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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
シンクロニシティ
半年前に「日本の最高機密」と題する記事をアップ、当時は未だ〝健在〟だったリテラや新井信介氏の記事を紹介しているが、それから半年しが経っていないというのに、リテラや新井信介氏の劣化ぶりは目を覆うものがある…。亀さんは同記事の中で以下のように書いた。


最後に今後のナリオだが、日本の人口激減が本当であったことを思い知らされる日を迎え、国中がパニックになるか(国家の崩壊)、(知人友人がバタバタと逝き)気がついたら周囲に誰も居なくなったという日を迎えるか(国家の臨終)、いずれかと思うべし。


今までは後者の国家の臨終、すなわち〝静かな死〟を日本は迎えようとしている気配が濃厚であった。ところが、その後になって状況が変化したのである。すなわち、飯山一郎さんのHP記事「安倍首相が4月27にモスクワ訪問! 」にもあるように、日本の運命を左右しかねないフクイチ問題、ここに至って一条の光を見いだせるようになったのだ。

さて、ここで少し横道に逸れるが、掲示板「放知技」の常連の一人である、疲れ人さんの投稿に注目されたい。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16090538/24/

このシンクロニシティで思い出したのが、故宍戸幸輔さんである。翁の事務所や自宅には幾度かお邪魔しており、多くを語り合っているが、ニューサイエンス、すなわち精神世界がテーマになったことが多く、そうした話題の一つがシンクロニシティであった。そうした流れの中、翁にシンクロニシティの本を薦められ、亀さんは購入している。

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同書の内容だが、何分にも15年も前に目を通した本であり、どのようなことが書かれてあったのか、記憶が曖昧になっていたので、アマゾンのカスタマーレビューに目を通し、漸く思い出すことができた。そして、翁とシンクロニシティについて語り合った時は、以下のアマゾンのカスタマーレビューにもあるように、テレパシーといった超心理学や心霊現象などについて、多くを語り合っていたのも同時に思い出したのである。

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ここで、アマゾンのカスタマーレビューにある「他者との人生の一致」、これは疲れ人さんが仰せの「集団発狂のシンクロニシティ」と、何処かで通じるものがありそうだ。だが、今回はシンクロニシティについてあまり深入りはせずに、このあたりで止めておく。

さて、冒頭でリテラや新井信介氏が劣化したと書いたが、リテラの場合、拙稿「変わったのは…」でも書いた通り、今も昔も基本的には何も変わっていない点を指摘しておこう。同記事にも書いたとおり、大きく変わったのは亀さんの方なのだ。同様に、掲示板「放知技」の飯山一郎さんをはじめ、多くの常連さんの安倍晋三像も劇的に変わったのである。

副島隆彦、植草一秀、ネットゲリラ、カレイドスコープ、山崎行太郎といった〝識者〟らは、飯山さんに接するという機会に恵まれることもなかったので、大転換期という時代の本流に取り残されてしまったのは仕方がない。しかし、飯山さんとスカイプで何度も語り合ったという新井氏の場合、どうして自身の安倍晋三観が変わらないのか…。折角、誰も気づかなかった安倍晋三像を、飯山さんが明示してくれたというのに …。ここで脳裏に浮かんだのは、マキャベリのヴィルトゥフォルトゥナである。これらを強いて日本語に訳すとすれば、力量(ヴィルトゥ)、そして運(フォルトゥナ)あたりになるのでないだろうか。新井氏の場合、飯山さんの知遇を得るという運(フォルトゥナ)には恵まれていたが、今までの安倍晋三像から抜け出せなかったのも、新井氏がルサンチマンという状態にあったこと、放射能の影響が多少出てきたということ以外に、マキャベリが言うところの〝力量〟に欠けていたため、飯山さんが示す安倍晋三の人物への理解が至らなかったのだ、ということが容易に想像できるのである。

ヴィルトゥとフォルトゥナ
さて、共和国の官僚であったマキアヴェリにとって、原理的には正しいソデリーニ政権がなぜ挫折し崩壊したかという問題がある。この解決として、彼は政治制度そのものよりも、それの背後にある精神に問趣があるという結論に達した。そしてこの考えを提示するために、有名なヴィルトゥという語彙を使用した。彼の二つの著書のなかで、このことばは多面的な性格をそなえていて、いちがいに統一した訳語では表現できない。某本的には、ラテン語のVirtusのイタリア語化であり、人間に大事業を達成せしめるような、人間の根本的な性格を示すものである。ことばをかえれば、すべての人間行動がそこから起こる力とか活力をさす。したがってマキアヴュリにとって、政治的な成功の裏づけは、その理論の正しさ、知恵の使い方などによるのではなく、集中された意志力、内からわきあがる「理屈をこえた」洞察にあるということになる。すなわち、それまで共利国の限界のなかで模索していた彼が、その活路として、一種の非合理な(といっても悪い意味ではなく)、そして精神主義的なものへ移っていくのである。
ヴィルトゥは政治指導にはなくてはならぬものだった。軍隊の長であろうと、国家の責任者であろうと、ヴィルトゥを必要とした。しかし、彼によれば、ヴィルトゥは個人も集団もともにもちうるものなのである。
しかし、彼にとっては、この精神主義は万能ではない、人間の行為は自然の循環、すなわち運命にしたがわねばならない(『政略論」第二巻第1章』。人間の行為は、その瞬間における情勢に一貫してしばりつけられていることは、マキアヴェリももちろん認めていた.当時の考えでは、人間にある行動を起こさせるように導く力(マキアヴェリはこれを「必要」と表現する)は、あくまでも人問の意志の外にある、どちらかといえば人間に敵対する力として把握していた。つまり運命の前にはどうにもならない、人間がいかにヴィルトゥを発揮しても、どうにもならないというあきらめであった。しかし、彼のなかには、彼の積極的な傾向からする、一種の確信がみられる。どのようなネチェシタがあろうとも、最後の結果は、それに対する人間の対応のしかたにあるのだと考える。彼によれば、完全に絶望的とみなされる情勢はまれにしかない。たいていのばあいは、環境を自分に都合よく変える可能性は人間にある。自然が人間に与えている能力を活用するかぎり、人間は外部の圧力に直面しても希望がある。
このように、事態をコントロールする可能性を人間がそなえているという考え方は、ヴィルトゥとフォルトゥナに関するマキアヴェリ特有の考え方を示すこととなる(『君主論」第25章参照』。マキアヴェリは、ヴィルトゥとフォルトゥナには一種のつりあいがあるのだと考えたのである。
マキアヴェリ以前の人々はフォルトゥナは気まぐれで彼女のお気に入りの人々にのみほほえみかけるものだと考えていた。しかし、マキアヴェリの独創的なこれらの考え方は、以前からの一般の見解を修正した。彼によれば、事態をコントロールする機会は、短い瞬間においてのみ人閲に与えられている。つまり、好ましい情勢をつかみとることこそヴィルトゥなのである。このように好ましい情勢にヴィルトゥを一致させるという考えは、マキアヴェリの政治思想のうちのもっとも菟命的た姿を示すものなのである。この相対主義は、『君主論』の全巻を通じてひろがっていくことになる。ここにおいてヴィルトゥは、観察と選択と果断によって構成されることとなった。
以上のようなヴィルトゥを主体とする政治の理念は、旧来の原理のなかでは解決しえなくなったイタリアの、現状の打開に苦しんだマキアヴュリが、その苦悩の結果たどりついた一種のユートピアであった。
貴族化してゆきづまっていた旧来の商人世界の打算から、新しい国際環境のなかにひきずり出されたイタリアに、マキアヴェリの思索は集中された。彼の思想の意味は、旧来の打算から一歩ぬけ出ようとした努力のなかにこそ見いだされるのである。そしてこのことから、『君主論』と『政略論』の目的としていた点を知ることができると思う。

『世界の名著』(中央公論社)の第16巻『マキアヴェリ』p.38~40


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松岡正剛×コムアイ
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松岡正剛とコムアイ

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松岡正剛の〝書〟の世界

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コムアイの〝音〟の世界

松岡正剛と言えば、「千夜千冊」で知られている編集工学生みの親だが、その松岡が昨日NHKで放送された、「SWITCHインタビュー 達人達」に登場、対談相手は異彩を放つミュージシャンのコムアイであった。

松岡の〝書〟という世界、そしてコムアイの〝音〟という世界、この二つの異質の世界に住む二人、しかも年齢差が半世紀近いということもあって、興味深く同番組を通して見た。そして番組を見終え、強く印象に残ったのが、〝ビギニングとエンディングのある出来事は、全て17段階に分割できる〟という、松岡の発見であった。これは、禅の悟りにいたる道筋について、牛を主題とした十枚の絵で表したという十牛図、あるいは、三木成夫医学博士の「宗族発生の位置…個体発生との関係」といった、凄い世界を我々に示してくれるのではという予感がするのだ。

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十牛図

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宗族発生の位置…個体発生との関係

ところで、2004年に胃ガンの手術を受けている松岡、どうやら自身のエンディングを意識している様子が窺い知れたのだが、その松岡が17段階という新発見について近く本にするとのこと、今から非常に楽しみである。

【別報】
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今朝の東京新聞に載った吉永小百合の「私の十本」(9)。


未来を見通す目
ヨーロッパの非英語圏にオフィスを構える、X社という翻訳会社との付き合いは、かれこれ10年近くになる。そのX会社は2年ほど前から、英語から日本語に機械翻訳したファイルを送ってくるようになった。しかし、ほとんどは使い物にならない和訳のオンパレードであり、一度すべての和文を削除してから、改めて翻訳し直しているのが現状だ。加えて、原文である英語も酷い。特に最近は酷くなってきたので、「ドイツ語の原文を機械翻訳させた英文を使用しているのか?」と、数日前にX社の担当者に問い合わせたところ、客先であるメーカーの担当者が英訳しているとのことで、担当者も客先の英訳の酷さについては先刻承知であった(笑)。

そんな矢先、興味深い記事が日刊ゲンダイに掲載された。
AIで雇用崩壊 井上智洋氏「30年後働けるのは人口の1割

同記事によれば、亀さんが生業としている翻訳の場合、今から7~8年後(2025年頃)に、翻訳といった仕事はAI(人工知能)に脅かされ始めるとある。確かに、自動車・機械・コンピュータといった取扱説明書あたりなら、昨今の囲碁や将棋ソフトの著しい進歩から推測すれば、大いにあり得る話だ。

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ここで、将棋と翻訳とは分野が違うのだが、将棋を翻訳に置き換えて以下の記事を読めば、機械資源(CPUコアやストレージ)+機械学習(コンピュータによる学習の蓄積)の活用により、プロの翻訳者と何ら遜色のない和文に訳せそうである。
プロ棋士に連勝!将棋ソフト「Ponanza」はなぜここまで強いのか

ただし、文学、殊に長年の風雪に耐えてきた古典文学となると、人間の心が深く関わってくるだけに、将来においてもAIによる翻訳は、不可能であると亀さんは見ている(拙稿「心知体」参照)。

ところで、昨日の東京新聞夕刊の片隅に、みずほ銀行と電子マネーについての記事が掲載された。

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みずほ銀行と言えば、繋がりの深い孫正義を連想するが、その孫が発表した以下の論文に改めて目を通してみた。
孫正義氏「OneWebで情報通信革命を」12億ドル出資する“宇宙ベンチャー”の未来を語る

AIの登場によって自分の現在の仕事が、どのような変化を遂げていくのかについて想像すると同時に、社会全体に大きな影響を及ぼしそうな、孫正義の未来プロジェクトも併せて検討することにより、自分の未来設計を立体的に描くことができるのではと思う。まさに、孫正義の語る「あらゆる産業が再定義される日」が、目の前に迫っているのである。

【別報】
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先週の金曜日、佐藤優氏のコラム記事が東京新聞に掲載された。同コラムの中で佐藤氏は、「アサド政権は自国民に対してサリン使用したとみている」と発言しているのに注目されたい(拙稿「放射脳?」参照)。

洞察歯観のすすめ(21)
1ヶ月ぶりに歯科&音楽ウォッチャーさんからメールが届く。今回は高血圧についての貴重な情報なので、参考にしていただきたい。なお、拙ブログでも〝薬害〟については、「〝最後〟の同窓会」という記事を書いている。また、一昨年の6月、飯山一郎さんの講演会(東京)に出席した時、講演が始まる前に飯山さんが小さな箱を机の上に置き、「降圧剤を持っている人は、今すぐこの箱に入れてください!」と、大声で呼びかけておられたのを思い出す。

それにしても、歯科&音楽ウォッチャーさんのユニークな発想、どこから来ているんだろうか…。

森友石鹸オペラは昼の時間帯だけでなく朝から夜まで炎上集客リズムに乗って大ヒット垂れ流し上映中。あちらこちらで炎上して、全国的に炎上交際の輪が広がっているのかも知れません。
事務所の近くにあるファミレス座においても、森友に始まり、家族が、学校が、仕事が等々、怒り・ストレスをため込んだ心の炎と血圧を燃やしております。面白いことに、あちらこちらからのボックス席から湧き上がる声を聞いていると、ファミレス座に集う喋くり族は、フーガ(遁走曲)スタイルのようで・・・対話に弾みがつき、徐々に興奮高まり、相手が話し終わらぬうちに話し始めてしまう。気持ちが突っ走って、考える先に口が出てしまう・・・といったストレッタ(追迫)をもって、ファミレスワイドショーがクライマックスへ。
病院も、いろいろな演奏スタイルを考案しては患者狩り・・・いや、真心サービスに心血を注いでいるようで。ファミレス座を後に、血圧が燃えているところで検診など病院へと足を運ぶ。すると、
「血圧・・かなり、高いですねぇ」
などと言われ、更に、
「高血圧症というのは、脳梗塞。心臓病・・・など命にかかわる合弁症の原因になるんですよ!」
と、優しく冷たい表情で脅しのアリアを聞かされた挙げ句、
「血圧を下げる薬を出しますから、今日から薬を飲んでください・・・」
顔を背けたままカルテに何やら書き込み、スタッフに渡し、受付で会計を済ませ薬の入った分厚い福袋を受け取るその時、診療室の奥から医師が、少々大きな声で、
「薬、ちゃんと飲んでください!」と声をかける。
すると、医師からバトンを受け取るように、受付の女性スタッフ二人が少しの間をおいて、
「薬、ちゃんと飲んでくださいね」
「忘れず、飲んでください。お大事に」
落ち着いた声と、明るいトーンのツイン・ヴォーカルで患者を送る。
医師と受付スタッフは、カノン(輪唱)スタイルで患者の心にプレッシャーをすり込む。
今宵は、いつもの如く、いつものスチャラカ・メンバーが集い事務所宴会をしております。

信州の酒が美味いか!秩父の酒が美味いか?森友事件から始まり、昭和ホームドラマ~高血圧へと話題が流れ、そして今、どこの酒が美味いか・・・と揉めてます。
揉めている間に、高血圧の話題を・・・もう少し。カノン・スタイルの医院に通っているのは、信州の酒が好みだという、スチャラカ・メンバーのMさん。
Mさんは自宅近くの医院(親の代からの近所づきあいで、今はかたち程度に付き合っている)で検診を受け、高血圧と言われ、何度か通っては福袋を受け取っているものの、袋の中身を口にしたことはない。
Mさんに言わせると、
「おけつが、高い!は、医者の殺し文句。降圧剤は、認知症、インポ!にするための特効薬」
(おけつ・・・とは、お血=血圧のことで、これはMさん独特の言い回し。Mさんの身近に薬に関わる仕事をしている人がいるようで・・・)
高血圧をネタに降圧剤をもって薬漬けにする行為を、Mさんは、「おけつ狩り!」と呼んでおります。
Mさん推薦の本が二冊あります。これは、事務所にも置いてあるのですが、手にする人皆、興味津々。目を皿のようにして読んでおります。特に男性は読み進めながら、ついつい股間に手を伸ばしたくなるような・・・。

一部、内容を紹介しておきます・・・。
その一冊目。岡本裕 著「9割の病気は、自分で治せる」
高血圧にふれて。
「脳梗塞や脳卒中、心筋梗塞の原因になるということで、散々言われてきた、高圧症や高脂血症についても、長寿の人に高めの人がけっこういて、従来の理論を覆す現象が見られる。健康診断で血圧が高いといわれ、降圧剤を飲むようになってから体調が悪くなってしまった人もいる。

血圧が高くなるのは、細胞の隅々まで過不足なく血液を送り届けて、末端の汚れた血液を回収しようとする体の自然な営みです。高齢になり血液が細くなると、血圧が高くなるのは当然で、それを薬で無理矢理下げようというのですから、体だって悲鳴を上げてしまう。血圧を無理矢理一気に下げてしまうと、全身の血の巡りが悪くなり、酸素や栄養素が細胞の隅々まで運ばれないだけでなく、二酸化炭素などの老廃物も細胞から回収しにくくなってしまう。その結果、不眠になったり食欲が低下したりして元気がなくなり、人によっては、ボケ(認知症)症状が出てしまうことがある。

血圧が高めの人は、就寝中に足を少し高くして寝たり、足首を上下に動かしたり、あるいはふくらはぎをマッサージして、滞りやすい膝からしての血流を良くしてあげるだけでかなり改善します。また、腹式呼吸も交感神経が優位になって血管が広がるので血圧を下げる効果がある。上に血圧が180以下を保っていルようであれば降圧剤は不要。

現在、高血圧症と診断される基準は国際高血圧学会が決めたもので、日本の厚生労働省もこの基準を採用している。それによると、65歳未満は、上の血圧(収縮血圧)129以下、舌の血圧(拡張期血圧)84以下として、65歳以上は、上が139以下、下が89以下が正常で、これより高いと高血圧症と診断されてしまいます」
そして、二冊目。ロバート・メンデルソン 著 弓場 隆(訳)「こうして医者は嘘をつく」
メンデルソンは、降圧剤について、

「それほど危険でない治療法で十分な効果をあげられる病気に対しても、多くの新薬が開発され処方されている。降圧剤が開発されたときも、それまでこの種の薬がなかったのですぐに人気が出た。おかげで医者は高血圧症の患者に生活改善を呼びかける必要がなくなった。降圧剤の処方を書き、それを服用するように患者に指示すればいいからだ。おまけにテレビやラジオ、雑誌で製薬会社が降圧剤の宣伝をしている。医者は、高血圧症の唯一の治療法は降圧剤の服用ですと大勢の人を洗脳するばかりで、この薬の副作用については警告しようとしない。もちろん、医者は降圧剤の副作用についてよく知っている。降圧剤の副作用を抑える薬の広告が医学雑誌にいっぱい載っているからだ。降圧剤の副作用を列挙しよう。発疹じんましん 光線過敏症 めまい 胃弱 筋肉のけいれん 血管の炎症 皮膚のひりひりするような刺激 関節炎 精神障害 意識障害 集中力の欠如 ひきつけ吐き気 性欲減退 インポテンス。

ちなみに、性欲減退は、降圧剤を服用している男女両方に共通する現象だ。中年男性の間で、心理的要因ではなく降圧剤の副作用のためにインポテンスになって悩んでいる人は、かなりの数に上ると思われる。世界のどんなセックス療法をもってしても、薬物療法が引き起こす性欲減退とインポテンスを治すことができない」


酔いつぶれる前に、気になることを記しておきます。

ある田舎町に住む友人からの報告なのですが、昨年の秋口あたりから、頻繁に葬式が続いているとのこと。その友人の言によると、
「去年の10月半ばぐらいから、、やけに葬式が続いている。仕事場からほど近いところにあるOOOホールの前を通る度に、OO家葬儀・告別式と書かれた文字が目に飛び込んでくる。ここに30年以上いるが、こんなことは初めてだ・・・」
とのこと。
人工の現状分析 人口動態の特徴(国内 県内ランキング)
OO市 OO町 人口ビジョン。
「人工の変化が地域の将来に与える影響の分析。
経済・産業面での影響
環境面での影響
行政運営面での影響
公共サービス面での影響
年少人口の減少に伴う影
生産年齢人口の減少に伴う影響」
等々・・・我が町人口減少の数字の変化を確認しておくことも必要かと。


追記

安倍晋三。 大石内蔵助か多羅尾坂内か。はたまた、ミル・マスカラスか。 果たして・・・?
安倍さんは、鉄人28号かと思っておりましたが、森友狂想曲と背中合わせに聞こえてくるのは、安倍晋三・変奏(変装)曲。なのかも知れません。
それも、「性格変奏」という通好みの高度なテクニックを用いているのかも・・・。これを見分ける・・・いや、聴き感じ取るのは至難!


奇跡の金星を勝ち取った稀勢の里。次は 一番大勝負。安倍の里の出番か。

キングクリムゾン・・・「エピタフ」を聴きながら、雑魚寝です。Confusin Will be my epitaph (笑´∀`)


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マキアヴェリの周辺
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自宅の書架にある『世界の名著』(中央公論社)の一冊に、『マキアヴェリ』がある。巻末に発行日が昭和41年(1966年)とあるから、今から半世紀以上も前の本だ。現在、この『マキアヴェリ』を柴錬三国志とともに、毎晩少しずつ読み進めているが、昨夜、同書に挟まれていた小冊に何気なく目を通したところ、ナント開高健がマキアヴェリについて、会田雄次と対談している記事であることを知った。

その開高健だが、かつて『週刊プレイボーイ』に人生相談が1966年に登場、亀さんが特に気に入ってるのが、今東光の「極道辻説法」、柴田錬三郎の「円月説法」、そして開高健の「風に訊け」なのだ(「男が興奮する人生相談」)。

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現在、掲示板「放知技」の「飯山一郎と紳士・淑女の歓談室 -24-」で、展開されている大転換期というテーマを念頭に、会田雄次と開高健の対談記事を読み比べてみるのも一興である。


マキアヴェリの周辺

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〈対談〉
開高 健(作家)
会田 雄次(『世界の名著』第16巻責任編集)

乱世の小貴族
開高 歴史上の英雄、偉人といわれる人は、やせた小男が多いですね〔笑)、ナポレオン、ヒトラー、秀吉……。見かけによらず精力的で、しぶとくて、嫉妬心があって、陰険で、大男の肥満漢にあるとぼけたところがない。
会田 マキアヴェリも、やせた男だったでしょう。上から見おろすのと、下から見あげて謀反を企てるのとの違い、騎馬民族と農耕民族との相違でしょう。ナポレオンの小心さにも共通したところがありますね。『君主論』を書いた背後にも、偉くなりたい、自分をもっと使ってみろという気持があったと思うんです。
開高 マキアヴェリの生まれや育ちは、どうだったんですか。
会田 貴族の生まれですけれど、イタリアには貴族が多くて、マキアヴェリのばあいは日本の侍程度ですよ。
開高 いわば旗本みたいなところですか。
会田 三十石、百石といった御家人というところでしょう。マキアヴェリの息子が安物だったんです、事業をしても失敗ばかりして、だから最後はちょっと悲惨だったのではないですか。マキアヴェリのお父さんは当時一流の人文主義者と交際のあったなかなかの教養人でした。お母さんのほうも家柄はよくて、詩人で、お父さんに劣らず知性豊かな人だったらしいですね。
開高 サマセット・モームの小説に、マキアヴェリを主人公にした『昔も今も』というのがありますね。僕は昔から愛読しているんです。あの小説ですと、マキアヴェリは夫人に「おまえはいい女房だ、いい女房だ」とばかり言っていて、夫人のほうは夫人のほうで、マキアヴェリの浮気やら好色ぶりをよく知っていながら知らんふりしている。そして台所でいそいそとひばりの料理など作っている。マキアヴェリ自身には凶悪無惨なボルジアという独裁者が迫ってきて、フィレンツェをつぶしにかかろうと構えている。それを徒手空拳舌先三寸でまるめこみに、マキアヴェリは出かけ、そうしてだましたりだまされたりしながら、一方ではつまらない女を好きになって言い寄るものの、いいかげんにあしらわれて、いっこうに首尾が果たせたい。ボルジアのほうは、うまい具合にまるめこんだけれども、女のほうだけはいかんともしがたくて、あげくの果てに、自分がばかにしていたお供の青年にしてやられて、子供までつくられる。しかし、フィレンツェは無事だったと家に帰ってくる。それで、おれもちょっと政治生活に退屈したといって、楽しみのために小説を書いてみようかと思うのだよ、ひばりの料理を食べながらね(笑)。考えてみれば、このひばりも気の毒なもので、さんざん歌ったあとで食われてしまうんだなというようなことを言うと、夫人が横から、あなたの心に通ずる道は胃袋を通っているんですからねとかなんとか言う。友だちはそのマキアヴェリの希望を聞いて、とびあがって驚いて、自分の楽しみのために小説を書くなど、批評家にどんなことを言われるかわからない。するとマキアヴェリはひばりを食いながらせせら笑って、あの連中は、いつも楽しんだあとで文句を言うのが商売なんだ。古来自分の楽しみのため以外に書かれた傑作ってあるか。ベトロニウスの『サチュリコン』がなんのために書かれたか、よく考えてみろ。いい例ではないか。おれは小説を書くんだ――というので、そこで幕切れになっていますね。結局マキアヴェリ自身がマキアヴェリズムにやられてしまうという通俗的な皮肉もたいへん気がきいているし、僕はやはり非常に成熟した知性を感じますね。モーム独特の目が生きているわけで、政治小説の出色の作のひとつだと思うんです。日本の現代文学のなかで政治小説ということを考えると、すぐにコミュニズムとの対決、敗北、その挫折、誠実な良心の追求というようなことしかしませんけれど、僕はああいう政治小説が出てくるようになれば、そういう社会はかなり成熟したものだと思いますね。
会田 そう、それだったら日本もかなり成熟した社会になりましたね。当時のイタリアといえば、すでに成熟しきった社会だったわけで、そうした目から見たら、イギリス人にしてもフランス人にしても、わけのわからない宗教だとかイデオロギーをかついでいる猿にしか思えなかったでしょう。その点マキアヴェリはすっかり見抜いていたはずですよ。
開高 『昔も今も』では、非常に頭のよい、口先の達者な、手練手管にたけた、中年のけちんぼの好色漢、まあ男としての要素を全部備えている…(笑)。
会田 だからマキアヴェリは思想家として、あるいはドイツ、日本、つまり後進国流にいえば、道徳家、思想家としては安物だと解釈されるわけですよ。小、中学校程度の道徳思想で武装している人がそう思うのは当然でしょうが、イタリア人にとってはばかばかしいでしょうね、それは。
開高 至誠天に通ずるなどということは、けっして言わないですね。「道」を追究するという日本人の倫理意識には、いつも政治と道徳を一体化しようとするものがあって、だからユーモアが出てこない。
会田 マキアヴェリにある偽悪家的な性格にも、ルネサンス時代の、古い道徳意識に反抗しているマキアヴェリの姿勢があったからで、天然自然にそこまで成熟した、りっぱな男とも思えませんね。
開高 僕は偽善者というのは、ある意味で尊敬するときがありますね。なぜかというと、偽善というのは、つねに気を張っていなければつとまらない感情生活ですからね。これはつらいことだと思います。おそらく偽悪も同じことでしょう。使うエネルギーは同じで、ただ方向が違うだけだと思うんです。偽善にもならず、偽悪にもならず、小心翼々とした人物たちが、偉大な偽善者、偉大な偽悪者を描いてみようとか、筆の先に引っかけてみようとすると、これはつらいことですね。
会田 しかしマキアヴュリはおもしろいことに、偽善に徹した人間は尊敬してますね。ところがぼろを出すものだから怒る。偽悪者に対しても。どっちつかずをルネサンス人は軽蔑します。でも、善と知りつつ善をなさず、悪と知りつつ悪をなさない、これをいちばん軽蔑する。
開高 常住坐臥、全身目にしていなければならないわけですから、これはたまらない。
会田 ですからウェルナーという傭兵隊長が自分の胸甲に、「神、慈悲、憐欄の敵」と刻ませていたのも、そうしないと自分がささえきれたかったからだと思いますよ。

政治の芸術化
開高 当時の人民は、政治や政治家をどう見ていたんですか。
会田 将来を見通している政治家もいないし、はっきりした指導理念があるわけではないし、権力闘争に明け暮れていたわけですから、ばかにしていたでしょう。そのかわり政治に対する批判は、寸鉄人を刺すようなことばで、なかなか辛辣ですよ。しかし、それをひっくり返すまでにはならない。操縦するほうが、まだまだうわ手だったからでしょうね。
開高 そうすると、政治を道徳のひとつの形と考えないで、一種の技術、また芸術というように見ていたわけですか。
会田 それをマキアヴェリがとくに打ち出したんですね。政治と技術というよりも、ひとつの道徳や宗教から完全に独立した政治の世界だと考えますからね。世の中の常識や道徳から見れば、これ以上、上の人はないというような人が見事に失敗する。それから、非常に悪辣無惨で、こんな悪人はないというのがちゃんと君主になっておさまっている。あるいは、これは絶対信頼していいと思っていた男が、主人を裏切って殺してしまう。そうしたことをマキアヴュリは見ているんで、哲学だとか、道徳だとか、宗教だとか、そうしたものとは違った法則のようなものがあるだろう、それを見抜くぞ、見抜けたぞという自負があったのではないかと思いますね。もっともはっきりした理論体系とか、世界観の体系にまではいかない、見抜いたという感じね。命をかけて、相手と弁舌でやりとりする。マキアヴュリのうしろにはフィレンツェの興廃がかかっているんですから、じつに楽しかったでしょうね。
開高 革命家の生きがいはこれと同じでしょうね。平和になったらボヤッとしてしまいますよ。
会田 ところがマキアヴェリのかわいそうなのは、まだまだ能力があると思っていたのに、ボルジアが死んでしまって、自分を知ってくれる者はいなくなる、そして、まわりには安物の君主ばかり。しかも、その君主ですら自分を使ってくれない、呆然としたところがありますね。マキアヴュリ自身も知っていたのではないでしょうか、『君主論』がむなしい叫びのようなものであるということを。
開高 それはどういうことですか。マキアヴェリがやはり両刃の剣として恐れられていたからなのでしょうか。つまり、味方として使っている分にはいいけれど、その鋭さは、同時に敵にまわしたらこっちに切ってかかってくるものだという……。使いこなせなかったということですか。
会田 そうでしょうね。もうすこし使いこなせる者がいたらよかったのでしょうが、とほうもない人間ですから使い誤れば自分より上になりますからね。大ロレンツォぐらいだったら使いこなせたかもしれないでしょうけれど。
開高 さっき、当時の人民の、政治や政治家に対する話が出ましたが、マキアヴェリは人民というものをどう考えていたんでしょうね。
会田 これはちょっとむずかしい。共和主義者だという人と、君主政論者だという人と、人民に愛情をもっていたというのと、軽蔑していたという意見がありますからね。やはり矛盾していたのではないでしょうか。接していて、かわいくてしようがないというときと、この愚か者という憎しみとがあって、そのどちらともいえない。私利私欲にばかりとらわれている者にも腹が立つ。しかしそうばかにしていると、なんか偉い、こわいもので、力もあるし、民衆の英知のようなものも感じられて、どこか始末に困ったところがあったでしょうね。だからこの得体の知れない民衆をどうしようかというところが、楽しかったのではありませんか。この民衆というものの実体、むしろこれは開高さんから逆にお聞きしたいな。開高さんの『日本も三文オペラ』のように、たくましくて、どんなときでも生きていって、戦争になったら、平気で死んだ人問の死骸を剥いで、もうける。戦争になったら非常によろこんだ民衆がいたこともたしかですね。
開高 これはE・H・カーの『カール・マルクス』の結びの文句で、僕は忘れられないんですが、こう言っているんです。つまり、集団化の革命の時代を開いたのはマルクスだった。マルクスがはじめて集団というものを発見した。しかし、人間のなかには個別化の衝動というものがあって、これはすでに天性である。この個別化の革命が次にくるのだけれども、これに対しては、まだだれもなんの処方箋も書いていない、という意味のことです。それ以来これはずっと謎として残されているんですね。マキアヴュリの時代というのは個人の時代であって、集団というものはまだ発見されていなかったというのが、いちおうの通説ですね。しかし僕は、さっき会田さんがおっしゃったように、マキアヴェリは人民を一面ではたいへんに恐れていたと思いますけど。
会田 恐れていますね。プルクハルトが、ルネサンス時代は近代の雛形で、全部近代の実験例があると言ってます。といいますのは、ルネサソスの初期に、フィレンツェにチオンピの乱というのがあって、これはエソゲルスが最初のプロレタリア革命みたいなものだと言っているくらいで、ルンペン・プロレタリアと組織労働者とによる革命です。しかし惨憺たる失敗に終わった。なぜかというと、労働者のエゴイズム、それと原料を買うのも売るのも大商人のはずなのに、それを排除してしまった、つまり経営不在になったためですよ。マキアヴェリはそれを歴史上追体験していますから、人民を恐れていると同時に、これではいけないということもわかっていた。
開高 人民を決定的な要素として感じていたんでしょうね。
会田 かなり感じていると思いますよ。人心を掌握するということがいちばん大事だといっています。
開高 そのためには手段も選ばない。
会田 とにかく掌握しなければならない。それはしかし、おだてることも必要だし、なぐることも必要だし……。
開高 こっちの頭を切ったら、こっちの頭がとび出すという、ヒドラみたいな怪物のようには感じていなかったですか。
会田 それは当然でしょうね.だからそれをうわまわる、征服する。統御する力量が必要になる。知恵が要るわけですよ。それを自分はもっているんだというようなところがあったのではないでしょうか。だからそれがうまくいったときはおもしろい。当時の政治家には、混乱が多いほどおもしろがるというような、へんなところもありますからね。あまり簡単にいってしまったのでは楽しくないのですよ。大人物にぶつかるほど、その楽しみがふえる。
開高 大勝負ですからね。
会田 身ぶるいしたでしょう、恐怖と楽しさが入り混じっている。あのころは命があったら拾いものだという気がありますからね。チェリーニが言っているように、ちょっと散歩に行って、けんかして七人殺してきましたというような世界なんですから(笑)、われわれには想像できない世界ですよ。
開高 マイホーム時代にはなかなかわからないが、乱世になるとよくわかる。
会田 だからマキアヴェリのわかる人はマイホームでなしに…。
開高 治にいて乱を求むる人ですね。
会田 矛盾だらけの人間ですよ。
開高 やはり、芸術家といったらすこしあまい呼び方になりますが、芸術家にも非常に悪魔的な芸術家もいますから、そうした意味では、マキアヴェリも天性芸術家ですね。芸術家は博奕打ちみたいなもんですから、そういう人物は、ああした混沌期でないと、生きている気がしないのでしょうね。

力の政治と組織の政治
会田 マキアヴェリは、組織の力を見抜けなかったのですね。イタリアがフランスから攻められたとき、ひとたまりもなくやられてしまう。マキアヴェリはそれを見て、どんな偉い人間がその軍隊を組織しているのかと思ったでしょう。ところがその廷臣団というのが、ぶよぶよの坊主ばかりで、コンサルタントにもたいした人物がいるわけでもない。それではシャルル八世とはよほどの人間だろうと想像していたら、これが二十四歳、まったく自分では決断のできない、猫背の神経質な男なんですね。こんなぶよぶよの廷臣団と、こんな男が軍隊を組織してどうしてこんな大軍団で遠征してこられたのか、マキアヴェリにはわからないんです。それは組織の力なんですね、絶対主義の。ところがそれが見抜けなかった。マキアヴェリは、むしろイタリアにはシャルル八世よりもはるかに偉い人物がいる。あんなできの悪い人間でも、こんな力を発揮するのだったら、もっとりっぱな君主を置くことによってどんなことでもできるのではないかと思ったのではないでLようかね。その点でしたら、同時代の歴史家だったグィッチャルディーニのほうが上だと思います。マキアヴュリの友人ですが、位置はマキアヴェリよりもちょっと高かったから、組織まで見破れる場所に遭遇できた。この点、マキアヴュリには能力がありながらチャンスがなかったわけで、かわいそうなところですよ。
開高 会田さん、かりにボルジアがイタリアを統一していたらイタリア人民はどうなっていたでしょうか。
会田 マキアヴェリの立場からいえば、よかったでしょう、その瞬間は人民も苦しかったでしょうが。
開高 話がすこし飛びますけれど、全体制、独裁制のことですが、秦の始皇帝はどうして万里の長城を作ったかということを、小説のような形で書いたんですがね。僕の野心では、現代の全体主義と相呼応するひとつの寓話みたいな形で……。そのときはまだ僕も道徳主義、センチメンタリズムがおおいにありましてね。それで始皇帝を悪の革命家みたいに扱ったんです。それから北京へ行ったとき、北京の歴史博物館を見て歩いていると、長い髭をはやした始皇帝が、大きな額におさまって、麗々しくかかげてあった。博物館の館長がいろいろ説明してくれたんですが、その説明がすべて唯物史観の階級闘争論で、納得しきれないものが多い。まあそれはいいとして、始皇帝をこんなにりっぱにかかげてあるが、僕はじつは始皇帝を小説に書いて、ヒトラーも及ばぬくらいの悪玉で、全体主義の大親玉である……というようなことを言った。そうしたら、その館長はにこにこ笑って聞いてましたが、中国では始皇帝の評価はまだ決まっていませんと言う。六年ほど前の話ですよ。悪の親玉だということはわかりますし、認めますが、同時に彼は中国史上はじめて全国統一をした政治家だった。それは中国にとって貴重なものなんだと言うんです。全国統一することは、あの膨大な大陸では、政治家の最上の美徳なんですね。それで、いかなる善政を施そうとも、全土を統一しなければだめなんだという価値観があるらしい。日本のばあいは、とっくの昔にすんでしまっていて、内戦の苦悩というものを経てきていない。兄弟殺しだとか、国内分裂の闘争のね。それでその苦悩というものは、これはなににもまさる悪なんだという意識は全然ない。純潔なんです。単一民族がひとつの政府をひっくり返してやろうか、もちこたえてやろうかという発想法だけなんです。ところがあの大陸にはごく近世まで、帝国が無数にあった。そのときになって僕は、中国史の苦悩の一端にやっと触れたような気がしました。イタリアのばあいは言語、文物、尺度が同じだったのでしょうから、ボルジアの統一を始皇帝の中国統一とは比べられないでしょうが、悪政を行なったとしても、統一は果たせたのではないかと思います。そうしたら汚名からまぬがれていくところが多かったのではないでしょうかね。

鳩と蛇の教訓
会田 ところが日本は島国で、ちょうど大きさが統一指向的で、努力しなくても統一ができた。統一というものが、どんなに必要であり、正裏なことか、日本人には全然わからない。マキヴュアリには、ボルジアだろうがなんだろうが、ここで統一しなければ、イタリアはめちゃくちゃになるだろうという見通しが十分あったわけです。この点は民衆にはわかりませんから、生活のほうばかりを大事にしている。そんなとき、この統一のためなら、もうなにをやってもよろしい。統一が最大のもの、唯一無二で、ほかの価値はまったく下だという、これがわからないのかというくやしさがあったのではないか。また、現実に統一できなかったからこそ、あとでイタリアは悲惨なことになってしまいますね。そうしたことがわからずに、ただ、道徳主義だけによってマキアヴェリをかたづけることは、たいへん一面的で危険なことですよ。僕は、マキアヴェリというのは、いわば昔の人で、毒されていないところがあるでしょう、へんな体系主義ということからまぬがれています。ですからそれは、もう一度マキアヴェリを回復してほしいのですよ。現代はニュートン物理学の時代と違って、相対性の時代なんですから、精神科学だけがニュートン哲学みたいな真理を追いかけていたのでは、どうにもならない。マキアヴェリの相対主義の上に立って……そして腰をすえてほしいと思いますね。
開高 そうね、マキアヴェリから得る教訓を、現代式に当てはめることばでむりやりに当ててみれば、鳩のごとくやさしく、蛇のごとく聡かれというほかないでしょうね。
会田 日本は、どっちかに徹する顔をしたがるからいけないですよ。極端にいえば、毒を全身に受けよということですね。
開高 無菌培養ばかりしていたら、人間はますます弱くなってしまいますからね。

(昭和四十一年九月二十八日 虎の門「福田家」にて))


純白の綱
以下は、先ほど届いた東京新聞の夕刊に載っていた記事だ。写真の男性、一瞬、もしかして鹿沼の大森由久さんではと思い、急ぎ記事に目を通したところ、やはり大森さんであった。亀さんは2011年7月4日、世界戦略情報誌『みち』の仲間と一緒に、大森宅を尋ねている。以下はその時に撮った動画である。


栃木県鹿沼市 麻栽培農家・大森由久氏(日本麻振興会会長)を訪ねて

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心知体
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大相撲三月場所は連日熱戦が繰り広げられているが、特に目を引くのが全勝街道を突き進む、新横綱の稀勢の里と同部屋の高安で、両者とも心・技・体が充実しているのが分かる。

ここで、心技体とは精神力(心)・技術(技)・体力(体)を総称した言葉だが、i似たような言葉に心体がある。どちらかと言うと心技体は、武道やスポーツに限定して使われることが多く、一方で心知体は人間の活動全体を指して使われることが多いようだ。以下、[愚民大国「日本」を笑う]というブログ記事から引用する。

人間とは何か、人間の本質的な構成要素は何かという原論は、人文科学、社会科学を研究するに当たりとても重要な問題である。

 私は、人間の構成要素を「心」・「知」・「体」の三つに分類するのが本質的であると考える。

「心・知・体」論


同ブログの主張には基本的に賛同できると思う。さらに、もう一つの視点を加えるとすれば、亀さんは心知体が生じるのは、心は内蔵から、知は脳からと思っている。無論、体は身体そのものを指す。ここで、体(身体)は分かるが、「内蔵は心から生じ、知は脳から生じる」という説については、俄には信じがたいという読者が多いかもしれない。その点については拙稿「心を生み出しているのは、脳ではなかった…」を参照していただくとして、拙ブログのコメント欄に、心知体のうちの〝心と知〟について、亀さんは以下のように書いた。

大勢の人たちが、一定の方向(体制側)に流されるのも、ひろみさんが仰せの背景の他、6年が経ち蓄積された(内部被曝という名の)放射能による、ヒトの脳の劣化あるいは痴呆化が進んでいることも原因の一つでしょう。ヒトの心は内蔵から生まれ、一方で〝知〟はコンピュータであるヒトの脳から生まれます。

乳酸菌ヨーグルトを意識して摂取していくことにより、内臓(心)は活発になり、脳(知能)というコンピュータも正常に働きます。一方、何等対策を講じて来なかった人たちは、放射能の蓄積(内部被曝)により、内臓(心)は劣化し、併せて脳(知能)も劣化しています。

尤も、AIといった人工知能には徐々にヒトは圧倒されつつありますね。囲碁や将棋の世界では、ここ数年、ヒトはAIに勝てなくなりましたし…。だが、ヒトをヒトたらしめる最後の砦こそ、〝心〟、すなわち内臓です。

http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-1379.html#comment1005


野崎博士の『文殊菩薩』に掲載された、「乳酸菌でうつ病を治す」という記事にも注目されたい。

実験ではこうしたストレスによって異常行動を取るようになったマウスの腸内には乳酸菌の減少が見られ、逆にマウスに乳酸菌を投与すると異常行動が減少するという相関関係が観察されたという。

他の研究でも腸内の微生物環境は脳や神経にも影響を与えることが報告されており、乳酸菌の摂取はストレスの軽減や睡眠障害の治療に一定の効果があると言われている。


心は内蔵から生じると、野崎博士が明言しているわけではないが、「腸内の微生物環境は脳や神経にも影響を与える」という報告を紹介しているあたり、西原克成博士に近い考え方である。さらに、野崎博士は以下を同記事の結語とした。

上のマウスのように自分の人生や日本の将来に絶望を感じた時は、下の爺さんのように乳酸菌と日光浴と絶食でやる気と希望を取り戻そう。


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禿同!

愛煙のすゝめ
『月刊日本』4月号が届いた。今号の特集で個人的に気に入ったのが、「愛煙のすゝめ」である。同特集では、西部邁、堤尭、高野アズサらの記事で構成されており、どの記事も読み応えがあった。中でも、目を引いたのが堤氏の以下の発言である。

喫煙の害にしろ、受動喫煙の害にしろ、出所はすべて国立癌センターなんだよね。平山某という教授とその弟子の望月某女の二人組が始めたんだよ。
『月刊日本』4月号 p.58


また、タバコの包装に印刷されている警告表示…

喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。疫学的な推計によると、喫煙者は肺がんにより死亡する危険性が非喫煙者と比べて約2倍から4倍高くなります。


亀さんは警告表示の嘘をとっくの昔に見抜いていたが、同様に堤氏も、全く根拠のない警告表示であることをp.57でバラしている(笑)。

亀さんは20歳から50歳までの30年間、毎日一箱のタバコを吸い続けてきた愛煙家で、止めて14年が経つ。尤も正確には、最近時々は吸うようになったというのが正しい。きっかけは昨年の秋に中国の青州市を訪問した時で、飯山一郎さんにタバコを勧められてからだ。14年ぶりに吸ったのだが、これが実に美味かった。その後、毎日一箱吸う習慣が戻るのかなと思っていたが、思い出したかのように時々吸うだけなので、1ヶ月あたり5~6本前後といった程度だ。

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ところで、『月刊日本』4月号の「編集後記」は、同誌発行人の南丘喜八郎さんが書いたものだが、籠池理事長を以下のように評していた。全く以て同感だね。

実に胡散臭い男だとの印象を持った。


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鎮圧への第一歩
東日本大震災から7年目に突入した3月11日、東京新聞(朝刊)が「苦しみの根源ここに」と題する特集を掲載、大変読み応えのある特集だったが、特に亀さんが注目したのが第一面を飾った以下のイラストである。


一点だけ惜しかったのはイラスト最下部の説明で、「底まで落ちたデブリの一部はコンクリートを侵食の可能性」としている点だ。しかし、それでは事故直後に死の水蒸気が発生、それから6年以上にわたって大量にタダ漏れしてきた、真の原因の説明になっていない。

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また、事故直後から今日に至るまで、フクイチ(福島第一原子力発電所)の現状の全体写真を、堂々と掲載してきたのは、つい最近までは専ら海外のマスコミだけであった。全体写真を一枚だけ上に掲載しておくが、それ以外にも絶望的なフクイチの状態を示す数々の写真が、掲示板「阿修羅」に掲載されているので、「外国で公開されている福島第一原子力発電所の高精細画像」にアクセスのこと。ここで注目すべきは同記事が掲載された日付で、2011年4月3日とある。これは、死の水蒸気のタダ漏れが事故直後から続いてきたということに他ならず、本来なら阿修羅に掲載されている数々の写真を、一人でも多くの国民の目にさらすことで、国民に危機意識を持たせ、自分の身は自分で守るように仕向けていく……、これこそが社会の木鐸たるマスコミの使命だったはずだ。

ところが、フクイチについて熱心に報道していたはずの東京新聞にして、未だに原発事故の本当のことを読者に伝えていないのだ。デブリの一部がコンクリートを侵食の〝可能性〟どころか、すでに貫通して地下深く沈下して地下水や海水と接触、猛烈な死の水蒸気が吹き上がっているのが現実である。ここで2年ほど前になるが、掲示板「放知技」の「飯山一郎へ伝言・密告・質問・短信etc -4-」というスレッドに、サーッと目を通していただきたい。幾つか注目すべき投稿があるが、なかでも木枯らし紋次郎さんの以下の投稿は秀逸である。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15370191/4/

また、「覆水盆に返らず:飛散した核燃料は?」も、現状を再確認する上で貴重な記事だ。

この木枯らし紋次郎さんの投稿に対して、ズバリ回答を示しているのは飯山一郎さんの以下の投稿である。

デブリの収束作業には前提があり…、
1,いまの日本政府が国家主権を放棄すること。
2.最低限、関東・東北・北海道・中部・関西の人間を他地域に移住させ、東日本は無人に
  すること。
3.日本経済の消滅で世界経済が恐慌状態になることを防ぐ手立てが用意されること。
4.フクイチのデブリ収束作業を邪魔する戦争屋勢力を駆除すること。


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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/15370191/733/

ここで、改めて冒頭の3月11日付の東京新聞を眺めていただきたい。左側の別記事「南スーダンPKO撤収へ」が目に入るはずだ。この記事が意味しているのは、「フクイチのデブリ収束作業を邪魔する戦争屋勢力を駆除すること」に、安倍総理が成功したということなのである。これは取りも直さずフクイチ鎮圧に向けて、プーチンと安倍が協同して行動に移す可能性が、ここに至って高まってきていることを示している。
フクイチの鎮圧は プーチンと安倍晋三がヤル!

飯山一郎の“新日本建国神話”第7話
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『StarPeople』春号(Vol.62)が発売された。今回掲載された飯山一郎さんの「新日本建国神話」シリーズは、ご本人による2017年の予測ということで、どのような予測になっているのか興味津々、取り寄せてみた。一読し、特に注目したのが「世界の大変化はプーチンがもたらした」という小節である。詳細は同記事に譲るとして、世界の大変化の基となったのは、2015年9月28日にプーチンが国連本部で行った演説であると、飯山さんは同記事の中で説く。

何故にプーチンの国連演説が世界の大変化をもたらしたと、飯山さんが考えているのかという点については、飯山さん本人の以下の記事に答えがある。
プーチンの政治思想は、政治哲学の域に達した!

なを、スプートニク紙が同演説の詳細を和訳付きで紹介しており、目を通すといいだろう。
プーチン大統領の国連総会演説、オンラインルポ

上記の2本の記事を読んだ上で、以下の記述を脳に焼き付けておき、世界の潮流について思索を巡らそうとする度に、プーチンの演説を思い出すといいだろう。

「アメリカ民主主義、万歳!」。コレが戦後日本人の合言葉でしたので、日本人の大半はプーチンの演説の重大な意味がわからなかった。しかし、プーチンの演説が世界を変えうるきっかけになったことは確かなことなので、充分に吟味しなければなりません。
『StarPeople』春号(Vol.62)p.91


その他、トランプ革命はむろんのこと、〝新日本建国神話〟についての言及もあるので注目のこと。