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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
洞察歯観のすすめ(33)
明日の旅立ちを前に準備で大童の今日、気の利かない(爆)歯科&音楽ウォッチャーさんから久しぶりに便りが届いたので、さっそく以下にアップさせていただこう。今回は咀嚼の話が中心だが、改めて咀嚼の重要性を再認識できた次第。

ところで、先ほどヤンキーズvs.メッツの試合を見ようとテレビをつけたところ、雨のため未だに試合が始まっていない…。慌ててニューヨークの天気を確認したところ…

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連日40℃近い猛暑が続く日本と違って、ニューヨークの気温は30℃以下…。これなら、久しぶりにニューヨークの街をテクテクと歩けそうだ。ついでに、ブエノスアイレスの天気も確認してみた。やはり46年前も同時期にブエノスアイレスを訪れているが、当時の記憶と違って思ったほど寒くはなさそうだ。

18072302.jpg

ーー真夏の夜の読書には・・・!?ーー

*食べ物をよく嚙むことは、容貌も美しく若返ってほっそりスリムに!
**体力や持久力が増して、気分は晴れやかに!
***病気にかかることも少なく、早死にから逃れることにもつながる!

と、まあ・・・こんな文句に誘われて、「よく嚙む」食生活をすること約半年。
「なんだか、昨年より体調が良くなったような気がするわ」
そう語る女性がおります。毎度、仕事でお世話になっている経理のおばちゃんなのですが。いや、お姉さんというべきか・・・。
昨年、ホーレス・フレッチャーさんの嚙む健康法を取り上げたことがありました。上記の*印は、フレッチャーさんの嚙む健康法の一説。

経理のお姉さん。嚙む健康法を一読し、その後、
「ダメで元々。ちょっとやってみようかしら」
と、軽い気持ちで、よく嚙む!生活を始めたところ、3日が一週間。一週間が一ヶ月。気がついたら半年ほどの時間が流れ、今では嚙む達人?ブラッシー姉さんになっております。
フレッチャーさんの本が切っ掛けで、嚙む!を意識して食事をとるようになり、暫くすると更に気持ちはヒートアップ。「食べる・嚙む・小食」をキーワードにいくつか本を読みあさり、ここ最近は、「偏食のすすめ」「食べる力」というタイトル二冊を読み倒し、今現在、「OOのトリセツ」・・・
という一冊を目を皿のようにして読み進めております。
さて、経理のお姉さんは、大の読書マニアなのですが、本にマーカーラインを引くことを好まず、本を一読した後、彼女独特の切り抜き読書法?といったものがあり・・・といっても、本のページをハサミで切り抜くわけではなく、読みたい箇所をコピーして持ち歩く。持ち歩いては読み。読んでは考える・・・を繰り返すというユニークなスタイル。
経理のお姉さんが、コピーして持ち歩いているものを数枚見せてもらいましたが、こちらは蛍光ペンが走り、余白にはいくつか自分の考えや、気づいたことなどボールペンで色分けして書き込んであり、・・・陽気なスチャラカお姉チャンだとばかり思っていたところが、独自の読書スタイルを持つプログレッシブ?な女性でありました。
下記、三点。切り抜き部分を紹介してみます。
先ずは、「フレッチャーさんの嚙む健康法」からの切り抜き。

***よく嚙むことで、脳を活性化させ、物忘れ、脳卒中、認知症や老化などの進行防止が望めます。食物を嚙むためには、顔や顎の周囲にある25以上の筋肉を使います。よく嚙むことで脳内温度は上昇し、血液の循環が活性化され、脳への血流量が増加して(ポンピング作用)、新鮮で十分な酵素と栄養が送られます。それと共に脳神経細胞が刺激されて脳細胞の代謝が活発になります。その結果、頭が冴えて集中力が高まり、記憶力の増加にも影響する。
更に、味を感じる脳細胞も刺激され、口に入ってきたもが美味しく食べられるようになる。同時に、これ以上食べ過ぎないようにと脳の満腹中枢も目覚めさせ、肥満防止にも繋がる。また、嚙むことがストレス発散になり、本能的な満足感が満たされるばかりでなく、高齢者の場合、物忘れ、老化防止、認知症、脳卒中の予防にもつながる。***


「新・健康学 偏食のすすめ」 永樂和重 著
***よく嚙んだ場合と噛まなかった場合では、胃での消化の進み方に非常に大きな差が生まれてきます。
胃は、だいたい2ミリより小さく消化できた食物だけを選んで小腸(十二指腸)へ送り出す。2ミリ以上の食物片については、2ミリ
以下になるまで消化を続けます。ということは、食べ物が胃に入るまでの段階ですでに小さく噛み砕かれ、すりつぶされているほど、胃での消化も早く終わるこということになります。
嚙めば嚙むほど、食べ物の大きさは2ミリ以下に近づいていきます。さらに、食べ物全体の表面積もどんどん増えていきます。食べ物の消化は、唾液消化液の中に含まれている消化酵素や、食べ物そのものに含まれている食物酵素によって行われますが、どのような酵素も、結局は食べ物の表面(あるいは表面に近い部分)にしかはたらきかけることができません。ですから、噛み砕かれ、すりつぶされて小さくなり、表面積も大きくなっている食物片ほど、より早く効率的に消化できることになるわけです。
よく嚙まずに食べ物を大きな塊のまま胃に入れてしまうと、そのぶん胃は、長い時間、一生懸命に働かなくてはならなくなります。その結果、からだはたくさんのエネルギーを余計に消耗することになり、さらに消化不良から食物片の腐敗が起こる可能性も確実に高まってしまいます。ですから、胃が少しでも早く消化を終えることができるように、食べ物をよく嚙んで食べなければならないのです。
よく嚙んで食事することは、胃を思いやり、ひいては、自分のからだを思いやることにつながる。

脳の中には、摂食中枢と満腹中枢と呼ばれる部分があります。
中枢というのは、体の機能をコントロールする指令本部というような意味。この二つの中枢の役割は、食欲を正常にコントロールすること。何か食べたいと感じたとすれば、それは摂食中枢がはたらいたからです。逆に、満足したから食べるのをやめようと感じたとすれば、それは満腹中枢がはたらいたからです。
食べたいと感じさせる摂食中枢のはたらきは、食事をはじめてしばらくすると、自然におとなしくなっていきます。いつ満足感を感じながら食事をやめられるかは、満腹中枢がはたらきだすタイミングにかかっていることになります。

では、適正な量の食事で満腹中枢を満足させる方法はあるのかというと・・・

実はその方法こそ、よく嚙んで食べるということなのです。嚙むという顎の運動によって、私たちの脳の中に満腹物質と呼ばれる化学物質が生まれ、それが満腹中枢に作用して満足感与えてくれるからです。ただし、せっかくよく嚙んで食べたとしても、急いで食べてしまっては、適正な量の食事で十分な満足感を得るのはむずかしくなってしまいます。満腹中枢は食事を始めてから20分くらいの間は、どうしても満腹サインを出せないようになっています。
生理学者の山本隆氏は、食事のスピードと満腹中枢が働き出すタイミングの関係について、食べ過ぎる大きな原因は、早食いです。食事をして満腹物質が満腹中枢に作用して、満腹感とともに食事にブレーキをかけるには、早くても、十分ほどかかります。これ以上のスピードでガツガツ食べてしまうと、車に喩えれば、アクセルを踏みすぎてブレーキのタイミングが遅れ、停止線を越えてしまうように食べ過ぎてしまうのです。食べ過ぎて体脂肪が気になる人は、早く食べることを我慢して、ゆっくり嚙んで食べることです。アクセルを踏み過ぎて急加速するのではなく、ゆっくり踏み込んで徐々にスピードを上げる心境です。当然、食事時間も長くなります。一食あたり20分以上かければ、満腹中枢がブレーキをかけ始めますから、生理的なしくみで食べ過ぎる前に自然と接触停止に向かいます***

「口腔医療革命 食べる力」 塩田芳享 著

***嚥下障害が、なぜ怖い病気なのか。それは命に関わる二つの病気を引き起こす可能性があるからだ。その病気とは窒息と誤嚥性肺炎である。窒息は、誤って気管に入ってしまった食べ物や異物が詰まってしまい、息が出来ない状態をいう。気管は息の通り道であるから、そこが塞がってしまったら、おそらく人間は五分程度で死んでしまう。よく正月に餅を詰まらせて亡くなる高齢者のがニュースで報道されることがあるが、皆さんは窒息で亡くなる人がどのくらいいるのかご存じだろうか?実は、年間の死亡者数は約一万人。交通事故で亡くなる人の、ほぼ二倍の数字だ。そして、十数年前から、三千人近くも増えているのだ。
一方、誤嚥性肺炎は、本来食道に入るべき食べ物や唾液などが、誤って気管に入り肺にまで届き、そこに病原菌が混じっていた場合に肺炎を起こす病気で、とくに高齢者には大変多い。現在、ガン、心疾患に次いで死亡原因の第三位となっているのが肺炎だが、その八割が誤嚥性肺炎だとも言われている。嚥下障害になると、誤嚥をするようになり、それが死に至る病気の原因となる。超高齢化社会に突入し、高齢者が増加する時代、嚥下障害患者の急増につれて、誤嚥性肺炎も、窒息も急増しているのである。

なぜ、高齢化が進むと、飲み込む力が低下する高齢者が増えるのか?
人間が誰でも日常、当たり前のように行っている、飲み込むという作業は実は他の動物とは大きく違う、大変に複雑なメカニズムがある。人間は、呼吸をし、物を食べ、喋る。そのすべてに、口と喉が関わっている。人間の喉は、呼吸をする道と、食べ物が通過する道が交差している。
呼吸の流れは、鼻孔ー咽頭ー気管と進み、食べ物は、口腔ー咽頭ー食道へと進む。
空気の流れと食べ物の流れは、咽頭の部分で交差し、食道と気管に分かれている。食べた物が誤って食道ではなく、気管に入ってしまうのが誤嚥だが、こんな状態では、気管に入るのは当たり前だと思う人もいるのではないだろうか。しかし、それが実にうまくできているのが人間なのである。
通常、絶えず呼吸しているので、空気は鼻孔から気管へ流れる。しかし、食べ物が入ってきたと時だけ、特殊な動きが起こる。食べ物が入ってきて、人間がゴックンと飲み込む、僅か一秒足らずの瞬間だけ、気管の上についている喉頭蓋が倒れ、気管の入り口を塞いでくれるのだ。これを医学用語では、嚥下反射と呼ぶ。
人間の身体は、この複雑な嚥下反射のメカニズムによって、食べ物を気管に入れることなく、無事に食道に送り込むことが出来るのだ。そして、この僅か一秒間だけ、人間は気管が塞がれ、息を止めているのだ。人間は、毎日こんな複雑なメカニズムで食べ物を飲み込んでいるのである。しかし、他の動物は、空気の流れと食べ物の流れが交差せず、立体交差になっている。だから、嚥下するのは人間だけなのである。
なぜ、人間だけがこんな複雑なメカニズムになってしまったのか。人間の喉には、他の動物にない、もう一つの重要な動きがある。それは、喋ることである。人間は他の動物に比べて、喋る能力が進化したため、喉の容積を増やす必要があったために、このような複雑なメカニズムが必要だった。***


ボールペンによる余白部分の書き込みはご紹介できませんが、試しに同じように切り抜き読書をしてみると、意外や意外、思いもよらぬ不思議発見がある・・・かも知れません!
ところで、今、経理お姉さんが、瞬きすることも忘れて読みふけっている一冊は・・・
たつのゆりこ・監修 原田 純・著 「ちつのトリセツ」・・・真夏の夜の読書には・・・???
***注意書きがあります。=明るく、まじめにご利用ください。男性のお客様は、間違った期待をなさらないでください=***と!


追記

数年ぶりに映画館へと足を運び、ワイドスクリーンで寅さん映画を楽しみました。
その帰り道、商店街を歩いていると、懐かしいかな、「ビタースイート・サンバ」が流れており・・・
不思議なことに、「ビタースイート・サンバ」を耳にすると、大きな浴槽と富士山の絵が目に浮かび、おかみさん時間ですよ!テーマ・ソングのメロディーが心の中に流れ始め!!この二曲は、まるで双子のような・・・



「ビタースイート・サンバ」=ハーブ・アルパート


「時間ですよ!テーマ・ソング」=山下毅雄

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洞察歯観のすすめ(32)
20年にわたる翻訳者生活で、かつてないほどの大量の仕事(翻訳)が5月連休前にスタート、終わるのは9月中旬あたりで、ブログ再開もそれ以降になりそうだ。その間は歯科&音楽ウォッチャーさんの便りを頼りに、掲載していく予定でR。

大型連休の後、予期せぬ野暮用が飛び込んできまして、休む間もなく労働しておりました。
恋をするのも家庭の事情。便りが遅れたのも家庭の事情・・・であります。

連休中はと言いますと、草刈り 四畳半倉庫の掃除 散歩に喫茶店で暇つぶし!夜は音楽三昧!安く*近く*短く楽しむ、安近短ライフを送っておりました。

草刈り作業をしている時は不思議なことに心爽快で、作業終了後は、土の上で裸足になり一休み。これが気持ち良い!

四畳半倉庫の掃除は、ダンボール箱を引っ張り出してみたものの・・・中から本や雑誌を取り上げては読むことに気をとられ、肝心の作業が全く進まず・・・再読したい本をいくつか選び出したところで終了。掃除の続きは、7月の連休あたりになりそうです。

さて、四畳半ライブラリーから引っ張り出してきたなかの一冊。「治る医療 殺される医療 医者からの警告」小野寺時夫(著)を読み返しております。著者の小野寺氏は、元・多摩がん検診センター所長。日本の医療の現実を診察室から告発する・・・といった内容で平成10年に書店に並んだものです。

下記 危ない治療を患者に奨める医者たちの心内に小野寺氏がメスを入れている下りを紹介しておきます・・・・

***医者の説明に要注意

外科医には、患者に対して、手術が出来ないとか手術してもそれだけの効果は期待できないと言うのは、ガン治療に対する敗退を告げるように思えたり、やり慣れた手術を普通にやるだけでは物足りず、より困難な手術に立ち向かうという押さえがたい潜在的な欲望があったり、また進行した大きいガンほど四苦八苦して切除することに快感を覚える、といった傾向にある。このため、手術するのが本当に患者のためになるかということを慎重に考えずに、出来る限りの切除に挑んだり、通過障害を起こしている消化管をどうにかしてバイパスを作れないかと挑んだりする傾向が強い。やってみなければ分からないが、手術をしてこういう良い経過をとった人もいる、などという医者の説明は当てにならない。医者によっては、十人に一人でも少し良い結果が得られたことがあると、良くない患者のことは頭になく、良い例のことだけが残っていることがあるからである。
私は高度進行ガンや再発ガンの手術に当たっては、受け持ち医に、自分自身や家族のことだったらどうするか、をよく考えて適応を決めるように念を押してきた。がんセンターの医者や大病院で、主にガン患者を診療している医者自身あるいはその身内の進行ガンの時、手術も抗がん剤投与も放射線治療も受けずに、自宅で過ごした人が何人もいる。
医者は最善を尽くすことが医学のためと言うが、自分自身や身内だったらやらないような治療でも、患者には積極的に奨めることが少なくないので注意が必要である。
高度進行ガン患者は、苦痛があったり衰弱していることが多いのに、更に手術ストレスを加えると苦痛が一段と増し、そのまま悲惨な経過で死に追いやることが多い。進行ガン患者といえども、生体の抵抗力でガンの増殖を抑制する作用も働いているが、手術ストレスで身体の抵抗力が弱まると、大部分のガンは切除したとしても、取り残したガンが急激に増大することがしばしばある。ガンを切除すると、一般の人は、治るかも知れないとか、治らないまでもある程度長生きできるかも知れない、と考えがちだが、ある程度以上進行したガンは、無理に切除しても命を縮めこそすれ治ったり長生きできることは稀である。高度進行ガンの場合、肉眼では見えないがん細胞の浸潤や転移をすべて切除することは不可能だからである。医者の言っていることと患者側の理解に大きな違いがあることがしばしばあることなので、患者側も手術を受けるか否か慎重な判断が必要である。
ガン学者として高名な人が、再発の度に手術を繰り返して何年間か生きた例を自慢げに話したり本に書いたりするので、再発しても名医なら長生きさせられるような誤解を与えるが、事実は増殖の遅いガンがたまたま手術できるような再発をした例外的なもので、一般
的なことではないことが多い。***

本の帯に、「これを読んだら医者にかかるのが怖くなる!」と書かれておりますが・・・いかめし殺医の館には足を向けないことが一番ということでしょう。


ーーーつい先日のことーーー
友人からスマートレターが届き、中を見ると一冊の本が入っておりました。手に取ってみるとタイトルが面白い。
*日本初「薬やめる科」の医師が教える 薬の9割はやめられる*松田史彦 (著)*

著者は医師なのですが、医療現場で一生懸命治療しているにもかかわらず、なかなか効果が上がらないのは、多量に飲んでいる薬が治療の邪魔をしているのではないかとの思いから減薬・断薬サポートをするようになり「薬やめる科」を開設したという変わり種。
松田氏は、薬が不要な3つの理由を挙げております。
一つ目は、明らかに病気ではないのに、病気と診断され薬を飲んでいるケースがよくある。
二つ目=薬にはほぼすべて副作用がある。
三つ目=何故か突然、OO症候群、OO病といった新しい病気が提唱され、テレビで宣伝され、まるでそれに合わせたかのように、新しい薬が準備されている。新しい薬に合わせるかのように新しい病名をつけられた人が増え、その薬を飲んで多少は楽になっても、副作用が増えていく。
早速読み進めておりますが、医原病について触れているところがありましたので紹介しておきます。

***医原病という言葉を聞いたことがありますか?
文字通り、投薬の副作用や手術の後遺症、医師の不適切な言動、または患者さんの誤解・自己暗示による心因的異常など、医療が原因で起こる障害を意味します。病気を治すのが医療のはずなのに、こんな言葉があること自体、なんだか不思議な感じがします。
しかし、それどころか医原病は死因の中でも大きな役割を占める、というデーターがあります。たとえば、アメリカ栄養研究所のゲーリー・ヌル博士が2004年に発表した論文では、アメリカ人の死亡原因の1位が医原病とされています。人数は年間78万3936人にも上り、2位の心疾患(69万9697人)、3位のガン(56万3251人)より多いのです。これが事実だとすると、なんと毎日、約2千人が医原病で亡くなっている計算になるではありませんか。日々、大型旅客機4~5機が墜落しているようなものです。
日本では同種の調査・研究はないものの、現代医療の現状から見れば、その結果は推して知るべしでしょう。
また、「ヘルシンキビジネスマンスタディ」 俗に「フィンランド症候群」と呼ばれる研究でも、注目すべきデーターが提示されています。これは、1974年から18年もの歳月をかけて国家的な大研究。38歳から54歳の男性会社員を次のA・B二つのグループに分けて行われました。
Aグループ(610人)は、健康調査のみで、医学的指導も投薬も定期的通院もなし。要するに放置した非介入群です。一方、Bグループ(612人)は、介入群。食事・禁煙の指導を行い、血圧・コレステロールの値によって投薬を行いました。特に最初の5年間は定期的に通院させ、その後13年間は通常の受診としました。
果たして18年後、彼らはどうなったでしょうか。死亡率で見ると、Bグループは、Aグループに比べて、死亡率が1.5倍も高かったのです。病因別に見ても、ガンこそあまり差はありませんが、ほとんどの疾患でAグループのほうが死亡率が低いことがわかりました。この結果を前にすると、積極的医療を行うことがいかに意味のないものかが見てとれます。現代医療はもちろん必要ですが、医療行為によって病気を増やす側面がある、ということです。個人的には、日本ももしかしたら死亡原因の隠れた1位は、医原病ではないかと想像します。***

また、松田氏は、本の中で降圧剤の副作用について取り上げているのですが、
***血圧の薬は多種多様。1960年代までは利尿剤が中心で、現在はARBとカルシウム拮抗剤が主に使われています***
と記されてあり・・・この部分を読んで思い出したのが、薬物性歯肉増殖。薬物性歯肉肥大ともいいますが、薬の副作用で歯茎が腫れた状態になります。ニフェジピン、アダラートなどカルシウム拮抗剤でも歯肉肥大が起こることがあるといわれており、
***血圧を下げるというただ一つの目的のために、全身の細胞を犠牲にしたり、多大なストレスにさらされるのです。***
と、松田氏は指摘しておりますが、多大なストレスは口腔内にも影響を及ぼしているということです。
この本は店頭に並んでまだ間もないようで、新刊平積みコーナーなどで目につくと思いますが、先ずは手に取り立ち読みで・・・一回の立ち読みで4~50ページほど読み進め、4~5回で読了できます!



ーー追記ーー

連休後半= 朝から川沿い散歩しておりましたら、カラオケ倶楽部のおじさん・おばさんグループと遭遇。何故か意気投合し、音楽談義などしながら一緒に歩くことに・・・聞けば熱烈な美空ひばりファンの集まり!カラオケで歌うだけでなく、ボーリングも楽しんでいると話しておりました。
ボーリングといえば、中山律子や須田開代子といった美しきチャレンジャーたちが活躍していたボーリング・ブームの時代、あるプロボーラーが、語っておりました。
「ストライクは、破壊の楽しみ。スペアをとるのは、計算と想像の楽しみ。緻密な計算と創意工夫がなければ、スペアを制服することはできない 」
と・・・誰だったか、名前が・・・
ムーミン谷駅(飯能駅)にもボーリング場があったと記憶しておりますが・・・今でも快音響いているのでしょうか?

今宵は、美空ひばりの一曲を。
美空ひばりの人気曲ランキングで、上位にランクされることは、まずないだろうと思いますが、一度聴いたら耳の奥・・・いや、胸の奥に染みこむこと請け合い!エルヴィス・プレスリーも魂消た?・・・ひばりの「ロカビリー剣法」!!



洞察歯観のすすめ(31)
歯科&音楽ウォッチャーさんから便りが届いたので、早速掲載させていただこう。今回はトイレと食塩の話で、なんともウォッチャーさんらしいwww 

ーー雪が溶けて
川になって流れて

もうすぐゴールデンウィークですね・・・そこで、ウンチング・スタイル!ーー
と、大型連休が近づいてきましたが・・・そんななか、スーダラ宴会仲間のM君(30代前半)が引っ越しをしました。
数ヶ月かけて仕事の合間に探して回り、どうにか気に入ったところが見つかったと話しておりましたが、物件を決めるときに彼女と意見が衝突し、少々もめたようです。その原因というのは・・・トイレット!
和式VS洋式で一騒動。(今時、和式スタイルの物件があるのか・・・と思われるかも知れませんが、これが結構あります)M君は、
「和式でもいいだろう。家賃、安いし・・・」
ところが彼女は、
「しゃがんでするのは絶対イヤ!」
と、絶対後には引かない強固な態度だったので、渋々、洋式=座るスタイルの物件を選択。
しゃがむか、座るか。どちらが良い?和式スタイルは、窮屈な格好で時代遅れ。洋式のほうが楽ちん・・・と思いきや、これ意外や意外。
しゃがむスタイルの方が良いらしい。

ジュリア・エンダース(著) 「おしゃべりな腸」(2015年)というタイトルの一冊。次のようなことが記されてあります。

***しゃがむ形の和式スタイルは太古から受け継がれてきた自然な排便方法です。便座スタイルが登場したのは18世紀になってからのこと。便の出口が座ったときには完全に開かない仕組みになっていて、しゃがんだ場合、腸の終わり部分がまっすぐになり、便が滞りなく出る。
痔や便秘、憩室症といった腸の病気は、便座に座って排便することを習慣にしている以外ではめったに見られません***

では、便座をやめて、和式に造りなおす・・・というわけにもいかず。ならば、便座の上に両足のせてしゃがんでみる・・・も下品。
ここは、手っ取り早く、便座に座ったままで、しゃがむポーズを作る方法が・・・ある!
便座に座り、両足の下に小さな台を置く。そして身体を前屈みにすると、しゃがんだポーズになる。足をのせる台の高さは、身体と相談しながら調整する。ある友人の話によると、足下に置く台をトイレグッズ?として扱っている店が、あるとかないとか・・・!?
100円ショップにある、踏み台で十分役立ちます。

ーー三角むすびーー

さて、久しぶりに、「これは、旨い!」と唸るほどの握り飯を食べました。シンプルな三角塩むすび。
「おむすび」「おにぎり」といえば、子供の頃、遠足や運動会で食べた味を思い出しますが、三角むすび、丸形、俵型などいろいろな形があります。
同じおにぎりでも、時には・・・一口、二口目で形がボロボロと崩れてしまうものもあります。仕方なく皿にのせて箸を使って食べることに・・・形が崩れてしまうのは握り方にもあるのでしょうが、塩の善し悪しが大きなポイント・・・であるようです。
ある料理人が、おにぎりと塩について、下記のような話をしております。

***おにぎりのことを、おむすびと言う。にぎって結ぶからである。
先ず手のひらに水と塩をつける。塩は海水からとれた塩が一番である。食卓塩では、おむすびはきれいに結べない。手のひらの温度は、32~3度。水に濡らした塩は、その手のひらの上で自然に溶けていく。
薬品であるところの食卓塩は、なかなか粒が溶けない。天然の塩は自然に溶ける。そこへ、熱々のご飯をのせる。そしてキュッキュッと結んでいく。固く結ばれたおにぎりは、食べるとき、最後の一口まで壊れない。水と塩ががっちりと飯粒の一つ一つを結んでいるからである。
水に溶けない塩化ナトリウムだけの薬品の塩では、一口食べると崩れてしまう。おむすびが、その形を失ってしまうのにそんなに時間がかからない。そういうわけでおむすびを握る塩は、手のひらに溶ける塩でなければならない。
昔の人は、子供を育てる秘訣を、手塩にかけて育てると言い残している。身体にいい天然の塩こそ、人間の体とぴったり合っている。***

では、おむすびがきれいに結べない食卓塩とは、どのようなものか。
ここで、「現代病は塩が原因だった」(2000年)の著者、真島真平氏の話を紹介してみます。

*** 食卓塩と書かれた赤い蓋のガラス瓶。
その裏側には小さな字で、「塩化ナトリウム 99%以上 炭酸マグネシウム 0.4%」と書かれ、その下に太文字でJTというロゴが記されているはずです。さらにその下には「日本たばこ産業株式会社塩専売事業本部」とあります。
JT(日本たばこ産業株式会社)は、これを「塩」と称し、あなたもそう信じて疑っていませんが、実はこれは塩ではありません。その何よりの証拠が、「塩化ナトリウム99%」以上です。
JTの前身、専売公社(専売局)ができたのは明治38年(1905年)です。日露戦争が終わった年で、政府は膨大な戦費を取り戻すため専売制を敷いたのです。
当初作られた塩の中の塩化ナトリウムの純度は74%でした。残りの26%はまとめて「ミネラル」または「にがり成分」と呼ばれるカリウム、 カルシウム マグネシウム リン 鉄亜鉛モリブデン セレンなどの微量元素です。本来の塩とは、このようにミネラルをたっぷり含むもので、ミネラルが欠落している「JT塩」は、「塩もどき」ではあっても、正しい意味の「塩」ではないのです。
塩もどきは、イオン交換法(イオン交換樹脂膜透析法)という電気分解によって科学的につくられます。JTは、「精製塩」と称しています。かつての塩と比べ、サラサラしていて真っ白で美しいという意味では確かに精製ですが、私に言わせれば、「塩もどき」は、「科学塩」もしくは「イオン塩」と命名すべきでした。
イオン交換法は、昭和35年に始まり、昭和46年にはすべての製塩がこの方式に切り替えられ、昔ながらの塩田による製塩は禁止になったのです。92年間続いた塩の専売制(一部分、例外があったものの)は、平成9年4月1日に廃止されました。***

現代病の黒幕は・・・?

***現代病とは、戦前はほとんどないか、あってもほんのわずかな病気で、ここ、2、30年で異常に殖えた病気群をいいます。農薬、食品添加物、水道水、化学薬品、食生活の西欧化・・・これらは現代病を生んだ原因についてこれまで「犯人」ではないかと取り沙汰されてきたものです。結論をいうと、これらは、無実ではありませんが「主犯」でもありませんでした。戦前は全くなくて、戦後しばらくして、ここ30年の間に出てきたもので、毎日私たちと接するもの・・・真犯人は「精製塩」=(塩もどき)です。***

塩といえば・・・海水塩の他に、岩塩=(地殻変動によって陸上に閉じ込められた海水が、干上がって地中に埋もれたもの)
湖塩=(地殻変動によって陸上に閉じ込められた海水が、長い年月をかけて濃縮されてできた塩分濃度の高い湖、もしくは地中の岩塩が雨水や地下水で溶けて湖になったものから作られた塩)
また、海藻を使って作られる藻塩などが思い浮かびますが、このゴールデンウィーク!塩もどき・・・ではなく、自然塩を使って、おむすび作りに熱中してみるのもいい暇つぶしに・・・もしかすると「=む す び =の達人!」になるかも知れません!!ついでながら、ご飯を炊くとき、自然塩や日本酒などを使うこともあるかと思いますが、炊きたての美味しさを味わうだけでなく・・・冷や飯にして食べてみるのもまた良しです。
工夫次第で美味な冷や飯ができあがります。旨い冷や飯!・・・おかずなくても結構いけます!!



ーー運動会で、パイのパイのパイーー

子供の頃の運動会・・・おにぎりや、いなり寿司を食べたことに加えて、運動会で流れていた音楽を思い出します。その中の一曲に、ヘンリー・クレイ・ワークの作品「ジョージア・マーチ」があり・・・!



ジョージア・マーチというと、
「東京の中枢は丸の内~日比谷公園 両議院 いきな構えの帝劇に~」
という歌詞をのせて歌われた東京節!を思い出す方もいるかも知れません。バイオリンを弾きながら歌うスタイルで、確かバイオリン演歌と呼ばれていたもの・・・バイオリン演歌師である桜井敏雄氏&なぎら健壱のジョイントによる東京節は、なかなか塩気の効いた美味しい音で聴かせます!



パイのパイのパイ・・・続きで、今宵は、ちょっと高価な信州ワイン(貰い物)を飲みながら、
「ま~るい 緑の山手線 真ん中 通るは 中央線~~
権兵衛さんの赤ちゃんが風邪引いた ~~~
グローリ グローリー ハレルーヤ!!!」
久しぶりに、ピート・シーガーが歌う・・・あの曲!を聴きながら夢の中へ・・・

ーー追記ーー

安倍総理とトランプ大統領。ツーショット写真を眺めつつ、ふと浮かんだメロディー・・・


「TEA FOR TWO =二人でお茶を」
ナット・キング・コールの演奏。

五輪メダリストのパレード映像を見ていて、ジワジワと浮かび上がってきたメロディー・・・
「ここだけの~話をあっちこっちでする~」と歌い出す、ちょっと懐かしい嘉門達夫&小倉久寛による「小市民2」


南方熊楠の世界(4)
■エコロジーと乳酸菌
今回をもって南方熊楠シリーズの最終回とするが、この機会に鶴見和子の著した『南方熊楠』の最終節を紹介しておこう。

iv 自然の循環の法則をとりいれた新しい技術の開拓をめざす
南方植物研究所は実現しなかった。しかし、南方が、栽培した藻から寒天を作り、寒天によってバクテリアを培養し、バクテリアによって空中の窒素を分離するというアイディアは、自然然循環の法則を、人間がとりいれて、技術化するという考えである。これは、自然を人間が、人工の法則によって支配するという原理にもとづく機械文明の技術観と異る。自然支配の技術観が、公害を生み出し、自然環境を破壊することによって、人間そのものを崩壊させている今日の地球上の状況対して南方の自然と共生するという考えは、未来を先取りしていたということができる。

南方熊楠を、近代日本の独創的な思想家として、わたしは評価する。この本は、その発端を示しただけである。読者のとりひとりが、南方の原典を読み、そこに流れる思想の水脈を掘りあてていただきたい。今、日本で起こっている、そして地球上で起こっている、人間の問題を解き放つ水路を開くために、尽きせぬ泉がそこにあるとわたしは考える。

p.241


最終節で注目していただきたいのは、「今、日本で起こっている、そして地球上で起こっている、人間の問題を解き放つ水路を開くために、尽きせぬ泉がそこにある」という結語だ。何故なら、この鶴見の結語は、今や大きく時代が動こうとしている現在と、多くの点で重なってくるからだ。そのあたりは、掲示板「放知技」でも話題になった、「第52回国家公務員合同初任研修開講式」での安倍総理の訓示に耳を傾ければ、肌で感じることができるはずだ。

加えて、「南方の自然と共生するという考えは、未来を先取りしていた」という鶴見の記述、この南方のエコロジー観こそ、鶴見の『南方熊楠』を貫いている南方思想なのだが、この南方思想を具現化した一例が、飯山一郎さんが提唱している乳酸菌である。乳酸菌については、飯山さんのHPの読者であれば説明は不要と思うが、乳酸菌が近未来に大きくブレークすることを予感させる記事を、野崎晃市博士の『文殊菩薩』から一本だけ紹介しておこう。
大連の食品加工業者と会合

また、3月4日の堺市での会合でも、飯山さんと堺のおっさんから、乳酸菌を主体とした今後の事業展開についての貴重な話を伺っている。

このように、乳酸菌一つとっても無限のフロンティアが目の前に広がっているのだが、乳酸菌やAIだけに限らず、新時代を切り拓いていく上でキーとなるのが人材である。前稿「南方熊楠の世界(3)」で、現代日本人のタイプを亀さんは以下のように分けた。

国粋派
コスモポリタン派
脱藩派


同稿では脱藩派について少し触れただけであり、また国粋派とコスモポリタン派に至っては解説すら行っていないので、この機会に今までの亀さんの歩みと重ね合わせる形で、上記三タイプの人間型について敷衍しておこう。

■コスモポリタン派
「南方熊楠の世界(3)」にも書いたとおり、亀さんの脱藩人としての修行は、十代という多感な時期に日本を飛び立った日、1972年3月23日に始まった。その後、多感な時期を三年近くにわたり海外で過ごしたことで、「己れを生み育んでくれた祖国を思う一方で、相手の国籍や肌の色に拘ることなく、お互いに同じ人間として自然に接することができる」という、脱藩人としての土台が辛うじて完成したのである。

ここで、三省堂の大辞林(電子版)は「コスモポリタン」について、どう定義しているのか確認しておこう。

一つの国や民族にとらわれず、全世界を自国として考え、生活する人。世界市民。国際人。


一見、脱藩派の定義かと勘違いしそうな定義である。それはともかく、そもそも大辞林が定義するような「全世界を自国として考え、生活する」人間が、本当に存在するのだろうか…。大辞林の「コスモポリタン」の定義、言葉の響きこそ心地よいものの、実は根無し草と紙一重、否、はっきり言ってしまえば根無し草そのものを指しているに過ぎない。

このあたりをもう少し具体的に、言葉の観点から考察してみよう。亀さんが私淑していた故國弘正雄の話を、拙稿「和僑」に書いたことがある。

ここで、人の思考行動形式を支配している根源的なもの、それはその人の母語であると亀さんは思っている。そのあたりを教えてくれたのが、同時通訳の泰斗・故國弘正雄であった。國弘先生の資料が見つからないので朧気な記憶で書くが、「人の生涯の母語は小学校2~3年生ころまでに決まり、その年齢を過ぎると後はどんなに努力してもバイリンガルには成るのかせいぜいで、一部の天才を除き、絶対にバイカルチャーには成れない」というものである。これは亀さんの体験からもその通りだと思う。英語と日本語のバイリンガル、時には数ヶ国語を自由に操る知人友人には数多く出会ったものの、未だにバイカルチャーの人間と出会ったことはない。


「人の思考行動形式を支配している根源的なもの」こそが母語なのであり、別の表現を使うとすれば、子守歌を聞きながら自然に身につけた言葉こそ、母語と云えるのである。こうした視点を持つ身として、「一つの国や民族にとらわれない」だの、「全世界を自国として考え、生活する」だのといったのは、単なる根無し草の戯れ言にしか映らないのである。

かつて、亀さんは道友の葛巻岳さんと一緒に、「脱藩道場」を立ち上げたことがあり、この「脱藩」という看板名は、藤原肇氏の著した『日本脱藩のすすめ』から来ている。因みに、『日本脱藩のすすめ』は以下で読むことができる。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/library/dappan/dappan.html

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このページは、亀さんが『日本脱藩のすすめ』をOCRで読み取って電子データにしたものだ。この作業を行ったのは20年前のことで、当時の亀さんは「国粋主義者vs.コスモポリタン」という構図しか頭に無かったのだが、同書のお陰で、第三の「脱藩人」という概念を獲得できたことは、今思うに大きかった。

しかし、当時の亀さんはコスモポリタンと脱藩人の区別が余り明確ではなかったのも本当だ。たとえば、あのジョージ・ソロス。当時の亀さんは、ソロスと言えば超金持ちの投資家ていどにしか思っていなかったのである。だから、小人数での会合で藤原氏が、「ジョージ・ソロスからメールで返信をもらった」と、自慢げに携帯でソロスの私信を見せてくれた時は、「あの有名なソロスから…、大したものだ!」と、大変感心した己れを今でも覚えている…。

■国粋派
その藤原氏と喧嘩別れをした頃、藤原氏を通じて付き合いの始まった栗原茂さんに、『みち』の編集人・天童竺丸さんに引き合わせてもらったという次第である。同編集室に集う人たちは、コスモポリタンとは対極的な立場の人たちで、己れを生み育んでくれた祖国をこよなく愛する、国粋主義傾向の強い人たちであった。ここで再び三省堂の大辞林を紐解けば、国粋派すなわち「国粋主義」について以下のように定義している。

自国民および自国の文化・伝統を他国より優れたものとして、排外的にそれを守り広げようとする考え方。


『みち』の編集室で月に一回行われる「まほろば会」には、月刊日本の関係者も参加しており、それが縁で同誌の定期購読を始めている。当時の同誌はまさに、国粋主義を地で行く雑誌だったし、自分の知らなかった祖国日本の姿について、実に多くを学んだものである。

しかし、時間の経過とともに『月刊日本』と『みち』の限界が見えるようになってきたのも確かだ。たとえば『月刊日本』、既に拙ブログでも記事にしたとおり、今や同誌は完全なネオコン誌に転向した雑誌である。一方、『月刊日本』の関係者が参加する『みち』の場合はどうか? 今のところあからさまなネオコン路線に染まっていないし、個人的に同誌の校正のお手伝いもしている上、人間的に温かい人たちが多いことから、当面はお付き合いを続けさせていただくつもりだが、コスモポリタン派vs.国粋派というモノサシで分けるとすれば、明らかに『みち』も国粋主義的な傾向の強い雑誌であることは確かである。

たとえば、一昨年の秋に中国の青州市を訪問、帰国して久方ぶりにまほろば会に顔を出した時、常連の一人に、「あっ、支那の臭いがする」と声高に言われた時は、ただただ苦笑するしかなかった。『みち』の執筆者も一部を除き、全員が中国ではなく支那と言ったり書いたりしているのだが、これは表現(言論)の自由であり、亀さんは全く気にもしていない。ただ、拙稿「青州で思ふ(7)」にも書いた、毛允明社長や張苓明氏の人物を目の当たりにしている身として、中国人が嫌がっている支那という言葉を口にすることは、今後もないだろう。仮にお二人の前で支那という言葉を口にすれば、それまでに築いてきた良好な関係は、一瞬にして水泡に帰す。

■脱藩派
以上から、現代日本人、殊に新時代の日本を背負う、若い日本人の理想像は脱藩人である。だから、一人でも多くの若い日本人の脱藩人を輩出させることに、残り少ない冥途までの人生を懸けたいと、心から思う今日この頃である。

南方熊楠の世界(3)
■南方熊楠と柳田國男
鶴見和子の『南方熊楠』に目を通して、気づいたことがある。それは、南方熊楠と対比する形で、柳田國男を引き合いに出していることだ。そして、鶴見は柳田よりも、南方の生き様に惹かれているのが分かるのである。そのあたりを如実に物語っている、鶴見の記述を幾つか引用しておこう。

しかし、神社合祀反対をめぐる二人(南方熊楠と柳田國男)の往復書簡は、この二人の相違をしだいに大きくさせ、「いきさつ」がなくても、疎遠になったかもしれないと私には思われる。

第一に、「地域」または「地方」に対する双方の感覚の差である。

南方は、定住者の立場から、地域を見た。柳田は、農政学者として、農政役人として、そして旅人として地域を見た。南方は、地方にいて地方から中央を見、柳田は中央にいて中央から地方を見たともいえる。

第二に、南方は、世界の、そして地球の一部としての、地域(エコロジーの単位)を考えたのに対して、柳田は、日本国の一部としての地域(政治的単位)を考えた。

第三に神社合祀反対運動において、南方が、地方官憲に対して、対決をおそれぬ精神でぶつかっていったのに対して、柳田は正面衝突をなるべく回避して隠微にことをはこぶように忠告した。

第四に、南方が、外国の学者へも傲をとばして、国外の世論を結集しようとしたのに対して、柳田は、そのような行為は国辱を外にさらすものだと激しく反対した。南方は、今日のことばでいえば、国をこえた民際交流を射程に入れていたのである。柳田はこのことに関して、日本国家の外に出ることができなかった。

第五に、柳田は「常民」を造語し、それをかれの民俗学の中心においた(鶴見、『漂泊と定住と』、88~90ぺージ。色川、『柳田国男』、34~39ぺージ参照)。

南方は集合名詞として人々をとらえなかった。あらゆる職業の人々と、個人としてのつきあいを重んじた。
p.156~157


谷川健一は、「むしろ柳田民俗学の限界は、日本人とは何かという問いに終始し、ついに人間とは何かという問いの解決まで進み得なかったことである。……南方の学問の魅力は、知識を統制したり制限したりしないことである。そこには全エネルギーの躍動と奔騰がみられる。すなわち、床の上にばらまかれた燠のような彼の知識をとおして、人間とは何かという質問に私たちは直参し得る。その問いは泰西模倣の学に甘んじなかった柳田がついに答えなかったものであり、南方は不十分ながら答えているのである。
p.197


南方は、一方で多系的発展をみとめた点で、当時西欧で支配的であった進歩史観を超えており、他方で近代社会の基層に、原始、古代心性が存在することの普遍性を喝破したことにおいて、柳田を超える。
p.201


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殊に、上に挙げた二番目の記述、「むしろ柳田民俗学の限界は、日本人とは何かという問いに終始し、ついに人間とは何かという問いの解決まで進み得なかった」という行を目にして、アッと思った。

つまり、柳田は「日本人とは何かという問いに終始」していたという、谷川健一の柳田評を何故に鶴見が敢えて取り上げたのかと、あれこれ考える自分を忽然意識した時、はっと驚いたのである。南方も鶴見も、十代から二十代の前半にかけ、一年以上の長期にわたる海外生活を体験しているではないか…。

南方や鶴見同様、亀さんも十代の頃に日本を飛び出し、三年近くにわたる海外放浪を体験しているが、そうした多感な十代から二十代前半にかけ、我が身を日本の外に置いて初めて身につくもの、所謂〝(国際)感覚〟とでも云うべきものがあり、その〝感覚〟が身についている者でなければ、到底理解し得ないものだと気づいたのである。

この〝感覚〟というもの、言葉で表現するのは難しいのだが、「人類皆兄弟」という〝感覚〟とでも云えようか…。これは、ほとんど日本列島を離れたことがない人たち、あるいは長期の海外生活を体験したとしても、中年以降に体験してる人たちには、恐らくは頭では理解できるにしても、到底肚では理解し得ない類いの〝感覚〟だとしか言いようがない。

今にして思えば、亀さんが相手の国籍や肌の色に拘ることなく、同じ人間として付き合うことに何等違和感が無い理由も頷けるのだ。だから、「長期の海外生活の後、あなたの人生の方向性というものが、大きく決定づけられたのではありませんか?」と、紀伊田辺にある南方熊楠邸の庭で暫し語り合った、南方熊楠の血縁者だという婦人に指摘された時、ハッとしたのだった。そして、多感な時期に長期の海外生活を体験した者にしか身につけようのない、ある種の〝感覚〟の正体を、朧気ながらも掴めたような気がしたのだ。だからこそ、表層的(頭)にではなく心の奥底(肚)で、南方熊楠の生き様に共鳴し、その南方について書く鶴見にも共鳴できたのだと、今にして思う。

かつて亀さんは、現代日本人を三通りに分類してみたことがある。

国粋派
コスモポリタン派
脱藩派


亀さん自身は三番目の脱藩派に最も近いと思っているし、「バイカルチャーという性向を持ち、己れを生み育んでくれた祖国を思う一方で、相手の国籍や肌の色に拘ることなく、お互いに同じ人間として自然に接することができる」真の脱藩派人間を目指し、生涯を終えたいと思った。

【グリコのおまけ】
今夏、アルゼンチンに一ヶ月滞在するが、親友のホルヘから漸くメールが届いた。どうやら、仕事で隣国のチリに出かけていたようだ。メールには以下のようなことが書いてあった。

… my mother, Isolina is now 91 years old, she is fine and will be so happy to see you again.

…中略…

So happy to see you again!!!!


1972年、ホルヘの自宅に亀さんは泊めていただき、二年後の1974年にホルヘが亀さん宅をご両親を連れて訪問している。残念ながら、当時の亀さんはサンフランシスコに居たので、その場に居合わせることはできなかったのだが…。

ともあれ、「So happy to see you again!!!!」にはグッと来た、有り難うな、ホルヘ…。現地では大いに酒を酌み交わそうぜ。

以下の拙稿に載せた写真に、ホルヘの御母堂Isolinaが写っている。これは1972年の写真だから、あれから46年もの月日が流れたわけだ。まさに、光陰矢の如し…。
思い出のアルゼンチン 2

南方熊楠の世界(2)
■南方マンダラと人体
時折、人体は小宇宙に喩えられることがある。そう言えば、NHKが「人体 神秘の巨大ネットワーク」と題するシリーズを放送中であり、拙稿「山中伸弥と巨大利権」でも同番組を紹介している。参考までに、NHKの同番組のPRサイトにあった紹介文を以下に引用してみよう。

脳や心臓が人体の中心」なんて考え方は、もう捨てよう。
あなたは知っているだろうか?
体の中で、あらゆる臓器や細胞が、まるでにぎやかに会話するように、
ダイナミックな情報交換を繰り広げていることを。
それはまさに、人体という名の「巨大な情報ネットワーク」。
いま、あなたの体内で交わされている、臓器たちの熱い会話が、
あなたの命を、健康を、支えているのだ。

人体 神秘の巨大ネットワーク


ここで、冒頭の「脳や心臓が人体の中心なんて考え方は、もう捨てよう」を目にして、何をいまさらという感が強い。このように思えるようになったのも、西原克成先生の著作との出会いが大きく、そのあたりは旧ブログの「内臓が生みだす心」にも書いた。その他にも旧ブログでは西原先生の著作を取り上げており、たとえば「免疫力を高める生活」や「究極の免疫力」といった拙稿がある。

その後、人体という小宇宙という観点で、亀さんなりに調べてきたワケだが、特に大きかったのが、飯山一郎さんが提唱する乳酸菌との出会いだ。たとえば、飯山さん本人が出演した、「蘇生」という映画…。

ところで、「人体はネットワークだ」というNHKの主張、実は、「人体はネットワーク」どころか、人体よりも上次元の宇宙と万物との間に存在するネットワークについて、はるか昔に喝破した人物がいる。南方熊楠その人である。その南方の南方マンダラには、「宇宙はネットワーク」という信念が貫かれているのであり、それを知る身として、NHKに「人体はネットワーク」といまさら言われても、当たり前のことを言っているようにしか映らないのだ。

むろん、NHKが「人体ネットワーク」シリーズで紹介しているのは、細胞、さらにはDNAといったミクロの世界を取り扱ったものであり、こうした世界を知らずに南方熊楠はあの世へ旅立っている。ワトソンらがDNAの二重螺旋構造を発見したのが1953年だから、12年も前の1941年に逝去した南方熊楠が、ワトソンの業績を知るよしもない。だが、1903年7月18日付けの土宜法竜宛ての書簡に、南方マンダラが初出しているのであり、DNAの二重螺旋構造発見に遡ること、なんと半世紀も前のことだ。ある意味、南方は50年後のDNA二重螺旋構造、そして今日のNHKの人体ネットワークを〝予言〟していたと言えなくもない。

以下、鶴見和子の著した『南方熊楠』から、今回のテーマと深く関連する行のみを抜き書きしておこう。

かれが、粘菌に対して抱いた異常なほどの関心もまた、この「南方曼陀羅」の発想と関係がある。粘菌は、植物でもあり動物でもある。動物と植物との結節点であるという意味で、また、生命の原初的形態であるという意味で、自然と人間との関係の萃点にあると言ってよい。大乗仏教は、人類に対象を限らず、人類を含むすべての生類のあいだの因果関係をその宇宙観の中に包蔵していると南方は考えた。南方が粘菌の研究と、比較民俗学との間をゆきつもどりつしたのは、二兎を追ったのではないとわたしは考える。それは「南方曼陀羅」の示すかれの宇宙観の帰結であるように思われる。
p.24


宇宙には、事不思義、物不思議、心不思議、理不思議がある、と南方はいう。近代科学が比較的うまく処理しつつあるのは、物不思議である。数学や論理学は、事不思議を解くが、形式論理学では、複雑な事不思議を十分に解きあかすことはできない。心不思議、理不思議に至っては、近代科学ではまだわからないところが多い。
p.84


南方の学風は、「検証の理論」からはほど遠い。しかし、「生成の理論」には類似点があるといえる。杜会科学における「検証の理論」は、数学および理論物理学をモデルとして構築されたのに対して、「生成の理論」は生物学をモデルとしていると思われる。南方がイギリスで勉学した時代の先進の科学は生物学であったが、のちに理論物理学が花形科学となった。そして現在、ふたたび生態学をふくむ生物学が脚光をあびていることを考えると、科学理論の歴史は、一サイクル転回しつつあるということができる。そのような脈絡の中でとらえるとき、南方の学問のスタイルは、時代おくれではない。「生成の理論」が、「検証の理論」の解毒剤であるのとおなじような意味で、南方の学風の中から理論を引き出すことが、新しい理論構築のために役に立つかもしれない。
p.179


「南方曼陀羅」は、地球上のあらゆる場所の動植物の棲態と人間の生きざまの相互関連と相互比較の見とり図でもある。そのまんなかに、あらゆる関係が収斂する場である「萃点(すいてん)」がおかれている。「萃点」をもたない比較は真の意味の比較ではないことを、この図は示している。神社合祀反対運動は、南方の比較の学の萃点であり、それゆえにこそ、わたしたちは南方の比較の学を、ほんものの学問として学ぶことができるのである。
p.232


以上の抜き書きそれぞれについて、あれこれと思うところがあるのだが、いまだに本業(翻訳)の締め切りに追われている身、機会があれば愚見を述べるということにしたい。

【追記1】
今回の紀伊田辺再訪で最も印象に残ったのが、南方熊楠邸でお会いした、南方と血縁関係にあるという婦人との会話であった。以下は、南方熊楠邸と隣接する南方熊楠顕彰館のパンフレットである。

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【追記2】
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南方熊楠邸を前に、南方熊楠の血縁者と語る在田辺の友人

洞察歯観のすすめ(30)
実は、歯科&音楽ウォッチャーさんからの便りは13日(火)に届いていたのだが、拙稿「民族性の違い」にも書いた微分積分混じりの英文の翻訳に四苦八苦、辛うじて締切日ギリギリの昨日提出できたので、早速ウォッチャーさんに以下のような詫び状を入れた…

ウォッチャーさん、今回は大分遅れて申し訳ない。今、一ヶ月近くにわたった仕事が、今日の締切日ギリギリに漸く終わりました。微分積分だの、比例定数だの、亀の頭の周りを★がたくさん、チンからチンからと回っていましたが、漸く消えていこうとしていますwww


なを、お約束している「南方熊楠」シリーズと「応神天皇の秘密」シリーズも近々アップする予定である。


ひな祭り前日・・

日本テレビ系で放送された、朝のワイドショーで、「インフル花粉症」という・・・聞き慣れない「病」?が、紹介されました。
***インフル花粉症とは、インフルエンザと花粉症が同時、または連続して発症することを指す。インフルエンザと花粉症が同時に発症すれば、花粉症によるくしゃみや咳でインフルエンザの菌を飛散させてしまう可能性がある。また、連続して発症した場合には、インフルエンザで免疫力が下がってしまうことから、花粉症が重症化してしまう。具体的には、熱や喉の痛み、場合によっては喘息の症状が出たり、今まで罹患していなかった新たな花粉症を発症したりしてしまう可能性がある***


これは、インフルエンザと花粉が合体して、広く世間に恐怖をまき散らす・・・だから早めに病院へいらっしゃい!というコマーシャルなのでしょう。しかし、インフルエンザも花粉も、ピンクレディーのようなアイドル・コンビなら小春気分といったところでしょうが、とんだ悪党コンビにされてしまい、怒り心頭かも知れません。

インフルエンザ・ワクチンといえば、過去において、ほとんどその効果なしとされ、ワクチン製造継続がストップするのでは・・・ワクチン製造消滅の危機へと追い込まれたことがありました・・・・

元・国立公衆衛生院 疫学部感染症室長 母里啓子氏が、下記のような話をしております。
***インフルエンザ・ワクチン、打ったことありまか?
小学校、中学校時代に、学校の集団接種で打った記憶のある方は多いと思います。大人になってから打ちましたか?
子供のいる親御さんは、お子さんを連れて、医療機関へ打ちに行ったことがありますか?
年配の方は、
「打っておかないと危ないですよ」
などと脅されていませんか?
年配のご両親に、そんなふうにインフルエンザ・ワクチンの予防を奨めていませんか?
インフルエンザ・ワクチン、どうしてみんな打つのでしょう。もちろん効くと思っているからでしょう?でも、まったくと言っていいほど効かないのですよ。これは、ウイルスを学んだものにとっては常識です。

インフルエンザ・ワクチンは、{効果はあまりない}という前提の上に成り立っているワクチンなのです。
一体どのくらい効かないのか。厚生労働省の研究機関でインフルエンザ・ワクチンを奨める立場の人たちでさえ、
「まったく効かないわけではないだろう」
という程度の言い方しかしていません。
インフルエンザ・ウイルスは、人に感染しながら、絶えず形を変えるウイルスです。しかも、人間だけでなく、鳥や豚など、多くの動物に感染します。このウイルスに効果のあるワクチンを作ろうとすることが、そもそも非常に無理があるのです。

インフルエンザ・ワクチンは、戦後、日本に駐留していたアメリカ軍の奨めで製造されるようになりました。最初は、鉄道員や郵便局員などの公共性の高い仕事の人に、優先してワクチン接種が行われていたのです。ところが、一向にインフルエンザの流行はなくなりません。すでにその当時から、インフルエンザ・ワクチンの効果のほどは疑われるようになりました。
やがて、
「インフルエンザ・ワクチンは非力なワクチンだ。個人に打っても効果がない」
ということになり、ならば、
「小学生や中学生に集団接種することで流行を防止しよう」
という方針が立てられました。インフルエンザに感染しやすい小中学生にワクチンを打っておけば、それほど大きな流行にならないから、社会全体をインフルエンザから守ることになるだろうという仮説に基づいた方針です。これを、「学童防波堤論」といいます。
そして、1962年から、小中学校で、インフルエンザ・ワクチンの集団接種が始まりました。さらに、1976年には、3歳から15歳までの子供たちへの予防接種が義務化されます。
・・・にもかかわらず、インフルエンザは、日本中で毎年流行し続けました。学級閉鎖もよく行われました。厚生労働省(当時)は、
「その原因は摂取率が低いからだ」
と叱咤し、そう言われた校医たちは真面目に努力を続けたものの、摂取率が上がっても学級閉鎖はなくならない。そのうち、校医たちの間で、ワクチンの集団接種は意味がないのではないかと、問題になっていったのです。

1979年。群馬県前橋市の一人の子供が、インフルエンザ・ワクチンの集団接種後、けいれんを起こしました。校医だった医師と前橋市の医師会では、これは紛れもなくワクチンの副作用であると判断し、国に認定を求めました。その申請は却下されてしまいました。この出来事を機に、前橋市医師会は集団接種をやめるという決断をするのです。ただ集団接種をやめるだけではなく、集団接種を続けている周辺の市と、前橋市のインフルエンザの流行状況を、5年間、徹底的に調査しました。膨大なデーターを「ワクチン非接種地域におけるインフルエンザ流行状況」という報告書をまとめました。
通称「前川レポート」といわれるこの調査で、インフルエンザ・ワクチンの集団接種をしている地域と、していない地域とで、インフルエンザの流行の大きさに差がないことがはっきり証明されたのです。つまり、インフルエンザ・ワクチンの集団接種には意味がないということです。また、1992年から94年にかけては、インフルエンザ・ワクチンを含む様々なワクチンの副作用によって被害を被った人たちが起こした20年以上に及ぶ訴訟に、次々に勝利判決が下りました。国の過失責任が認められ、ワクチンへの不信感が社会にもどんどん高まっていきました。そしてついに、1994年、小中学校への、インフルエンザ・ワクチンの集団接種が中止されたのです。ピーク時には、3000万本近く製造されていたインフルエンザ・ワクチン。その製造量は、1994年には30万本に落ち込みました。***

ここで、ワクチン産業・・・意気消沈。消えてなくなるかに思われた。ところが・・・

***1990年半ばあたりから、厚生省は、高齢者や病気を持っていてインフルエンザにかかると合併症を起こしやすいと思われる、ハイリスクといわれるグループへのインフルエンザ・ワクチン接種を奨めるようになりました。ターゲットを高齢者へと切り変え、2000年には、「インフルエンザは風邪ではない」というキャッチコピーとともに、インフルエンザは、「人の命を奪う恐ろしい病気」であるという宣伝が大々的になされるようになりました。
さらに追い風のように、鳥インフルエンザやSARS(重症急性呼吸器症候群)が社会的問題になったのです。
するとたちまち、
「スペイン風邪のようなインフルエンザの大流行は、いつ起こってもおかしくない」
「インフルエンザ大流行時の最悪のシナリオを想定しよう」
といった脅し文句が飛び交い、インフルエンザの恐怖を煽るような情報がメディアを賑わせました。
鳥インフルエンザは、毎年流行するインフルエンザとはかけ離れたウイルスですし、SARSは、そもそもインフルエンザとは別の病気です。それなのに、騒ぎの中で、インフルエンザワクチンがどんどん打たれるようになりました。おかしなことです。いつ起こるか分からない鳥インフルエンザに現行のインフルエンザ・ワクチンはなんの効果もありません。また、SARSに備えてインフルエンザ・ワクチンを打つのは、SARSが怖くて麻疹のワクチンを打つようなものです。しかし、何かしら効果があると勘違いして、インフルエンザ・ワクチンを打ちに走った人が大勢いたのです。そして、みるみるうちに、インフルエンザ・ワクチンは製造量を盛り返していくのです。***

インフルエンザ・ワクチン製造の落ち込み、復活。その後については、母里啓子氏が、平成19年。「インフルエンザ・ワクチンは、打たないで」というタイトルで一冊にまとめています。それにしても、何ら根拠のない不安を煽る宣伝ワクチンは、効果抜群。
ひな祭りから一週間後・・・

幼なじみからメールが入り内容を見ると、お医者から、そろそろガン検診を受けてはどうかと、お誘いを受けたようで・・・。
さて、受けるべきかどうか、少々迷っている様子。後日、食事をしながら話を聞いたところ、お医者先生からガンという病は、死に至る病、不治の病などと不吉なフレーズを聞かされた挙げ句、
「検診は早めに受けておいたほうが良いですよ」
と言われたとのこと。
まあ、しかし、「死に至る病」「不治の病」・・・これは、お医者一座による、創作劇(架空 欺瞞 フィクション嘘)であると捉えた方が良さそうです。(創作劇は、医療界だけのことではありませんが・・・)
事実ではなく、想像によってつくり出された、お医者一座による「不治の病」の一幕にお付き合いすると妙に座り心地のよい、死定席を勧められることになるので、「君子医者に近寄らず」と松本光正氏が言っておりますが、近寄らぬが得策ということでしょう。
幼なじみには、
「健康のためなら・・・もう死んでもいい!ということなら、行ってらっしゃい」
そう言って、医療に関する本を二冊、手渡しました。果たして、どのような判断をすることやら。
不治の病の講義を聞かされるより、富士の高嶺でも眺めて、先斗町、鴨川散歩でもしたほうが、よっぽど健康的!
そういえば、先斗町の近くに美味しい珈琲店が・・・店名が出てこない?!

追記

この冬は、飽きるほど雪かき運動をしておりました。
雪かき運動時に、ステイタス・クオーを聴き、夜はアルゼンチンタンゴ。
アルゼンチンタンゴで、「ホテル・ヴィクトリア」という曲があります。
これを聴くと思い出します。昭和のホームドラマ「おかみさん 時間ですよ」。
劇中、隣のまりちゃんが、
「白雪姫みたいな心しかない私~」
と歌っていたあの曲を・・・。



「ホテル・ヴィクトリア」


となりの真理ちゃん

ソーカ、ウォッチャーさんは真理ちゃんが好みのタイプだったのか…www

南方熊楠の世界(1)
3月2日、新大阪駅10:15発のくろしお7号に乗り、紀伊田辺駅には12:38に到着、実に40年振りに踏んだ紀伊田辺の土であった。駅の改札口を出ると、そこには懐かしい友人K君の顔が…。最初にK君の自宅に寄り、上さんへの挨拶もそこそこに荷物を預け、車で南方熊楠顕彰館→天神崎(ナショナル・トラスト発祥の地)→南方熊楠記念館→白浜の観光スポット(白良浜・円月島・千畳敷・三段壁・平草原)と巡った。最後に訪れた平草原には、白浜の街を一望の下に見渡せる展望台があったのだが、そこから念願だった神島を目にすることができ、感無量であった。

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中央やや右寄りの小島が神島(亀さん撮影)

この神島であるが、皇太子時代から粘菌に関心を持たれていた昭和天皇の強いご要望もあり、昭和4年6月1日、神島で熊楠は陛下をお迎えしている。その後、御召艦・長門の艦上にて約25分間、田辺湾の生物について熊楠は御進講を行ったのだった。ちなみに昭和天皇は後、御製に南方熊楠の名を詠んでおられるのだが、そのあたりは拙稿「南方マンダラ」で紹介済みである。

一通り熊楠の足跡を巡った後、長生の湯でK君と露天風呂に浸かりながら、お互いの近状報告、家族、人生の無常、その他について、しばし時が経つのも忘れて語り合った。辺りが暗くなりかけた頃、夕餉の支度を終えたK君の上さんが、我々が戻るのを待っていることもあり、急ぎ夕方6時過ぎにK君宅へと向かった。

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そして迎えた翌朝、新大阪行きの6:51発のくろしお6号で紀伊田辺を発った。わずか半日の滞在だったとは云え、実に密度の濃い旅となった。ここに、改めて半日もの時間を割いて、南方熊楠の足跡巡りに車で案内してくれた、友人K君に心から感謝の意を表したい。本当にありがとう。

さて、旅は続く。新大阪駅に向かう途中の和泉府中で下車、仁徳天皇陵を横目で見ながら、徒歩で飯山一郎さんの仲間が待つホテルへと向かった。その日は堺市に一泊したのだが、実に多くの出来事があった。このあたりの報告は、稿を改めて「応神天皇の秘密」(仮題)として、別シリーズの形で書く予定であるが、その前に、しばし「南方熊楠の世界」シリーズを続けさせていただきたい。ちなみに以下は仮題だが、予定している今後の「南方熊楠の世界」シリーズ内容である。筆を進めていく過程で、以下の予定稿の中で取り止めたり、あるいは別テーマに置き換えたりするかもしれないこと、予めお断りしておく。
■南方マンダラと人体
■南方熊楠と柳田國男
■エコロジーと乳酸菌
■死生観


メスペサド理論(1)
副島隆彦が、「重たい掲示板」に以下のような投稿を行っていた。
[2274]株の暴落はまだまだ続きます。急いで売って逃げなさい。 それと、私の新しい本のこ出版のこと。

テーマが株のようだったので、サーッと斜め読みしたところ、株とは関係のない箇所に目が留まった。今の副島が患っているという前立腺肥大症、そして来月刊行するという、『米軍の北朝鮮爆撃は6月! 米、中が金正恩体制破壊を決行する日』と題する新刊本である。最初に、副島が患っているという前立腺肥大症から…。

 私は、もうひとつ個人的な問題を抱えていた。私は、前立腺(ぜんりつせん)の肥大の症状が出ている。排尿障害だ。典型的なジジイ(爺)の病気で、これを診てもらいに病院に行って、入院、手術が決まった。 


その副島と亀さんは同じ1953年生まれだ。それなのに、副島の場合は何等疑問を抱かず、医者の診断を受けて入院・手術と書いているwww まぁ、お互いに肉体的な衰えは致し方がないものの、副島は西洋医療については何等疑問を抱いていない…。何故か? このあたりは、歯科&音楽ウォッチャーさんの「洞察歯観のすすめ」シリーズに、目を通してきた読者であれば亀さんの言わんとすることが分かるハズだ。

ところで、副島が患っている前立腺だが、年齢とともに萎縮するか肥大するかのいずれかになるわけで、そのあたりはウィキペディアにも詳しく書いてある。そして、注目したのが以下の記述…。

昭和30年代(1955年代)ごろまでは、日本人男性のほとんどが前立腺は萎縮の経過をたどっていた。ところが、食生活の向上・欧米化により、現在では80歳までに日本人男性の80%が前立腺肥大症になるといわれている。


確かに、粗食・和食中心の生活から美食・洋食型へと、日本人の食生活が大きく変わったことが、前立腺肥大症の一つの原因に挙げられることは確かだ。しかし、他にも幾つかの要因がある。たとえば、その一つが運動不足。副島の場合、大量の本を執筆していることもあり、パソコンに向かっている時間が一般人よりも長いはずで、それは即運動不足にもつながる。亀さんの場合も、やはり翻訳を生業としているのでパソコンに向かう時間が長いのだが、今のところ前立腺肥大症の徴候はまったくなく、健康そのものだ。それは、粗食(一日一食)に徹していること、もう一つはヨガや徒歩といった具合に、適度に身体を動かしているからだ。あっ、それから毎日大量の酒を呑み、煙草を吸っているからカモ…(爆)

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それから、副島の新刊だが、題名を目にしただけで、「あ、そうなの~ぉ」と感じた程度であり、副島には悪いが読む気が気が全く起こらない(嗤)。

本題に戻す。上の副島の株に関する投稿だが、最初は副島の出鱈目な株観を徹底的に叩いた記事を書こうと思っていたのだが、それよりも三ヶ月ほど前に書いた、「メスペサド理論」の続きを書いた方が遙かに読者のためになると思い、考え直した次第だ。よって、最近のmespesadoさんの投稿から思うところを順次羅列していこう。初回の今回は、mespesadoさんが主に書き込みを行っているスレッド、「EG・堺のおっさん等 爺さんが元気なスレ -31-」にある、投稿>>312を取り上げたい。なを、一年近くにわたりmespesadoさんの投稿を追ってきたが、目から鱗という思いを幾度も体験した。そうした体験例を、今後は「メスペサド理論」シリーズとして書き続けていこうかと思っている。

初回の本稿では、最新スレッドの>>312に注目した。何が書いてあるかと言うと、日本という国はいくら刷っても困らないというmespesadoさんの主張だ。ここで、mespesadoさんの言う「刷る」対象とは、我々が日々目にする千円や一万円札といった紙幣のことで、mespesadoさんは紙幣を幾ら刷っても心配無用と言っているのである(国債も含む)。こんなことを書くと、「エッ!」と驚く読者が多いと思うのだが、このあたりは日本の立ち位置と深く関係してくるのであり、幾ら紙幣を刷ってもビクともしない国は、世界広しと雖も日本だけなのだ。このように書くと、俄には信じられないと言う人たちの顔が浮かぶのだが、本当のことなのだからしかたがない。

最初に、mespesadoさんの>>312の以下の記述に目を通していただきたい(一部改行)。

 「国家がオカネを支払わなければならない場面で支払うことが不可能になった場合」

 もしもこの国家が日本のように通貨発行権を持っていて、しかも支払うべきオカネがこの自国通貨建てだったらどうでしょう?

 その場合は、支払うべきお金は自分でオカネを刷って渡せばいいのですから、「支払うことが不可能になる」ということはありえません。当たり前のことです。

 また、もし支払いが外貨建てであっても、国家の生産力が高ければ、自国通貨を刷って、それを為替で相手の通貨に交換する場合も為替が安定するのでちゃんと支払うことができます。


お分かりだろうか…。さらに、同投稿の以下の結語をじっくりと眺めていただきたい。

 すなわち、日本は自国の通貨発行権を持ち、生産力も高く、おまけに外貨での借金はありませんから、「破綻したくても破綻できません」。

 自国の生産力が強いということは、かくも凄いアドバンテージがあるということです。


日本は破綻したくても破綻できない…。おそらく、mespesadoさんのこの発言を理解できるのは、世の中広しと雖も、「放知技」の読者くらいのモンだろう…。

それから、>>324の堺のおっさんの反応も素晴らしかった! 禿同!

その他、目から鱗の投稿で満載のmespesadoさんの投稿、今度の週末にでもジックリと目を通すだけの価値はある。ちなみに、mespesadoさんが放知技にデビューしたのは昨年の4月22日…。

モー、ン年もの放知技の常連さんかと勘違いするほどで、それだけ今までのmespesadoさんの投稿内容は濃かったし、今後もそーに違いない…、とプレッシャーをかける(爆)。

【グリコのおまけ】
今回は小難しい経済の話が中心だったので、疲れた(亀さんの頭も含め)頭を休ませる意味で…





昭恵さん来飯
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今月の6日、安倍昭恵さんが飯能市を訪れたという記事が、地元の「文化新聞」に載った。
安倍昭恵氏が来飯、野口種苗でタネ選び

昭恵さんが関東のチベットと言われている飯能、それも山奥にある野口種苗店までワザワザ足を運び、しかも同店に2時間近く滞在した背景は、『致知』(平成26年7月号)に掲載された、「生命の花を咲かせ続ける~タネが危ない~」などで確認してもらうとして、野口さんの種に注目するとは、流石は首相夫人だと嬉しく思うと同時に、脳裏に浮かんだのがGMO(遺伝子組み換え品)であった。亀さんはGMOについて拙稿「御三家」で若干触れた際、以下の記事を紹介している。
プーチン:人類の進化が巨大製薬企業、GMO、ワクチンによって危機に瀕している

【原文】
Putin: Human Evolution Under Threat By Big Pharma, GMO, Vaccines


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このGMOと対極にあるのが、野口さんのタネというわけだ。なを、野口さん本人とは地元の掲示板で幾度か言葉を交わしており、そのあたりは拙稿「いのちの種、奇跡のリンゴ」で紹介した。

そして、文化新聞の記事で最も印象に残ったのが以下の行であった。

昨年9月、天皇皇后両陛下が飯能日高に行幸啓された際、野口種苗のタネから収穫された飯能産の固定種野菜6種を召し上がられており、固定種野菜の認知度が今後一層高まるものと期待される。


【関連情報 1】
安倍昭恵と医療大麻

【関連情報 2】
タネが危ない!わたしたちは「子孫を残せない野菜」を食べている。


【グリコのおまけ】
過日、家のトイレの調子が悪くなり、柴田理恵と松村邦洋がテレビCM出演している、「町の水道屋さん」を名乗る会社に依頼したところ、一度では直らず、ボールタップや排水弁といった高価な部品を交換したりして、計三回も修理に来たのにも拘わらず、結局直らなかったwww。

仕方なく、メーカーであるTOTOに直接電話をしたところ、その日に専属の修理担当者が訪問、しかもパッキンを交換しただけであった。それから数日が経過しているが、ウソのようにトイレの調子が元に戻った。

教訓トイレの修理依頼は、直接TOTOに電話すべし。