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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
危険な毒花
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現在、横浜市発展記念館にて、常盤とよ子の写真展が開催されている。常盤は御年88歳の写真家であり、終戦直後の横浜、殊に、パンパンとして懸命に生き抜いた女たちの作品群を残し、戦後の日本に強烈なインパクトをもたらした。

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パンパンについては、亀さんも書籍、テレビ、雑誌などで目にしていたこともあり、改めて、食うために身を売ってきた女たちに思いを致した。ちなみに、以下は今月24日まで開催されている写真展のPDF資料である。

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また、パンパンをテーマとした映画も多い。しかし、やはり最初に取り上げるべきは、溝口健二監督が撮り、田中絹代が主演した「夜の女たち」(1948年5月26日公開)だろう。その後、自らメガホンを握った田中絹代は、「恋文」(1953年12月13日公開)、「女ばかりの夜」(1961年9月5日公開)といった、パンパン映画を撮っているが、そこに、大女優・田中絹代の目に映った、戦後の日本が炙り出されている。

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視点を変えて、敗戦直後の日本を主テーマとした映画の中で、いの一番に亀さんが推すのは、やはり高倉健主演の映画「三代目襲名」であり、同映画については、拙稿で取り上げた。

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高麗神社と皇室
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高麗神社

平成最後となる来週の天皇誕生日(12月23日)、放知技の数名の道友と一緒に高麗神社を訪問して参拝するが、訪問に先立ち、予習の意味で本稿をアップさせていただく。

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右端は高麗宮司

昨年の9月20~21日、天皇皇后両陛下が埼玉県を御訪問、高麗神社に御親拝され(天皇家と高麗神社)、かつ渋沢栄一記念館を御視察されている。渋沢栄一と言えば、近代日本の礎を築いた人物であると同時に、徳川慶喜公の信任が大変厚い人物であった。そのあたりは、落合莞爾さんが著した『奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新』、「第七章  慶喜と大政奉還」にある、「渋沢栄一の衷情が滲む『慶喜公伝』」に目を通せば、自ずと納得いただけよう。

一方、両陛下の高麗神社ご訪問を巡ってAERAが、「朝鮮半島からの渡来人にゆかりのある日高市の高麗神社への参拝を巡り、ちょっとした騒ぎが起きた」などと書いていたが、そんなことよりも亀さんが注目したのは、「境内に若光の石碑が建立され、除幕式には高円宮家の久子さまも出席されています」という高麗文康宮司の発言、そして高麗宮司に陛下が御下問されたという以下のお言葉である。高麗宮司とは過去に幾度か会っているが、どのように宮司が陛下に回答したのか、次回訊いてみたいと思っている。

陛下 :高句麗や百済などの国がどうして滅んだのか。


それから、以下は2016年4月23日に撮影された写真、「高麗神社に建立された石碑の除幕式に臨席された高円宮妃久子さま」である。

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ちなみに、来年は天皇になられる皇太子殿下も昭和51年、同神社を参拝されている。また、同神社には大勢の政治家も参拝しており、そのうちの六名が後の総理大臣に就任した。さらに、あの川島芳子も同神社を訪れているのだ(川島芳子 生死の謎)。

ここで、読者は思うことだろう、「高麗神社とは一体、どういう神社なのか?」と。このあたりの謎を解くヒントは、上に示した高麗宮司への陛下からの御下問にある。拙稿「まぼろしの古都」を一読いただきたい。

この高麗王若光と同じ時代の空気を吸っていた人物に天武天皇がいた。天武天皇とは一体何者だったのかについて、未だに多くの謎に包まれているのだが、その天武天皇と高麗王若光についての貴重な記事が昨秋、世界戦略情報誌『みち』(平成25年11月15日号)の「巻頭言」に掲載された。以下に一部を引用しておこう。

天武天皇による「複都制」の構想は、歴史的に突厥と渤海、そして遼の都城構想に連なるものであり、しかも恐らくはそのいずれに対しても歴史的に先蹤となる地位を占めている。ただ惜しむらくは、天武天皇がこの複都制構想に基づく都城を建設することなく崩御され、わが国において五京制が陽の目を見ることなく終わったことである。

 もし、天武天皇がもう少し長生きをされ、わが国に「五京制」を実現されていたとすれば、難波京と飛鳥京の外に、信濃佐久京と能登福良(ふくら)京(石川県羽咋郡富来町福浦)、そして武蔵高麗京(埼玉県日高市及び飯能市)という三京を置かれたのではなかろうか、と想像を逞しくしている。福良京は後に渤海使節のために「能登客院」が設置され(ようとし)た地で、武蔵高麗京は高句麗遺民の若光王のため高麗郡を置いた地(現在は高麗神社がある)である。


天武天皇が構想したという「複都制」を目にし、咄嗟に思い出したのが旧ブログで取り上げた、栗本慎一郎の『シルクロードの経済人類学』だった。つまり、天武天皇の出自は草原の民、すなわち遊牧民だったのかもしれないと思うに至ったのである。第一、そうでなければ草原の民独特の「複都制」構想が、出てくるはずがないではないか…。その天武天皇の寿命がもう少し長かったら、武蔵高麗京(埼玉県日高市及び飯能市)が都の一つになっていたかもしれず、改めて幻(まぼろし)の古都に住んでいることの不思議さを感じた。


上記に栗本慎一郎氏の名前が出てくるが、『栗本慎一郎の全世界史』p.198にある以下の図をご覧いただきたい。この図については、亀さん的に幾つか納得のいかない点がある。たとえば、「北魏」。栗本氏の図からは、北魏と日本の〝深い〟交流について示されていないが、亀さんが「青州で思ふ(3)」に書いたように、「奈良の平城京は北魏の平壌がモデル」であったことを思えば、何故にこのあたりを栗本氏は言及しなかったのか、腑に落ちないのである。このあたりは、いずれじっくりと確認していきたいと思う。

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北満州と日本列島 05
■弥生時代(前4世紀(前10世紀) - 後3世紀中頃)
弥生時代に関しては、ウィキペディアの解説を引き合いに出し、その上で正しい解答を示す形をとりたい。つまり、今回も前稿の縄文時代同様、世界戦略情報誌『みち』を基に、正しい解答を示すことにしよう。

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さて、現在のウィキペディアの「弥生時代」の項目をみるに、定説通りに弥生時代の始まりを前4世紀としているものの、続いて括弧付きで弥生時代の始まりを(前10世紀)としている。ところが、そのウィキペディアの弥生時代についての解説文の冒頭は、いきなり以下のような文章で始まっている(青下線)…。

弥生時代(やよいじだい)は、日本列島における時代区分の一つであり、紀元前10世紀頃から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称。採集経済の縄文時代の後、水稲農耕を主とした生産経済の時代である。縄文時代晩期にはすでに水稲農耕は行われているが、多様な生業の一つとして行われており弥生時代の定義からは外れる[1]。


冒頭で、「紀元前10世紀頃から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称」(青下線)と書き、続く段落で「弥生時代は紀元前10世紀に始まる」(赤下線)と書いているが、弥生時代が始まったとされる前4世紀は何所にいったのかwww

それはともかく、並行してウィキペディアが書いている、「採集経済の縄文時代の後、水稲農耕を主とした生産経済の「弥生」時代である」は、まったくの的外れである。このあたりは、ネットでいろいろと書かれているので、本稿では割愛したい。それでも尚、疑問に思う読者は以下の一連の論文に目を通すといいだろう。いずれも世界戦略情報誌『みち』に載った、天童(竺丸)編集長の論文だ。

紀元前一〇世紀水田稲作開始 ←稲作は縄文時代
渡来人先進文化将来説の荒唐無稽
渡来人は日本列島に埋没同化して姿を消した
縄文農耕の成熟と弥生水田稲作
中島一憲「渡来人文明開化史観の虚構」


特に、上掲の一連の論文で注目すべきは、「縄文農耕の成熟と弥生水田稲作」の以下の文章だ。

 縄文時代を狩猟採集に基づく野蛮な時代、弥生時代を水田稲作開始による革新的時代と捉える単純な図式では、わが文明の骨肉に触れることはとてもできないのだ。縄文・弥生以来連綿として一貫するもの、それこそが日本文明の精髄であり、わが皇室祭祀の中核にある。


止めとして、最終稿の「中島一憲「渡来人文明開化史観の虚構」にある、以下の文章を引用しておこう。

 この副題にあるように、従来久しく教科書的常識とされてきた「渡来人のもたらした文明により弥生時代が始まり、古墳時代を通じた国家形成が促された」とする歴史観に真っ向から挑戦するのが著者中島一憲氏の全編を貫く基本姿勢である。それは縄文時代を狩猟採集段階の未開社会とみなす大勢の常識に疑問を持ち、具に検証した事実を踏まえて、「縄文時代とは成熟した文明社会であった」という独自の洞察に支えられているのである。


われわれが学校で習ってきたはずの、「渡来人のもたらした文明により弥生時代が始まり、古墳時代を通じた国家形成が促された」は、まったくの嘘っぱちであったことが分かるだろう。

これにて、弥生時代については切り上げ、いよいよ次稿からは飯山史観の要諦である、古墳時代に筆を進めることになるが、その前に、次稿では改めて飯山史観を、「日本列島に流入した人たち」という角度から俯瞰してみることにしたい。ちなみに、以下は飯山さんの放知技への投稿である。

小生,『飯山一郎の“真説・明治維新”』を書きます.

先ず…,序論として「日本歴史原論」.日本の歴史は,外圧と占領により大変化します.
その「外圧と占領」は,今までに7回半ありました.

第1回目は,紀元前1万5千年前頃.コロポックル小人族や石器文化人が住む日本列島に土器文化人が侵入.縄文文化が始まる.

第2回目は,紀元前5千年頃.定住稲作民族が移住してきて,移動型の縄文人に代わり農作定住民族が主流になる.いわゆる「弥生時代」.

第3回目は,西暦紀元前後,古墳文化をもつ豪族たちが侵入してきて,日本は豪族・古墳文化の時代になる.

第4回目は,7世紀.豪族・古墳文化の日本列島に,百済国が侵入してきて,天皇制国家「日本」を建国する.

第5回目は,9世紀.奥羽地方に獰猛なアテルイ族や突厥族が侵入(外圧),京の征夷大将軍が征伐するも,日本は貴族社会から武家国家に変容.

第6回目は,19世紀.英国が「カラー革命」を策謀し,坂本竜馬,高杉晋作らの「尊王派」や「倒幕派」を扇動して,幕藩体制の徳川国を倒し,西欧文化万歳!の明治新国家を建国させ,英国による間接支配が始まる.

ただし,高杉晋作は上海から帰国後,西欧列強の「カラー革命」を見抜いていたが…,明治維新の前年,29才で死去.
この高杉晋作の「無念と残念」を,安倍晋三は熟知している.

第7回目は,20世紀.大東亜戦争に敗北した日本は,米国の占領下に入り,以後70年間,米国の植民地・属国となる.

第8回目は,現在進行中だが,日本は,米国の支配下から脱するため,ロシアとの同盟関係に入る.← いまココ.

http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16155707/828/


北満州と日本列島 04
■縄文時代(前12000年頃~前4世紀)
ウィキペディアによれば、縄文時代は紀元前12000年頃から紀元前4世紀までとある。しかし、これは明かな間違いで、実は紀元前10世紀ほど前から、すでに弥生時代は始まっていたのである。このあたりについては、次稿の「■弥生時代」で述べるとして、縄文時代が始まったとされる紀元前12000年といえば、すでにシベリアの大地に民族(ツラン)が誕生していたはずで、縄文時代以降に日本列島に渡ってきたのは、シベリアや朝鮮半島からの諸民族、すなわちツランと、南方からの黒潮の民だったと思って差し支えないだろう。

さて、紀元前12000年頃から始まったとされる縄文時代、どのような時代だったのかということだが、実は縄文時代について的確に述べた記事が存在する。それは、世界戦略情報誌『みち』に載った天童(竺丸)編集長の以下の記事である。同記事を読めば、縄文時代とはどのような時代だったのか、手に取るように分かるだけではなく、この日本列島で生を享けたことに、心の奥底で喜びを感じるはずだ。
定住革命の先駆者となった日本 1
定住革命の先駆者となった日本 2

殊に、「定住革命の先駆者となった日本 1」の以下の記述に注目していただきたい。

この日本列島が、世界に例のない聖地だったからである、と。だからこそ、他に例がないほどに恵まれた環境が形成されたのだ。そうでも考えなければ、この恵まれすぎたわが列島の豊かさは説明できない。


この引用だけではピンと来ないかもしれないので、拙稿「乳酸菌と日本人」からも引用しておこう。亀さんは以下のように書いた。

日本列島という地は人類の至宝なのだ。



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われわれの住む日本列島とは、どのような列島なのかについて、さらに知りたいと思った読者は、この機会に『環境と文明の世界史』に目を通していただければと思う。

それから、「定住革命の先駆者となった日本 1」にあった以下の記述…

三内丸山は世界に先駆けた定住革命以来すでに一万年もの長い時間をかけてじっくりと用意されたもの


その通りなのだが、われわれは縄文時代というと、三内丸山を例に挙げるまでもなく、どうも北日本を連想しがちである。しかし、実は南日本でも定住革命が静かに進行していたのだ。そのあたりの詳細は前拙稿で引用した「(11)南方からやって来た縄文人」に目を通していただきたい。 以下の記述に目が留まるはずだ。

日本列島の北方からやってきた人、南方からやってきた人がそれぞれ日本の各地に暮らし、縄文人は均質などではない…

このように、縄文人の興した定住革命は何も北日本に限らず、南日本を含む日本列島全体にわたって起きたのである。


それから、拙稿「北満州と日本列島 03」で、亀さんは栗本慎一郎氏のDNA観を紹介し、必ずしもDNA分析は万能ではないと書いているが、念のため、以下に再掲しておこう。

最近の考古学や歴史学は、染色体やDNAを盲信しすぎてはいないだろうか。再掲になるが、亀さんは拙稿「北満州と日本列島 02」で、栗本慎一郎氏のDNA観を以下のように紹介している。

DNA研究とはいまだに不十分なもので、たとえば5000年だ10000年だというスパンでは何も決定的なことを言うことはできない。たとえば、前述したバイカル湖近くに住むモンゴル系ブリヤート人が日本人とDNA的に近いというような話は全くのインチキである。遺伝子の一部が(しかもその傾向が)ほんのチョコッと似ているというだけの話なのだ。
『栗本慎一郎の全世界史』p.70


「染色体やDNAを盲信しすぎ」という亀さんの記述は、読者に誤解を与えかねない書き方だったと反省している。そこで、次ように言い換えてみよう。つまり、時と場合によっては、DNA分析は目から鱗の事実を浮き彫りにしてくれる、と。その好例として、以下の記事を紹介しておきたい。
Y染色体DNA系統O3の跳梁跋扈を阻止せよ

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ともあれ、亀さんの言いたかったことは、DNA分析結果を基に書かれた諸記事を目にしたら、牽強付会に過ぎないかどうか、じっくりと見極めることが大切であるということなのである。

最後に、日本語の原型ができたのは、縄文時代だったと亀さんは確信しているが、そのあたりについて的確に述べた天童さんの記事、「わが産土は吉備である」(『みち』平成30年9月1日号)があるので、少々長くなるものの、重要なので以下に引用しておこう。

●もともと日本には単一民族が住んでいたのでもなく、単一言語が話されていたのでもない。有史以来の日本列島には系統を異にするいくつかの民族が地域ごとに纏まって住んでいた。言葉もそれぞれに異なっていた。

ところが縄文時代一万二〇〇〇年の間に、何度も大災害に見舞われることにより、かつまた列島全体および沖縄諸島はもちろんのこと黄海を囲む朝鮮半島南部から山東半島までをも網羅する広範な交易ネットワークに結ばれることにより次第に一体化を強めていき、今からほぼ七〇〇〇年前の縄文中期には日本語の核となる「日本語祖語」が形成されてきた。

その日本語祖語は北方言語と南方言語が渾然一体化を遂げた奇跡の言語であった。構文(シンタックス)は言葉そのものを活用・屈折させニュアンスを表現する印欧語系統の屈折語ではなく、助辞を補うことによって言葉と言葉の関係を明確にするという膠着語の系統を引き、北方ツングース語と密接な関係にある。そして語彙には南島祖語(原始アウストロネシア語)に系統を曳く夥しい言葉があって、濃やかな感情表現には接頭辞強調による段階変化(例えば、あか、まっか、まっかっか)をそのまま採用している。

乱暴に言えば、北方からマンモスを追って日本列島にやって来た狩人たちが気候変動によって大型動物が絶滅して食うに困っていたところを、黒潮に乗って台湾からアリョーシャン列島まで自在に行き来していた生活力旺盛な黒潮の民に助けられ、一緒に仲良く暮らすことになった。……まぁー大雑把にはこんな具合だったのではなかろうか。

異なる言語が一つになるなどということは世界の言語に例がなく、まさに奇跡としか言いようがない。例えば、「~する」という言葉。この言葉は何にでもくっついて、その言葉を動詞化する。読書+する、工作+する、睡眠+する、などの言葉に違和感を感じる人はもはやあるまい。ところが、映画+する、ポケモン+する、などはまだ多少変な感じが伴うが、意味が通じないわけではない。たとえ外国語であっても、「~する」はお構いなしにくっついて、日本語化してしまう。プレー+する、サポート+する……。

何でも受け容れて自家薬篭中のものにする、こんなに包容力に富んだ自由闊達の、滅茶苦茶な言語は世界中にも日本語の外にはない。もちろんそれは、一朝一夕に成し遂げられた奇跡ではない。系統の異なる言葉と言葉を相通じるようにするという創意と工夫が途方もない時間を掛けて不断に行なわれた結果である。それを促したのが、否応なしに襲ってくる自然の大災害だった。

時には、鬼界カルデラ大噴火により九州および西日本の人々が絶滅するような危機に見舞われることもあった。そして、生き残るための対立や抗争があったかも知れない。それとは反対に、生き残った者たちの間で、助け合い協働せざるを得ない状況が生まれたかも知れない。

いずれにせよ、日本列島においては、時として大災害に見舞われることはあるものの、四季折々に齎される豊かな自然の恵み……山の幸と海の幸とが、大量殺戮による異民族絶滅を伴う略奪経済から人々を免れさせてくれたのである。

安定した四季の恵みは列島の各地で定住生活を可能にして、三内丸山で栗を栽培していたように、やがて食糧の管理栽培をも手がけるようになると、より大きな政治単位を目指してムラからクニへ統合の動きが加速される。紀元前一〇〇〇年ころの縄文晩期には陸稲が集団管理栽培されていたし、やがて九州北部と備前平野においては水稲栽培へと発展する。

朝鮮半島から製鉄や水稲栽培など先進文化を携えた人々が大量に日本列島に渡来してきて弥生時代が始まり、日本は文明の夜明けを迎えることになる、などという妄説は、半島在日勢力に加担する学者やNHKなどがいくら垂れ流しに必死になっても、もはや事実の前に破綻してしまった。


次稿では弥生時代について筆を進めるが、これは上の記事の最後にある、「朝鮮半島から製鉄や水稲栽培など先進文化を携えた人々が大量に日本列島に渡来してきて弥生時代が始まり、日本は文明の夜明けを迎えることになる、などという妄説」を中心テーマに取り上げる予定だ。

【グリコのおまけ】
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『環境と文明の世界史』p.6


パワフル爺さん
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へっぴりごしさんは、精力的に大量のブログ記事を、連日のようにアップしている、超パワフルなGIII(爺)さんである。アップしているのは、世界や日本の政治や経済といった記事が主なのだが、時には身近な記事もある。たとえば、最近の記事で目が留まったのが以下の記事…
繰り下げ受給PR=「ねんきん定期便」見直し-厚労省

へっぴりごしさんは、以下のようなコメントを残している。

余程「健康に自信」があり、65歳過ぎても「生活できる年収」を確保出来なければ、申請しない・・・鴨ネ。

65歳以上で70歳まで、「職に着ける人」はどのくらいいるのでしょうか?


65歳の誕生日を迎える直前、「死生観を持とう」という記事を亀さんはアップしているが、その中で以下のように書いた。

年金の支給開始は70歳からでE-


これは、へっぴりごしさんの言葉を借りれば、「健康に自信」がまぁあり、「生活できる年収」を70歳までソコソコ確保できると判断したからだ。亀さんは20年近く英日翻訳で生計を立てており、事故に出遭ったり、病気にでもならない限り、70歳まで現役を続けていく自信はある。尤も、流石に五十代の頃のように、睡眠時間を除く一日16時間仕事に没頭するという集中力はなくなったものの、「語彙力」は少しずつだが、伸びているのではと何となく思っていたんだが、最近、それを証明してくれる記事に出会った。それが以下の記事だ。
「能力のピーク」が40代以降に来る人の思考法

同記事には、以下のようなイラストが掲載されている。

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イラストを見ると、「語彙力」のピークは67歳とある。だから亀さんの場合、これから「語彙力」ピークを迎えるということらしい。この語彙力を磨く上で亀さんが必ず目を通しているのが、「山岸勝榮の日英語サロン」というブログだ。山岸先生は大学の元教授だが、定年後の今でも、毎日精力的にブログ記事を書き続けておられ、そのバイタリティーには頭が下がる思いだ。そして、先生のブログ読み続けることでブラシュアップできるのは、何も英語だけではない。 ナント! 日本語もブラシュアップできるのでR。

語彙力? 俺(私)はブログをやっているわけでもねぇし、関係ネーなどと言わないでいただきたい。過日の拙稿「スピーチは自己啓発の原点」で紹介した、『話す力が身につく本』という本にも書いてあることだが、相手に理解してもらえるように話すには、相手に自分の思いや考えが確実に伝わる文章力が必要だ。つまり、話す・書くという能力は両輪の関係にある。

最後に、拙稿「死生観を持とう」にも書いた以下の真実、この機会に改めて噛み締めてみようではないか。

・人は必ず死ぬ
・人生は一回しかない
・人は何時死ぬか分からない


洞察歯観のすすめ(35)
冬の里からの便りが、歯科&音楽ウォッチャーさんから届いた。

今回は安田純平氏のことが取り上げられていて、興味深く読んだが、同氏の歯の状態から〝監禁状態〟を推測するあたり、流石はウォッチャーさんだと思った。

ニュース映像を見る限り「普通に元気ジャン!!」という様子でした。解放後から、なめらかに良く動いてました・・・下顎が!声が出ることが不思議でなりませんでしたが。声にかすれ一つ無く、発音もスムーズ。過酷な環境下で、電動歯ブラシでも使っていたのでしょうか?口元わずかに見られる歯の様子も問題なさそうで”汚れ”が確認出来ない。


亀さんも掲示板「放知技」で安田氏のことを書いている。
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16557737/122/

師走に入ったが、ウォッチャーの言うSTEPHEN PETRUNAK の「INFANT HOLY」を初めて聴いた。クリスマスか…、今夏訪れたアルゼンチン、今頃は庭のプールで真夏のクリスマスを迎えていることだろう。

秋も深まり・・・とは言え、もう師走ではありますが、紅葉を楽しもうと山歩きした帰り道、ショッピングモールへ立ち寄り、イートコーナーで100円コーヒーを飲みながら一休みしていたところ、近くのテーブルに、ミニスカ女子高生6人グループがやってきまして、ハンバーガー、ポテトチップ。たこ焼きに、ピザ。ジャンク・グルメをテーブル一杯に広げ、賑々しく女子会が始まりました。これは喧しくなりそうだ・・・早々に引き上げるかと思った瞬間、ポテトを口に放り込んだ茶髪ロングヘアーの女の子が、
「マジ やばいよ 私!今日のテスト全然出来なかったよ・・・」
と、雄叫びを上げ、それをゴングに、テーブル上で、ジャンクフード飛び散るバトルロイヤルが繰り広げられることに・・・。
飛び交いますね・・・「ウソ~!」「マジ!」 「やばいじゃん!」
この三つの言葉。ミニスカ女子高生たちには、とても重要な、スリーコード(三つの和音)で、会話を進めるには欠かせないもの。このスリーコードを丸っきり外してしまうと、コミュニケーション・ブレイクダウンになります。とは言え、ミニスカ女子高生や、ヤング・ジェネレーション(ちょっと、オールド・ファッションな表現でしょうか)だけでは無く、われらおっさん世代も意外と使っております。このスリーコード!結構な感染力です。効果的なワクチンは、今のところ無く、治療不可!といったところでしょうか。
つい先日も耳にしました。
「おい、やばいぜ!カルロス・ゴーンがしょっ引かれたらしい・・・」
「うそっ・・・えっ、マジかよ!」
スーツ姿の50代半ばとみられるおっさん二人の会話です。(日産ゴーンの報道を耳にしたとき、何となく思い出したのが、マツダのロータリーエンジン・・・)
この「やばい」・・・は意外なことに、川端康成が仕掛け人だったそうな・・・
***もともと隠語だった「やばい」を小説で使ったのが川端康成。浅草で生きる不良少年少女を描いた「浅草紅団」(1930年)で、
「私と歩くのはやばい(危ない)からお止しなさい」
とカッコ付きで使われていた。***
「恥ずかしくない おとなの語彙集が 身につく本」・・・というタイトルの本に、小ネタとして紹介されております。

さて、ミニスカ女子会もスリーコードの会話で盛り上がり、話題がテレビワイドショーへと変わり、あの帰国ジャーナリストのことを取り上げ・・・
「私だったら絶対むり。でも、よく帰ってこられたよねぇ~」
長らく過酷な環境下で捕らわれの身となっていたジャーナリストが無事解放され日本に帰国したというニュースが大きく取り上げられましたが、ミニスカ女子の一人は、私ならそのような状況下では耐えられず、とうてい生き延びて帰ることは出来そうもないわ・・・ということを、スリーコードを巧みに織り込んで話したわけですが、ところが、その次に口を開いたクレオパトラ・カットのミニスカ女子が、意外なことを・・・
「えっ!あの人ってさぁ-、普通に元気ジャン!!」
聞いていて、思わず「ナイス・プレイ!」と声をかけたくなりました・・・まさにその通り。解放されてから飛行機で移動し帰国。そして記者会見。ニュース映像を見る限り「普通に元気ジャン!!」という様子でした。解放後から、なめらかに良く動いてました・・・下顎が!声が出ることが不思議でなりませんでしたが。声にかすれ一つ無く、発音もスムーズ。過酷な環境下で、電動歯ブラシでも使っていたのでしょうか?口元わずかに見られる歯の様子も問題なさそうで”汚れ”が確認出来ない。
このジャーナリストの話題も、”東西南北から集められた「ニュースでショー」の一つなのでしょうが、映像には奥さんが登場し、両親が登場し、そしてジャーナリスト本人と、三つの音の組み合わせで作られて作品でした。
ちょっと、余談ですが・・・帰国ジャーナリストのニュース映像を見たときに、ふと心に浮かび上がってきたのが、タレントの川口浩。と言っても、川口浩本人では無く、
「行け 行け 川口浩!どんと行け!」
という歌詞を歌ったシンガーの嘉門達夫。
ジャーナリスト無事帰還のニュースの謎解きは意外や意外にも・・・嘉門達夫が歌う、「行け行け川口浩!」に、あるのかも知れません??

さてさて、意外なことは身近でもありました・・・

今年、幼なじみのK君が仕事リタイヤ。
「仕事から解放されて、気分も落ち着いてきたので遊びに来ないか」
と誘いがあり、少々遠出をして会いに行ってきました。K君とは4~5歳の頃からの付き合いなので、もうO十年になりますが、子どもの頃彼とは家も近く、学校からの帰り道、二人でよくスーダラ節を歌ったものです。年末になると思い出しますが、小学校時代、大掃除の時にぞうきんを振り回しながらスーダラ節を二人で歌い騒いでいたところを担任教師(当時、三十代後半の女教師)に見つかり、こっぴどく叱られたものでした。
「こら!そこの二人。何をしてる。ふざけてないで、ちゃんとしなさい。それに、いま歌っていた歌はなんですか。あなたたちが歌うような歌ではありません」
この叱りかたは昭和の味すね。
また、幼い頃といえば、冬の寒いなかでも青っぱなシャツの袖にこすりつけてはチャンバラごっこをしたものでした。K君とは沢山の想い出がありますが、なんとも可笑しかったのは彼はコーヒー牛乳が苦手で飲めない。よく、「おまえ、コーヒー牛乳
飲めないのかよ~」とからかったものでした。そのK君は高校生になるとスモーキン・ブギ
が愛聴盤となり、学生生活も目覚めの一服で始まる「スモーキン・ブギ」ライフを満喫しておりました。その後、意外なことに勉強することに目覚め、技術屋になり、長年技術畑で仕事をこなし、今年退職。
今でも、スモーキン・ブギが愛聴盤かと聞いたところ・・・これが意外や意外、クラシック音楽愛好家に大変身しておりました。
驚いたことに、ミケランジェリのピアノに酔い、ヒラリー(ヒラリー・ハーン)のヴァイオリンに胸躍らせると言うから、魂消てしまいます!
そこで、K君へのお土産は、CDを数枚選んで持って行きました。一部紹介します。

先ずは、チャイコの一番(チャイコフスキー ピアノ協奏曲 )ピアノは、ゲザ・アンダ。
ピアニストは、鍵盤に指を走らせるだけでは無く、足先もピアノ演奏をしています。足下にあるペダル。ペダル演奏の達人がゲザ・アンダ!
ゲザ・アンダは、K君ではありませんが、朝から晩までスモーキンブギなヘビースモーカーだったようです。ただ残念なのは、フルトベングラーから、「ピアノの吟遊詩人」と賞賛されたピアニストでありながら、五十代半ばで亡くなったことです。

次に、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」
カレル・アンチェル指揮 。オケは、チェコ・フィルハーモニー。
シンフォニエッタのメロディーを聴くと、エマーソン・レイク&パーマーを思い浮かべたりしますが、指揮者のカレル・アンチェルは、あの・・・野生の王国指揮者、ヘルマン・シェルヘンの愛弟子。

三枚目 ベートーベン ヴァイオリン・ソナタ 「第5番 春」「第9番 クロイツェル」
アルテール・グリュミオー ヴァイオリン。
クララ・ハスキル ピアノ。
クロイツェルは元々、ヴァイオリニストであるブリッジタワーのために書かれた作品で、初演はベートーベンとブリッジタワーで行われたものの、練習時間があまりなかったのか、両者の意思疎通がうまくいかなかったのか・・・ブリッジタワーは、ほぼ初見でステージに立ち、思うような演奏が出来なかったようです。ベートーベンとはウマが合わなかったのかも知れません。また、二人は、ある女性をめぐって仲違いをしたことがあったらしい・・・と、今で言えば美味しいワイドショーネタですが、お互いに、
「あんた あの娘の 何なのさ」
とばかり張り合ったのでしょうか?
その後、ベートーベンは、ルドルフ・クロイツェルに、「この曲、あんたに捧げるぜ」と贈ったところが、受け取ったクロイツェル、「マジかよぉ・・・」とは言わなかったでしょうが、「なにゆえ、私に??」
一度として演奏したことが無かったとのこと。
ピアニストのクララ・ハスキル。冥土へ行くまで・・・いや、冥土へ行っても聴き続けたいと思うピアニストです。クララ・ハスキルをいえば、ディヌ・リパッティも同じですが・・・。
クロイツェル・ソナタといえば、アルトゥール・ルービンシュタインとヤッシャ・ハイフェッツがタッグを組み、ステージに登場したことがありました。クラシック音楽界の超スーパースター。夢の共演といったところでしょう。
コンサート当日。先ずは、ルービンシュタインが登場。不思議なことにヴァイオリンを手にして。続いてハイフェッツがステージ上に現れたかと思ったらピアノの前に・・・。聴衆は驚きを口にする間もなく、イントロが始まり、なんと全三楽章を華麗なるプレイで披露。会場は拍手鳴り止まぬスタンディング・オベーション!聴衆のなかには、
「てやンでぇ-ベラボーめ。こんなものは、インチキじゃーねーか」
と、けちを付けるものもいたようですが、演奏後、ステージ上で二人は、
「コンサートのポスターをよーく見ましたか・・・クロイツェル・ソナタ。ハイフェッツ。ルービンシュタイン。としか記してありません。ポスターのどこに楽器の指定が書いてありましたか。そんなことはどこにも書いちゃーいねーぜ!」
書いちゃーいねーぜ!・・・遠山の金さんのような啖呵を切ることはしなかったでしょうが、ゴールデン・コンビのコンサート。聴いてみたかったですね。今となっては、タイムマシンにお願いするより他に手はなさそうですが・・・。

ーー番外編ーー
幼なじみのK君へのお土産として、CDの他に聴診器をひとつ用意しました。さて、どう使用するか・・・これは、この世界にたった一つしかない壮大なシンフォニーを鑑賞してもらうためもの・・・つまりは、自身の体内に響き渡る音を聴くためのものです。普段、色々な音楽に接していながらも、自分の音(おん)は、意外や意外にも聴いたことはなく知らない。K君には、
「検診などで、お金を払ってまで、お医者に聴かせてやることはない・・・自分が聴いて楽しめ」
そう言って渡しましたが、これを切っ掛けに、退職したおっさんが、よからぬ趣味?に走るのではないかと一抹の不安・・・無きにしも非ず!

聴診器をヘッドフォン代わりにして聴くシンフォニーは、意外なる世界(宇宙の旅)へと誘ってくれるかも知れません。

ーー追記ーー

ミニスカ女子会バトルロイヤルを楽しんだ後、モール内で暫くウインドウ・ショッピングしていると、「ホワイト・クリスマス」が流れてきました。ビング・クロスビーの甘ったるい歌声を聴いていると、砂糖てんこ盛りのシフォンケーキが目に浮かんできましたが、クリスマス定番の「ホワイト・クリスマス」は、アーヴィング・バーリンの作品。バーリンは、シベリア生まれのユダヤ人。アメリカの代表的クリスマス・ソングは、ロシアから愛を込めて贈られた一曲だったのかも・・・知れません!

そこで今宵は、クリスマスソング。

STEPHEN PETRUNAK のアルバム 「INFANT HOLY」 から、「SILENT NIGHT」

このアルバム、いまから十数年前のこと、ある中古レコード屋で見つけ買い求めた一枚ですが・・・以来、我が家の定番・師走アルバムとなってます。一年の疲れと汚れを洗い流してくれる、程よい甘さで口あたり(耳あたり)のよい美味しい音のデザートです。先ずは一曲、試食を・・・。
(国内盤アルバムは、どうやら発売されていないようです)




北満州と日本列島 03
前稿「北満州と日本列島 02」で旧石器時代を取り上げたので、今回は縄文時代を中心に筆を進めるつもりでいたが、ここ数日にわたり加筆したいテーマが出てきたので、前稿に引き続き旧石器時代について言及させていただきたい。

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Y染色体を用いて推定される現生人類(新人)の拡散ルート

最初に、上掲の図は前稿で紹介した「日本人はどこから来たのか」、「(8)日本に到達した現生人類」に掲載されている図である。

しかし、サーッと眺めただけでも、何だかなぁという箇所が随分と目についたのだし、なかでも明らかに間違っていると思った箇所に、緑色や赤色の丸印を入れておいた。

最初に緑色の丸印。矢印を確認するに、アフリカを出た現生人類がアラビア半島の南端を経由して、今のイランに到着、そこを起点にして、ヨーロッパに向かった現生人類がコーカソイド(白人人種)に、シベリアに向かった現生人類がモンゴロイド(蒙古人種)に、オーストラリアに向かった現生人類がオーストラロイド(オーストラリア原住民)になったということを、たぶん上の図は言いたいのだろう。たとえば、赤丸印Bの矢印、すなわちシベリアに向かった現生人類は、後にモンゴル人種になったという具合にである。

ちなみに、上の図はY染色体分析に基づいて推定されたものだが、DNA分析に基づいた推定も、ウィキペディアの「モンゴロイド」に記載されている。

近年のDNA分析によれば、モンゴロイドはアフリカからアラビア半島を経由した出アフリカ集団のうち、イラン付近からアルタイ山脈周辺へ北ルートで移住した人々が、周囲の自然環境により他の「人種」との交流を絶たれ、その結果独自の遺伝的変異及び環境適応を経た結果誕生した「人種」であるとされる。その原初の居住地は、ヒマラヤ山脈及びアラカン山脈よりも東及び北側である。


ウィキペディアも出アフリカはアラビア半島経由としているが、そうではなくてシナイ半島経由だという説(現生人類の出アフリカ経路、「北ルート」が有力か)もあり、亀さんは大阪の〝公演〟ではシナイ半島経由(下図)を採っている。このあたりについては、今後の研究成果を待ちたい。

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それにしても、現生人類がアフリカを出たのはシナイ半島経由、あるいはアラビア半島経由のいずれだったにせよ(あるいは両方)、最近の考古学や歴史学は、染色体やDNAを盲信しすぎてはいないだろうか。再掲になるが、亀さんは拙稿「北満州と日本列島 02」で、栗本慎一郎氏のDNA観を以下のように紹介している。

DNA研究とはいまだに不十分なもので、たとえば5000年だ10000年だというスパンでは何も決定的なことを言うことはできない。たとえば、前述したバイカル湖近くに住むモンゴル系ブリヤート人が日本人とDNA的に近いというような話は全くのインチキである。遺伝子の一部が(しかもその傾向が)ほんのチョコッと似ているというだけの話なのだ。
『栗本慎一郎の全世界史』p.70


これは、染色体やゲノムについても同様なことが言えるはずだ。

ところで、「Y染色体を用いて推定される現生人類(新人)の拡散ルート」の図に書き加えた赤丸印A、ヨーロッパに向かったのがモンゴロイド(茶色の矢印)としているが、コーカサス人種の原郷がシベリアのコーカサス地方なので、矢印は桃色(コーカサス人種)になるはずである。このあたりの根拠として、やはり栗本氏の主張を引用しておこう。

ゲルマン人は10万年ほど前、コーカサス地方において突然変異により集団的に白子化した遊牧民であるから、当然、他民族より色は白く日照に対して弱かったはずである。白人たちが自らをコーカサス人種と呼ぶのは人類学が発達する前からのことだ。ということは民族の「記憶」があったからであろう。
『栗本慎一郎の全世界史』p.99~100


また、以下のようなことも栗本氏は書いている。

紀元前のチュルク人は、その一部だったキルギス人も含めてコーカソイド(コーカサス人種)であった可能性が高い。言語も今は死滅してしまったインド・ヨーロッパ系統の言語がいくつもあったはずだが、その代表たるトカラ語を含めて基本がすべて未解明である。

シベリアからは南に外れた楼蘭で見つかったミイラ(楼蘭の美女)は明らかにコーカサス人種の特徴を持つし、楼蘭の本名クロライナも印欧語によるものと考えられている。だが楼蘭はほぼ間違いなくキォンヌ帝国の一角(構成の一王国)にあったものである。

『栗本慎一郎の全世界史』p.66


ここで、栗本氏は〝印欧語〟と書いているが、印欧語あるいは印欧語族という言葉には注意が必要だ。天童竺丸さんが「ツラン魂は健在なり 2」で、以下のような卓見を展開している。

いわゆる「アーリア人=印欧語族」なるものも、学問的な成果というより、一五世紀より世界的植民地支配に乗り出した西欧の勢力、とくに英国の東インド会社を拠点にした寡頭勢力がその世界支配の理論的正統性を固めるために編み出した思想謀略(イデオロギー)なのである。

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続いて赤丸印Cについてだが、日本列島に流入した現生人類は、朝鮮半島経由のみとしか、図からは読み取れない。しかし、「日本人はどこから来たのか」の「(10)北方からやって来た縄文人」に掲示されている真上の図からも分かるように、亀さんも同様に日本列島に渡ってきた人々の集団は、主に三ルートあったと思う。また、「(13)大陸から渡ってきた人々」の冒頭でも以下のように述べており、基本的に亀さんも同意見だ。

・大陸から渡ってきたルート ①旧石器時代にシベリア経由で到達した②旧石器時代に華北・朝鮮半島経由で到達した③弥生時代に同じく華北・朝鮮半島経由で到達した④南方から沖縄経由で到達した。


当然、旧石器時代に華北・朝鮮半島経由のルートで、日本列島に渡ってきた現生人類もいたことは十分にあり得ることだし、しかも三つのルートのなかでは最も楽なルートだったはずだ。なを、東シナ海というルートの可能性は、ほぼゼロだ。第一、最澄や空海の時代ですら、多くの船が難破して結局中国大陸に到着できずに海の藻屑となっており、その点から東シナ海の航海はほぼ不可能だったと思う。

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それから、「「日本人はどこから来たのか」の「(11)南方からやって来た縄文人」では、スンダランドについて取り上げているが、亀さんも拙稿「沖ノ島と宗像大社」で取り上げたことがあり、一読いただければと思う。

次に冒頭の図に示した赤丸印Dと赤丸印Eだが、ベーリング海峡を通ってインディアンが北アメリカに渡り、やがて南アメリカに広がったと図から読み取れるのだが、大阪の〝公演〟で示した図で亀さんはベーリング海峡に×印を入れており、また「(13)大陸から渡ってきた人々」にも以下のような記載が見られる。

アメリカに到達したモンゴロイドはなぜか寒冷地に適した新モンゴロイドに変容しておらず、旧来の古モンゴロイドと見られています。


それから、拙稿「アルゼンチンで思ふ(3)」では飯山一郎さんの論文を紹介、縄文人が太平洋を横断した論拠を示した。

”島国根性”を蹴飛ばして、”環太平洋ネットワーク”に目を向けよう!
文字・国家をもたない縄文人が形成した地球規模の壮大なネットワーク空間のこと


止めとして、ウィルスの観点でベーリング海峡説を否定した、論文や記事を以下に紹介しておこう。

ウィルスから日本人の起源を探る
謎の国々は実在したか?(7) ~ ウイルスと寄生虫は語る


特に、後者の以下の記述は興味深い。

普通の解釈であれば、「南米先住民は、古代に東アジアからベーリング海を経て、北アメリカへ行き、そこからさらに南下したきたのだ。」となります。

しかし、もしそうであるなら、なぜ中米のカリブ海沿岸やパナマの人たち、また同じ南米先住民でも、なぜ、太平洋側であるアンデス地域だけ集中し、他のカリブ海沿岸、アマゾン熱帯雨林、パタゴニアなどの先住民は感染していないのか、不自然です。


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以上、現時点において通説とされている学説には、問題点や間違いが多いのである。そうした現状に対して、栗本氏は自著『栗本慎一郎の全世界史』で、固定概念に囚われている人たち、特に歴史学者らを罵倒しているのだが、それに比べれば、まだまだ亀さんなんか心優しい方だワイ。

本当に疑問に思うなら、そして必要なら自分で調べたまえ。調べもせずにただ疑問に思うような人はただ読むのをやめなさい。そういう人はこの本を読む資格も、歴史の真実を語る資格もないのだ。
『栗本慎一郎の全世界史』p.212


次稿では、いよいよ縄文時代に筆を進めよう。

響堂雪乃のメッセージ
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2~3日前、NHKのBS世界のドキュメンタリーで、「プーチンの復讐(前編)」を再放送していたので、途中からだったが見てみた。ちなみに、同番組はネットでも公開されており、どのような内容の番組か知りたいのであれば、以下にアクセスしてみるといいだろう。
https://www.dailymotion.com/video/x6gf0ub

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同番組は典型的なネオコン寄りのプロバガンダ番組だったので、一緒に見ていた下の息子には、いつものように同番組のプロバガンダぶりを亀さんは解説している。仕事部屋に戻り、念のため同番組のホームページを確認したところ、この番組を見たという、三名の人が上掲のコメントを寄せていた。二名の投稿は「こんなものかな」と思ったていどだったが、ちゃんママさんという人のコメントを読み、分かっている人もいるのだなと、心強く思った次第である。そして、ふと脳裏に浮かんだのが、響堂雪乃氏の『ニホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ』(白馬社)だった。

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この本は、著者である響堂氏から送呈していただいた本で、亀さんは拙稿「滅びゆくニホン」で以下のような書評を書いた。

一読して、日本の十代あるいは二十代の若者には是非読んで欲しい本だと思ったし、同書を手にするかどうかで、その人の人生が大きく左右されるだろうと、直感的に思ったほどである。


飯山一郎さんが逝去してからというもの、最近の放知技は面白くない、という声もチラホラ聞こえてくるのだが、なぁに、堺のおっさんやmespesadoさんがいるのだし、亀さんはまったく心配していない。

しかし、一方で亀さんが最近の放知技で気になっているのは、上掲の「ちゃんママ」さんのように、ネオコンの存在に気づいている投稿者が多いものの、「ネオコンよ、早く消えてくれぇ~~」、といった、単なる淡い期待の投稿が大方を占めていることだ。「ネオコンに対して、具体的にどうすればいいか?」、「どう生きていけばいいの?」といった、若者の真摯な疑問に対して、真正面から受け止めている投稿は、残念ながらゼロ、あるいはゼロに近い。

よって、若者には響堂氏の『ニホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ』を手に入れるか、すでに同書が手許にあるのなら、この機会に再読することを強く勧めたい。その上で、「僕は(私は)このように生きていきたい」といった投稿を、亀さんは若い読者に期待している。

その響堂氏の本で、未だに脳裏から離れないのは以下の行である。

支配寄港である多国籍企業に反逆して革命を起こすことなど不可能だ …
『植民地化する日本、帝国化する世界』p.15
EU離脱を採った英国


それに対して、亀さんは以下のようなことを上掲の拙稿に書いた。

とまれ、響堂氏の主張「支配寄港である多国籍企業に反逆して革命を起こすことなど不可能だ 」が、今後も続くのであれば、中露連合と雖もアメリカ(多国籍企業)に対する防波堤どころか、いずれ叩きのめされるということになるのだが、そのあたりの結論は意外に早く我々は知ることができるのかもしれない。


残念ながら、未だにネオコンはしぶとく生き残っている。トランプvs.ネオコン、安倍晋三vs.財務省、ロシアvs.米軍・NATO(ウクライナの艦艇拿捕など)といった具合に、今でも殺すか殺されるかという鬩ぎ合いが続いるのである。

鉄人を悼む
小学校高学年の時、母方の叔父に後楽園に連れて行ってもらったことがある。初めてのプロ野球観戦ということで朝から大興奮の亀さん、夕方出かけるというのに昼前から叔父宅に押しかけ、「早く行こう!」と叔父を困らせたものだった。そして、夢にまで見た後楽園で、王貞治が二本のホームランをかっ飛ばすのを目の当たりにして、またまた大興奮…。

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東京オリンピックがあった1964年当時の亀さんは小学校六年生だったが、当時は「巨人・大鵬・卵焼き」の時代で、プロ野球と言えば巨人のことを指し、亀さんも近所の悪ガキと暗くなるまで草野球をやっていたものだ。そして、近所の悪ガキはもちろんのこと、学校のクラスメートも男の子は全員と言っていいほど、巨人ファンだった。だから、思春期を迎えたころも亀さんは、相も変わらず巨人ファンだったのだが、それがいつの間にか中日ファンになっていた。

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その最大の理由は、中日に落合博満がいたからだったと、今にして思う。落合は一匹狼的な生き様を貫いた(今でも)男だが、やはり世界を三年間放浪したことで、一匹狼的な生き様を身につけた亀さんなので、落合のオレ流の生き様が重なったのだろう。その落合は選手(1987~1993年)として、また監督(2004~2011年)として、中日と最も関係が深かっし、また、落合の本(『なんと言われようとオレ流さ』)も読んだことがある。

しかし、いつの間にか落合への関心が薄れ、ふと気が付くと日本ハムと広島のファン、というよりは両球団に関心を持つようになった自分がいた。それは、両球団に共通する、「新人を大事に育てる」という球団方針に惹かれたからである。

つまり、若いころの亀さんは周囲が巨人ファンだからというだけの理由で、巨人ファンになっていたのだが、十代の頃に日本を飛び出して三年間世界を放浪したことで、落合のオレ流の生き様が身についたのだし、それが落合というオレ流の野球選手を知るに至って、次第に落合の生き様と自分の生き様を重ねるようになったというわけだが、さらに時を経るにつれて、亀さん自身はオレ流の生き様が影を潜め、次の日本を背負う若者に目が向くようになっていた。それが、拙ブログに「若者への遺言」というカテゴリを設けた理由だったし、飯山史観を後世に残すため編集を進めている最大の理由である。

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この日本ハムと広島カープの〝育てる〟という球団方針だが、日本ハムの場合はダルビッシュ有や大谷翔平といった、今やメジャーリーグを代表する選手を輩出しているし、広島カープの場合も黒田博樹や前田健太といったサムライを育て、メジャーリーグに送っている。

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その広島カープの鉄人と言えば、今年亡くなった衣笠祥雄を思い出すのだが、最近、NHKの「アナザーストーリーズ」が、衣笠の特集をやるというので見てみた。同番組を見終えて改めて思ったことは、衣笠のように、選手として一流だけではなく、人間としても一流に衣笠を育てあげた広島球団の凄さである。同番組で特に胸が熱くなったシーンは、敗戦間もない1949年に球団を設立した当時、スポンサーもついていなかった広島カーブに、地元の人たちが球団の為に寄付しているシーンだ。むろん、広島の人たちのカープ愛は今でも不変だ。

もう一つ、同番組でつくづく思ったことは、若いころの人生の先輩との出会いの大切さということである。衣笠の場合、入団四年目に監督・コーチ陣の総入れ替えがあったのだが、監督に根本陸夫、守備・走塁コーチに広岡達朗、打撃コーチに関根潤三と、後に名伯楽となる三人が一度に広島に来たことで、衣笠という若者を大きく変えたことを知った。ここに、若いころに出会う人によって、その人の一生が決まるということに、改めて思いを致した次第である。その意味で、若者には積極的に、できるだけ多くの人生の先輩に出会って欲しいと心から願う。

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根本監督が若い衣笠に問うた言葉

北満州と日本列島 02
前稿「北満州と日本列島 01」では、「遼河文明」というテーマを取り上げたが、今回はもう一つのテーマである、「日本列島に流れ込んできた人々」について取り上げてみよう。

ここで、人々、すなわち現生人類が最初に日本列島に来て定住した、4~3万年前から古墳時代に入るあたりまでは、数万年というタイムスパンがあるので、取り敢えずは以下の年代区分に沿って筆を進めたい。

・旧石器時代
・縄文時代
・弥生時代


なを、古墳時代以降も日本列島への人の流入が続いていたことに変わりはない。ただ、古墳時代の応神天皇(在位期間270年1月1日 - 312年2月15日)と、飛鳥時代の天武天皇(在位期間673年3月20日 - 686年10月1日)の御代は、飯山史観の要諦でもあることから、当時の日本列島への人の流入も含め、多岐にわたって筆を進めるつもりなので、古墳時代以降における人の日本列島への流入は割愛する。

■旧石器時代(~紀元前12000年頃)
日本列島に渡ってきた現生人類が定住するようになったのは、4~3万年前と亀さんは前稿で書いたが、ウィキペディアによれば、岩手県遠野市宮守町の金取遺跡で9〜8万年前の人の足跡の他、石器が発掘されたとある。どうやら、最初に〝人々〟が日本列島にやって来たのは、さらに時間を遡る必要があるようだ。だが、これらの〝人々〟は本当に現生人類だったのだろうか?

ここで、「日本人はどこから来たのか」 という、面白そうなサイトを発見した。そして、亀さんが注目したのは同サイトの(9)旧石器時代の日本にあった、以下の結語である。

私個人的には様々な状況をあわせると、ホモ・エレクトスなどの「原人」はアジアに拡散したが、日本列島にまでは到達できなかった。しかし11万年前よりも以前のかなり古い時代からデニソワ人などの「旧人」は日本に到達していて、生活の痕跡を残した。さらに4万年前頃にはもう舟に乗った現生人類、「新人」が海を渡って日本列島に到達し始めたのだろうと考えています。


同サイトは、「人類が地球外からやってきた」、あるいはシッチン説といった、腰が引けるような記事が目に付くものの、なるほどと思わせる記事も多く、上掲の結語に限っては、ほぼ正しいと亀さんは思う。また、現生人類がアフリカを出たのが10万年前、そして日本列島に到達したのが4万年前という点でも一致している。今後の発掘調査でより正確な時期が判明するとは思うが、大筋は変わらないだろう。

ところで、上記ページにあった指摘で見逃せない記述が幾つかあったので、主なものを以下に列記しておこう。

近年の研究で氷河期の最寒期でも津軽海峡、対馬海峡には海が残り、大陸と日本列島(北海道は除く)は陸続きにならなかったことが判明した。
【亀さん】数年前になるが、NHKスペシャルで「日本人 はるかな旅」というシリーズを放送していたことがある。中でも、シベリアからマンモスハンターが、陸続きの北海道まで進出してきたシーンが今でも記憶に残っている。では、彼らは北海道から本州へはどのように渡ったのか…、あるいは本州に渡ることはできなかったのか…、このあたりについては、いずれ解明されることを期待したい。

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舟を使わないと往来できない伊豆諸島・神津島で産出されたとみられる黒曜石が、関東地方の後期旧石器時代3万8千年前の遺跡で発見されています。このことから日本人の祖先はこの頃既に意図的な航海が可能だった、つまり舟に乗って日本列島にやってくることが可能だった。
【亀さん】おそらくは丸木舟を使用していたのではないだろうか。これは、人類進化学者の海部陽介氏が現在進めている、「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」を通じて、個人的に思ったことである。
【完結編】国立科学博物館「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」

2008年になってロシア・モンゴル・中国の国境に近いデニソワ洞窟で人骨のかけらや歯が見つかります。2010年DNAの解析によりこれは未知の人類の化石と判明します。
【亀さん】興味深い記述だと思うし、これなら金取遺跡で発見されたという、9~8万年前の足跡も辻褄が合う。参考までに、上掲のサイトにあったイラストと、亀さんが「日本人のDNA」で取り上げたイラストを以下に並べておこう。

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(9)旧石器時代の日本

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日本人のDNA


ここで注意しなければならないのは、日本の考古学者だ。以下のウェブ記事を参照されたい。
『神の手』に罪は無かった(1)

上掲の記事を書いたのは、あの『神々の指紋』を和訳した大地舜氏で、「現代文明の発祥は6000年前のメソポタミアの古代シュメールだと私たちは信じている」と書いているあたりで、亀さん的にはもうアウトなのだが、そのあたりには目を瞑るとして、考古学者に限らず、他の日本の学会や会社といった組織の硬直化は、しばしば見受けられるパターンである。それにしても、旧石器考古学の学者らを滅多斬りしているあたり、実に小気味よいし、日本の考古学者の実態は大体において大地氏の言う通りなのだろう。

しかし、ここで改めて栗本慎一郎氏の主張を紹介しないわけにはいかない。それは、「DNA」と「石器」についてだ。最初にDNAから…

DNA研究とはいまだに不十分なもので、たとえば5000年だ10000年だというスパンでは何も決定的なことを言うことはできない。たとえば、前述したバイカル湖近くに住むモンゴル系ブリヤート人が日本人とDNA的に近いというような話は全くのインチキである。遺伝子の一部が(しかもその傾向が)ほんのチョコッと似ているというだけの話なのだ。
『栗本慎一郎の全世界史』p.70


確かに、栗本氏が主張しているようにDNAは万能ではない。第一、現生人類が民族に分かれるようになってから、まだ数万年という僅かな時間しか経っていないことを思えば、今後もDNAが引き合いに出されていたら注意するべきだろう。

次に石器。前稿で文明と文化についての栗本氏の定義を引用したが、その中に重要な指摘がある(下線)。

われわれが文明と呼んでいるのは、各地(各国)や各民族の固有の文化をいくらかの地域的まとまりをもって捉え、かつ時間的にいささかの長さの中において考えられるものである。つまり、一定の時間的継続を持ちいくつかの文化と地域をまとめる諸文化の総合を文明という。

その総合や統合、時には統治のあり方は文明の性格の重要な要素であって、われわれはしばしば建物や美術・工芸にばかり目が行きがちになることを抑えねばならない

『栗本慎一郎の全世界史』p.20


つまり、あまりにも石器だの土器だのといったモノだけに拘っていると、文明や文化の大筋、あるいは本質と言い換えてもよいと思うが、見逃す恐れがある。このあたり、栗本氏の謂う「生命論」を常に頭の片隅に置いておきたいものだ。
栗本慎一郎の生命論

以上の二点を念頭に、今後の発掘調査に注目していきたいと思う。なを、日本列島に現生人類が渡ってきた4~3万年前だが、この年代は、シベリアの現生人類が多くの民族に分かれてツランが誕生する前であり、したがって最初に日本列島にやってきた人たちも、民族に分かれる前の人たちだろう。

蛇足ながら、大阪での〝公演〟でも発表したように、シベリアから日本列島に渡ってきた現生人類に前後して、南方から日本列島に渡ってきた現生人類もいたことを忘れるべきではないと思う。

次稿では「北満州と日本列島 03」として、縄文時代の人の流入について取り上げる予定だ。

【補足】
現在の世界人口は76億人だが、数万年前は一握りの人類しかいなかったし、もう少しで滅亡という危機にも人類は直面した。

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今日世界人口70億人 生き残る人類と死ぬ人類に分かれていく

滅亡の淵に立たされた人類については、以下のサイトが参考になる。
人類は7万年前に絶滅寸前の状態に追い込まれれていた