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人生は冥土までの暇潰し

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人生は冥土までの暇潰し
亀さんは政治や歴史を主テーマにしたブログを開設しているんだけど、面白くないのか読んでくれる地元の親戚や知人はゼロ。そこで、身近な話題を主テーマに、熊さん八っつぁん的なブログを開設してみた…。
竹中平蔵とはさみは使いよう
昨日の掲示板「放知技」で展開された、飯山一郎さんの安倍晋三論は重要なので、「竹中平蔵とはさみは使いよう」と題して筆を進めたい。

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数日前、『月刊日本』(六月号)が届いた。幾本かあった特集の中で、亀さんは「郵便局はアメリカに奪われた」に注目した。この特集では稲村公望さんの他、あの植草一秀氏も寄稿していた。森友学園問題で猛り狂っている今の植草氏からは、想像もできないほど正鵠を射た主張で、郵政民営化を推し進めた小泉政権の正体を正確に捉えている点、流石と思った次第である(赤線)。

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以下は昨日の飯山一郎さんの投稿だが、小泉政権と郵政民営化については、飯山一郎さんも植草氏と同意見であることがわかる(青線)。

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http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16117851

だが、月刊日本や植草氏の主張と、飯山さんの主張が一致しているのは、そこまでである。月刊日本は以下のように主張する(赤線)。

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つまり、「民主党が郵政民営化に歯止めをかけたものの、政権交代で安倍政権が再び郵政民営化を推し進めるようになった」と、月刊日本は主張しているのだ。表層的には、確かに月刊日本の言う通りだし、そのように思うのも無理もない。しかし、この点で飯山さんの見解は大きく異なってくる(民主党について言及した青線の最終行)。

その上で、飯山さんは以下のように主張した(赤線)。

安倍晋三は,竹中平蔵を取り込むことによって,偽ユダヤ資本をコントロールしているワケで…

偽ユダヤ資本にコントロールされた小泉純一郎とは,真逆の政治運営をしている.


なぜ、こうも両者の見解が異なるのか? それは、政治家としての安倍晋三を正確に捉えているかどうかの差なのである。飯山さんが安倍晋三の人物を見抜けたのも、過去の安倍晋三の言動を徹底的に調べ、慎重に考察を重ねてきたからこそである(紫線)。

安倍晋三のヤリ方は,日本国にとっては革命的です」という結論にいたるわけなのだ。


トランプ当選以降、殊に2月11日に行われたトランプ・安倍の日米首脳会談前後から、亀さんは安倍晋三の人物の再評価という作業の必要性に迫られ、手透きの時に過去の安倍晋三の言動を独自に再確認してきたが、「なるほど、そうだったのか…」と、気づかされ、驚かされる毎日であった。

それにしても、安倍晋三という人物の持つ器は、計り知れぬものがある。そして、それを見抜いた飯山さんも凄い。

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最近のEGボード
掲示板「放知技」の「吠えるEGと 燃える同志たちの議場」(EGボード)というスレッド、最近の流れが大変素晴らしい。飯山一郎さんと堺のおっさんが中心となって同スレを引っ張っているが、ここに至って、亀さんはmespesadoさんと猿都瑠さんの投稿にも注目している。

たとえば、最新のEGボードの投稿だけに限っても、mespesadoさんの以下の優れたインテリジェンス(分析)に目を見張った。確かに、右よりの人たちは中国や南北朝鮮を憎んでいるし、一方で左よりの人たちは安倍首相を憎んでいる…。では、アラシを除いた、EGボードの一般の投稿者はと言うと、「ココの板の人は、ネオコンを憎んでいる」と、mespesadoさんはサラリと言ってのける。思わず膝を打った亀さんであった。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16117851/44/

なお、mespesadoさんの上記の投稿に対して、飯山さんが以下の補足を加えていたので、これも参照されたい。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16117851/45/

次に猿都瑠さん、政治をオールスター(野球)と類比した、以下のアナロジーはお見事の一言!

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16117851/148/

この「オールスター」という類似こそ、われわれが政治を見る時に不可欠な視点である。この視点を身につければ、例えば雑誌などでよく目にする、「~せよ」や「~すべき」といった、「べき論」の阿呆らしさが透けて見えてくるはずだ。観客の一人に過ぎないのに、バッターに対して「ホームランを打て」だの、ピッチャーに対して「三振を取れ」だのと叫んでいる言論人が多い今日、嗤うほかはない。

今、日本で行われている「オールスター」ゲームは、安倍晋三対ネオコンという、緊迫したゲーム展開になっている。放知技の観客であれば、どちらのチームを応援するべきかは、言わずもがなだろう。

シング
拙稿「寅さんのことば 51」で亀さんは、十代の頃にニューヨークのレストランでバイトをしていた体験談を披露している。

1972年の年末と言えば、亀さんは半年ほどかけて中南米を放浪、そのため所持金が底を尽きかけ、日本に帰る飛行機代すら無くなっていた頃だ。だから、慌ててメキシコシティからニューヨーク行きの飛行機に飛び乗り、何とかニューヨーク空港の税関を突破して、日本人の無銭旅行者が巣喰っていると言われていた、マンハッタンはバンコホテルという所に潜り込み、仕事を探して帰国する資金を稼ごうと思っていたんだ。

だから、飛行機がニューヨークに着き、税関の係員に入国目的を拙い英語で伝えたんだが、万一仕事が目的で入国すると知れたら、即入国を拒否されるのが目に見えていたから、もう必死だった。幸い(?)、亀さんの思いが伝わったのかどうかは知らないが、最後には係員が3ヶ月の入国ビザをポンと押してくれた時、心の中で思わず〝万歳!〟と叫んだもんだよ。

そしてバンコホテルに無事に着き、その日から職探しが始まったのだが、所得金も確か2~3万円しか残っていなかったもんだから、一日でも早く仕事にありつけないことには、帰国はおろか、ニューヨークで路上生活者しなければならなくなる。だから、亀さんの生涯の中で、あの時ほど必死に生きたことは無かったと思う。その後の続きはドラマチックな展開になるんだが、別の機会に書こう。


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1972年冬のある日、バンコホテルで


旧ブログにも書いた。

中南米を半年ほど放浪した頃、旅行資金も底をつきはじめたので、メキシコシティから一路ニューヨークへ飛んだ。ちょうどクリスマス前だったため、寒空の下でマンハッタンに点在する日本料理店を一軒一軒回って仕事を探したことになる。当時、一週間が過ぎてもなかなか仕事が見つからず大変焦ったものだが、今では懐かしい想い出だ。そして、確か8日目だっただろうか、その日も1日歩き回ったのに成果がなく、がっかりしてホテルに戻ろうとした帰り道、たまたま「江戸」という看板の日本レストランが目に入ったので寄ってみた。すると、メガネをかけたインテリ風の支配人が「あっ、ちょうどいい。在ニューヨークの日本人向けにおせち料理を作っているんだが、人手が足りない。早速頼むよ!」と言うではないか。その支配人の言葉を耳にした時は咄嗟に言葉が出ず、頷くのがやっとだった。結局、その日本レストランでは8ヶ月ほど働き、かなりの旅行資金を貯めた。その後、2ヶ月弱アメリカとカナダを長距離バスで一周し、続いてサンフランシスコで1年半ほど大学生活を送り、日本に帰国している。
日本脱藩のすすめ


江戸レストランで働き始めた最初の3ヶ月ほどは、無銭旅行者の日本人の若者が屯するバンコホテルに住んでいたのだが、レストランで働いていた他の無銭旅行者が辞め、レストランの屋根裏のベッドが一人分空いたことから、今度は亀さんがそのベッドで寝起きをすることになった。宿代が浮いたこともあり、大変嬉しかったのを今でも覚えている。その後は同レストランを辞める8月頃まで、亀さんの屋根裏生活が続いたのである。

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屋根裏生活が始まって間もなく、毎朝ラジオから決まった時間に、心地よい歌声が聞こえてくるようになった。後で知ったのだが、カーペンターズの「シング」であった。ウィキペディアで確認したところ、「シング」がレコード化されたのが1973年とあり、発売されて間もなくの「シング」が毎朝耳に聞こえてくる頃、亀さんは目を覚まし、寝ぼけ眼で仕事に取りかかっていたのだ。だから、今でも「シング」を耳にすると、あの懐かしい江戸レストランでの日々を思い出す…。

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日本人が愛したカーペンターズ~天才兄妹秘められた物語」NHK「アナザーストーリーズ」

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すみれ 沢山あるんです、思い残してきたことが…。

千明 え?

すみれ  これまでの、65年間の人生のなかで…。だけど、どれだけ思い残しても、時間は戻せない。今の自分を嘆いていても仕方がないって諦めて…。そのうちに、思い残しているという気持ちにフタをして、目を向けないようにして、生きてきたんです。

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すみれ だから、もし奇跡が起きて、時間が戻せるなら、今度は、ゼッタイに後悔しないように、自分の思うように生きてみようって思ったんです。
お節介爺さんと婆さん


亀さんの場合、我が青春で思い残してきたことは、ない。



清水精一に学ぶ
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三部シリーズとして、「清水精一の人生」で求道一筋だった清水師の人生を述べ、「清水精一と山窩」で山窩が清水の生き方に与えた影響を述べた。最終稿である本稿「清水精一に学ぶ」では、激変する世界情勢を意識しつつ、我々はどう生きていくべきかについて、清水の著した『サンカとともに 大地に生きる』(清水精一 河出書房新社)、そして同書を通じて知り得た清水の生き方をヒントに、激動の世界を我々が生きていく上での一つの羅針盤を示すことで、清水精一シリーズの終わりとしたい。

■自然界
前稿の「清水精一と山窩」で、亀さんは以下のように書いた。

プーチン大統領と安倍首相がフクイチ事故後の処理に乗り出すということが明らかになった。よって、現在は静かに成り行きを見守っているところだが、実際にロシアと日本がフクイチ事故処理に乗り出すまで、日本が持つかどうかという一抹の不安が残る。


2011年3月11日の東日本大震災によって起きたフクイチ事故、6年以上も経った今日に至っても尚、の放射性物質が日本列島に降り注いでいる…。そのため、この列島の住民全員が体内に放射性物質を蓄積、深刻な内部被曝を患うようになったのだが、そうした症状が今後は一層目に見える形となって現れるだろう。ここで、最悪のシナリオを想定しておこう。ロシアと日本がフクイチ鎮圧に乗り出す前に、首都圏が麻痺した場合はどうするべきなのか? それを考えるにあたって、『サンカとともに 大地に生きる』にあった以下の記述を引用しておきたい。

真実を求める道に志さずとも、お前のような原始的生活に這入るならば、それは何人も生物としての生命は維持され得るが、しかし現代人の胃袋は飯を食わねばならぬ。飯を食う生活である。しかし飯を食わねば生きて行けないと定めているところに食えぬ悩みの原因があると思う。
『サンカとともに 大地に生きる』p.74


これは、清水が二年近く深山に籠もっていた頃の話で、第9章「山に籠りて」からの引用だ。最悪の事態に陥れば、スーパーで食料を買うこともできなくなくなる。それでも、人間は飯を食わねば生きていけぬ。よって、ここで考えなければならぬことは、そうした最悪の事態に陥った場合、自分、そして家族の食べる分くらいは自身で作っていく他はないということだ。そうしたことを考えると、今、最も注目するべきは掲示板「放知技」で展開されている、「乳酸菌・アミノ酸農業を語る」というスレッドだ。このスレッドは必見である。何故なら、同スレッドを立ち上げた堺のおっさんをはじめ、常連の投稿者の農についての卓見が素晴らしいからだ。最悪の事態を想定し、かつ人は食わねば生きていけぬということを考えれば、、同スレッドを熟読して自らも農を実践していくべきである。

以下、『サンカとともに 大地に生きる』からの引用が続くが、興味がない方は飛ばしていただいて結構だ。しかし、スレッド「乳酸菌・アミノ酸農業を語る」で、積極的に発言を行っている土に生きる堺のおっさんをはじめ、わっぱさん、小ボンボンさん、河内のおんなさん、岐阜 中野さんらを念頭に置きつつ、敢えて紹介させていただく。

百姓は仕事そのものが座禅である。いらいらしたからとて決して仕事が出来るものではない。どっかりと土に座った心持ちになって行かなくては土の声を通じて自然の妙に触れることが出来ないのである。
『サンカとともに 大地に生きる』p.229


ドストエフスキーは、人間は裸になって、土の上にごろりと寝ながら、土に接吻の出来るほどの親しみを感じないものは真の芸術を語る資格がないと語っている。
『サンカとともに 大地に生きる』p.231


そもそも地上において絶対信ずべきものは土以外になかろう。その信ずべき土にどっかりと座る行を打ち立てたいのである。土のこころをこころとする生活は、人間のこころへ還ることなのである。吾々は一切をこころから出発したいのである。今日の世は、都会人は土を知らない。また農村人は土の中にいながら真実の土のこころを知らないのである。
『サンカとともに 大地に生きる』p.235


土は一切を育てる根元である。その精神こそ農を基本とした日本精神であると思う。私は日本精神は日本さえ都合がよければいいと思うようなものでは絶対ないと信じる。
『サンカとともに 大地に生きる』p.235


■人間界
ここで、「乳酸菌・アミノ酸農業を語る」が自然界を対象にしたスレッドであるとすれば、同掲示板で人間界を対象にした代表的なスレッドこそが、「吠えるE爺と 燃える同志たちの闘議場」に他ならない。以下は、二年近くに及んだ山籠もりから、人間界に下ることを決断した清水の言葉である。

私は自然界よりさらに人間界においてその調和を一層味わいたい。人の真只中でひとしおの愛と喜びの世界を味得したい。そうした思いが日一日と強まり、ついに私は秋来たりさらに秋を迎えて新緑に美しい山を後に飜然として下りることにした。
『サンカとともに 大地に生きる』p.86


この機会に是非、「吠えるE爺と 燃える同志たちの闘議場」を覗き、激変する世の荒波を泳いでいく上での羅針盤としていただきたい。

■結語
以下は、清水が山窩の根城を初めて訪れた日、帰り道に山窩の子どもが街まで送ってくれた時の清水とのやり取りで、ここに、現代人と山窩の違いを見る。

おいネス(ネスとは一般人を呼ぶ符牒である)さんあれ見んか、よいお月さんや。皓々と冴えている月を指すのである。冬の月は鋭いほど冴えている。悠々と月を観賞するこの余裕には、私の心を潤おしてくれる充分なものがあった。この頃の都会人には、大人としてもそうした心にはなり得ないだろう。百軒長屋の焦々しい生活からこうした自然人に触れて私はますます考えさせられたのである。
『サンカとともに 大地に生きる』p.113


清水精一と山窩
前稿で「清水精一の人生」を書いた。清水の歩みを大雑把だが、一応は掴んでいただけたのではと思う。本稿「清水精一と山窩」では、山窩と三年半にわたって生活をともにした清水が、具体的に何を山窩から学んだのか、換言すれば、山窩が清水の物の見方・考え方に、どのような影響をもたらしたかについて簡単に述べておきたい。

最初に、『サンカとともに 大地に生きる』(清水精一 河出書房新社)の解説で、磯川全次氏が述べているように、同書で山窩と行動をともにしたことについて述べているのは、第12章の「乞食(行乞)」、第13章の「乞食の群れにて」、そして第14章の「青天人」の三つの章である。「第12~14章が一番面白かった」と、同書を再読した磯川氏が述べていたが、同感である。関心のある読者は同書に直接目を通していただくとして、三角寛といった、山窩との生活を体験していない者たちに多く見受けられる、外から見た表層的な山窩像とは異なり、清水のそれは山窩の内奥に食い込み、しかも三年半も山窩との生活を通じて得た、本物の山窩像である点、三角らの山窩像とは大きく違うのである。

ここで、人によっては山窩は異民族であると主張している者がいる。日本人と中国人の場合であれば、確かに互いに異民族同士であり、言葉も違えば、物の見方・考え方も大きく異なってくるのは、当然の話である。では、清水は山窩を異民族の集団と考えていたのだろうかという点については、『サンカとともに 大地に生きる』に以下のような記述があるので紹介したい。

山窩は民族的なものか、境遇的なものかと言うと、私は民族的なものでなくて、境遇的なものであると思うが、甚だしく民族的の色彩が濃厚なものである。これを分類すると種々あるが、大別し二大系統とすることが出来る。一つは山を根拠として来たもの、即ち山林生活者をしたもので、今一つは河海の辺りを根拠としたものである。
『サンカとともに 大地に生きる』p.137


つまり、清水は日本人も山窩も同じ民族だと言っているわけで、その点は亀さんも基本的に同感である。そして、日本人と山窩を分けているものこそ、境遇の違いという清水の主張に同意するものである。ここで、「境遇の違い」と亀さんは書いたが、この境遇の違いについては、実際に山窩との生活を実体験した者でなければ、真に山窩の心を理解することは不可能だと、同書を紐解きながら亀さんは直感的に思った。そのあたりを明瞭に述べた清水の言葉を以下に引用しておこう。

すべてのものには、頭で考えて解ることと、行じて初めて解ることとの二つがあると思う。水の冷たさはいかに頭脳で考えても解らぬことだ。それはどうしても飲むという行を通さねば解らないことである。真実解らないものまでも解らないままに概念知として無理矢理に詰め込む。たださえ整理せねばならぬ頭脳へ、整理を待つ暇もなく詰め込まねばならぬ。ついには耐えきれなくなって神経衰弱症などに陥るのである。そこに私は無理があると思う。熱い、冷たいという根本の観念さえしっかりとしておけばそれからはものに触れ、行を通じて真に解ってゆけると思う。余計なものは害にこそなれ、吾らを生かすに何ら役立つべきものはない。
『サンカとともに 大地に生きる』p.38


これは正に、不立文字の真髄を述べた行である。換言すれば、山窩と実際に生活をともにすることで、初めて山窩というものが〝身体で解る〟のだと思うし、文字で伝えるのは不可能とすら思えるのだ。しかし、そう書いてしまっては身も蓋もないので、同書に登場する一人の人物を簡単に描写しておくことで、山窩の実像の一端を見ていただこう。その人物とは、清水が属していた山窩集団の仲間の一人で、「紀州」と呼ばれていた老人である。第14章「青天人」に登場している。その紀州翁を師と仰ぎ、親とも思っていた清水が学んだものは、紀州の生き様そのものであった。特に亀さんが紀州の生き様で印象に残ったものが、天と地についての考え方である。長くなるが、以下の引用に目を通していただきたい。

紀州は決して小屋の中では寝ない。いつも大空を戴いて土の上へそのまま寝る。そしてこの大きな空を味わえ。土の温かいことを味得せよなどと云ってくれた。ある朝である。冬の始めの頃であったが、例の如く裸身のままで土の上へごろりと寝ているのである。そして蓆(むしろ)を被っていた。蓆は霜さえ積んでいる。私は驚いて、紀州冷たいことはないかい、と心配すると、寝たまま蓆をまくして、大地が冷たいなどと言うているものにどうして大地の温かみが解るかい。この頃の奴らは言葉ではいろいろ言うが、土の温かみを知らないで天地間の温かみが解るものでない。天地の温かみの解らないものは人間の温かみをも知れたものでない、と呵々大笑しているのであった。私はその言葉に打たれた。大地の温かみ、天地の広い恵みを味わい得たものには小さい小屋などは問題でないのであろう。

いつも紀州は帽子も笠も冠らない。そして夏の炎天下でもそのままでいる。紀州暑いだろうと云うと、お天道さんと仲よしじゃと笑っている。太陽と仲よしでいる境涯などは実に大きいものだ。大空を帽子に、大地を布団に敷く。天地そのままを自分のものにしている紀州であった。

『サンカとともに 大地に生きる』p.191


大空を帽子に、大地を布団に敷く」という紀州翁の生活…、実は2年前の亀さんは最悪の事態を想定し、万一の場合に備えて『冒険手帳』という本を入手している。その後、神計らいか、最悪の事態を迎えることなく今日に至っているわけだが、仮に今日明日にも最悪の事態を迎えることになったとしても大丈夫なように、サバイバルしていくための心の準備はできており、いつでも必要な行動に移せるように、サバイバルに必要な物は常時手許に置いてある。なお、『冒険手帳』については以下で紹介していたので、関心のある読者は参照していただきたい。
飯山一郎の“新日本建国神話”

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その後に至ってフクイチを取り巻く状況に変化が生じ、プーチン大統領と安倍首相がフクイチ事故後の処理に乗り出すということが明らかになった。よって、現在は静かに成り行きを見守っているところだが、実際にロシアと日本がフクイチ事故処理に乗り出すまで、日本が持つかどうかという一抹の不安が残る。

次回は最終稿の「清水精一に学ぶ」をお届けする予定。

清水精一の人生
拙稿「山窩と生きる」で紹介した、『サンカとともに 大地に生きる』(清水精一 河出書房新社)を読了した。己れ自身の人生について、深く考えさせられ.る本であった。ここで、読後感を書きたいと思うが、どうにも本稿だけでは収まりそうにない。よって、以下のように本稿を含め、三稿に分けたいと思う。

清水精一の人生
清水精一と山窩
清水精一に学ぶ


上記の三部シリーズで取り上げる山窩は、清水精一の目を通して見た山窩なので、本稿では清水の人物についてラフスケッチを試みた。読者に大雑把な清水精一の人物を掴んでいただけたら、次稿の「清水精一と山窩」では、山窩と三年半過ごした清水が何を山窩から学んだか、換言すれば、山窩が清水の物の見方・考え方に、どのような影響をもたらしたかについて示したいと思う。最終稿の「清水精一に学ぶ」では、自動車やパソコンに取り囲まれて暮らす、われわれ現代人には到底理解の及ばぬ、山窩の物の見方・考え方を、どのように今のわれわれの生活に反映できるか、考察してみたいと思っている。

最初に、清水の歩んできた道を一言で言い表すとすれば、「求道」という言葉に尽きると思う。以下、「清水精一師の略歴及び思想の概要」を叩き台に、亀さんなりに清水師の人生のラフスケッチを描いてみた。

清水は明治21年(1888年)、大阪市三島郡(大阪府高槻市)で地主の長男として生を享けた。恵まれた家庭環境の中で育った清水ではあったが、ある日、近所の地主が二名、小作人によって殺害される。自身も地主であった清水の父親は、次は自分の身に及ぶのではと恐れ、逃亡、これが清水の心に深い傷跡を残した。それからの清水は、「人間はいかに生きるべきか」と、道を追い求めて生きていくことになる。

最初、清水の求道は知識の獲得から始まった。京都帝国大学の経済学部で河上肇、続いて哲学科で西田幾多郎に学ぶが、学問で清水にとって納得のいく答えは得られなかった。やがて、清水は酒に溺れるという人生を送るようになる。そんな清水を見かねた父親が、清水に会社を興させ、会社の運営をさせようと試みた。しかし、経世済民を信条とする清水と、金儲けしか頭にない他の役員とは平行線のままに終わり、ついに清水は出資者に会社を追い出されてしまう。

大学で身につけた知識が、まったく役に立たないことを思い知らされた清水は、天龍寺で禅の修行に入る。しかし、結局は煩悩から抜け出すことができず、新たな道を求めて、三年半いた天竜寺を後にした。

次に清水は、二年近く深山に籠もった。しかし、やがて人間への思慕の念を抱くようになり、再び人間(じんかん)に身を投じる決意をするのであった。

山を下りて最初に行ったのが、21日間の断食だった。次に清水は 貧民窟に住むようになる。そこでの清水は、底辺に生きる赤裸々な人間の姿を見た。ある日、一人の乞食の少年と出会い、山窩との交流が始まる。そして、ついには山窩と三年半にわたり、暮らしをともにすることになった。

その後の清水は、山窩の社会同化(トケコミ)を目指し、洗心館、続いて同朋園を立ち上げている。長年にわたり同園の運営に心血を注いだ清水は、五十代の頃、北海道での開拓農耕にも身を投じた。

没年不詳。


清水師の人生については、前述の「清水精一師の略歴及び思想の概要」が詳しいので参照されたい。

ところで、「清水精一師の略歴及び思想の概要」に、以下のような記述がある。

昭和最大の怪物」と呼ばれた大正・昭和期の黒幕的政治家矢次一夫(1899-1983)は清水師を回顧して「僕は色んな人を歴訪して教えを乞うた中では、この人が一番偉いという印象を受けたことを今も忘れません」と語っている。

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矢次一夫


次稿「清水精一と山窩」に続く。

【別報】
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昨日の東京新聞に載った吉永小百合の「私の十本」(13)。


共謀罪にYES!
今朝の東京新聞に共謀罪の記事が載った。上段は共謀罪に「NO!」の立場の弁護士、下段は共謀罪に「YES!」の立場の元警察庁長官・国松孝次氏である。二年前の亀さんであったら、「言論統制から投獄拷問の時代へ」という記事を書いたほどなので、無条件に上段の共謀罪に「NO!」の弁護士を応援していたことだろう。だが、今や下段の国松氏の共謀罪に「YES!」を全面的に支持するものである。

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何故か?

上記の国松氏の意見をじっくりと読んでいただきたい。二年前の亀さんは気がつかなかったのだが、小林多喜二の時の戦前と今とでは、状況が全く違う(赤線)。加えて、共謀罪の成立が絶対に必要であると気づいたのだ(青線)。

以下をじっくりと熟読あれ。

ロシア,自民党の「共謀罪」法案を全面支持!
なぜ日本人は反テロ法に横断幕を持って街頭に出るまで反対するのか?

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16057898/670/

今春、京都の大学を卒業し、就職した上の息子が久しぶりに帰省したので、ささやかな入社の祝杯を近所の居酒屋で上げた。ちょうど予備校から戻ってきた下の息子も誘い、二人と近所の居酒屋で呑んだのだが、二人とは個別に呑んだことはあったものの、二人と一緒に居酒屋で呑むのは初めての体験であった。

若い二人の会話に耳を傾けながら、脳裏に浮かんだのが「親」という言葉である。ビッグコミックオリジナルで、「あんどーなつ」という漫画が連載されたことがあるが、「親」というテーマで記憶に残るシーンが以下で、登場する二人は主人公である安藤奈津の祖父母だ。

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あんどーなつ―江戸和菓子職人物語 (3) p.118

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拙稿「施設で育った私」で、「人間が真に独り立ちするのは28歳前後」という説を紹介したことがあるが、自分の若い頃を振り返るに、確かにその通りだと思う。だから、下の息子が28歳前後に達するまでの5~6年は、現役の翻訳者で頑張らねばと、つくづく思った一日だった。

放射脳!
掲示板「放知技」で、飯山一郎さんが以下のような投稿を行っている。

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http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16090538/694/

■内部被曝の顕在化
ここで、「脳神経細胞の物理的破壊にあるのではないか?」という記述に注目されたい。

ここ数ヶ月にわたり、急に知識人の知的劣化ぶりが目立つようになったことに気づき、これは、フクイチ(福島第一原子力発電所)から、過去6年以上も日本列島を覆ってきた死の放射性物質が体内に蓄積、深刻な内部被曝による症状が目に見える形となって現れるようになったのではと思い、亀さんは「放射脳?」と題する記事を1ヶ月前に書いた。

その後、さらに多くの知識人の知的劣化ぶりをじっくりと観察することで、やはり知的劣化の最大の原因はフクイチであると、ここに至って確信したのである。だから、本稿の題を「放射脳」としたのも、そのためだ。最も分かりやすい例が、金玉満堂こと木枯らし紋次郎さんである。わずか9ヶ月前に亀さんは、「平成の木枯らし紋次郎、参上!」という記事を書いている。ここで、彼は亀さんなんか足下にも及ばぬ、実に秀でた知性の持ち主であった、と過去形で木枯らし紋次郎さんを形容しなければならないのは哀しいことだが、最近とみに多く見受けられるようになった、知識人の知的劣化の典型例を木枯らし紋次郎さんに見る。

■ルサンチマン
次に、知識人の知的劣化で他に考えられる原因の一つに、ルサンチマンがある。ルサンチマンについては、ウィキペディアの「ルサンチマン」の解説が分かりやすい。

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リテラ

最近、産経新聞からリテラや日刊ゲンダイに至るまで、右も左も関係なく安倍首相に対する〝批判〟が凄まじいのだが、同様な現象が「放知技」の嘗ての常連さんにも多く見受けられるようになった。例として、新井信介氏を挙げてみよう。上記のウィキペディアの解説に、ルサンチマン知識人は「陰謀論や急進主義、刹那主義や否認主義」に陥っていると書かれているが、安倍首相のことを「デンデン」だのと、新井氏の好悪剥き出しの人格を貶めるような書き方、「新世代王族」などと、ありもしない幻の組織を頑なに信じるという新井氏の陰謀論に、ルサンチマンの典型例を見る。例えば、以下の新井氏の記事の見出しを一瞥しただけで、国際政治の理解度ゼロ(正恩クン、トランプにロックオンされちゃったよ)と分かるし、また、己れを生み育んでくれた国の首相のみならず、デンデンには関係のない安倍昭恵夫人までも一緒くたにして、「デンデン夫婦」と人格を貶めるような書き方をするあたり、新井氏の末期症状ぶりが分かるのである。
正恩クン、トランプにロックオンされちゃったよ。どうする?デンデン夫婦や葛西組もかな。

まともな神経の持ち主であれば、このような文を目にすれば唖然とする他はない。無論、こうした傾向は新井信介氏だけに限らず、副島隆彦、植草一秀、カレイドスコープといった、本を著したり有料メルマガを発行している人たちにも顕著な点である。

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放知技にも、でんでんと叫ぶ〝とち狂った〟輩が一匹…(嗤)

■大局観ゼロ
内部被曝とルサンチマン以外に、大局観ゼロという点が考えられる。安倍叩きをやっている人たちは、例外なく安倍首相の肚、すなわちネオコンを官邸から追放したという事実、日本の最大の問題であるフクイチについて、プーチンと取り組むことを正式に決定した事実も知らない。だから、一事が万事、プーチンや安倍首相の肚が全く読めなくなっているのだ。例えば新井氏のように、「正恩クン、トランプにロックオンされちゃったよ」などと、正しく国際情勢の流れを把握している人たちから見れば、「阿呆か!」と言う他はないのである。そうした輩が国際情勢を正しく理解し、本物の大局観を身につけようにも、深刻な内部被曝に自身も含め日本列島の住民全員が罹っていること、そしてルサンチマンから抜け出すことが不可能なレベルにまで陥っていることを考えれば、国際情勢についての間違った見方・考え方を抱えたまま、一生を終えるであろうことは想像に難くない。

■太鼓持ち
ここで、改めて拙稿「放射脳?」に目を通していただきたい。佐藤優氏について亀さんは言及しているが、同記事を書いた時点では、佐藤氏は未だ内部被曝の影響が出ているようには見えなかったし、かと言ってルサンチマンでもない。だが、「シリア政府軍が自国民にサリンを撒いた」と、公の前で断言したことが強く印象に残るのだ。大局観ゼロぶりもはなはだしいものがあり、これだけの頭脳の持ち主が、どうして間違った大局観を身につけてしまったのだろうかと、なんとも不思議でならなかったのだが、「佐藤優は二年前にモサドと契約を交わし、情報提供者になった」ということを聞くに及んで、ようやく納得できた次第である。しかし、見方を変えれば、モサドがどのように日本をミスリードしたいのかということが、佐藤優氏の記事や本を読めば自ずと分かってくるので、ある意味で同氏は貴重な存在だと云えよう。

翻って、知識人でもない亀さんのような一般庶民はどーするべきか? 最も大切なことは、怠ることなく内部被曝への免疫力の向上に努めることである。亀さんのように普段は仕事に追われ、本を読む時間的な余裕があまりない場合でも、「放知技」を丹念に読み、そこで紹介された書籍に目を通すことで、だんだんと本物の大局観が身につくものである。やがて、真に安倍首相の肚を理解できるレベルに至れば、自ずと未来に希望を見い出せよう。

絶食青年
最近入手した『サンカとともに 大地に生きる』の第10章、「断食」を興味深く読んだ。以下、同章の一部を引用しておこう。

 食うことを罪悪とするとき、食は取れないのである。ついに食を断つほかないのであった。食はなかったというより食えなかったのである。一日一日してついに二十一日の食を断ったのであった。三日や五日はこれまでも時々食を断った事があるが、二十日を超えた断食はその時が初めてであった。
食欲の強いことはこれまでいろいろの機会に物語った。しかし本当に食欲の真味を会得したのは今回が初めであるような気もするのであった。一日二日はさほどにもないが、早や三日にもなると耐え得られないのである。朝を迎えるとお茶漬の声すらどこからともなく聞こえて来るような気がする。咽喉がゴロゴロ鳴って来る。口には唾液が充ちて来る。食欲というものは単に口だけで求めるものではない。胃や腸のみで求めるのでもない。咽喉も肌も指先にも求めるようにさえ思われるのである。鮨や握り飯を食うには箸を用いずして指でつまんで食う方がさらに美味さを感ずるのであるが、これは指先の食欲を満たすからであろう。私はむしろ身体が食欲の塊であるようにさえ感じられた。そうして十四五日もすると不思議にも食欲を感じない。胃腸は麻痺したのである。私はその時麻痺を真実と誤認したのであった。人問は時々麻痺を真実と誤認する陥し穴に陥るものである。私は、吾世に勝てりと思った。この分で行くならば昔の仙人のように霞を吸って生きて行ける。と飛んでもない世界へと堕ちて行くのである。
私はその時久米の仙人を聯想するのであった。久米の仙人は通力を得て天上したという。雲の上を悠々と逍遥していたところが雲の隙間からちらと見えた美しい女性の脛に蹉いて雲を踏みはずして顚落したと伝えられている。私はかつて大和の国の久米寺でその顚落の場所と云うのを見たが、この所が女難の場所であったのかと思い興深く感じたことがある。仙人は雲の上を走っている者が多い。地から足を離した時そのままが顚落である。私はその久米の仙人に等しきことを食の上に経験したのである。霧や霞を吸って生きて行ける筈であった仙人は恥かしいことに一つの団子を見て顚落したのであった。ちょうど断食二十一日目のことであった。本願堂の御本尊の忌日にでも当たるのであろう。どこの老婆か知らないが、湯気の立っている美味しそうな団子を持って来たのである。しばらく麻痺していた食欲はにわかに起った。美味しそうな団子からは湯気がぽつぽつと立っている。見るから食いたくなるのだと眼を閉じても駄目である。眼を閉ざせばかえって幾百とも知れぬ団子が瞼のうちに拡がる。見ても食いたい。見なくても食いたい。食欲の本能はいずれにもかかわらないで私を圧倒した。
こうしたときに私の内面には相反する二大本能が闘争する。「お前は食うことが罪悪と知り、その罪を超えんとして食を断ったのではないか。それに何と弱いお前ではないか、団子くらいにフラフラするとは何事だ。強くなれ強くなれ」と云う。すると反対にまた「食いたいものは食ってよいではないか、早く食え早く食え」と云う。しかし私はフト気付いた時は、すでに一つの団子が舌の上に乗せられていたのである。私はいつ指で掴んで口に入れたのか、その意識すら無かった。所詮は食わずにおれぬ自分なのである。
食うことが罪悪と知りながらも、食わずにおれぬ、それが人間の姿であろう。自分に食えと持って来られたのであれば格別である。しかも御本尊に供えられたものすら横取りして食ってしまった自分である。生を得んとして得ず、死を得んとして得ず、と悲歎された古聖もあった。もっともっと練らねばならぬと心を静めようとしてもそれすら得られない。「定水を凝らすといえども色浪しきりに動く」のである。私の断食はこれで終ったのであった。

『サンカとともに 大地に生きる』p.89~90


清水精一師の21日間の断食というのも凄いが、世の中、上には上がいるものだ。ナント、二倍近くの40日間もの断食に成功した人物がいる。ぽんぽこ笑店の絶食青年である。絶食青年については、以下の記事が詳しい。
飯山一郎:本日より3日間の絶食

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草むしりに精を出す絶食青年

ちなみに、絶食青年は●絶食青年のブログ●というブログを立ち上げており、また、「絶食笑店はにわ☆のストア」という自前の店も、アマゾンにオープンしている。

明治の絶食青年が清水精一師なら、ぽんぽこ笑店の青年こそ平成の絶食青年、いや、絶食青年中の絶食青年だ。青年よ、荒野をめざす前に、絶食をめざせ!

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『追記』
『サンカとともに 大地に生きる』に登場するスケベーな仙人については、以下の拙稿を参照のこと。
夢の蕭白(しょうはく)

ここで、スケベーの意味が分からない読者は、以下の拙稿を参照のこと。
skivvy