折りの富裕国でした。平均6%もの経済成長率を30年連続記録したこともあり、国民一人あたりのGDPは世界第4位と南米でも屈指の経済大国でした。


豊かだったアルゼンチンのその後だが、40年前(1979年)に日本を訪れ、亀さん宅に半年滞在したアルゼンチンの親友の一人、シルビアが発した言葉が未だに耳に残っている。それは、当時のアルゼンチンの経済について、語り合っていた時だったと記憶している。普段は陽気なシルビアが、珍しく語気を荒げて反論してきた…。

亀さんは、アルゼンチンが後進国だとでも言うの?


当時のアルゼンチンは、どのようだったのか、ウィキペディアから引用しておこう。


1976年3月26日に軍事評議会がクーデターを起こし、陸海空三軍の推薦によりホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍が大統領に就任すると、アルゼンチンにも再び軍事政権が樹立された。ビデラ政権はこれまでの軍事政権とは異なり、「汚い戦争」を対ゲリラ戦略として採用し、反体制派、およびゲリラとみなされたものを非合法的な手段で徹底的に弾圧した。これにより、主だった都市ゲリラは壊滅し、治安維持に大きな成功を収めたものの、この過程で秘密裏に「行方不明」になった者は9,000人から30,000人にも上り、国民統合に大きな禍根を残した。


「行方不明者が9,000人から30,000人」という記述に注目されたい。1979年という時期は、シルビアにとって祖国に身を置くことは、「行方不明者」の一人にされかねない、極めて危険な状況下にあった。そして、それこそが日本に身を寄せた最大の理由だったのである。

その後はマルビナス戦争を経て軍事政権が崩壊、民政に移管したわけだが、結果的に中産階級の多くが没落、アルゼンチン経済は奈落の底に突き落とされた。当然ながら民衆の怒りが爆発、紆余曲折を経て、2003年に正義党のネストル・キルチネル政権が誕生したというわけである。しかし、政権を担当したキルチネル夫婦が、アルゼンチン経済の立て直しに失敗、末期に至っては汚職まみれの政権へと堕落していった。

シルビアが日本に身を寄せていた1979年当時、軍事独裁政権以外に年間5000%という、ハイパーインフレーションがアルゼンチンを襲ったことも指摘しておきたい。同国で起きたハイパーインフレについては、以下の記事に詳しい。
繰り返される「国家破綻」アルゼンチンの事例に学ぶこと

なお、マルビナス戦争後のアルゼンチン経済を把握する上で、上の記事は参考にはなるものの、日本経済についての見方が根本的に間違っている点も併せて指摘しておこう。

現在、日本の借金は1000兆円を超え、毎年絶え間なく利子が増え続けています。その上、ここ数年の財政赤字によって、その借金は数十兆円ほどに膨れ上がっているのです。今後しばらく進行する日本経済の赤字は、例え消費税を10%に引き上げたとしても賄いきれないと言われています。また、少子高齢化が深刻化しているため、今後、GDPが増えて、税収が増える見込みもありません。国債の暴落により、「日本経済の財政破綻が起こるのでは」との声も聞かれるようになってきています。各経済評論家によって多様な見解がありますが、日本は今後、投資先としても、企業発展と言う視点で考えても、期待度の低い国となりつつあるのです。


掲示板「放知技」の読者で、メスペサド理論を解する読者であれば、嗤って読み飛ばすことができる行だろう。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16492748/592/

再び最初の記事、「経済大国から転落したアルゼンチンのGDPと経済史」に戻す。筆者はマクリ政権について以下のように書いているのに注目されたい。

2015年に実施された大統領選挙では、野党中道右派のマウリシオ・マクリ候補がペロン党候補を僅差で破り、政権交代が実現しました。マクリ政権は、経済運営の正常化を目指しており、アルゼンチン経済は漸く健全化する見込みです。

また、アルゼンチンに並ぶ経済大国であるブラジルでも、左翼政権が2016年に崩壊し中道政権が発足しました。南米の経済大国の政変をきっかけに、今後は、他地域との協力を拡大するなど活性化するものと期待が高まっています。

しかし、ハイパーインフレや債務不履行を、幾度となく繰り返してきたアルゼンチンだけに、再び、引き起こす可能性が高いことには注意が必要です。確かに、経済大国になりつつありますが、それが完全回復と安心できるものとは言い切れません。

それをチャンスと見る動きもあります。アルゼンチンの主要輸出品目には、小麦やトウモロコシ、牛肉、そして、近年、ブランド化が進んでいるアルゼンチンワインもあります。また、工業面でも、天然ガスが有望視されています。


そう、アルゼンチンには小麦や牛肉、さらには有望な天然ガスがある。これにより、アルゼンチンが再びハイパーインフレに見舞われるようなことがあっても、庶民は逞しく生き残っていけるはずだ。そして、同記事の以下の結語…。

国際的な信用がなくなっても、孤立しても、アルゼンチンは生きています。国民は、伝統のタンゴを踊り、夜にはしゃれたバーでワインを楽しむ。そういう国です。


まったく以て同感!

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食べて飲んで…

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踊って…

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歌って…

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犬と戯れる

アルゼンチンで思ふ(4)
前稿「アルゼンチンで思ふ(3)」をアップした後、脳裏に浮かんだのが東京大空襲、そして広島・長崎の原爆であった。米軍による日本人の大量殺戮から、スペイン軍によるインディオの大量殺戮を連想したからというだけではなく、殺戮された日本人とインディオは、ともに縄文人という共通の遠祖を持つからだ。

■アルゼンチンの将来
さて、前稿にも書いたように、今回は先の第二次世界大戦以降のアルゼンチンを中心に筆を進めるが、その前に、インディオの時代から現代に至るまでのアルゼンチンの歴史を鳥瞰図的に捉えていただくため、ウィキペディア独自の時代区分を「アルゼンチンの歴史」から引用しておこう。

1 先コロンブス期(先史時代-1516年)

1.1 先インカ期(先史時代-15世紀)
1.2 インカ帝国による征服(15世紀-16世紀)
2 スペイン植民地時代(1516年-1810年)
3 解放戦争と内戦(1810年-1829年)
4 ロサス時代(1829年-1852年)
5 土着主義の敗北と国家統一(1853年-1880年)
6 急速な近代化と「移民の洪水」(1880年-1916年)
7 急進党の時代(1916年-1930年)
8 「忌まわしき十年間」(decada infame)(1930年-1943年)
9 ペロニスモの時代(1943年-1955年)
10 暴力と衝突の時代(1955年-1982年)
10.1 暴力と衝突の時代(1955年-1966年)
10.2 アルゼンチン革命の挫折(1966年-1973年)
10.3 ペロンの復権(1973年-1976年)
10.4 軍事独裁政権(1976年-1982年)
10.5 マルビナス戦争(1982年)
11 敗戦と民政移管から経済崩壊まで(1982年-2003年)
12 現在のアルゼンチン(2003年-)


ウィキペディアを通読して、亀さんはアルゼンチンの将来に不安を抱き、親友シルビアの娘の代父(英:godfather 西: padrino)として、第二の祖国であるアルゼンチンの将来を憂えた。そして、仮にアルゼンチンが健全な国家に生まれ変わるとすれば、それは五年先や十年先といった時間ではなく、百年~二百年といった時間を要することだろうと思った次第である。

ここで、誤解を恐れずにアルゼンチンの歴史を大まかに述べるとすれば、平和なインディオの時代が長く続いたアルゼンチンにスペインが侵略、インディオによる抵抗の時代が暫く続いた。その間、スペイン人とインディオとの間にメスティーソが誕生、さらに、同じ白人系のスペイン人でも、スペイン本国から来たスペイン人のペニンスラールと、スペイン人を親として現地で生まれたクリオーリョという違いが生じ、クリオーリョは低い地位に置かれていた。

やがて1808年、スペイン独立戦争が勃発してボルボン朝が崩壊、南米諸国独立のきっかけとなった。アルゼンチンも1810年、五月革命を経て独立を果たしているが、独立に向けて中心となったのがクリオーリョであった。その後のアルゼンチンは主な輸出先であり遠祖でもあったヨーロッパとの貿易を巡り、親ヨーロッパ派(自由貿易派)と反ヨーロッパ派(民族主義派)とに別れ、後々も国民統合に大きな禍根を残している。

その後は紆余曲折を経て今日のアルゼンチンがあるわけだが、ここで第二次世界大戦後のアルゼンチンの歩みを振り返れば、寡頭支配層対ペロニスタという構図が浮かび上がってくる。このペロニスタだが、ブエノスアイレスで一ヶ月お世話になった、親友シルビアとの政治に関する会話でも、いつも中心の話題であったのがペロニスタだった。ウィキペディアの「アルゼンチンの歴史」は、ペロニスタについて以下のように書いている。

枢軸国の最終的な敗北がもはや明らかとなった1945年3月27日に、ファーレル政権はナチス・ドイツと大日本帝国に宣戦布告したが、この頃にはペロンは自らをアルゼンチンの主権と、労働者の権利を擁護する存在としてイメージ形成し、ペロンの思想はペロニスモ、ペロンの支持者はペロニスタと呼ばれるようになっていた。


ここで注意すべきは、ペロニスタが軍事政権の期間を挟んで、大きく変容を遂げたということだ。それは、親友シルビアが第二次世界大戦直後のペロニスタ政権を高評価している一方、同じペロニスタであるキルチネル政権を徹底して嫌っていることからして明らかである。

シルビアの夫オスカルが仕事から帰宅すると、亀さんの二人でワインを酌み交わしながらテレビのニュース番組を見ることが多かったのだが、ニュースの多くがキルチネル前政権の汚職追究の報道であった。キルチネルの属する正義党は1999年に就任したメネム大統領から、2015年に大統領選で敗れたキルチネル大統領までの16年間続いたのであり、末期に至っては「権力は必ず腐敗する」を地で行くような政党に落ちぶれていた。そこにマクリ政権誕生の余地があったわけだが、国会では依然としてペロニスモが多いため、アルゼンチン経済の舵取りに、今のマクリ大統領は大苦戦を強いられているのが現状だ。

今月の3日、ペソ急落と政府の資金調達能力への懸念が投資家の間で広がったことから、マクリ大統領が一時的な輸出税や省庁の再編を含む財政再建策を発表しているが、直後に以下のようなニュースが流れた。
トランプ氏、アルゼンチン支持を表明 通貨下落への対応めぐり

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このあたりも含め、次稿ではアルゼンチン経済について言及していこう。

アルゼンチンで思ふ(3)
8月25日にアルゼンチンから帰国して一週間と経たないうちに、アルゼンチン中銀が30日、政策金利を60%に引き上げたというBloombergニュースが目に飛び込んできた。
ペソが最安値更新、アルゼンチン中銀は政策金利を60%に引き上げ

これは、掲示板「放知技」の常連の一人、mespesadoさんが>>592で「外貨建て債務が多いといかに経済に対する悪影響が大きいかを示す典型例」と指摘している通りなのだが、それはともかく、Bloombergニュースの結語、「デフォルト(債務不履行)や社会の大混乱につながった約20年前の通貨急落の記憶がよみがえった」については、亀さんはあまり気にしていない。なぜなら、20年前にもデフォルトを経験したアルゼンチンの庶民、今日に至っても逞しく生きているではないか。今回もデフォルトあるいはそれを上回る事態に陥ったとしても、逞しく生き抜いていくというのが庶民というものだし、今回久方ぶりにアルゼンチンを再訪し、一層その感を強くした次第である。

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さて、今回より政治・経済・地理・歴史・文化・民族・言語といった、様々な角度からアルゼンチンの解剖を試みていくことにしよう。

■インディオと縄文人に見る共通点
アルゼンチンの歴史については、ウィキペディアの「アルゼンチンの歴史」に詳しいので目を通していただくとして、最初にウィキペディアの冒頭にある以下の記述に注目されたい。

アルゼンチンの最初の住民は、紀元前11000年にアジアからベーリング海峡を渡ってやってきた人々だった。


亀さんをはじめ、読者のほとんどは学校の教科書で、「ベーリング海峡説」を教わってきており、北米のインディアンや中南米のインディオは、ベーリング海峡を渡ってやって来た人々という説、今日に至っては世の中の常識と化している。しかし、亀さんはそうは思っておらず、日本列島の縄文人が太平洋を横断して南米にわたったという、「太平洋説」を支持しており、簡単に拙稿「古代マヤと日本」でも言及した。

亀さん注:上記拙稿中で紹介した、「飯山一郎の縄文時代論」という記事がアクセス不能になっている。このあたりの経緯は、ぎのご怪獣さんが「放知技」>>329でズバリ指摘しているように、同じ輩による仕業であると思って間違いない。

ただし、上記の飯山さんの縄文に関する記事こそアクセス不能になったが、幸い拙稿で紹介した他の飯山さんの記事は今でも生きているので参照にされたい。
・”島国根性”を蹴飛ばして、”環太平洋ネットワーク”に目を向けよう!
・文字・国家をもたない縄文人が形成した地球規模の壮大なネットワーク空間のこと


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また、最近の研究でも「太平洋説」を裏付ける、書籍や記事が徐々に出回るようになったことを指摘しておこう。たとえば…
・『インディオの縄文人』(金子好伸 宮帯出版社)
→筆者の金子氏はフリーライターで、学術的な論拠にやや難があるものの、それを補うだけのインテリジェンスで満ちあふれた、刺激的な書籍となっており、同書を通じて縄文人の航海術は、南米へ到達できるだけの優れたものであったことに確信が持てよう。

・『海を渡った縄文人―縄文時代の交流と交易』(橋口尚武 小学館)
→日本列島を中心に記述している本だが、学術的にしっかりした本である。

ネット記事にも優れたものが多い。たとえば…
アンデスのインディオと縄文人の共通性
→アンデスのインディオと縄文人は、ATLウイルスという共通性があることから、5000年前に縄文人がアンデスに到着、現在のインディオは縄文人の末裔であると同記事の筆者は推測している。

加えて、アルゼンチンから帰国後、録画してあったNHKの「縄文1万年の美と祈り」という番組を見ていた時、縄文人の死生観「再生」のシーンに目が釘付けとなったことを告白しておきたい。つまり、再生のシーンに深く共鳴する自分がいたのであり、朧気ながらも自分に縄文人の血が流れていると、直感的に悟ったのである。

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ところで、ウィキペディアの「アルゼンチンの歴史」を読み進めていくと解ることだが、アルゼンチン史はスペイン植民地時代(1516年-1810年)を堺に大きく様変わりする。

■影を落とすスペイン植民地時代
スペイン植民地時代から近代に至るアルゼンチンの歴史について、親友のシルビアとは多く語りあっているが、放知技でも簡単に触れたように、最も強く印象に残った彼女の言葉は、「スペインは嫌い」というものであった。
ブエノスアイレス滞在記 12

アルゼンチン人は、表層的にはラテン特有の底抜けの明るさを持つ民族のように思われがちだが、一歩彼らの心の奥に踏み込んでみれば、インディオ大殺戮という暗い過去が顔を覗かせるのであり、程度の差こそあれ、一人一人が心の片隅のどこかで重い十字架を背負っているのが分かり、ハッとさせらることが今までに幾度かあった。

このアルゼンチン人の背負う重い十字架、若い頃はカトリックの教義辺りにあるのではと漠然と思っていたが、自分なりにアルゼンチンを含めた南米の歴史を調べていくうちに、インディオの大殺戮こそがアルゼンチン人、殊にポルテーニョの心に暗い影を落としているという確信を持つに至っている。

たとえば、本シリーズの「アルゼンチンで思ふ(1)」で、亀さんは作家である風樹茂氏の記事を紹介し、風樹氏のポルテーニョ観を示す行を引用している。

 誤解してはならないが、ポルテーニョの差別は膚の色によるのではなく、あらゆる他者に対する差別なのである。意見が違うもの、別の政治信条を持つもの、利害が対立するもの、身内じゃないもの、その距離が遠ければ遠いほど、差別が強まる。ポルテーニョ自身もこの差別からは無傷ではいられない。
アルゼンチンで繰り返される新自由主義とポピュリズム


このポルテーニョについて詳述するにあたり、ある写真展での体験を風樹氏は書いた。

この写真展はアルゼンチンで絶えず繰り返される復讐と燃え上がる憎悪、ポルテーニョたちの精神錯乱の解かれざる秘密を氷解させてくれた。

 それら全ては、殺されたインディオたちの復讐であり、思いもよらない呪いだったのだ。パンパスの亡霊が、彼らの魂の染み込むこの広大な大地が、ポルテーニョたちを捕らわれの身にしたのである。

 彼らがインディオ文化を抹殺し、他の南米のようにさほど混血もせず、虐殺したとき、彼らとこの大地とを結ぶ絆は、永遠に切り離され、この移民たちは、この大地の文化とはまったく無縁となった。

アルゼンチンで繰り返される新自由主義とポピュリズム 3


この風樹氏のポルテーニョ像で、ポルテーニョの心の深淵をほぼ掴めると思うが、さらに同氏は以下のように付言している。

それら全ては、殺されたインディオたちの復讐であり、思いもよらない呪いだったのだ。パンパスの亡霊が、彼らの魂の染み込むこの広大な大地が、ポルテーニョたちを捕らわれの身にしたのである。

この国には、他のメスティーソの南米が持つ国民の統合などはない。国民ではなく単に個人がいるだけである。


そして、風樹氏の以下の言葉…

ここ(アルゼンチン)にきた人々は、北アメリカの移民のように、新たな世界を作り上げようという理念は一欠片も無かった。あったのは土地からあげる利益だけだった。


同感である。別稿で詳述する予定であるが、今回の再訪でアルゼンチン人に強い絆は見受けられず、一人一人がバラバラであった。こうした社会を亀さんは甘納豆型社会と呼んでいるが、それと対局にあるのが納豆型社会で、そのあたりは拙稿「納豆型社会の情景」でも言及しているので割愛する。

最後に、アルゼンチン人全員がブエノスアイレス生まれで、白人系のポルテーニョではない点に注意を喚起しておこう。たとえばシルビア。彼女はブエノスアイレス市から北方400キロ離れた、エントレ・リオス州ノゴジャ生まれ・育ちである上、一人の〝脱藩人〟でもある。その彼女が語った「スペインは嫌い」という言葉には重みがあり、そこにアルゼンチンの未来にかすかな希望を見た。

次回はスペイン植民地時代以降のアルゼンチンの歴史、殊に第二次世界大戦以降のアルゼンチンについて言及したいと思う。

アルゼンチンで思ふ(2)
■ブエノスアイレスで過ごした日々
本シリーズでは、アルゼンチンの政治、経済、宗教、言語といったテーマを中心に書き連ねていく予定だが、その前に、一ヶ月にわたってお世話になった親友シルビアの家族や、その妹夫婦の紹介を簡単にしておこう。

シルビアの家は築百年を超えており、30年ほど前に二階を建て増ししている。以下は家の中の様子である。

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一家が集う大リビングルーム。ここで夕食後にテレビを見たり語り合ったりした

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プールのある裏庭、夏は満天の星空の下で夕食…!

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ペチカで暖を取るナラ

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ひなたぼっこをするナラとベト

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亀さんの寝室、右奥に見えるのが小リビングルーム

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寝室にある書架

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寝室からの外の眺め

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小リビングルーム。人形は娘のマリオンに、扇子はシルビア夫妻にプレゼントしたもの

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前菜

平日は亀さんが一番先に起床。大リビングルームでメールをチェックしたり、ネット記事を読んだりしていた。翻訳の仕事が入っている場合は締切日に間に合わせる形で進め、それ以外はシルビアを中心に家族と多岐にわたって語り合うのが日課であった。亀さんの仕事は翻訳なので、ネット環境が整ってさえていれば、世界中の翻訳会社から仕事を承ることができる。ちなみに、海外で仕事をしたのは今回が初めてであった。

朝6時半頃に娘のマリオンが二階の寝室から降りてきて、簡単な朝食をとった後、自宅前の道路に停めてある車で職場へと向かう。ちなみに彼女は大学で心理学を専攻、自閉症の就学前の子どもを担当するセラピストである。その後、隣部屋からシルビアの夫オスカルが起床、いろいろと語り合いながら朝食を一緒にとる。オスカルはプラスチック加工の工場を自営しており、以前は従業員数名を雇っていたというが、このところの不況で一人で仕事を切り盛りしているという。遠祖はロシアにルーツを持つドイツ系アルゼンチン人で、亀さんも同じような仕事の経験がある上、現在やっている翻訳の仕事も自動車や工作機械といった機械系が主流だ。このように、互いにハード(機械)系統が得意なドイツ系アルゼンチン人と日本人同士ということで馬が合い、話も弾んだものである。

二人が出かけた後は、主婦であるシルビアと家事の合間に、時々お茶を飲みながら多岐にわたってあれこれと語り合った。彼女、日に一回は買い物に出かけるので同行、買い物の後は喫茶店で美味しいコーヒーを飲みながらの会話が弾んだ。夕方になるとマリオン、続いてオスカルが帰宅、オスカルとワインを酌み交わしながら一緒に夕食をとるのが常であった。夕食後、語り合ったりテレビを見たりして過ごし、夜の10時過ぎにそれぞれ床に就くというのがお決まりのパターンであった。

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熱心に鶴を折るオスカールとクラウディアの娘アネリサ

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シルビアの妹クラウディアと夫のカルカッチャー

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亀さんの両脇がオスカールとシルビア、下に座る三人は左から娘のマリオン、息子のエリック、そしてクラウディア

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裏庭で豪快にアサード(焼肉)焼き

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超美味だったアサード

シルビア家には息子のエリックがいるが、現在は大学院生で経営学を専攻している。つい最近まではマリオン同様に親と同居していたのだが、最近できたガールフレンドのアパートで寝泊まりすることが増えたようで、週一回のペースで帰宅していた。そのエリック、本日の8月30日にスペインに向かって、五ヶ月間に及ぶ海外留学に旅立つ。

週末にもなると、オスカルやシルビアの友人らが大勢押しかけてきた。亀さんの歓迎会と歓送会の時はシルビアの妹夫婦、その娘たち、娘たちの恋人が駆けつけてくれ、深夜まで多くを語り合い、食べ、飲み、歌った。ちなみにシルビアの妹クラウディアの場合、ブエノスアイレス市に居を構えていることもあり、数回にわたりブエノスアイレス市の観光スポットを案内してくれたり、食事に誘ったりしてくれた。クラウディアの夫カルカッチャーとは46年前にシルビアの実家で幾度か会っている。つまり、当時高校三年生だった16歳のクラウディアと、交際していたのがカルカッチャーだったというわけで、お互いの初恋を実らせたということになる。そのカルカッチャーが拙い英語で亀さんが帰国するという前日、「今度は、いつアルゼンチンに戻ってくるのか?」と訊いてきた時はグッときた。また、帰国の時もシルビア夫妻に空港まで送ってもらったのだが、亀さんが別れの言葉を述べようとした時、シルビアに「来てくれて有り難う」と先に言われ、思わずほろっとした亀さんであった。

アルゼンチンで思ふ(1)
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十代の頃に約一ヶ月ほどをかけて、地球の裏側にあるアルゼンチンをヒッチハイクで旅した亀さんは、最近、実に46年ぶりにアルゼンチンの土を踏んだ。前回同様、一ヶ月(2018年7月23日~8月25日)という短い期間だったが、ある意味、己れの人生そのものを見つめ直す旅ともなった。そこで、ブログ再開にあたり、当地での体験を「アルゼンチンで思ふ」シリーズとして書き連ねてみたい。

■ポルテーニョ
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築百年を誇るシルビアの家

アルゼンチンの首都ブエノスアイレス市(Capital Federal)は、南米のパリとも言われており、あたかもヨーロッパに居るのではと錯覚を起こすほどの美しい都市である。そのブエノスアイレス市から車で20分ほどのブエノスアイレス州(Provincia de Buenos Aires)の一角に、アルゼンチン人の親友の一人、シルビア(女性)の家がある。結局、彼女の家で一ヶ月にわたり亀さんはお世話になった。このように書くと、アルゼンチンで生活した体験を持つ人たちにとって、俄には信じがたい話のはずである。何故か?

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シルビア一家の最寄り駅

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のんびりと電車を待つシルビアと夫のオスカール

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そして亀さん

ここで、以下に亀さん同様、アルゼンチンに滞在した体験がある、風樹茂氏の記事を取り上げてみよう。


 誤解してはならないが、ポルテーニョの差別は膚の色によるのではなく、あらゆる他者に対する差別なのである。意見が違うもの、別の政治信条を持つもの、利害が対立するもの、身内じゃないもの、その距離が遠ければ遠いほど、差別が強まる。ポルテーニョ自身もこの差別からは無傷ではいられない。

アルゼンチンで繰り返される新自由主義とポピュリズム


風樹氏の上の記事は、本物の焼肉(パリヤーダ)を求め、ブエノスアイレス市内のレストランを歩き回り、二週間かけて漸く本物の焼肉を出すレストランを探し当てた時の体験談である。しかし、苦労して本物の焼肉にありつけたものの、そこで風樹氏は後味の悪い体験をしている。それは、ポルテーニョであった給仕から受けた〝差別〟であった。ここで、風樹氏の言うポルテーニョとは、白人系でブエノスアイレス生まれの人たちのことを指すのだが、そのポルテーニョである給仕から露骨な〝差別〟を受けたというわけである。ポルテーニョ誕生の背景については、アルゼンチン史を紐解く必要があるので別稿で改めたい。

ちなみに亀さんの場合、シルビアの家族(シルビア・彼女の夫・息子・娘)をはじめ、シルビアの妹夫婦といった親戚や友人らからは、一切〝差別〟を受けていない。それは、シルビアとその妹がブエノスアイレス市から北方400キロ離れた、エントレ・リオス州ノゴジャ生まれ・育ちということもあるが、それ以上に大きかったのが、シルビアが亀さん同様、〝脱藩人〟であったことにある。この脱藩人については、拙稿「南方熊楠の世界(3)」あるいは「南方熊楠の世界(4)」で詳述した。

ともあれ、風樹氏や亀さんのアルゼンチンでの体験は、以下の風樹氏の記述にもある、数日の観光だけ、それも観光スポットをめまぐるしく回るだけの観光とは、まったく異質のものである。尤も、そうした旅行の仕方に亀さんもアレコレ言うことはできない。何故なら、かく言う亀さんも十代の頃は小田実ではないが、「何でも見てやろう」と貪欲にアチコチ歩き回る旅をしているからだが、今回はブエノスアイレス州の一角にあるシルビアの家で主に日々を過ごすという形をとった。しかも、滅多に外出することもなく、殆どの時間をシルビアの家で過ごしている。自然、英語のできるシルビアやその家族、そしてシルビアの親戚や知人らと触れあうことが多い日々だったので、当然ながら観光地を回るだけの人たちの受けたアルゼンチン観とは、大きく掛け離れたものとなった。

2、3日しか留まらない観光客や、5つ星のホテルに泊まり、政府関係者やビジネスマンと会う新聞記者、政治家、企業関係者などは「素晴らしい、肉もうまい、音楽もいい、女性も美しい、国の経済が悪いなんて嘘だろう」という印象しか残らないかもしれない。
アルゼンチンサッカーは憎悪の祭典だった


このように、深くアルゼンチンと関わった風樹氏と亀さんだが、体験の中味次第で、かくもアルゼンチン観が異なってくるのかという格好の見本にもなっている。

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